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3.すれ違いの純心
 北へと延びる街道をまっすぐに駆け抜けるのは、紅の流星。
 否。星は地上を走りはしないから、別の例えをするべきか。
 無論、ガディアを飛び出したコウである。
「……ちっ。もうかよ」
 一瞬ぼやけかけた視界を頭を振ってハッキリさせて。唸りを上げて駆動する武装の内、小さくそう呟いてみせる。
 馬ほどの速さで地上を駆けるコウの走行形態だが、その動力は全てコウ自身から供されるものだ。多用すれば、それだけ早く自身のエネルギーを失う事になる。
 そんなコウが手を伸ばしたのは、ハンドルの根本に結わえ付けてあった小さな袋だ。中から拳大の宝石を取り出し、そっと唇を押し付ける。
 内側から光を放つかのように輝いていた宝石は、やがてその色をくすませ、色を失い……ぴしりと音を立て、砕け散る。
「……あと三つか。無駄遣いは出来ないけど!」
 ルードの動力源たる魔力の結晶体……魔晶石から新たなエネルギーを取り込んだコウは、力を失った魔晶石を放り棄て。前からゆっくりとこちらに向かってくる馬車の脇をすり抜けると同時、さらにアクセルを踏み込むのだった。


 街道に響くのは、驚いて竿立ちになった馬達の嘶きだ。
 足元を見た事もない閃光があっという間に駆け抜けていったのだ。驚くのも無理はない。
「だあぁっ!? こ、こらっ! おめえら、落ち着けっ!」
「親父さん、代わって!」
 馬たちの混乱を鎮めようと必死の御者から手綱を奪い取ったのは、日焼けした男の太い腕。けれど、混乱した馬達は男の手綱にも従う事はなく、繋がれた馬車をがたがたと揺らす。
「どうどう! ほらほら……よーし、大丈夫だからなー」
 そんな馬達の混乱が収まったのは、馬車の荷台から馬達の背中に飛びついた小柄な少年のおかげだった。
「……上手いもんだな、ダイチ。どうやったんだ?」
「草原の国じゃ、このくらい出来て当たり前だって」
 ようやく大人しくなった馬の首を優しく撫でてやりながら、小柄な少年は御者台の男に笑い返してみせる。
「なるほどなぁ……」
 言われて男は、ダイチがこの木立の国からはるか北、広大な草原の生まれだった事を思い出す。歩くより早く馬に乗るという草原の民ならば、確かにこの程度は当たり前なのだろう。
「なー、マハエ。あの赤いのってルードか? こんな所を走ってるなんて珍しいよなぁ」
 ガディアの町まであと少しとはいえ、それはあくまでも人間基準の話だ。ルード単身、それもエネルギーを大量に消費する移動形態で動くには、距離が離れすぎている。
「ありゃコウか。相変わらず忙しない奴だな」
 遥か彼方に立ち上る砂煙をぼんやりと眺めつつ、マハエは手綱を御者に戻し、荷台へと。
「知ってる奴か?」
「たまに流れてくる奴でな。前に来たのはいつだったっけな……ダイチは会った事ないか?」
 ぴしりという鞭の音が響き、馬車はゆっくりと走り出す。
「もうガディアに来て一年になるけど、知らないなぁ」
 『月の大樹』の常連の顔はある程度覚えたつもりだったが、コウという名のルードは記憶にない。
「そうだったか? ま、そのうち顔も合わせるだろうさ。せっかちだが、悪い奴じゃねえよ」
「へぇ……」
 せっかちなのは先程の一件でだいたい見当は付いた。
 背後の砂煙に、コウの無事を祈っておいて。
「それよりマハエー」
「何だ」
 見上げれば、そこにあるのは青い空と白い雲。
 彼ら二人の探索をねぎらうような、緩やかな風が吹き。
「オイラ、腹減った……」
 男達の腹が、ぐうと鳴る。
「だな……。昼までには着くと思ったんだけどなぁ」
 がたがたと揺れる馬車がガディアに着くまで、いま暫くの時が必要となる。


 ガディアの中央広場を抜け、少し旧市街へと歩を進めた先に、彼女が目指す店はあった。
「ここが……!」
 見上げる看板に記された文字は、『夢見る明日』とある。かつて故郷で聞いた話そのままの姿で、その店は彼女を待ってくれていた。
 だが、視線を下げれば、入口に掛けられたもう一つの看板に記されているのは……。
「……しばらくお休みします」
 という、非情の文字。
 あまりに重いその言葉に、背負っていた荷物と結わえ付けられていた大盾が、がしゃりと音を立てて足元に落ちた。
「あうぅ……せっかくコウさんから美味しいって教えてもらって、楽しみにしてたのに……」
 少々太めの肩をがくりと落とし、小柄な少女は小さくため息を吐いてみせる。
「どうかしたんですか?」
 肩を落とす少女に掛けられたのは、穏やかな声だ。
 見上げれば、そこにいるのは細身の青年と……。
 そんな彼よりさらに細身の、長身の女性だ。
(うわぁ……もしかしてこの人、エルフ……?)
 町にやってきた冒険者から、その名だけは聞いていた。彼女たち山に住むドワーフ族のように、森に暮らす種族がこの世界にはいるのだと。
「大丈夫?」
 初めてのエルフに見とれていた所を、何か困りごとでもあるのかと勘違いされたらしい。無造作に覗き込んできた切れ長の瞳に内心どぎまぎとしつつ、ドワーフの少女は何とか言葉を紡ぎ出す。
「あ、は、はいっ! えっと、ご飯食べに来たお店がお休みで……」
 その言葉に青年とエルフは「ああ」といった表情だ。
「店の人が旅に出てて、しばらく休みらしいよ。ここ」
「あれ、潰れてるんじゃないんですか? セリカさん」
「……ジョージさん、私よりこの街、長いよね?」
 笑って誤魔化すジョージだが、ドワーフの少女にとってはそれどころではない。
「えええーーーーーっ!?」
 かつて旅のルードから聞いたガディアの店の情報は、あと一つしかない。まさかその店まで長期休業という事は無いだろうが……。
「そうだ。これから俺達、漁師ギルドにメシ食いに行くんですけど……一緒にいかがですか?」
「漁師……ギルド?」
 山の中にある彼女の故郷にはなかったギルドだ。けれどここに着くまでに聞いた話の中に、そのギルドの名前は何度か出てきたはず……。
「もしかして……美味しいお魚が食べられるの? 海のお魚!」
 そうだ。確か、海かという巨大な池で、海に棲む魚を捕るためのギルドだったはず。
 そして海の魚は、川の魚よりもはるかに大きく、美味いのだとも!
「……そりゃまあ、そのためのギルドですしね」
「海のお魚、食べたいっ!」
 即答だった。
 記憶の隅に母親とコウの顔が浮かんできて「知らない人にはホイホイ着いて行っちゃいけません」とか何とか言っている気がしたが、聞かなかったことにする。
「あ、あたし、ルービィ・ヴァナドっていうの! よろしくね!」
 そしてルービィは荷物と大盾を拾い上げ、二人について歩き出す。夢にまで見た『夢見る明日』の特製サンドは食べられなかったが、そのおかげで美味しい海の料理にありつける事になった。
 世の中、何が幸いするか分からないのだ。


 一同の前に広げられたのは、長いバゲットで作られたサンドイッチだった。
「というわけで今日のお昼は、『夢見る明日』特製のベーコンサンドだよー!」
 薬草採りから戻ってきたターニャの声に、彼女を囲んでいた男達から上がるのは元気一杯の野太い声だ。
 取り出した短剣で手際よくバゲットサンドを切り分けて、ターニャはそれを一人一人に手渡していく。
「ふむ、さすがターニャさんの特製サンド。久しぶりでも味は衰えていませんね」
 ターニャが旅に出ている間、主不在の『夢見る明日』も当然ながら閉まっていた。旅から帰ってきたばかりのターニャはまだ店を開けていないから、このサンドイッチは本当に久方ぶりという事になる。
「ん? フィーヱさんも食べる?」
 手元に注がれていた視線に気付き、声を掛けてみるが……さすがにフィーヱは軽く首を振ってみせる。
「それ、随分装飾の細かい短剣だね。高いんじゃないの?」
 代わりに問うたのは、彼女の特製サンドではなく、それを切り分けていた短剣の事だ。
「でしょー。もらい物なんだけど、切れ味が良くて気に入ってるんだよね」
「へぇ……豪気な人もいたもんだね」
 素っ気なく答えるフィーヱの瞳が、ちかちかと赤く明滅する。
 その瞳が映し出すのは、ターニャの短剣だ。
 鋭く研がれた刃は、手入れを怠っていない証。精緻な彫刻の施された柄は、恐らくは山岳の国のドワーフ職人による物だろう。そして、その中央には……
(……随分力の強い魔晶石をはめてあるんだな。あと少し強ければ、貴晶石になってたんじゃないか?)
 貴晶石ではなくとも、相当に強力な魔物から精製した魔晶石だ。遺跡で拾ったならともかく、そうそう貰えるものではない。
 そこまで考えて、フィーヱは静かに立ち上がる。
「どうかした?」
 聞こえたのは、音。
 恐らく人間には感じ取れない、幽かな音。
「……ちょっと周りを見てくる。何かあったら、呼ぶから」
 人間には食事というエネルギー補給が必要だが、ルードのその頻度は人間ほどには多くない。今まで歩いていないぶんで相当の節約も出来た事だし、このくらいはしても構わないだろう。
「あ、ちょっと待って下さい!」
「すぐ戻る。ゆっくり食べていればいい」
「……気を付けてくださいね。この辺り、もうヘルハウンドの縄張りのようですから」
 サンドイッチを頬張っていたヒューゴの言葉に軽く手を振って答え、フィーヱは大きな跳躍で森の奥へと消えていく。


 からりと涼やかな音を立てるのは、入口のドアに吊された小さな鈴。
「いら……」
 だが、カウンターに立って既に十年の少女が、その来客に対しては珍しく言葉を失っていた。
 そいつはひょこひょことカウンターまで歩み寄ると、よっこらしょと椅子をよじ登ってくる。
「良い匂いなのだ……。コーヒーかね?」
 頷く少女が無言でコーヒーを出せば、そいつは香りを楽しむかのように鼻を鳴らし。
「ああ、砂糖とミルクはたっぷりでお願いしたいのだ。苦いのは少々、苦手でね」
 少女はむしろアイスコーヒーで出した方が良かったのかと不安になるが、その事に関して突っ込みが入らなかったと言う事は、そちらは特に問題ない……のだろう。
 多分。
「こちらで冒険の依頼を受けられると聞いてきたのだが」
 ちらりとカウンターの脇を見遣れば、少女よりもはるかに経験を積んだ十五センチの相棒も、困ったように首を傾げてみせるだけ。
「……悪いけど」
 そしてようやく、少女は目の前の客に向けて言葉を紡いだ。
「猫に出せる依頼は取り扱ってないのよね」
「にゃんですと!」
 そう。
 目の前のそいつは、猫だった。
 服を着た猫が、二本足で歩いているのだ。
 少女もこの『月の大樹』に来て十年になるが、喋る猫を見るのは初めてだった。もちろん多種多様な魔族の暮らす静寂の国辺りに行けば、珍しくないのかもしれないが……。
「カナン。それはぬこたまじゃ」
 そんな困惑するカナン達に掛けられたのは、店の隅からの声。
 混雑する店の一角。カウンターの隅で酒杯を傾けていた、年端もいかぬような娘である。
「おお、そこの人間女。おぬし、見所があるのだ! 褒めてつかわ……」
 だが。
 喋る猫の言葉は、途中で止まる。
 酒杯の向こう。じろりとこちらを見据える、娘の瞳。
 その内に宿る、ちりと燃える小さな輝きは……。
「フーーーーッ!」
「い、威嚇!?」
 娘の視線に、カウンターの椅子の上で毛を逆立てて威嚇する喋る猫。
「……お……おっと、ボクとした事が、失礼したのだ。申し訳ないのだ」
 けれどそれも一瞬の事。すぐに猫は元の落ち着いた様子に戻り、椅子に腰を下ろしてみせる。もっとも、カウンターの奥とは二度と視線を合わせようとはしなかったが。
「で、モモ。ぬこたまって?」
「喋る猫じゃ」
「端折りすぎなのだ! ボクは猫じゃないし、なによりリント=カー・コクトーという立派な名前があるのだ!」
 あまりにもざっくりとしたモモの言葉を、リントは涙目で全力否定。
 しかし、その涙目はあっという間に悲鳴に変わる。
「ただいま帰りました……って、きゃーっ!」
「ギニャーーーーーーーーーーーーーーッ!」
 涼やかな鈴の音と共に戻ってきた、忍によって。
「お帰り忍。探してた猫って……それ?」
 カナンが聞いていた行方不明の猫は、子猫という話だった。だが目の前の猫は子猫どころか、そこらの成猫よりも明らかにでかい。
「違いますけど。猫さん、可愛いじゃないですかー」
 腕の中でじたばたと暴れる猫を愛おしげに抱きしめながら、忍は平然とその問いを否定してみせる。
「別にいいけど、ぼちぼち手伝ってくれない?」
「よくないのだ……。死ぬかと思ったのだ……」
 何だか川の向こうにお花畑さえ見えた気がする。濡れるのは嫌だったから、渡る気にはなれなかったが。
「あぅぅ……。猫さん、また後で遊びましょうねぇ」
 抱きしめられてぐったりとしているリントをモモの隣の席に置いておいて、忍は名残惜しそうに仕事に戻っていく。


 迫り来るのは、十五センチの娘の数倍はあろうかという巨大な獣。
「まったく、可愛くない犬どもだな……!」
 当たれば必死の突撃をこともなげに躱しておいて。娘は長い金髪を揺らし、構えた剣を真一文字に振り抜いた。
「……やはり、剣では分が悪いか」
 絶叫を背に聞きながら次の跳躍をしてみせるが、手応えは浅い。ちらりと見れば、相手は倒れるどころか闘志の炎をより燃え上がらせているではないか。
 幸いなのは、猛獣達の注意は全て娘に向いており、奥でうずくまるナナは気付かれていない事か。
 幼子を連れて逃げる事は出来ないだろう。ならばナナが気付かれる前に連中を倒すか、追い払うしかない。
 ただ一つの武器は通じず、残された時間は短い。
 絶望的とも言えるこの状況だが……彼女の長い長い戦いの記憶の中。策は、あった。
(だが……っ)
 その作戦を行うためには、たった一つ、ピースが足りていない。
 それももっとも大事な、たった一つが。
(あれをするには、もう私の命も……)
 もう少し彼女に力が残っていれば、手はあった。
 だが。
「なに……?」
 先程の手傷を負わせたヘルハウンドが、唐突にその場に崩れ落ちたではないか。
「ちょっと手持ちの魔晶石が少なくてね。混ぜてもらっていいか?」
 手甲とひと繋がりらしいビークから精製したばかりの魔晶石を抜き取り、ヘルハウンドの向こうから姿を見せた黒いルード……フィーヱはそう一言。
「助かる!」
「にしても……少し、数が多過ぎないか?」
 返り血を拭う事もせず、フィーヱは辺りを囲むヘルハウンド達を見回してみせる。
 金髪のルードに味方はおらず、それどころか守るべき相手までいるらしい。対するヘルハウンドは、彼女の感知できるだけでも十頭はくだらない。
 ヒューゴ達の所までヘルハウンドを引っ張っていく策もないわけではないが、向こうの戦力で対処しきれるかどうかは微妙な所だったし、無駄な被害は彼女の望む所ではなかった。
「策はある。それがあればな」
 金髪のルードの視線は、フィーヱの手元の魔晶石に注がれている。
「手持ちが少ないって言ったろ? 見返りはあるんだろうな」
「この場のヘルハウンドの魔晶石、全て」
 一人が二人になった所で、苦戦は必至。そしてフィーヱのビークも、大多数の戦い向きのものではない。
「……悪くない」
 跳躍した金髪のルードに魔晶石を放り投げ、自身はヘルハウンド達の元へと突進する。彼女がどの程度の範囲を攻撃できるのかは分からないが、相手を密集させるに越した事はないはずだ。
「こんな場面で使う事になるとは思わなかったが……!」
 受け取った魔晶石を剣の根本に挟み込み、閉じる顎で力任せに噛み砕く。
 続けざまに木立を蹴って高く高く宙へ舞い、解放された魔晶石の力を剣に沿って即座に収束。力まとう刃を天に向かって突き出せば、そこから生まれるのは天を衝く光の刃だ。
「はぁああぁぁぁぁぁぁっ!」
 長く伸びた光の刃を力任せに振り下ろせば、それは大きなしなりを見せて、同時に無数の分岐をしてみせる。
「上手く避けろよ、黒いルード!」
 前後左右、上方下方。無数に分かたれた光の鞭は、フィーヱ目掛けて殺到するヘルハウンド達に全方位から牙を剥き。
 森の中に巻き起こるのは、数十メートルの範囲全てを打ち据える、完全破壊の奔流だ。


続劇

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