-Back-

13.
 迫る一撃を受け止めたのは、壁だった。


 それは、鋼の壁。
 響くのは、強固な有機物とさらに頑強な鋼のぶつかり合う、重く鈍い音だ。
「大丈夫っ!?」
「お、おうっ!」
 バックステップの着地でバランスを崩し、尻餅をついたのが幸いした。そうでなければ、彼より小柄なルービィが律をかばう事は出来なかっただろう。
「ええっと……。受け止めたら、次は……」
 先ほどモモに教えられた通り、競り合いの中でシールドの重心をずらし、カニの攻撃を横へと受け流す。砂浜にめり込んだ大鋏に気を取られたカニの懐に飛び込んで……。
「とりゃぁぁぁぁっ!」
 さらに響く、鈍い打撃音。
「殴るのかよ!」
 明らかに間違った盾の使い方な気もしたが、カニが怯んだのは間違いない。
「武器の使い方に正しいも間違いもないわ!」
 起き上がった律の肩を踏み台に飛び出したディスが、衝撃に目を回すカニの眉間に輝く刃を叩き込み……。
 カニの生命を、その刃の内へと取り込んでいく。


 それは、光の壁。
「こいつ……は………?」
 カイルの瞳に映るのは、カニと自分達の間に割り込んだ、小さな獣の姿。そいつの周囲に生まれた光の壁が、カニの大鋏を受け止めているのだ。
 そして。
 叩き付けられた大鋏の付け根には、既に何もない。
 大ガニの巨体も、巨体と大鋏を繋ぐ腕すらも……だ。
「まだ死ぬわけにはいかないんだって……」
 言葉を紡ぐのは、ローブをまとった娘の唇。
 放たれた声も、同じもの。
 けれどそれは、彼女の放ったものではない。
「……だからって、殺す事はないでしょう」
 なぜなら、次に口の中で転がされたアルジェントの言葉は、自身の言葉に対する反論だったからだ。


 それは、大地の壁。
 ジョージの眼前を抜けるのは、カニの鋏だけではなかった。
 轟音と共に足元から突き上がる、土の壁。
「魔法……っ!?」
 そして、眼前を遮る土壁を踏み台に大きく空を翔ける、龍族の青年だ。
 たたらを踏んだジョージの瞳に映るのは、黒服の青年のはめた純白の手袋。この戦場でも多くの怪我人を介抱してきたはずのその手は、一点の血の染みを作る事もなく、抜けるような白い色を保ったまま。
「……この壁、セリカさんが?」
 倒れ込んだジョージの背後。右手を伸ばすエルフの娘は、ジョージの問いに小さく頷いてみせる。
「ええ。海沿いの土で作ったのは、初めてだけど」
 本来なら、全方位を覆う壁を作る魔法だ。しかし砂の多い今の地形でそれをすれば、一歩間違えれば崩れて中の者が生き埋めになってしまう。
 案の定、セリカが魔法を解除すると同時、土の壁はその場に崩れ去り……。


「ようやった! ドワーフ!」
「えへへ」
 動かなくなったカニから身ほどもある大剣を引き抜けば、その柄からはルードの手の平に乗るほどの結晶体……魔晶石がこぼれ落ちてくる。
「これ、ディス! せっかくのカニを食べられんようにするでない!」
 魔晶石の精製は、対象の生命エネルギーを吸い尽くす技だ。カニの肉体は残るものの、生命力を失ったカニの殻は加工出来ないほどに脆くなり、干からびた肉も極端に味が落ちる。
「これだけ多いのじゃから食べ放題であろうが! 不満ならばおぬしがそのぶん倒してみせい!」
 ディスはルービィの肩に飛び移るや、モモの怒鳴り声に叫び返す。
 まだまだカニは多い……いや、多すぎるのだ。モモが満足するほど食べても、十分に余りが出るはずだった。


「何が……起こったんだ? アルジェント」
 どさりという音は、地面に大鋏が落ちる音。
 即ち、獣の光壁に止められるまでは、確かにこの大鋏を振り回し、支える体があったという事だ。
 ゆっくりと身を起こすカイルに、アルジェントは無言で首を振ってみせる。
「それより、この子……もしかして、カーバンクル?」
 アルジェントがそっと手を伸ばせば、そいつは彼女を警戒する様子もなく近寄ってきて……。
「ナナ……」
 頭をそっと撫でた時には、既に獣の姿は無い。
 洗い立てのふわふわの髪の毛に、小綺麗な着物。アルジェントがそっと手を置いたのは、『月の大樹』にやってきた幼子のそれだ。
「役に……立った?」
「……ええ。ありがとうね、ナナ」
 よく分からないが、ナナがガードしてくれたのは確からしい。柔らかな頭をもう一度撫で、アルジェントは穏やかに微笑んでみせる。
「フーーーーッ!」
「どうした、リント。助けに来てくれたのはありがたいけど、もうカニはいないぜ?」
 カニに対する威嚇なら、いくら何でも遅すぎだろう。全身の毛を逆立ているリントにカイルは苦笑し、その背中をポンポンと軽く叩いてやる。
「それともナナとマスコット合戦でもするつもりか?」
 リントが威嚇したのは、大ガニでも、カーバンクルでもない。
(こいつ、気付かないのか? もっと危ないのが、今ここにいたのだ……)
 敵か味方か、その圧倒的な存在に、思わず体が反応してしまったのだ。既にその気配は消えていたが……恐らく先程の大ガニを消し去ったのも、そいつだったに違いない。
「けど、何だったのかしらね。今の」
「俺じゃねえし……お前でもないんだよな?」
「おねえちゃんを守ったのは、ナナだよ。でもあの力は……わかんない」
 光の壁はナナの力だが、その力でカニも消し去った……というわけではないらしい。
(今のは……俺でも、たぶんリントでもない。そういう隠し球でも持ってるのか、この姉ちゃんも)
 ならばその力を放ったのは、アルジェントという事になるのだが、彼女もそれは知らないという。
「ま、いいか……。ともかく助かったぜ。ナナ」
 抜き打ちで放とうとした彼の『切り札』も、いまだ懐にしまったまま。他の者に気付かれないようにそっとそこから手を抜き出し、誤魔化すようにナナの頭を軽く撫でてやる。
「ああ、そうだ。そいや、俺をここに連れてきてくれたのって、誰だったんだ?」
 そして空気を変える為に問うたのは、ここに運び込まれた時の事だ。意識を失う前に触れた手の感触は、明らかに女性のものだったが……。
「ジョージだけど?」
「はあぁ!? 嘘だろ!?」
 けれど、アルジェントのその答えはいくらなんでも予想外。
 確かに冒険者にしては細身だが、ジョージは明らかに男だ。いくら怪我をしていたとは言え、男を女に間違えるなど……。
「そうだ。リントはどうだった? 俺を連れてった奴、見たろ?」
 胸を触られた後、ジョージに引き渡された可能性もある。唯一の手がかりは、最初の段階で一緒にいたリントだが。
「……?」
 そんなリントも不思議そうに首を傾げるだけ。
「区別付かないんじゃない? 私たちでも猫の顔の区別、付かないでしょ」
「……ああ、なるほど」
「……なんだかすごく馬鹿にされた気がするのだ」
 何やら納得した様子のカイルを、リントは杖でぶん殴るべきかどうか、真剣に考え始めるのだった。


「タダイマ戻りマシタ」
 崩れた壁の向こうで銀に輝く戦輪を手に穏やかに微笑むのは、黒服をまとう長身の青年だった。髪の毛一つ乱れてはおらず、無論、チャクラムを手挟む手袋も白いまま。
「カニ……は……?」
 青年の向こう。大鋏を振り上げていたそいつの姿は……既にない。
 あるのは、丁寧に解体されたカニだったものだけだ。
「はは……俺、余計な事しました?」
「ううん。おかげで魔法の準備、間に合ったから」
 魔法は冒険者の技とは違い、呪文の詠唱が外せない。あの時ジョージの一撃がなければ、間に合ったかどうかは……正直、セリカにも分からなかった。
「ワタシも手袋をはめ直す時間がありマシタ。ありがとうゴザイマス」
 魔法の準備はともかく、手袋は関係ないだろうとジョージは一瞬思ってしまうが、青年としては外せない所なのだろう。穏やかに微笑んでいる青年に邪気はないし、そういうものだと思う事にする。
「けど、これだけ強いなら……何で二人とも、前線で戦わないんです?」
「だって、面倒だし」
「……ミスティさんは何もしてないじゃないですか」
 ジョージの突っ込みにミスティはどこか不機嫌そうな顔をして、残っていた焼き魚の尻尾を口の中へと放り込む。
「元・執事デスカラ」
「それって答えになってませんよ」
 そもそも執事は戦う職業ではない気がするのだが……ジョージがこの時代で目覚めるまでの間に、執事の役割は変わってしまったのだろうか。
「トモカク、抜けてきたカニは我々にお任せクダサイ。ギルドの皆様には指一本触れさせはイタシマセン」
「あ、そう……ですね。お願いします」
 ともあれ、最大の危機を脱した事だけは間違いない。ジョージはアシュヴィンの言葉に、小さく胸をなで下ろす。
「ミスティ様」
 前線に駆け出していくジョージの背中を見つめながら、アシュヴィンは傍らであくびをしている女性の名を呼んだ。
「あのカニを先に半分にしてイタダイテ、ありがとうございマシタ。おかげで楽が出来マシタ」
 跳び越えた土壁の向こう。そこでアシュヴィンを待っていたのは、水の刃で真っ二つに両断された大ガニだった。アシュヴィンは残りを解体しただけで、実のところカニとは拳を交えていない。
「あれ、カニ料理にしてくれるのよね。……それより、ぼちぼち終わらせないとマズいんじゃないの?」
 いまだその力で場内の怪我人の血止めを続けている彼女が気怠げに呟くのは、そんな言葉。
「沖にいるでしょ、でかいのが」


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai