-Back-

5.インターミッション1
 呑み干したエールのジョッキをテーブルに置くなり、マハエはあからさまに嫌な顔をしてみせた。
「……もう終わってると思ったんだがな。旅の途中ずっと晴れてたからって、早く帰るこたぁなかったか」
 なるべく視線を向けないようにしていた依頼の貼られている壁を見れば、確かに中央に堂々と、件の依頼は貼られてあった。
 報酬も受け取り、ようやく仕事上がりの一杯を楽しめるかと思ったのだが……どうやら世の中、そんなに甘くはないらしい。
「カナンちゃんは凄く助かったって言ってましたわ。ジムさんもリリアさんも北の何とかっていう町に行ってしまいましたし」
 そう言って穏やかに微笑みながら、給仕の娘はテーブルに山盛りの料理を置いていく。
「そりゃまあ、分かるけどな……」
 マハエが留守にしている間にこの店の主要メンバーが北の遺跡に向かったという話は、装備の補充で寄ったミスティの店で聞いていた。声を掛けられなかったマハエとしては、水臭いと思う反面、冒険者稼業に専念できない事情を気遣ってくれたのかな、とも思ってしまう。
「なあ、ツナミマネキって何だ?」
 ジョッキの底に残ったエールをぼんやりと見つめていた男に掛けられたのは、先日の依頼を共に引き受けた小柄な少年だった。
「ダイチは初めてか? そうじゃの……要は小山ほどもある大きなカニじゃよ」
「でっかいカニかー。美味いのか?」
 相席していたモモのざっくりとした説明に対する質問が、まずは強さではなく味に来てしまうあたり、彼らしいと言えばらしい。
「うむ。煮てよし、焼いてよし。ワタツミあたりの米の酒とも良く合うぞ」
 素揚げしたエビを肴に果実酒を傾けていたモモから杯をひょいと取り上げたのは、隣の席で酒を呑んでいた和装の男。
「良く合うぞはいいけどよ。子供がンな酒ばっか呑んでるのは、おっちゃん関心しねえなあ」
 飲用に足る水の少ないスピラ・カナンでは、子供が酒を呑んでいても……もちろん適度に薄めた酒がほとんどだが……咎められる事はない。とはいえそんな光景は、子供の飲酒が禁じられていた世界で育った律としては、どうにも違和感が拭えないのだ。
「おや。呑みたいなら言えば良いのに。酌くらいならしてやっても良いのじゃぞ?」
 だが、そんな扱いをモモも慣れているのだろう。むしろ楽しそうに、果実酒入りの瓶を軽く振ってみせる。
「んー。酌してもらうなら、もうちょっとこう、出たり引っ込んだりしてる……姉ちゃんみたいな子の方が……」
 そう言って律がちらりと視線を向けたのは、近くのスツールでリントを抱きかかえて座っているエプロンドレスの給仕の娘だ。
「……羨ましいな、あの猫」
「だよなぁ……」
「ボクは猫じゃないのだ! リント=カーなのだ!」
 そうは言ってもどう見ても猫なのだから仕方ない。
「うらやましいのか?」
 今だけでいいから猫と入れ替わりたい、などと思いつつしみじみと頷き合う親父二人組だが、揚げた鶏肉を食べていたダイチは不思議そうに首を傾げてみせるだけ。
「……お前ももう何年かすりゃ分かるよ、ダイチ」
 そんな話をしていると、どうやら二人の会話が聞こえたらしい。スツールにリントを置き、忍がこちらにやってくる。
「あらあら。言っていただければ、お酌くらいしますのに」
「お、言ってみるもんだな!」
 律は忍からのお酌に、嬉々としてモモの酒杯を差し出してみせる。そんな様子をニヤニヤと眺めているモモの視線は、もちろん気付かぬフリだ。
「うぅ……ここは怖い所なのだ……」
 もう逃げる元気もなく、リントはスツールの上でぐったりとしたまま。忍の事だけではない。軽く辺りを見回しただけで、背筋が凍るほどの強い力を幾つも感じるのだ。
 リントに敵意を向ける者は流石にいないが、それでも彼としては生きた心地などしないまま。
「ただいまー」
 絶望的とも言える状況の中、ちりんと入口の鈴が鳴り。
「ターニャ様。お帰りなさいマセ!」
 ぬこたまは、新たに現われた強い力にその身をビクリと震わせるのだった。


「何も知らないヘルハウンドねぇ……」
 ターニャの報告に、カウンターで野菜を炒めていたカナンは首を傾げてみせる。
「そんなのを生み出すような仕掛けが、あるって事なのかな」
 木立の国はその名の通り、深い森に覆われた国だ。森の最深部は人はおろかエルフや森の民さえ立ち入らぬ未開の地であり、強力な魔物も多く存在すると言われている。
 もちろんその中に未開の遺跡があったとしても、不思議でも何でもない。
「何や。ヒャッホイ出来るような相手か?」
 戦いの臭いをかぎつけたか、ターニャの傍らに腰を下ろすのはネイヴァンだ。
「分かんないよ。正体不明」
「……ならええわ。死にとうないもん」
 だが、首を振るターニャの様子に、あっさりと席を立つ。
「あ、そうなんだ。すっごく強い相手がいるかもよ?」
「俺は別に強い相手と戦いたいわけやないで。ヒャッホイしたいだけや」
 どうやら彼なりに、明確な戦う基準があるらしい。自分の席にさっさと戻ってしまった彼を放って、ターニャは話題を元に戻す。
「森の民の人も、よく知らないみたいだったし……あと考えられるのは……」
 ちらりと視線を向けたのは、カウンターでジョージ達と夕食を食べていたエルフの娘だ。しかしその視線に、エルフの娘は小さく首を振ってみせる。
「エルフは、森の秘密を無理に暴くような事はしない。そこのエルフのやり方は知らないけど、普通しない」
 エルフの暮らしは、最低限必要な品だけを森から分けて貰う穏やかなものだ。自分達の力の及ばない、そして森が大切に抱え込んでいる処まで押し入るような事は無い。
「事情を知ってるっぽいルードを一人助けたんだけどね。いまはフィーヱさん達が施療院に連れて行ってるんだけど」
「……施療院?」
 その言葉に顔を上げたのは、セリカ達の近くで小さなジョッキを傾けていたディスだ。
「うん。フリーズっていうの? 話をしてたら、いきなりこう、ふらっと倒れてね」
「そうか……」
 ディスはそう呟いて、空のジョッキに視線を落とす。
 普段は冷静なフィーヱでさえあれだけ慌てていたのだ。面識はなくとも同じルード同士、気になるのだろう。
「それと、迷子を一人助けたんだけど……」
 そしてようやくターニャが切り出したのは、彼女の隣に座っていた幼子の事だった。
「いつ子供産んだのかと思ったわよ。ボク、お名前は?」
「ナナだよ」
「ナナちゃんか。家はどこか分かる?」
 カナンのその問いにも、ナナは首を傾げるだけ。質問の仕方が悪かったかとターニャと顔を見合わせていると、幼子はようやく言葉を紡ぐ。
「ナナ、いま野良なの……。だからね、げぼくをさがしてるの」
「……なんか変な教育されてるわね。じゃあ、家族は? お父さんとか、お母さんとか」
 野良という言葉が旅暮しを意味しているなら、家という質問は意味を成さないはずだ。質問の方向を変えてはみるものの、やはりナナは首を傾げるばかり。
「服は上等なモノのようデスシ、どこか良家のご子息なのかもしれませんネ」
 アシュヴィンの言う通り、ナナの服は汚れ、痛んではいるが絹やフリルをあしらった上等なもの。
 それが良家の子息『だった』なら、ある程度の辻褄は合う。……臣下や仕えている者を『げぼく』呼ばわりする教育方針はさすがにどうかと思ったけれど。
「で、この子を連れてきたって事は……」
 店を営むターニャは、当然ながらガディアの街に自分の家を持っている。そんな彼女がわざわざナナをここに連れてきたという事は……。
「わたし、明日からお店開けないといけないしさー」
 店員募集の張り紙をちらりと一瞥し、ターニャはえへへと笑ってみせる。
「……平野の国から戻ってまだ何日よ。店員の希望なら、来てないわよ」
 『月の大樹』も朝早いのは同じだが、アシュヴィンや忍がいるぶん、『夢見る明日』よりは恵まれた環境にある。カナンが留守にする時も店を閉めなくていいし、最近は週に一度は寝坊出来るようになった。
「トモカク今夜は、ここでお預かりシテハ?」
「そうするしかないか」
 ターニャの報酬は『夢見る明日』の店員募集の依頼料に回すよう言われていたが、仕事の依頼料など微々たるものだ。ナナの宿代を引いたとしても、まだ余る。
「忍。とりあえずこの子、お風呂に入れてあげてくれない?」
「はーい! 猫さんも一緒に入りません?」
「ボクは男なのだ!」
 その様子を見た客の半分は『羨ましい猫め』と思い、残りの半分は『オスじゃないのか』と思ったが、流石にどちらもそれを口にはしないのだった。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai