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魔物調査編
 3.女王降臨


 灰色の空から落ちる雨は、小さな粒からあっというまに紗の如き細雨へと変わる。
「こっちです!」
 ひとまず熊は置いておいて、アギの先導で一行が駆け込んだのは、丘の中腹に開いた大きな洞穴だった。
「うぅ、びしょ濡れじゃない」
「こりゃ、当分は止みそうにないな……」
 朝は晴れていたはずなのに、灰色の空は先ほどよりもなおその色を濃くしつつある。マハエの経験からすれば、明日の朝になっても止む事はないだろう。
「仕方ないですね」
 どうやら森の民の間で、雨が降った時の退避先として使われている場所らしい。アギは手慣れた様子で、奧に積まれていた薪で火を起こし始める。
「ジョージ。寒いんなら、オレの荷物の中に防水布があるから、適当に羽織れ」
 外を見上げる者達の中。ただ一人自身の体をきつく抱きしめていた青年に、マハエは背中から下ろしたザックを指してみせる。
 初夏の雨はそう冷たいものではないはずだが、他のメンバーに比べて軽装なジョージは体を冷やしてしまったらしい。
「もうちょっと火、強くしましょうか」
「あ、いえ……大丈夫です」
 自身の体を抱き寄せたまま、ジョージはこそこそと洞穴の隅に腰を下ろす。唇は燃え始めた炎の色を差し引いてもなお赤みを帯びているようだったが、濡れた体を抱いたままなのは、やはり寒いからだろう。
「風邪でもひかれたら、こっちが迷惑するんだからな。遠慮するな」
「じゃあ、布だけ使わせて下さい」
 マハエの言い方は悪いが、言っている事は間違っていない。ジョージはマハエの荷物から厚手の布を取り出して、羽織っておく事にする。
「アルジェント達は平気か?」
 濡れたマントを壁に掛け、手拭いでナナトを拭いていたアルジェントは、その問いに少し首を傾げ……。
「火だけ、もう少し足してくれると嬉しいわね。……どうかした?」
「……良かったらこれも飲んどけ」
 答える代わりに視線を逸らし、ポケットから取り出した古びたスキットルを放り投げる。
「ありがと。マハエこそ風邪ひかないでよ?」
「オレぁ大丈夫だよ」
 受け取ったそれをひとくち口にして……。
 アルジェントは口の中のそれを、勢いよく吹き出した。
「ああ勿体ない。高いんだぞ、これ」
 勢いよく投げ返されたスキットルを受け取って、マハエは情けない声を上げてみせる。
「これ、お酒じゃない!」
 雨で鼻が鈍っていたのか、口にするまでは気付かなかったが……一度口にすれば、さすがに分かる。しかも、かなり度の強い酒らしい。
「体を温めるにゃ、これが一番なんだよ。お前らも呑んどけ」
 アルジェントの声を聞かない事にして、マハエは今度はアギに向かってスキットルを放り投げた。


 それから、ほんの少しして。
「……聞いれるんれしょうね!」
 マハエは自らの行いを、速攻で悔いる羽目に陥っていた。
「ああ。ちゃんと聞いてる。聞いてますって」
「らからぁ、わらしが、そーげんろくにろ、王女様らのよー!」
 ろれつの回らない大声は狭い洞窟にわんわんと響き渡るが、それでアルジェントが声を緩める気配はない。むしろ、洞窟にも文句を言い出しそうな勢いだ。
「はいはい。なんてぇか、女王様の間違いだろ」
「女王様じゃらくってぇー!」
 ぐだりとのし掛かってくる身体は、確かに酒のおかげでしっかりと温まっているようだった。だが、その副作用は流石のマハエも想定外だ。
「誰だよコイツに酒なんか呑ませたの!」
「ジョージさん。肉、焼けましたよ」
 そんな男を尻目に、程良く焼けた鹿肉をたき火の脇から取り上げたのはアギである。
「ありがとうございます、アギさん。ナナはお肉、大丈夫?」
 頷くナナトも少し舐めた酒精のせいで頬を赤くしているが、その程度だ。危なげなくジョージから串焼きの肉を受け取り、ふうふうと息を吹きかけて食べ始める。
「おいしー! おねえさん、お料理じょうずだね!」
「塩と香草だけで、こんなに美味しくなるんですね」
 マハエの持っていた香草と塩だけのシンプルな味付けだが、程良い焼き加減は街の食堂にも劣らない。
「ふふっ、ありがとう。……でも僕はお姉さんじゃなくて、お兄さんだからね」
 さりげなく訂正するアギに、ナナトは不思議そうに首を傾げるだけ。
「お前らだけで和んでるんじゃねえよ……」
「ちょっとぉ、きいれるのー!?」
「はいはい。聞いてますよ」
 もう何回目になるか分からない答えを返すマハエの腹が、彼の表情以上に情けない音を立ててみせる。

 ようやくマハエが夕食にありつけたのは、それからさらに少ししてからの事だった。
「やれやれ、やっと寝てくれた」
 自身のマントにくるまり、ナナトを抱いて寝息を立てているアルジェントの様子に小さくため息を一つ。こんな洞窟でも平然と寝られる辺りは、さすが旅慣れていると言うべきだろうが……。
「お疲れ様です、マハエさん」
「ジョージもダウンか」
 服も乾き、体も酒と食事でしっかりと温まったからだろう。防水布にくるまったジョージも、膝を抱きかかえたまま、こくりこくりと船をこいでいる。
「何だか、随分と気を張ってたみたいですしね」
 そんな会話の中。
「…………さん」
 眠ったままのジョージの唇から漏れるのは、誰かを呼ぶ切なげな声だ。
 続くのは、嗚咽に似た小さな声と、目尻に浮かぶ涙。
「……起こすか」
「そっとしておきましょう」
 ぱちぱちとはぜる焚き火を眺めたまま。動く気配のないアギに、マハエは微妙な表情を浮かべてみせる。
「さっき少し話したんですが……ジョージさん、目覚める前の記憶がないらしいんです」
 ジョージが古代人だという事は、マハエも以前聞いていた。だが言われてみれば、確かにジョージが忍やカナン達のように古代の知識を操っている所は覚えがない。
 むしろ、立ち居振る舞いは古代人というより、マハエたち現代人のそれに近かった。
「……そうなのか」
 だがそれも、当時の記憶がないのなら納得のいくものだ。
「だから、その時の思い出が夢に出て来るかもしれませんし」
 記憶喪失でも、本当に頭の中から記憶が無くなっているわけではない。少しずつ手繰り寄せたり、何かの拍子に思い出したりといった事は珍しくない。
 その記憶の鍵が、夢の中にある可能性も……否定は出来ないはずだ。
 アギの言葉に、マハエも元の場所へと腰を戻し。
「思い出していい思い出なら良いんだけどな……」
 ぽつりと呟き、外を見遣る。
「…………」
 その言葉に、アギも続ける言葉を見つけられない。
 外は暗く、雨音は止まらない。
 長い夜に、なりそうだった。


続劇

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