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2.繰り出せ、街へ

 扉一枚隔てた店の中。
「ねえねえ、ネイヴァン」
 あっという間に朝食を平らげた小柄なドワーフが声を掛けたのは、黙々とトーストを食べていた長身の青年だ。
「何や。盾」
「盾って……ちょっと、あたし、ルービィって名前があるんだけど!」
 確かに今日の旅支度にも、大きな盾は含まれているが……いくら何でもストレートすぎた。
「ええやんか別に。盾しか持ってへんのやし」
 残りのトーストをひと口に放り込み、コーヒーで流し込む。
「失礼な人だなぁ……」
「ネイヴァンは名前覚えないから、諦めた方がいいよ」
 ぷりぷりと腹を立てるルービィに、奧から出てきた店の主は苦笑いをしながら暖かいココアを出してやる。
 もちろんスピラ・カナンで本物のカカオは、コーヒーと並んで目玉が飛び出るほどの貴重品だ。似た味のする豆を乾燥させて作った、代用ココアである。
「で、何や。俺に話があったんちゃうん?」
「そうそう。聞きたい事があったんだ!」
 ココアをひと口飲んで、ルービィは表情を引き締めた。
「ネイヴァン、なんで死なないの?」
「キミ喧嘩売っとんの?」
 真顔のルービィに、ネイヴァンも珍しく真顔。
「そうじゃなくって。どうやったらあんなにダメージを受けても平気なのかなーって」
 先日のカニ退治の話をしているのだろう。最初の一撃でネイヴァンは空高く吹き飛ばされたはずだったが、すぐに戦線に復帰していた。治癒術士に癒してもらったならともかく、それすらもなかったはずだ。
「ネイヴァンはバカだから、ダメージ受けても気にならないんだろ」
 その問いに答えたのは、ネイヴァン本人ではない。
 階上から降りてきた、十五センチの小さな姿……黒衣のルードである。
「せやせや」
「……いや、そこは怒ろうよ」
 あっさりと同意してみせるネイヴァンに、流石の少女達も苦笑いを浮かべてみせる。


 自身の体躯よりもいくらか大きな椅子で一人ほくそ笑むのは、店の隅の席に陣取った一匹の魔族だった。
(ふふふ。ナナを利用して正解だったのだ)
 魔族とは即ち、このスピラ・カナンの大勢を占める四大種族に数えられない、少数異種族達の総称である。文字通りの悪魔であろうと、龍であろうと、二本足で歩く猫であろうと、広い意味では等しく魔族と呼ばれる事になる。
(ああ、あまりに完璧すぎて、ボクの知性が恐ろしいのだ!)
 店にいる誰もが、彼に視線を向けて来ようとしない。いつもなら玩具扱いしてくる常連客達でさえ、だ。
 時折チラチラと向けられる視線は、彼ではなく……彼の傍らに向けて、だろう。
「んみゅぅ………」
 唯一の誤算は、彼の隠れ蓑となっている幼子……ナナトが、早朝のせいか彼に寄りかかってそのまま眠ってしまった事くらいだろうか。
 とはいえそれも今の達成感からすれば、心地よい重さと思えるほどだ。
(でも、こんなただの子供が隠れ蓑になるなんて思わなかったのだ。あの獣化の時は、確かにちょーっとだけ可愛いけど……)
「……なあ、リント」
 そんな、自らの計画にご満悦の魔族にようやく声を掛けてきたのは、近くのカウンターで朝食を食べていた和装の男だった。
「何なのだ、りっつぁん。あとボクはリント=カーなのだ」
「まあそれは置いといてよ。……アンタ、例の依頼は受けたのかい?」
 突き付けられた訂正の言葉をさらりと流し、そのくせ珍しくもったいぶってみせる律にリントは首を傾げようとして……。頭上に掛かるナナトの重みがずれるのに気付き、慌てて元へと戻してみせる。
「例の依頼って言われても分からないのだ。何なのだ?」
 ルードの集落に用はないし、暗い洞窟の探索も興味はなかった。受けた依頼を果たすのは冒険者の義務だが、受ける依頼を選ぶのはれっきとした冒険者の権利だ。
 前回の報酬もそれなりに残っているし、しばらくはゆっくりしても構わないと思っていたのだが……。
「何なのって、アレだよ。猫探し」
「ボクはぬこたまなのだ! 失礼極まりないニンゲンなのだ!」
「ほれ、騒ぐとナナが起きちまうだろ」
 どう見ても猫が威嚇しているようにしか見えない光景だったが、律のひと言にリントも我に返ったのか、慌ててナナトの傍らへと戻ってみせる。
「まあ、引き受けないならそれでいいんだけどよ」
「……何が言いたいのだ」
「考えてみろよ。ここで一発、依頼をがーっと果たして、格好いい所見せたら……忍達の見る目も変わるって思わねえか?」
 確かに、忍達からは一人前と見られていない気はしていた。
 認めたくはない、けっして認めたくはないが、彼女達は自分の事を冒険者どころか、愛玩動物か何かだと思っているフシさえある……気が、しないでもなかった。
「見る目も……」
 だが、ここで見事に依頼を果たせば、まともに……そう、今のもふもふの対象ではなく、他の連中のようなまともな冒険者として見られるようになるかもしれない。
 いや、なるはずだ!
「よっ。一流冒険者」
「……お、おだてても何も出ないのだ!」
 口ではそう言い返すが、目元は緩み、草色のケープの裾から覗く尻尾は機嫌良さげにぱたぱたと揺れている。
「りっつぁん様。良ければ、食後のお茶はいかがデスカ?」
 そんなリントの様子に苦笑する律に差し出されたのは、穏やかな緑茶の香り漂うカップだった。しかもコーヒー用のそれではなく、ちゃんとした湯飲み碗である。
「お、コーヒーじゃないってなぁ気が利くねぇ、アシュヴィン」
 恐らくは海の国辺りから仕入れたのだろう。古代文字で『湯』と刻印されたそれをひょいと取り、懐かしい香りと味にしばし身を任せる。
「律さん。くつろいでる所悪いけど……」
「お。もうそんな時間か」
 セリカの声にそちらを見れば、同じように時間を潰していたルービィ達も既に席を立っていた。どうやら、ぼちぼち時間らしい。
「シノ。部屋、頼む」
「はい。フィーヱさんも、お気を付けて」
 カウンターにいた黒衣のルードが同行者の肩に飛び乗り、律もまた、カウンターに代金を置いて立ち上がる。
「じゃあリント。猫探し、頑張ってな!」
「そ、そこまで言われたら……仕方ないのだ。このボクに、どーんと任せておくのだ!」


 律やルービィのように出発前の時間を潰していた冒険者が姿を消せば、店の客はぐっとその数を減らす。
「アシュヴィン。そういえば、さっき上でアルジェントと話してたみたいだけど……何だったの?」
 いつもならカナンがそんな話を聞くことはない。だが、二人の会話に漂う妙に深刻な空気が気になったのだ。
 アルジェントは店の常連だし、アシュヴィンが彼女相手に今更クレームを起こすような事は考えづらいが……だからこそ、である。
「ハイ。仕事に出掛けるノデ、お弁当を作っておいて欲しいト言われマシタ」
 いつもの調子で答えるアシュヴィンに、不自然な様子は見受けられない。明らかにそんな雰囲気ではなかった気がしたが……答えないという事は、自身で解決できる程度の問題なのだろう。
「デハ、ワタシもお屋敷の片付けに行ってきマス。夕方の営業には戻れると思いマスノデ」
 腰に巻いていたカフェエプロンをしゅるりと解き、龍族の青年はカウンターを後にする。
「ええ。頼むわね」
 『月の大樹』に舞い込む依頼は冒険者向けの物ばかりではない。騎士団の補助や猫探し、それこそ休日冒険者ですらない街の住人が引き受けられるような物まで、多岐に及ぶ。
 そしてその中に、かつて青年が働いていた屋敷の片付けが入っていたのだ。もともと暇を持て余した街のご婦人がたくらいしか引き受け手がなかった事もあり、屋敷の事情に精通する彼も駆り出される事になったのである。
 一礼し、裏口へと消えていく青年と入れ替わりに階上から降りてきたのは、先ほど話題に出ていたフードの女性だ。
「カナン、ちょっと出掛けてくるわ」
 散歩にでも行くような口ぶりだが、肩に背負う小さな鞄は彼女の荷物全て。恐らくは、先日引き受けた魔物調査に向かうのだろう。
「ん。お弁当、出来てるわよ」
 その言葉に口元だけで小さく微笑み、アルジェントはカナンの差し出した包みを静かに受け取ってみせる。
 彼女もアシュヴィンと同じく、いつもと変わった所はない。言うべき事はきちんと言う彼女がカナンに何も言わないのなら、それは大した問題ではないか、少なくとも当事者同士でカタの付く問題なのだろう。
「にゃ……」
 そんなやり取りに店の隅の席で身を起こすのは、この喧噪の中で寝息を立てていたナナトである。
「おでかけするの?」
 小さく頷けば、ぬこたまに寄り添っていたナナトはそれ以上の言葉を紡ぐ事もなく。代わりにひょいと席から飛び降り、とてとてとアルジェントの元へ歩み寄る。
 彼女の長いマントの裾を掴み、そのまま無言で見上げてくれば……。
「……ナナ、連れて行っていい?」
 アルジェントは根負けしたように、ため息を一つ。
「いいけど、ちゃんと連れて帰ってよ?」
「ええ。じゃ、行ってくるわ」
 苦笑する店主代理に見送られ、二人もまた、酒場を後にするのだった。


 入れ替わりに店に戻ってきたのは、アシュヴィンと並ぶもう一人の給仕である。
「どしたの、それ」
「はい。カイルさんが」
 カウンターに大切そうにぬいぐるみを置く忍の言葉に、何となく納得してみせる。
 猫が見つからないことは随分気にしていたようだし、彼らしいと言えば、らしい。
「あ、忍。話があるんだけど……いいか?」
 そんな彼女に掛けられたのは、近くで朝食を食べていた少年の声。
「ご注文ですの? ダイチさん」
 忍を呼び止めたダイチの表情は、今まで見た事がないほど真剣なものだ。明らかに、注文ではない。
「あのさ……」
 その真剣な様子は、接客に慣れた忍をしてなお、言葉を詰まらせるほどのもの。張り詰めた空気は、先ほどのカイルすら越えるだろう。
「……猫見つけた時の報酬のご飯って、お代わり自由?」
 けれど、内容はやっぱりダイチだった。
「え、ええっと……」
 実のところ、猫探しを依頼そのものは忍だが、報酬を付けてくれたのはカナンである。
 穏やかに微笑みつつカウンターの店主代理をちらりと見れば、彼女の出したサインは『するなら自腹で!』というものだった。
「……カナンちゃんが出してくれるそうですわ」
 さらりと答えた忍の言葉に、カナンは露骨に表情を曇らせる。
「いよっしゃぁ! じゃ、オイラが見つけてくるからな! 約束、忘れんなよ!」
 そう言い残し、ダイチも元気よく店を飛び出していく。
「そうじゃ忍。ダイチのついでに聞くのじゃが……食事に酒は付くのかの?」
「え、ええっと……」
 隅の席で朝から酒杯を傾ける少女の問いに、穏やかに微笑みつつカウンターの店主代理をちらりと見れば……彼女の出したサインはやっぱり『するなら自腹で!』というものだった。
「……カナンちゃんが出してくれるそうですわ。モモさん」
 やはり平然と答えた忍の言葉に、カナンは露骨に表情を曇らせる。明らかに、ダイチの時の比ではない。
「さすが話が分かるの」
 少女は明るくそう言って、酒杯の続きをゆっくりと傾け始める。
「……忍。お客さんも退けたし、先にモップ掛けちゃおう」
 モモはその作業が始まる事を見越して、隅の席を取っていたのだろう。そしてカナン達も、モモのいる一角だけは手を付けないように店内の掃除を開始する。
「はーい。ネコさんも、ちょっとこっちにいて下さいねぇ」
 そして、唯一別の席に着いていたリントは忍にひょいと抱えられ……座らされたのは、モモの向かいの席だった。
「…………」
 まだ料理は少しだが残っている。それを残すのも気がひけて、リントは無言でそれを片付けていたが……。
 向かいの席から来るのは沈黙という名のプレッシャー。フォークを動かしていた音は、少しずつその速度を減じていって。
「え、ええっと……」
 酒杯に残った半分ほどの酒をちびちびと舐めているモモに掛けられたのは、ついにプレッシャーに負けたリントの声だった。
「モモさんは、おでかけに、ならないんですか?」
「急いては事をし損じると言うでな」
 急いで酒を呑み干すのも流儀に合わないし、せっかくカナン達が気を利かせてくれているのだから、慌てて出て行っても彼女達に悪いだろう。
 少女と猫の間に流れるのは、微妙な沈黙だ。
「ええっと……ひとつ、おききしてもいいですか?」
 無言で促すモモに、リントは慎重に言葉を選びながら次の問いを投げかける。
「……たべませんよね?」
「そういえば、世の中には陸河豚という食材があっての……」
 そのひと言と同時に店内に響き渡るのは、バタバタという何かがひっくり返るような大音声だ。
「あら? モモちゃん、ネコさんは?」
「さあの。何ぞ用でもあったのではないか?」
 厨房から戻ってきた忍に何事もなかったようにそう答え、モモは開きっぱなしのドアをちらりと一瞥してみせる。
「……別にぬこたままで取って食おうとは思わんわ。この街には、他に美味い物は山ほどあるでな」
 今更ながらのその呟きは、彼方に逃げ出していったぬこたまに届くはずもないのであった。


続劇

< Before Story / Select Story >

→魔物調査へ出掛ける
→猫探しを始める
→街道へ向かう


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