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廃坑探索編
 3.足りなかった、もう少し


 降りしきるのは、雨。
 響くのは怒声と、剣戟の音。
 剣を交えるのは鎧をまとった騎士達だ。しかしどちらの陣営も、まとうコートにも鎧にも、いずこの紋章も刻んではいない。
 やがて、切り結んでいた騎士の一人がぐらりと倒れ、腹に長剣を咥え込んだまま、崖の下へと落ちていった。
 勝ち残った側の騎士も体力が限界に達したのか、ぬかるみの上に膝を突く。
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
 聞こえるのは、自らの呼気ばかり。敵の騎士が谷川に落ちた水音も、戦いの音も、雨の音さえも……今の耳には届かない。
「……っ!」
 そんな混濁した意識に届くのは、自らを呼ぶ戦友の声。
 重く澱んだ意識の底からのろのろと顔を上げれば、フェイスガードの向こう、大きく剣を振りかぶる敵騎士の姿が見えた。
 死ぬ。
 それは理解できたが、疲れ切った意識の中、それも構わないと……思ってしまう。
「……っ!」
 そんな意識に叩き付けられたのは、自らを呼ぶ戦友の声。
 剣を振り上げた騎士に叩き付けられたのは、体当たりでぶつかってきた騎士の体。
 それが戦友自身だと、一瞬で理解する。
「……シャーロット!」
 敵騎士は谷川に落ちたが、組み合って共に落ちるはずだった味方の騎士を掴んだのは……自身の手。
 自分にこれだけの力が残っていたのかと驚くほどの動きで、彼女は戦友の手を掴み取っていた。
 だが、それが限界だ。
 残された力だけでは、女騎士を引き上げるには至らない。
「任務を優先なさい! このままじゃ、二人とも助からない!」
「嫌だ! あんたも助ける!」
 降りしきる雨は容赦なく体力を奪い、かかる重みに指先の感覚は既に無い。けれど、長年を共に戦い抜いた戦友の手を放すという選択肢があるはずもない。
 そんな彼女に迫るのは、背後から振り上げられた敵騎士の刃。
 一歩を動く力も余裕もない彼女に、それを避ける術はない。
 故に。
「危ないっ!」
 動いたのは、崖から吊り下がった女騎士。
 自身の兜を脱ぎ捨てて、それを敵騎士へと投げ付けたのだ。
「シャーロット!」
 大きな動きと勢いに、濡れた指先はずるりと離れ。
 視界の彼方に消えていくのは、どこか満足げな表情を浮かべた、艶やかな長い黒髪の美しい女性。

 伸ばすのは、手。
 けれどその手は、愛しき人に届く事はなく。
 歯噛みし、涙を流し、それでもなおも伸ばしても……引き攣りかけた指先は、空しく宙を掻くばかり。

 鉱山は、地下の坑道以外にも、数多くの付帯する設備を持っている。
 掘り出した鉱石を選別、精製する設備。
 精製した銅を運ぶための積み込み場。
 そして、作業員の住居。
 地上に戻ったヒューゴ達が休息場所に選んだのは、石造りでいまだ崩れずに残っていた、作業員用の住居の一角だった。
「どうしたセリカ。眠れないのか?」
 不寝番を決め込んでいたフィーヱが声を掛けたのは、奧の寝床からふらりと姿を見せたエルフの娘だ。
「ちょっと、夢見が悪くて」
 外は雨。気分転換に出歩くことも出来ないからと、ここにやって来たのだろうか。
「フィーヱさんも寝た方がいいよ」
 住居の周りには、複数の警戒魔法を設置してある。魔法で灯した炎はそう簡単に消える事はないし、実のところ不寝番の必要はないのだが……。
「いや、いい」
 小さく呟き、フィーヱはその申し出を否定する。
「けど、夢見ねぇ。収穫がもっとありゃ、良い夢が見られたのかもしれないけどな」
 今日の探索で見つかったのは、紋章の入った金の指輪と、レガシィを運び出した跡から見つけた部品らしきものが数点だけだ。
 ヒューゴの見立てではレガシィのようだが、何に使うものかは分からないという。好事家に売れば小遣い程度にはなるだろうが……。
「それもあるだろうけど……」
 ぱちぱちと燃える火の側に腰を下ろし、セリカは小さくため息を一つ。
「フィーヱさんは、冒険者になって長いの?」
「まあ、そこそこかな……」
 ガディアに来るまでも、色々な地を回っていた。見かけの変わらないエルフの歳もルードの歳と同じくらい判別に困る所だが、恐らくは彼女よりも冒険者の経験は長いだろう。
「フィーヱさんはさ……」
 焚き火に薪を一本放り込み、セリカは僅かに言葉を止めて。
「目の前にいる誰かを助けられなかった事って……ある?」
 フィーヱは問いに答えない。
 セリカも、黙ったまま。
 響くのは、焚き火の燃える音と、外の雨の音だけだ。
「……そんな夢でも見たのか?」
 やがてフィーヱが口にしたのは、答えではなく、さらなる問いかけだった。
「……ごめん、変な事聞いた。もう寝るね」
 それを、聞かれたくない問い掛けだと理解したのだろう。セリカは立ち上がり、奧の寝床へ戻ろうとする。
「ないよ」
 足を止めたのは、フィーヱの言葉があったから。
「でも、目の前にいれば助けられただろう奴を……助けられなかった事はある」
 言葉に紡ぎ直す度。胸の奥の三つの貴晶石が、今でもきしりと悲鳴を上げる。
「ちゃんと一緒にいれば良かったって、今でもずっと悔やんでる」
 故に、彼女は今も旅を続けている。
 あの頃とは目的も考えも何もかもが変わってしまったけれど……失ったそれを、取り戻すために。
「目の前にいて助けられなかったなら、諦めも付いたかもしれないけどな」
「……そんな事、ない」
 無言でフィーヱの話を聞いていたセリカが初めて口にしたのは、否定の言葉だ。
 短く、そして小さな言葉だったが、籠められた意思は強いもの。
「自分にもっと力があればって、悔やむ理由が変わるだけ」
 自分にもう少し実力があれば。
 自分にもう少し権力があれば。
 自分にもう少し自由があれば。
 その絶望的に足りないと知った『もう少し』を埋めるため、今の彼女は冒険者としてここにいる。
「……そうか。そう、かもな」
 呟く言葉の重さを感じたのだろう。フィーヱもそう言ったきり、次の言葉を紡がない。
 響くのは、焚き火の音と雨音だけだ。
(私にもっと力があれば……あの時、シャーロットを助ける事が出来たんだろうか)
 もしもあの時助ける事が出来たなら。
 伸ばしたあの手を引き上げる事が出来たなら。
 任務よりも、戦友を選ぶことが出来たなら。
 彼女は冒険者ではない別の道を、今も歩んでいたのだろうか。
(あの時一緒にいたら……助けられたんだろうか。シヲ……)
 もしもあの時一緒にいたのなら。
 伸ばしたあの手を掴める距離に居たのなら。
 彼女は今も、二人で別の空の下を歩いていたのだろうか。
 ……そんな沈黙を破るのは、二人の娘ではない。
「お。綺麗どころが二人揃ってどしたんだ?」
 ふらりと奥の間から現われた、青年だ。
「こんな夜更けにガールズトークもいいけど、夜更かしはお肌の敵だぜ? 不寝番なら俺が代わってやるから、二人ともちゃんと寝なって」
「……ルードには関係ないだろ」
 いくらメンタルが女性でも、機械仕掛けの彼女達に肌荒れなどあるはずもない。
「あるある。大ありだって!」
「……じゃあ、もう寝るね」
 カイルの言葉にどこか気が抜けたのだろう。セリカは焚き火に木ぎれをもう一本放り込むと、すいとその場を立ち上がる。
「おう。おやすみ! フィーヱも寝ていいぜ」
 ルードの睡眠は、機体の休養やエネルギーの節約の意味もあるが、記憶の整理という側面が大きい。エネルギー補給さえ出来ていれば確かに停止することはないが、記憶の整理が出来なければ、段々と反応に遅れが出て来るのだという。
「………いい」
「前にディスが言ってたぜ? 寝られる時は、寝た方が良いって」
「いいって言ってるだろ! ちょっとその辺り、偵察してくる」
 声を荒げて立ち上がり、そのまま雨の降る外へと飛び出して行ってしまう。
「……気を付けろよ。何かあったら大声で呼べよ?」
 呟く言葉に、返す相手はもういない。
 カイルは小さく息を吐き、焚き火に木ぎれを一本放り込む。
(みんな、色々事情があるんだなぁ)
 そうして取り出したのは、首から提げていた小さなロケットだ。
 ぱちぱちと爆ぜる火の音を聞きながら、金属製のそれをしばらく眺めていたが……やがて、中を見ることもなく元へと戻す。
(俺もちゃんと覚えてたら……)
 彼女達のように、今も悔やみ続ける事になるのか。
 それとも……。
(…………)
 考え続けても、答えは出ない。
 辺りに響くのは、焚き火の音と、雨の音だけだ。


続劇

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