眼前で響くのは叫び。
叫びと共に掲げられるのは異形の刃。
異形の刃で天を衝くのは、身長十五センチの小さなヒトガタ。
クチバシの如く二つに分かたれた刃の間、挟み込まれて軋むのは、魔晶石と呼ばれる力を秘めた宝石だ。
やがて。
ぺき、という呆気ない音を立て、魔晶石はあっさりと砕け散る。
崩壊と同時に放たれるは、結晶化していた力の全て。
それはヒトガタの味方には希望の光に。
ヒトガタに相対する者には絶望の輝きに見えたことだろう。
振りかぶり。
放つ。
怒濤の力はヒトガタの意思のまま……それはある時は紅蓮の炎となり、ある時は無数の光鞭となり、ある時は巨大な刃となり……千差万別の姿をもって、目の前の相手へと襲いかかる。
力のわずかなひとかけらが、その光を目の当たりにした者の頬を掠め、傷を付けるが……それに気付いたのは、短くも激しい戦いが終わった後の事だ。
放たれた力の輝きが、目の前全てを染め上げて……。
ボクらは世界を救わない
第1話 『月の大樹』の光の下で
1.訪れたもの
からりと涼やかな音を立てるのは、入口のドアに吊された小さな鈴。
いつ訪れた時も変わらない、聞き慣れた音だ。入ってきた旅装の娘は目深に被ったフードを少し上げ、やはり見慣れた酒場の様子を見回して……。
「おや、いらっしゃいマセ」
掛けられた穏やかな声に、小さく眉をひそめてみせる。
褐色の肌に、見上げるほどの長身。頭の角と背中の翼は、龍の系譜を受け継ぐ一族の証だろう。以前訪れた時には見なかった顔だ。
「あなた、確か……」
とはいえ、全く知らない顔ではない。ただ以前見た時は、この店ではなく……。
「アシュヴィンの仕えておった貴族が取り潰しに合うてな。ほれ、丘の上に館があったじゃろう?」
龍族の青年の代わりに娘の疑問に答えたのは、カウンターで酒杯を傾けていた十五センチの小さな姿だった。もちろん彼女達は普通の食事を必要としないから、酒場で気分を出すための小道具である。
「へぇ……ここもなんだ」
ここ木立の国は、貴族達による支配から官僚達による政治への移行の最中にある。国からの支援はあるはずだが、官僚や商人への鞍替えが上手く行かず、結果路頭に迷う貴族も少なくない。
丘の上の貴族も、そんな間の悪い一人なのだろう。
「アスディウス様のお話の通りデス、アルジェント様。今後とも、よろしくお願いいたしマス」
いつも通り、隅の席に腰を下ろせば、間の悪い主より随分と上手く立ち回ったらしいウェイターがそっとコーヒーを出してくれる。
「あんた、街に来たばっかりなのか?」
「ええ。そうだけど?」
次に掛けられた声も、やはりテーブルの上からだった。酒杯を傾けるディスのように軽装ではなく、全身に装備を組み付けた完全武装のルードである。
「じゃあちょっと聞くんだけどさ。街に来る途中で、金髪のルードを見なかったか?」
「金髪? ああ、そういえば……」
「見たのか!」
重量級の装備をものともせず、ルードは紅い髪を揺らし、ずいとアルジェントに詰め寄ってくる。
「ここに来る時、北の森辺りで森に入っていくルードを見たのよ。一人で何やってるのかと思ったけど……」
小さなルードが旅をする時は、普通人間の馬車に便乗するものだ。もちろん近くのルードが狩りに出ていた可能性もあるが、一番近い集落でも遠すぎるし、街に用があるなら森より街道沿いを歩いた方がはるかに近い。
「そいつ、目の色は! 態度とか、すげえ悪人っぽくなかったか? ディス姉みたいな!」
「誰が悪人じゃ、誰が」
ディスのツッコミなど耳にも入っていない紅髪のルードに、アルジェントも苦笑するしかない。
「長い金髪なのは分かったけど、遠くからだったし、そんな所までは……」
言い終える頃には、ルードの姿はカウンターにはない。入ってきた新たな客の足元をすり抜けて、既に店の外に飛び出している。
「やれやれ。コウの奴、久しぶりに来たかと思えば相も変わらず血の気の多い」
「それよりアスディウス様。北の森とイエバ」
驚いて硬直したままの客の様子を愉快そうに眺めつつ。ディスは、コーヒーの支度を始めたアシュヴィンに小さく頷いてみせる。
「ニネベの辺りじゃの。確か今頃、木材ギルドの連中が向かっておるはずじゃが……何事もなければ良いがのう」
深い森に響き渡るのは、大樹に打ち込まれる斧の音。
「くひゅんっ!」
そして、間の抜けたくしゃみの音だ。
「……おかしいなぁ。バカは風邪ひかないっていうんだけど」
「自分で言ってどうすんだよ……」
鼻をすすりつつ答える小柄な娘に、彼女の肩に腰を下ろした黒いルードはため息を隠せない。
「誰かがターニャさん可愛い可愛いって噂してるのかなぁ」
突っ込むのもバカらしくなったところで、娘の前に差し出されたのは細い腕。
「風邪薬、要りますか? ターニャさん」
何が詰まっているのか、大量の荷物を背負った青年である。
「なんでそんなもの持ってるんだよ……」
木漏れ日を弾く丸メガネと無精ヒゲに隠され、ルードの座る娘の肩からその表情は伺えないが……殴れば折れそうな細い身体と前のめりの猫背は、いかにも頼りないものだ。
「わぁ、紅トカゲの黒焼きー!」
「もらうなよ。そんな怪しげなもの」
「効果はミスティさんのお墨付きですよ」
「なら安心だねぇ」
おそらくガディアで一番信用ならない相手の笑顔を思い出し、黒いルードはもうため息を吐く気力もない。
「にしても、大丈夫なのか。この面子で……」
その代わりか、値踏みするように辺りを見渡す瞳が、ちかちかと赤い光を明滅させる。
「大丈夫だと思うよ? ヘルハウンドさん達だって、話せば分かってくれるだろうし」
そもそも話の通じる相手じゃないから護衛依頼が出たんじゃないかと思いつつ、ルードの瞳が明滅を終える。
「……なら、沖で暴れてるカニどもとも話を付けてもらいたいもんだな」
一行を構成するのは、木材ギルドの木こり達と、護衛となる十名ほどの冒険者。ガディアに来てほんのひと月の彼女には、彼等の実力は量りかねる所もあるが……それほど突出した冒険者はいないように見えた。
(まあ、主力ではない事を考えれば、それなりか……)
街の冒険者の主力はこちらではなく、漁師ギルドの大仕事に集中しているのだろう。依頼に貴賤はないとは言え、重要度や報酬を考えれば、その判断は間違ってはいないはずだ。
彼女のように、別の目的があるわけでもなければ。
「カニさんは話が通じる相手じゃないから……あ、薬草! ちょっと取ってくるね、フィーヱさん!」
「俺がダメって言っても……って、言い終わる前に取りに行くなよ! こら、人間が一人で動くのは危ないって! ヒューゴ!」
フィーヱは慌ててターニャの肩から飛び降りて、白衣の青年の名を呼ぶが……。
「ほほぅ、これは興味深い……」
当のヒューゴはどこからともなく取り出したルーペを片手に木の根もとにしゃがみ込み、ターニャの事など気にする様子もない。
「ダメだこいつら……!」
こちらの依頼を引き受けたのは失敗だったか。
そう思いながら、フィーヱはどこかへ行ってしまったターニャがせめて生きて帰ってくるよう、天に浮かぶ『月の大樹』を仰いでみせるのだった。
続劇
|