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9.黄昏の晩餐
 ガディアのメインストリートから少し離れた細い通り。住宅街の隅、喧噪とは縁の薄いその場所に黒衣のルードが訪れたのは、西の空が朱く染まる頃だった。
 屋敷の主たる老爺に案内されて小さな部屋に通されれば、そこには先客が二人。
「……おぬしらも来ておったのか」
 人間の十分の一ほどの大きさのベッドに眠るのは、琥珀と名乗った金髪のルード。
「ええ。相変わらず、変化はありませんが」
 ベッドの脇で彼女の様子を見守っていたヒューゴは、ディスに首を軽く振ってみせる。
 彼女がこの施療院に運び込まれて既に数日。その間、彼女は一度も目覚めることなく、静かに眠り続けている。
「この子、どうなるの……?」
 彼女と縁のあるコウを待ちに来たか、それともルード自身に興味を持ったのか。穴掘りの手伝いを終えて来たルービィの言葉に、ディスもため息を一つ。
「分からん。後はこ奴の貴晶石次第じゃ」
 急な動作停止からの復帰なき休眠状態。
 それが何を意味するかは、ディス達ルードだけではない。おそらくヒューゴ達も薄々は勘付いているはずだった。
「そうだ。一つ、気になっていたんですが……」
 ディスが無言で続きを促したのを確かめて、ヒューゴは琥珀の荷物に視線を向ける。
「彼女の武器、どうして剣なんです?」
「あ、それあたしも思ってた。普通ルードの武器って、槍とか大剣とか、大きい武器じゃない?」
 ビークと呼ばれるルードの武器は、その多くが自身の小さな体躯を補うべく、槍や大剣など大型武器の形をしている。中には相手の懐に潜り込んでの戦いに特化した小型武器のビークもあるが……ルードの性質を生かすという意味では、同じ方向にある。
 だが、彼女の剣は少々事情が異なる。
 体躯を補うには軽く、懐で使うために特化したわけでもない。バランスが良いという剣の特性は……自身より大きな相手と戦うケースがほとんどのルードにとって、そうメリットにはならないはずだ。
「それは……こ奴が壊れルードを狩る者じゃからであろうな」
「……ああ、やはり」
 ぽつりと呟いたディスのひと言で、ヒューゴは全てを理解したらしい。しかし、隣のルービィは眉根を寄せ、明らかに分かっていない表情だ。
「禁忌を犯した……これを、生きておる人間に使ったルードの事じゃよ」
 回りくどい言い方をしても通じないと理解したのだろう。ディスはルービィの眉根がなお寄っていく様子を見て、より簡潔な言葉へと紡ぎ直してみせる。
「……使えるの?」
 永久の眠りに就いた者を看取るためにルードがビークを振るうのは、スピラ・カナンでは珍しくない光景だ。貴晶石となった死者の魂はそのまま家族を見守る存在となるか、ルード達に引き取られて新たなルードの魂の一部となる。
 そして戦場におけるルードは、やはりビークを縦横に振るい、怪物を魔晶石として精製しなおす力を持つ。
 その二つを結び合わせれば、確かにディスの言った事は実現できそうに思えるが……。
「試してみるか? 代価はお主の命じゃが」
「い、いいっ! 冗談! 聞いてみただけ!」
 慌ててその申し出を拒絶するルービィに、ディスはからからと笑ってみせる。
「ははは、わらわも禁を破る気などないわ。……それよりルービィ。お主もカニ狩りに行くのじゃろう?」
 窓の外を見れば、西の山に真っ赤な夕日が沈みつつある。
 カニが動き出すのは日が沈んだ後だが、ここから海岸までは結構な距離がある。あまりゆっくりしていては戦いに遅れてしまう。
「ヒューゴ、お主は?」
「宿代もしばらくは大丈夫ですし……甲殻類に興味はありませんから」
 椅子に背をもたせかけたヒューゴは分厚い書物を広げ、立ち上がる気配もない。恐らくここで夜を明かすつもりなのだろう。
「お主らしいの。なら、琥珀を頼むぞ」
 頷くヒューゴを見届けると、ディスはルービィの肩に飛び乗って、海岸へと移動を開始する。
(ツナミマネキもこの街で発生する程度の規模なら、大した脅威にはならないはずですし……ね)
 残された青年はそう独りごち、再び書物に目を落とすのだった。


 ガディアの海岸から少し奥。漁師ギルドの管理する広場には煌々と明かりが灯り、巨大な天幕が組み立てられていた。冒険者達の喧噪に包まれたそこは、漁師ギルドの仮設本部である。
「お代わり!」
「自分にも!」
「ハイ、量は十分ありますカラ。慌てないで構いまセンヨ」
 ダイチとジョージ。勢いよく差し出された二つの碗に海鮮のスープのお代わりを注ぎ、休む間もなく次の所へ。
「……何で間に合ったんだろ」
 冒険者達の間を慌ただしく駆けていくアシュヴィンの様子をぼんやり眺めながら、セリカはぽつりとそう口にする。
 漁師ギルド婦人部の皆様はアシュヴィンに夢中で、順調に作業が進んでいるようには見えなかった。セリカも彼女なりに手伝ったが、それだけで何とかなるはずもなく……けれど、気付いてみれば浜料理も天幕も準備万端整っている。
「元・執事ですカラ」
 気付けば、青年の姿は娘のすぐ傍らに。
「それって、答えになってない」
 そう返した時には、アシュヴィンの姿は既に天幕の彼方。神出鬼没極まりないが、その問いにも彼はいつもの笑顔で同じ答えをしてみせるのだろう。
「まあいいじゃない、何とかなったんだから。あら、これ美味しい!」
 そういえば彼女も最後まで指一本動かさなかった事を思い出すが、それも『ミスティだから』で決着が付いてしまうのだろう。
 考えても仕方ないと、自分も浜料理に手を伸ばすが……そんな彼女に掛けられたのは、男の声だ。
「なあ、そこの姉ちゃん達」
「どうしたの? お代わりならセルフサービスよ」
 スープの入った大鍋を指すミスティに、律は苦笑いを浮かべるしかない。
「メシは腹一杯食わせて貰ったよ。じゃなくてあんたら、俺みたいな格好した女って、見た事ねえか?」
 ミスティはそれが古代の民族衣装なのだと聞いていたが……。
「そういえば、ターニャがそんな格好してるわね」
「……ターニャ?」
 繰り返したその言葉は、今までの律にはない、真剣な色が伺えるもの。とは言えそれも、着物の裾を軽く引かれるまでだったけれど。
「りっつぁん。ターニャって、今日昼飯食いに行った食堂の子だぜ?」
 たまたま大鍋のスープを取りに来ていたカイルである。
「……ああ、あの歌う姉ちゃんか」
 確かに料理屋の彼女は、普通の胸と腰回りを覆うだけのエプロンではなく、全身を覆うタイプの物……律の基準で言う、割烹着というやつだ……を身に付けていた。
「確かにあんな格好だけど、あの子じゃなくってだな……」
「何? コレ?」
「ナイショ。男にだって、秘密の一つや二つくらいあんだよ」
 そんな態度に興味を引かれたのだろう。小指を立ててみせるミスティに、律はニヤリと笑ってみせるだけだ。
(尋ね人……ねぇ)
 女性達に礼を言い、別の席へと向かう律の後ろ姿を眺めながら、カイルはぼんやりとそう呟くのだった。
「誰を探しゃいいか分かってるってのは、希望だねぇ……」


 ガディアの海岸を見渡せる堤防の上。
 既に日も落ち、夜の海からは幽かな波音が聞こえてくるだけ。昼間は陽光に照らされ蒼く輝いていたそこは、今は天空の『月の大樹』からの光を湛え、昼間とは違う表情を見せている。
「おや、もう良いのか?」
 ゆっくりと姿を見せた大柄な影に、十五センチの小さな姿は静かに声を掛ける。
 掛けたのは声だけだ。視線は常に真正面、夜の海の彼方にある。自身の腕は胸の前で組み、身ほどもある巨大な剣は背中から伸びる巨大なサブアームに掴ませていた。
「……食い過ぎるともたれるんだよ。どっこ……」
 完全武装のディスの傍ら、マハエはそうぼやきつつ腰を下ろす。口から出掛けた言葉をぐっと飲み込み、それきり無言。
「やれやれ。食わねば動けぬし、食えば動けぬし……まっこと、人間とは不便なものじゃの」
 エネルギー補給は、海岸でルービィと別れた直後に済ませていた。背中のサブアームを駆使して戦ってもひと晩は保つだろう。
 予備の魔晶石は背中のパックに幾つか詰めてあるし、不測の事態が起きても十分対処できるはずだった。
「美味いもん食えない方がよっぽどだと思うけどな……」
 食事を終えてこちらに来る時に見た、ドワーフの少女の事を思い出す。ダイチたち若手組に混じって、漁師ギルドの浜料理を思う存分楽しんでいたはずだ。
「食餌も人生の悦びというものねぇ。……食べた事なんかないけど」
 そんな二人に掛けられたのは、歌うような柔らかな声。
 気が付けば、やはり堤防の上、長い金の髪を月光に揺らす十五センチの姿が一つ。
「それにしても、今年の大ガニは規模が大きそうね。これだけ大きいのは……三百年ぶりかしら」
「三百年前のぅ……。面白い事を言う新顔じゃな」
 小さいとは言え、ガディアも街道の交差点。通りすがりの冒険者と肩を並べる事も日常茶飯事だ。
 もっともルードの宿泊施設は『月の大樹』以外にないから、ルードの見ない顔というのは少々珍しかったけれど。
「そうね。あの時の街は、波に呑まれて消えちゃったけどね……」
 澄んだ碧い瞳をすうっと細め、旅のルードはクスクスと微笑んでいる。その瞳にどこか冷たさ……いや、もっと薄ら寒いものを感じ、ディスは思わず大剣の柄を握りしめ……。
「二人とも、お喋りはその辺にしとけ」
 傍らの声に、思わず呑まれ掛けていた意識を引き戻す。
 視線を正面に戻せば、波濤の合間に見えるのは、ゆらゆらと揺れる鋭角の先端……大鋏である。
「奥で呑気にメシ食ってる連中を呼んでこい! 連中、動き出したぞ!」
 マハエの声に、近くにいた数名の冒険者が奥の天幕へ駆け戻っていく。
「……来たのは津波ではなく、ツナミマネキだったようじゃな」
 そしてディスは、先ほどの金髪のルードに声を掛けようとして……。
 彼女の姿が煙のように消えている事に、気付くのだった。


続劇

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