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10.津波招くもの
 月光に照らされた海から響くのは、ぎちぎちという硬質な有機物の擦れ合う音。ゆっくりと浮かび上がるシルエットは、昏くぬめった輝きを湛えた、巨大なものだ。
「やれやれ。今年もこの季節がやってきましたよ……ってか」
 首から提げていたゴーグルを掛け直し、カイルはボウガンのコッキングレバーを引き上げた。対大ガニ用のセッティングを施された弓の弦は重く、速射性も大きく落ちていたが、代わりに大ガニの重装さえ貫く威力を手に入れている。
「それなんなのだ? 暗くならないのか?」
「コレ掛けてると、無事に帰れるってジンクスがあってな」
 いい加減な事を答えながら、夜の闇に輝くリントの瞳を見て(やっぱり猫だろ……)と思うが、ここで騒がれても面倒になるので黙っておく事にする。
「……にしても、今年は多いな」
 ガディアの恒例行事であるカニ討伐に加わって久しいが、最初からこれだけのカニが上がって来るのは初めてだ。最も多かったのは八年前の二十五匹だったが、その時のペースを既に上回っている。
「もう撃った方がいいんじゃないのか……マハエ」
 カニの第一陣を足止めすべく、砂浜には落とし穴が掘ってあると聞いていた。だがその落とし穴が発動する様子も、中央からの攻撃指示もない。
 まさか、マハエともあろう者がトラップの設営をしくじったわけではないだろうが……。そう思った瞬間、最前列にいたカニが、轟音と共にその場から姿を消した。
「撃てぇっ!」
 その音を掻き消すように、第一射の合図を任されていたマハエの掛け声が飛び、次々と太矢や火矢が放たれていく。ボウガンの太矢の大半は大ガニの甲殻に弾かれるが、一部はカニの重甲を突き破り、長く伸びた眼柄を撃ち貫いた。
 そして火矢は、カニの脇に積まれた松明や燭台に突き刺さり、辺りを煌々と照らし始める。
「……うわぁ」
 でかい。
 それが、ツナミマネキの群れを初めて見た者達の感想だ。
 足元から赤々と照らし出されるその姿、そして数は、五メートルという実際の数値よりもはるかに大きく、異形に見える。
 そんな驚きを蹴り飛ばすように戦場に響き渡るのは、前衛を任された冒険者達の鬨の声だ。
「くそう、後衛ばっかりヒャッホイしやがって! 俺もヒャッホイするで! ヒャッホォォォォォイ!」
 ハンマーを構えて先陣を切るネイヴァンに続き、驚きに足を止めていたダイチとルービィも走り出す。
「どわぁっ!」
 だがネイヴァンの傍らで響くのは、突如として足元の感覚を失ったダイチの悲鳴。そしてダイチ特製落とし穴の脅威を切り抜けたネイヴァンを迎えるのは、横殴りに飛んできたカニの大振りの一撃だ。
「誰だよいきなり吹っ飛ばされてるバカは……」
 言いかけ、吹っ飛んだ者の正体を確かめた所で、カイルはそれ以上言うのをやめた。
「リント、味方に当てるなよ!」
 その光景を見なかった事にして、自身も次弾を装填したボウガンを構え直す。強く張った弓はそのまま装甲を貫ける分、関節を狙うよりは気が楽だ。
「リントじゃないのだ! リント=カーと呼ぶのだ! みんなひどいのだ! ひどいのだひどいのだひどいのだーっ!」
 この街の住人は本当に酷いと思いながら。
 長杖を構えて呪文を唱えれば、杖の中央に炎の玉が浮かび上がる。
「あははははははーっ!」
 力一杯杖を振り回せば、放たれた無数の炎の弾丸は大きな放物線を描き、次々とカニに着弾。炎を撒き散らしていく。


 突入の始まった戦場で、マハエは射撃体勢のまま小さく唇を噛んでいた。
「マズったか……」
 本来なら後方の指揮は彼よりも年長の者の仕事だったのだが、今の彼ははるか北方への旅路にある。その彼がいない今、ガディアの冒険者の中でも経験が長く、年長者のマハエに指揮のお鉢が回ってきたのは、ある意味仕方のない事だったが……。
 落とし穴に落ちたカニ達は全体のごく一部。落ちたカニを踏み台にして落とし穴を越えたカニ達は、既に浜のかなりの所まで進んでいる。
「案ずるな。おぬしの判断は間違っておらぬ」
 そんな彼の肩を叩くのは、小柄な少女だ。
 落とし穴の手前で突撃指示を出せば、味方が穴に落ちてしまう。かといってトラップを仕掛けない事が好転に繋がったとも思えないし、数の予測を見誤った事はマハエ一人の責任ではない。
「それに、戦いは始まったばかりぞ。仮に失策だったとしても、これからいくらでも取り返しはきくわ」
「そう……だな。助かる」
 モモの言葉に小さく呟くと、自らも射撃用の片眼鏡を掛け直し、ボウガンのレバーを引き絞った。いつもよりはるかに強く張った弦の重みが、自らの果たすべき役割を教えてくれる。
「礼などいらん。……まあ、礼を酒でと言うなら、いくらでも呑ませて貰うがの」
 そう言い残し、突入した前衛達の動きを確かめたモモも、カニの元へと駆け出していく。


 五メートルとは、ごく一般的な二階建ての家に等しく、さらに言えば彼らが降りてきた堤防よりも大きい。そんな巨大生物を足元から見上げ、ジョージは小さく声を漏らす。
「……こんなに大きいんですか、カニって……」
 目の前のカニはこちらに気付いていないのか、興味がないのか、片方の大きな鋏をゆっくりと振っている。
 ウェービングと呼ばれるその動作自体は、ジョージも海岸で幾度か見たことがあった。だがそれは小さなシオマネキの話であって、五メートルもあるそれは圧巻を通り越して異様ですらある。
「ここで良いぞ、ジョージ!」
 そんな彼の肩から聞こえるのは、ディスの声。
 ルードも人間とさして変わらぬ速さで駆けることは出来るが、その負担は相当なものだ。特にディスのようにフル装備状態なら、なおさらである。
「ディスさん。なんか、すごく飛ばされてる人がいるんですけど……」
 ジョージの言葉に空を見上げれば、輝く満月を背に、大きく宙を舞う鎧の姿が見えた。
「……アレは放っておけばよい。どうせ死にはせんわ!」
 それがネイヴァンだと確かめたのか、どうでも良かったのか。ともかくそのひと言で両断するディスに、ジョージは軽く苦笑い。
「それよりあちらのドワーフを助けてやれ! カニの相手はわらわがする!」
 見れば、同じように弾き飛ばされたのか、ドワーフの少女が転がって来るではないか。宙を舞う男はそのまま落ちれば絶望的だろうが、吹き飛ばされただけの彼女はすぐ治療すれば大事には至らないはずだ。
「了解です!」
 牽制に向かったディスと別れ、ジョージはドワーフを連れて後方へと下がっていく。
「ならば……」
 その様子を見る事もなく、ディスはサブアームに構えさせた大剣を大きく振りかぶった。
「わらわも、暴れさせろ!」


 長杖を振るう手を止めたそいつは、ぼんやりと海の彼方を眺めている。
「どうした、リント」
 呼んでも、返事はない。
 魔法使いは射手のように矢弾を使わない代わり、自身の精神力を魔法に変えて弾丸とする。魔法の使い過ぎは、時にこうした放心状態として現われはするが……。
 もう一度その名を呼べば、リントはゆるりとカイルの元に顔を向けてきた。
「……何だか変な音がするのだ。聞こえないのか? 人間」
 いつものリントなら、まずは自身の呼び名に突っ込みを入れてくるはず。けれどそれをする事もなく、視線も真剣なもの。時折耳をヒクヒクと動かし、聞こえるらしい音の様子を伺っている。
「いや、聞こえねえけど……」
 犬は人間の聞こえない音を聞くと言うし、猫も似たようなものなのだろうか。いずれにしても、カイルに聞こえるのは耳慣れた戦場の音ばかりで、変な音など聞こえはしない。
「カイル! そっちに行ったぞ!」
 マハエの声に慌ててボウガンを構えれば、そこに見えるのは塩田騎士団の守りを抜けてきた大ガニの姿だ。
「ったく、こっちの都合を考えねえカニだな! リント!」
 騎士団と大層な名前が付いてはいるが、実体はただの街の警備兵だ。抜けられるのも仕方ないが……。
「だから、リント=カーと呼べって言ってるのだ! にゃーっ!」
 結局、よく分からない音はそのままで置いておくことにしたらしい。いつもの調子を取り戻したリントも、炎の燃え上がる長杖を振りかざす。
 だが、カニの勢いは止まることなく……。


続劇

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