3.道の分岐
『月の大樹』を出たセリカが向かったのは、北ではなく西である。
「あれ? 待ち合わせ場所って、停車場じゃないの?」
二つの街道の交差点となる停車場は、『月の大樹』を出て北に向かうはず。このまま進めば、高台や騎士団の詰所に行ってしまう。
セリカがガディアに来てそれほど経っていないのは知っているが……。
「『夢見る明日』にターニャさんを迎えに行くから」
そういえば『夢見る明日』の店主もパーティに加わると聞いていた。
朝食の時間帯は開いていない店だから考えから抜けていたが……確かにこの道は、『月の大樹』の冒険者達のもう一つのたまり場に続く道だ。
「なるほどなぁ……………っ!?」
いつもの調子で相槌を打ちかけた律が唐突に走り出したのは、その言葉の途中から。
並み居る人混みを軽いフットワークで駆け抜けて、あっという間に一同の視界から姿を消す。
「りっつぁん?」
慌てて追い掛けてみれば、律は十字路の真ん中、きょろきょろと辺りを見回している。
「どしたの?」
朝のこの時間、中央広場へと続くこの道は人通りも多い。目的地は分かっているからはぐれても問題はないのだが、いかに律が目立つ和装をしていても、ここではあっさりと見失ってしまう。
「悪ぃ悪ぃ。ちょっと知り合いがいたみてえだったんだが……気のせいだったわ」
見えたのは、艶やかな黒く長い髪。
それだけの女性なら、どこにでもいる。
けれど、その背中を見た瞬間、それが誰か律には確かな自信があった……のだ。
彼が求め、探し続けてきた存在だという事を。
(あいつが……いや、まさかなぁ)
とはいえその確率は、広大な砂漠でダイヤを探すに等しいもの。見間違いだった可能性は……いや、その可能性の方がはるかに高い。
ようやく追いついてきたメンバーに苦笑いを返し、律も『夢見る明日』へと再び歩き始めるのだった。
○
ガディアの街は、木立の国を東西と南北に抜ける二つの街道が交差する街だ。
その街道の一つ、ゲヴィルグス街道を北に向かうのは、大きな荷物を積んだ馬車である。
「ねえミスティ。この樽って、何が入ってるの?」
馬車に幾つも積まれているのは、小柄なドワーフほどもある大樽だ。松脂で封がされ、雨避けの帆布まで掛けられたそれは、全て依頼者ではなくミスティの私物である。
「爆弾だから、触ると危ないわよ」
「……えっ」
事も無げに呟いたミスティのひと言に、流石のターニャも触れようとしていた指を凍らせる。
「あの、大丈夫……ですよね? 坑道を吹っ飛ばしたりしませんよね?」
ようやくその中身を知ったのだろう。馬車の荷台に腰掛けていた十五センチの依頼人は、あからさまに不安げな表情をしてみせる。
「大丈夫でしょ」
「それ、心の中で多分って付けてませんでしたかっ?」
問われたミスティの表情は変わらない。
もちろんそのやり取りを聞いていた誰もが「付けたな」と確信していたが、依頼主の不安を煽る事もないだろうとそれは口にしないままだ。
「まあいいじゃないですか。上手く使えば、役に立つはずですし」
場を取りなそうと無難な事を言ってみせる大荷物を背負った青年は、近辺の地形にも詳しい学者だと聞いていた。恐らく坑道調査の中核を成すのは彼だろうが……。
「お願いですからヒューゴさんも、坑道を吹っ飛ばしたりしないで下さいよ?」
大量の爆弾が果たして『何の』役に立つのかをさりげなく言及しないでいる彼にも、一抹の不安を拭えずにいる。
「そういえばさ。何でこんな所で魔晶石農場なんてやろうと思ったの」
依頼主の不安を誤魔化すためか、別の問いを投げかけてきたのは、イーディスと同じく馬車に腰掛けた黒衣のルードだった。今までひと言も喋らなかったから眠っているのかとも思ったが、そういうわけでもないらしい。
「あ、それわたしも気になってた。魔晶石農場の本場って、山岳の国なんだよね?」
ターニャの言葉に、ドワーフの少女も頷いてみせる。
役目を終えた坑道内に弱い魔物を繁殖させ、そこから大量の魔晶石を作り出す手法は、ルービィの故郷である山岳の国で生まれたものだ。確かに目指す廃坑は交通の便も悪くないし、魔晶石農場に向いているとは思うが……。
「はい。元々ボク、草原の国や海の国辺りでプラントを探してたんですけど……」
「プラント? あれ探してるルードってまだいたのか」
赤いルードの思わず漏らしたひと言に、イーディスは苦笑いを浮かべるだけだ。
「ねえディス。プラントってなに?」
首を傾げたのは、冒険者の経験の浅いルービィだけではない。納得しているのはヒューゴとルードの面々くらいで、大半の冒険者は彼女と同じような表情を浮かべている。
「ルードの部品が生産出来るレガシィの事じゃよ」
「そんな物があるの?」
ルードの部品はそれそのものが貴重な古代の遺産であり、現代の技術で再現出来るものではない。もしそんな物が見つかれば、今までの常識は一気に覆るだろう。
「もう何代にも渡って見つかっておらぬ、伝説の存在じゃよ。……そうか、あれを求めておったのか」
かつては幾つも稼動していたと言われるそれらはいずれも動作の限界を迎え、それを補う新たなプラントも見つかっていない。故に、赤いルードの反応はごく普通のものと言える。
「草原の国で冒険者証も取って、いろんな所を回ってたんですけど……もうちょっと身近な所に目を向ける事にしたというか……まあ、そんな感じで」
諦めた事を遠回しに語るイーディスのそれは、苦笑とも自嘲とも取れるものだ。
「ならまあ、協力しないわけにはいかないな」
「よろしくお願いします」
カイルの言葉にようやく少しだけ前向きな笑みを浮かべ、イーディスは一同を見渡して……。
「……でもお願いですから、坑道は吹っ飛ばさないで下さいね。権利書、結構良い値段したんですから」
やはり、ミスティの所でその表情を微妙に強ばらせるのだった。
「そうだ、ミスティ。例の弓ってどうなってるんだ?」
律の問いに表情を露骨に曇らせたのは、先ほど散々にイーディスの表情を強ばらせた女性である。
「……いまオルレイさんの店で材料を集めてもらってるわよ。あんな変わった作りの武器、昨日今日で出来るわけないじゃない」
もともと素材加工の類はミスティの店の本業ではない。馴染みの鍛冶屋の名前を挙げて、肩を小さくすくめてみせる。
「そんな変わった作りなの?」
同じ後衛として気になるのだろう。傘に偽装したボウガンを背負ったターニャの問いに、ミスティはため息を一つ。
「ってか、ボウガンの方が良くない? 威力もあるし、使い勝手も携行性も、弓よりかなり良くなると思うけど」
弓に比べて速射性は劣るが、そこは威力でカバー出来る。仮に最も軽い弦を張ったとしても、人力で引く弓に劣る事はないだろう。
「弓が良いんだよ。年取ると、ああいう新しい機械モンは受け付けなくてなー」
「……古代人が言う台詞じゃないわね」
ボウガンはおろか、この時代では最新技術の爆弾や火砲でさえ、古代の技術に比べれば児戯に等しい。なにせ今の技術では、彼等が眠る棺のフタひとつ開ける事も出来ないのだ。
「けど、それは俺も分かるな」
珍しく律の言葉に同意を示したのは、腕甲を構えた黒衣のルードだった。
フィーヱの武器は、腕甲と組み合わされた短い刃がひとつだけ。近接武器で戦う事がほとんどのルードの中でも、特に近接に特化した武器だ。
「じゃな。武器にこだわるのは冒険者として間違ってはおらぬ」
いくら強くても使い慣れない武器よりも、使い慣れた武器のほうが当たり前だが信頼性は高い。頼れる物は己の身一つの冒険者からすれば、それは何物にも代え難い力となる。
「今回はりっつぁんが正しいかなー」
「何よ。ターニャまで律の味方!? 次に来た時は値引きしてあげないわよ?」
「えーっ! なら、こっちもオマケしてあげないんだから!」
言い返してはみるターニャだが、手数はともかく支払総額では勝ち目がない。独自のルートを用いて貴重な調味料や入手困難な矢弾を扱うミスティの店は、料理人としても冒険者としても、替えの効かない存在なのだ。
「やれやれ。値上げされてはたまらんの。なら、ミスティの味方をしておくか」
「ンだよ。みんな薄情だな!」
あっさりと反旗を翻す冒険者達に、律も思わずそんな情けない声を上げてしまうのだった。
「フィーヱ姉はザルツに行かないのか?」
ミスティの荷物を積んだ馬車が目指すのは、ガディアの北にある廃坑だ。そして彼女達が目指すルードの集落は、そこからさらに街道を北に向かった先にある。
途中までは同じ道中だからと、一行はこうして一緒に行動していたが……それも、もうすぐおしまいだ。
「こっちも色々あってね。コウも向こうで気になる話なんかあったら、後で教えてくれ」
同胞としての責務は、『月の大樹』に依頼を出した段階で既に果たしている。コウが依頼を受けたのは個人的な用件が半分だし、馬車の先にいるディスも恐らくは似たようなものだろう。
「何か調べといた方がいい話とかありゃ、ついでに聞いとくけど?」
コウとしても、魔晶石が安定して供給されるようになれば結果的に戦力の増強になるのだ。フィーヱがいれば、ルード目線での情報も教えてもらえるだろう。
だが。
「そうだな……じゃあ、ルードの貴晶石を狙う奴の噂とか」
ぽそりと呟いたフィーヱの言葉に、コウはその身を強ばらせる。
「フィーヱ姉? あんた……」
「……冗談だよ。そんな怖い顔するんじゃない」
薄く微笑み、フィーヱは軽く肩をすくめてみせる。だが、機械の瞳が少しも笑っていない事に、気を昂らせたコウは気付く余裕もない。
「おーい。こっちはここから歩きだぞ。馬車から荷物下ろせー!」
詰め寄ろうとするコウを押し留めたのは、馬車の止まる振動と、律の声。
「ほれコウ、作業じゃぞ。今まで楽出来た分、働いた働いた!」
そして自身の荷物を抱え上げた、ディスの腕だ。
「…………」
フィーヱは既に馬車の反対側に移っている。
それ以上の声を掛ける事も出来ないまま、コウも地面へと飛び降りるのだった。
目の前にあるのは、まっすぐに進む街道と、廃坑へと至る脇道だ。
ここから彼等は別々の道を歩んでいく事になる。
「それでは、気を付けて下さいね」
馬車を連れたヒューゴ達は、脇道を通って廃坑へ。
「そっちもな。イーディス、いい農場が出来るといいな」
徒歩の律達は、さらに街道を北上してルードの集落へ。
「ありがとうございます!」
再び酒場で顔を合わせる事を言葉の外で約束し合い、一行はそれぞれの目的地へ歩き出す。
続劇
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