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7.史上最強の敵
 からりと涼やかな音を立てるのは、入口のドアに吊された小さな鈴。
「あれ? マハエさん、来てませんか?」
 入ってきた細身の青年は、店内をぐるりと見回して……目当ての客がいない事を確かめる。
「マハエなら、ダイチ連れて海岸に行ったわよ?」
 今宵は満月。ツナミマネキの産卵日とされる今日は、朝から漁師ギルドが総出でカニ狩りの準備に入っているはずだ。
 もちろんマハエも、その手伝いに向かったのである。
「もう少し早く来れば良かったですね……」
「皆さんも今夜の下見ですの?」
「そんな感じです。みんなカニ退治って初めてですし、マハエさんなら色々知ってそうだなと思ったんですけど……」
 アギにルービィ、アルジェントにジョージ。アルジェントだけはカニ狩りの経験者だが、治療役であって前衛ではない。全体の雰囲気はともかく、注意点などはアドバイスのしようがなかった。
「俺俺! 海岸の案内とかカニ狩りの説明とか、超得意!」
 そんな困った様子の女性達に向かって元気よく手を上げたのは、カウンターでコーヒーを飲んでいたカイルである。
 だが。
「モモさんもいないし……ネイヴァンさん、案内してもらえますか?」
 ジョージが声を掛けたのは、カイルではなくテーブルで肉を食べていたネイヴァンだった。
「こういうんじゃ、ヒャッホイ出来そうにないけど……ま、暇やしええわ」
 既に戦闘の準備を終えているネイヴァンは、夜まで特にする事もない。ジョージの言葉にやる気なさそうに立ち上がり、素っ気なく出口へ歩き出す。
「おま……! 今のその状況がどんだけヒャッホイか分かんねえってのかよ……!」
 もしカイルが今のネイヴァンと同じ立ち位置にいれば、ヒャッホイどころの騒ぎではなかった。
 それにネイヴァンは一昨年この街に来たばかり。カニ狩りの経験は去年の一度しかないはずだし、そもそも彼に前衛の心得を学ぼうとするのはいくら何でも無理がありすぎる。
 はず……なのに。
「そういうのが、ちょっと……ねぇ……」
 ちらりと視線を逸らすアルジェントと、視線を向けられて困ったように眉根を寄せるアギ。そもそもアギは女の子ではないから、同意を求められても困るのだが。
「ボ、ボクも連れてって欲しいのだ!」
「いいわよ。じゃ、みんなで行きましょ」
 そんな一同の元に駆け寄ってきたのは、リントである。どうやら彼も、カニ退治の依頼を受ける事になったらしい。
「あぅぅ、猫さん、行ってらっしゃーい。ほら、ナナちゃんも」
「いってらっしゃーい」
 もちろんその背後には、名残惜しそうに手を振る忍と、状況をよく分かっていない様子のナナの姿がある。
「カナンー。女の子がヒドい事言うんだけどー」
「日頃の行いの所為でしょ」
 冒険者の中でただ一人残されたカイルは、カウンターで皿を洗っていたカナンに泣きついてみるが……店主の反応も冷ややかなもの。
 だがカイルはカウンターに頬を付いたまま、カナンの方をじっと見つめている。
「……何見てんのよ」
 既に十年、カウンターに立っている身だ。見られる事にそこまでの抵抗はない。
 けれど今のカイルの目付きは、そんな彼女でも少しだけドキリとしてしまうほど真剣なもので……。
「……お前、胸ちょっとでかくなってないか?」
 真剣な……もので。
「そういう行いの所為って言ってるのよ! 出てけバカ!」
 そんな真剣なひと言を言ったが故に、カイルも店を叩き出された。


 戦いの準備に追われる海岸から少し西に向かえば、ガディアの漁港に辿り着く。船大工ギルドの造船所を併設したそこは、宿場町としてのガディアが生まれる以前から、この街の生活を支え続けていた場所だ。
 その本拠地たる漁師ギルド……漁港の一角に、その姿はあった。
「アシュヴィン・ヴィクラムと申しマス。今日はギルドからの依頼で、婦人部の皆様のお手伝いをさせてイタダク事になりマシタ。何なりとお申し付け下さいマセ、マダム」
 潮風の吹く屋外の作業場。片言混じりの丁寧な言葉で、長身の美丈夫は優雅に一礼してみせる。
「いいのよいいのよ! 全部おばちゃん達がやるから、アシュヴィンさんはそこでゆっくりしてればいいのよ!」
「バカねぇ! こういう時こそこういうイイ男に手伝って貰うんじゃない!」
「その額の宝石、綺麗ねぇ。どこで買ったの?」
「ア、アノ……まず、何をいたしマショウ?」
 貴族に仕えていた頃は、どんな理不尽な命令も完璧にこなしてきた。『月の大樹』では、酔客や冒険者、果ては喋る猫相手にも自らの礼節を貫いてきた。
 だが、目の前の相手は……。
「いい男は困ってる所もステキだわねぇ!」
 今まで応対してきたどの相手よりも、『強い』。
 そう、彼の本能が警告する。
「大人気ねー。アシュヴィン」
 龍族の青年の激闘を他人事感まるだしで眺めながら、ビーチチェアに寝そべっているのはミスティだ。どこから調達してきたのか、ビーチパラソルまでさしている。
 これでトロピカルジュースがないのが、むしろ不思議なくらいであった。
「あの、ミスティ……さん?」
「ミスティでいいわよ」
 アシュヴィンと一緒に手伝いに来たセリカは、ほんの僅か逡巡し……。
「それじゃミスティ。お店、放っておいて良いの?」
 セリカがこのガディアに来て一週間。冒険者の使う道具はひと通り揃うと言われ、ミスティの店は何度か覗いた事がある。
 確かになかなかの品揃えだったが……冒険者相手の店なら、今日は明らかにかき入れ時のはず。
「いいのいいの。別に儲けようと思ってやってるわけじゃないから」
 彼女の性格を知る常連達は、昨日までに買物を済ませていた。もし買い忘れがあれば、最初から別の店に行くはずだ。
「いいのかな……」
 店員ではなく店の主がそう言うのだから、まあいいのだろう。
「それより、料理の支度は? あたし、浜料理が食べられるって聞いたから来たんだけど」
 ついに巨大なグラスに入ったジュースまで取り出し、ミスティは徹底的にバカンスモードに入っている。その様子と発言からして、手伝う気がない事だけはよく分かった。
「浜料理って、よく知らないのよね……」
 目の前の食材は、貝も魚も見た事もないモノばかり。料理そのものは出来るし、浜料理も先日ジョージやルービィと食べはしたが、かといってそれをいきなり再現出来るはずもない。
 むしろセリカとしては、浜料理を勉強するつもりでやってきたのだが……。
 肝心の婦人部の皆様はアシュヴィンと激闘を繰り広げている。
 ミスティはただの野次馬。
 さりげなく、漁師ギルド婦人部、崩壊の危機であった。


続劇

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