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15.戦い済んで、奴が来る
 岩場を身軽に駆けるのは、槍を携えた小柄な影。
 足元もおぼつかない夜の岩場を昼間のように軽快に走り抜けていくのは、ダイチである。
「おし、この辺も異常なし……っと」
 辺りにツナミマネキの気配はない。
 もっともあの巨体で隠れようなどないし、向こうの目的は達したのだからいるはずもないのだが……。堤防を越えた個体のように、暴走した個体が残っている可能性もゼロではない。
「もう帰るかな……」
 そろそろ打ち上げの準備も終わった頃だろう。
 次の岩陰まで見たら戻ろうと決めたで、耳に届くのは異様な音。
 何か硬い物を砕くような、破砕音だ。
「……ん?」
 気付かれないよう、岩陰の向こうをこっそりと覗き込み。
 そこに見えたのは……。


 屋根の上を身軽に駆けるのは、十五センチの小さな影。
 ガディアの屋根の上は慣れた道だ。人通りもなく、危険な馬車も通らない。猫という危険な隣人にさえ敬意を払えば、人間の使う下の道よりはるかに快適なのだった。
「やれやれ。それにしても、大騒ぎじゃったのぅ……」
 戦闘は既に終わっていたから、彼女の仕事はそこでおしまいだ。報告はマハエ辺りがするだろうし、帰ってカナンに言っておいても良い。打ち上げに出て皆が騒いでいるのを見るのも悪くはないが、今日は早く風呂に入ってさっぱりしたかった。
「ま、少々暴れ足りんが、無事に済んで良かったわい」
 呟き、大きく跳躍する。ルードの跳躍力をもってしても大通りを挟んだ屋根から屋根へと飛び移るのは不可能だったが……今日のディスは、平時と違うフル装備状態。
 強化された脚で半分まで跳び、脚のブースターをひと吹かし。そのパワーにモノを言わせ、残る半分を強引に渡りきる。
「じゃが、これは染め直さねばならんか……」
 返り血でも何でも気にしない彼女だが……走りながら鏡のように輝く窓を一瞥すれば、そこに映るのはいつもとは違う自身の姿。
 戦闘中に浴びたカニの泡が、自身の髪を染めていた染料を落としてしまったらしい。
 だが、それを我慢するのもあと少し。『月の大樹』の裏口に降りて、入る早々中にいた少女に大きな声を投げかける。
「今帰ったぞ! フェムト、風呂の準備は出来ておるか!」


 ガディアの大通りを駆け抜けるのは、紅の三輪。
 夜のガディアは人通りも少ない。危険な夜にわざわざ移動する旅人はいないし、酒場帰りの酔客が少々歩いている程度だ。
 故に、小さな三輪が街道を疾走していても、迷惑をかける事はほとんどない。
「ふぅ……やっとガディアか」
 見慣れた街並みを眺めながら、コウはスピードを少しだけ落とす。
 今日まで調査を粘ってはみたが、ヘルハウンドの残党がいないのが分かっただけで、それ以上の成果は手に入らずじまい。
 次の角を曲がれば、すぐに『月の大樹』だ。
 コウはトライクのスピードをさらに落とし、ゆっくりと流す事にして……。
「あれ? ディス姉……?」
 目に入ったのは、『月の大樹』の裏口に向かって跳躍するルードの姿。
 だが、声に疑問符が付いたのは、そのルードの髪が彼女の知らない色だったからだ。空の『月の大樹』から降り注ぐ月光を受けて輝くそれは、金の髪。
「あの金髪……誰だ、あれ……?」
 武装はディスのそれで間違いない。
 けれど、そいつは……?


 漁師ギルドの仮設食堂は、再び活気に包まれつつあった。
 戦闘時の、野戦病院もかくやという負の喧噪ではない。治癒魔法使いによって重傷者の治療も終わった今は、そのまま打ち上げの会場と化しているのだ。
「ご苦労だった! 乾杯!」
 漁師ギルドのギルドマスターの音頭に、居並ぶ一同も高々とエールのジョッキを掲げてみせる。料理の支度を終えた女性達も席に加わり、場は騒ぎの真っ只中だ。
「あれ? ディスは?」
「なんかお風呂入りたいからって、先に帰りましたよ」
 ディスは食事が出来ないからと気を使うタイプではない。むしろ、率先して騒ぎに混じってくるほどだ。
 カニの泡がどうこう言っていたし、本当に不快だったのだろう。
「うわぁ、カニってすっごく美味しい!」
「あら。ルービィは初めて? カニ」
 嬉しそうに頷くルービィは、そう言って次の皿に手を伸ばす。
 ツナミマネキはそのサイズから大味なように見えるが、意外にも繊細な味わいがある。焼いても良いし、煮れば上等の出汁が取れる。新鮮なら、生で食べても構わない。
「……あれ? アンタ、カニ食って平気なのか?」
 そして、カニを煮込んだ鍋を食べている所を、不思議そうに声を掛けられる者が一人。
「なんなのだ」
「いや、猫ってカニ食べちゃダメってどっかで……」
 殻が体に悪いのか、消化が悪かったか。
 イカやタコほどではないが、与えてはいけないと書物で……。
「ボクは猫じゃないのだ! あんなのと一緒にするなんて失礼なのだ! 屈辱にゃのだ!」
 カニ鍋をフォークで器用にに食べながら、リントは律の何気ない問いに憤慨してみせる。
「……その前に、猫舌では?」
「だーかーらー!」
 アギの追い打ちにマジギレしたところで、仮設食堂に大きな声が飛び込んできた。
「大変だーっ!」
 槍を片手に荒い息を吐いているのは、磯からここまで全力で走ってきた少年である。
「どうした、ダイチ」
「なんか、黒い影がバリバリって!」
「黒い影ぇ?」
 興奮しているダイチの言葉は、今ひとつ要領を得ない。
「え、ええっと……子供の頃に本で見たドラゴンみたいなのが、向こうの磯でカニをバリバリ食ってたんだよ!」
 その説明に、カイルとミスティは顔を見合わせる。その後ろではマハエがアシュヴィンにちらりと視線をやるが、元執事の青年は干渉する気がないのか、軽く肩をすくめるだけだ。
「と、とりあえず、誰か何とかしないと……」
 先程の海竜の件もある。ツナミマネキのウェービングが、海竜以外の何かまで招いてしまったのかもしれない。
「どうすんだ? その竜とやら、調べに行くか?」
「害を及ぼす竜なら……狩るべきでは?」
 警戒すべきか、そうでないか。そもそもツナミマネキの甲羅をバリバリと食らうような相手に、現在の彼等の装備でどうにかなるのか。
「おや。何をもめておる?」
 そんな緊張に包まれた仮設食堂にふらりと戻ってきたのは、モモだった。
「腹が減ったどっかの龍がカニをバリバリ喰らってるのを、ダイチが見たんだと」
「ほぅ……」
 カイルの説明を軽く流すと、モモはさっさと席に着き、黙々と蟹を食べ始める。その様子をカイルは何か言いたそうに見ていたが……もちろんモモは知らんぷりだ。
「で、どうすんだ? 大将」
 ダイチの言葉にざわめく者と、困ったような表情を浮かべる者。その判断を委ねられたのは……この場にいる冒険者の中で、最もガディアでの経験の長い男だった。
「……ふむ」
 マハエはそう呟いて、白髪交じりの髪をばりばりと掻き……。
「……とりあえず、カニ食おうぜ」
 呟いたひと言に、一同はこけた。
「真面目な話をしてるんだよ!」
「こっちも大真面目だよ。腹減ったんだよ俺ぁ」
「だから!」
 ダイチはマハエが取ろうとしたカニの大皿を取り上げ、なおも噛み付いてくる。
「……その龍なら大丈夫だ。たまに出て来るが、俺達の事は興味ないみたいでな。一度もこちらに害を及ぼした事はない」
「……そうなの?」
 頷いたのはマハエだけではない。
 ガディアに長く暮らす者達の間では有名な存在なのだろう。カイルやミスティ、そして漁師達の大半も、笑いながら頷いてみせる。
「それによく考えてみろよ。龍が暴れる気なら、とっくに街は大騒ぎになってるだろ」
 言われれば確かにそうだ。ダイチが仮設食堂に戻ってきてしばらく経つが、街からも海岸からも竜が現われたという連絡は来ない。
「そういうワケだ。その龍もカニに満足して、どっかに行ったんだろうさ。俺達も龍に負けないように楽しもうや!」
 マハエの言葉で、張られた緊張の糸が緩んだその時だ。
「ナナちゃん!」
 仮設食堂に飛び込んできたのは、エプロンドレスの娘の高い声。
「ああ、やっぱり探してたのね。手が離せなかったから、後で連れて行こうと思ってたんだけど」
「ありがとうございます。心配してたんですよー!」
 ぱたぱたとアルジェントの元へと駆け寄ってきた忍は、彼女の傍らに腰掛けていた小さなナナをぎゅっと抱きしめた。
「もう、黙って出ちゃダメですよ? めっ!」
「ごめんなさーい」
 そんな様子を穏やかに見届けて。忍にナナの事を伝えた龍族の青年は、店から運んで来た大きな酒樽を席の正面にどんと置いてみせる。
「お、来た来た!」
「え? なに? お酒の追加?」
「ハイ。律様が、依頼成功のお祝いニト!」
 それも、この辺りで普通に呑まれるエールの樽ではない。金属の箍ではなく、竹の箍で結われたその樽は……。
「海の国特製の、米のお酒ですわよー!」
 アシュヴィンに続く忍の言葉に、周囲の温度が明らかに数度、上がった。
「おおーっ! 律、話が分かるじゃねえか!」
「律さんかっこいー!」
 やんやの大喝采を両手で制し、律はアシュヴィンに樽を開けるように合図してみせる。


「……のう、マハエ」
 そんな大騒ぎをのんびりと眺めつつ。モモは律の調達してきた米の酒をひと口すすると、傍らの男の名を呼んだ。
「件の龍はな、別に人間に興味が無いわけではないと思うぞ?」
「そうか」
 黙々とカニを食べる男の返答は短いものだ。それに不平を言うわけでもなく、モモは酒をもうひと口。
「……うむ。きっと、良き呑み友達くらいには気に入っているであろうさ」
 宴もたけなわ。誰もが傷付き、戦い疲れているはずなのに、そこには歓声と笑顔が満ちている。
「よし、誰か芸とかないか! 歌でもいいぞーっ!」
「じゃあオイラが歌う! 一番ダイチ、歌いまーす!」
「っ! こら、そいつに歌わせるな!」
 慌てたマハエが立ち上がった時にはもう遅い。
 ダイチは息を思い切り吸い込むと……。


続劇

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