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 酒場の朝は早く、夜は遅い。
 普通の酒場なら朝は遅くても構わないのだが、ミラの店は宿と酒場を兼ねている都合上、どうしても早くならざるをえない。
 そんな遅くまで開いている酒場の、最後の呑み客を追い出し、片付けを終えた……ある夜の事だ。
「お疲れさま、カナン。……どうかした?」
 見れば、テーブルのまかないの量が減っていない。今日は彼女の好物の、豚肉の煮込みのはずだが。
 シノ達ルードは食事をしないが、食事の大切さは理解している。ルードは活動に必要なエネルギーを失っても休眠状態に入るだけだが、人類はエネルギーを補充できなければそのまま死んでしまうのだ。
「最近は仕事の量も増えたし、疲れた?」
 カナンがこの店で働くようになって、もうすぐ七ヶ月が過ぎようとしていた。働き者の彼女が頑張る分、シノやミラの負担は減っていたが……その頑張りも、この生活環境の激変に限界を迎えつつあるのかもしれない。
「休み、増やしてもらおうか」
 定期的な休暇はあるが、彼女の仕事ぶりならもう少し休みを増やしてもいいはずだ。一度ミラとも相談しようと、心の中で決めておく。
「あ、それは大丈夫。もっと回してもらってもいいくらいだよ?」
 カナンとしては、ドーム都市で地表開発をしていた頃の方が余程忙しかった。睡眠時間は確かに今の方が短いが、ミラもシノも良くしてくれるし、ガディアの居心地も決して悪くはない。
 けれど、そう答えても煮込みの量は減らないまま。
「そう……」
 シノの言葉を最後に、しばらくの微妙な沈黙の後……ぽつりと言葉を紡ぎ出したのはカナンだった。
「ねえ、シノも……この時代で起動したんだよね」
「ええ。この街のずっと北にルードの集落があってね。そこで起動したのよ」
 純粋な人型機械であるルードの大半は、社会に出て人間達に混じって暮らしている。だが一部のルードは、パーツの保管や街に出た同胞の支援のため、人間社会から離れた所で生活を送っているのだ。
「ミラさんが起動させたんじゃないんだ……?」
 てっきりカナンを蘇生させたように、ミラが部品を集めて起動させたのだと思っていた。
 古代の研究をしていると称するだけあって、ミラの古代の知識は相当なものだ。ルードの一人や二人起動させていても不思議ではない。
「ミラと会ったのは、集落を出てからね。この街が出来る少し前だから、もう七年になるかしら……」
「なら、起動した時の事とかは……」
 それでカナンの食欲不振の原因を察したのだろう。シノは弱々しく微笑むと、テーブルの上で小さく頭を下げてみせる。
「ごめんなさい。私は起動した段階でこの時代の知識をある程度持っていたから、きっとカナンの参考にはならないと思う……」
 シノの記憶の始まりは、ルードの集落からだ。しかしその時点で彼女のメモリには、この時代や世界の情報が記されていた。
 事前情報を何一つ教えられないまま目覚めたカナンとは、状況が全く違う。
「どうした。今日の料理は口に合わんか?」
 そんな事を話していると、カウンターの片付けを終えたミラがやってきた。
「いえ、そんなことは……」
 答えるカナンの前に置かれたのは、暖かな湯気を昇らせる大きめのカップだ。
「古代人は落ち着くために、豆を煎って挽いた飲み物をむ習慣があるんだよな、確か」
「……ええ、まあ」
 余談だが、最南端でも亜熱帯のこの大陸では、熱帯性の植物であるコーヒーの木は育たない。故に目の前のコーヒーと呼ばれる飲み物は、大豆で淹れた代用コーヒーなのだが……その手の知識を持っていた古代人の誰かが、コーヒーに餓えて広めた事は想像に難くない……ミラの好意を無にする気にもならず、カナンはそれに軽く口を付けてみせる。
「……あの王都からの冒険者の事か」
 だがそのひと言に、カナンの手が止まった。
 冒険者に仕事を斡旋する酒場の主の面目躍如といった所か。カナンは浮かぬ表情のまま、飲みかけていたカップを下ろし……。
「王都には古代人がたくさんいるって……。それに、街外れの塩田も、古代人の技術なんだって」
「ふむ……」
 塩田が古代人の技術なのはミラももちろん知っていたが、実際の製塩を監督しているのは王都から来た役人と、現代人の技術者だけだ。ガディアの塩田に古代人がいるわけではない。
「気になるなら……行ってみるか? 王都に」
「いいんですか!?」
 そんなミラの続けた言葉に、カナンは自身の耳を疑った。
「王都には古代人の出自を管理するギルドもあるしな。院長とも話して、いずれは行かせようと思っていた」
 本来は、カナンがこの時代の生活に慣れ、塩田に古代人の技師が視察に来たタイミングで預けようと思っていたのだ。しかし彼女が動く意思を見せた以上、今がその時なのだろう。
「今なら、ちょうどいい護衛も都合出来そうだしな」
「護衛って……シノですか?」
 確かにシノなら家族も同然だし、腕も立つ。これ以上ないほどに心強い護衛だが、カナンに加えて彼女もいなくなっては店の経営にさし支えるのではないか。
「シノを連れて行かれたらわたしが困るよ。まあ、信用できる奴を手配するさ」


 それから数日後。
「えぇぇ!? カナンの護衛って、コイツと一緒なのかよ!」
 街の中央、停車場の前で声を上げたのは、旅支度を整えた黒髪の少年だった。もちろん少年の指差した相手は、王都から来た冒険者の少年だ。
「文句を言うな。お前より腕も立つぞ」
「宜しく、ハルキ君」
 穏やかに微笑んで右手を差し出した少年に、ハルキは見て分かるほどの渋い顔をしてみせる。
「ええっと……大丈夫、なんですか?」
 そんな二人の様子に明らかに困り顔なのは、護衛される側のカナンだ。
「王都までは街道があるから、そう危険な旅にはならんさ。それに、この二人なら信用出来るだろう?」
「それはまあ、そうですけど……」
 どちらの少年も、信用できるという点では確かに申し分ない。王都の少年はいつも紳士的な振る舞いだし、ハルキもこの半年で、だいぶ仕事がこなせるようになった。
 だが、その信用を差し引いても……。
「君とか言うな! お前、俺と同じくらいだろ!」
「僕は今年で十六だけど……」
「年下かよ! 俺十八だぞ!」
「なら、ハルキさんと呼んだ方が……」
「呼ぶんじゃねえ! ハルキでいいっつの!」
 ……本当に大丈夫かという不安は、拭いきれないまま。
「……頼みますよ、ハルキ」
 それはシノも同じなのだろう。ミラの肩に腰掛けたまま、不安そうに黒髪の少年の名を呼んでみせる。
「任しとけ! ちゃんと連れて帰ってみせるからな!」
「いや、カナンが戻りたくないと言ったら、お前だけ帰ってくればいいんだが」
 それはカナンにも言い含めてある事だ。もし王都でカナンと縁のある者が見つかれば、そちらで一緒に暮らす方がカナンにとっても幸せだろう。
 ハルキはカナンの護衛であると同時に、そうなった場合の連絡係でもあるのだ。
 だが、カナンはミラの言葉にも、軽く首を振ってみせるだけ。
「絶対戻ってきます。だから……ちゃんと連れて帰ってね、ハルキ」
 少女の言葉にハルキは静かに頷いてみせる。
 行きの護衛は二人だが、帰りの護衛……そして彼女を連れ帰るのは、ハルキ一人の仕事になるのだ。
「では、カナンさんはお預かりします」
 やがて彼方から馬のいななきが聞こえ、停車場に馬車がやってきた。隣町までの乗合馬車だ。
「すぐ帰ってくるからな!」
「頼むぞ、二人とも」
 王都へは基本的に、この乗合馬車を乗り継いで向かう事になる。ガディアには王都に至る街道が通っているから、順調にいけばそうかからないはずだ。
「そうだ。お前、名前なんて言うんだ? いつまでもお前ってワケにもいかねえだろ」
 初めての馬車に戸惑い気味のカナンを押し込みながら、ハルキは思い出したようにそう問うた。顔は『月の大樹』で何度も合わせていたが、よく考えたら名前を聞いていない。
「そう言えば名乗ってなかったっけ」
 ハルキに続いて自身も馬車に乗り込みながら、少年は穏やかに自身の名を名乗ってみせる。
「僕の名前はマサト。改めて、宜しく」
 カナンとハルキ、そしてマサト。
 こうして、三人の王都への旅は始まった。


続劇

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