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 酒場と宿を兼ねたその店のカウンターで声を上げたのは、一人の少年だった。
 短く整えた栗色の髪に、端整な顔立ち。この辺りではあまり見ない洒落たジャケットは、見る者が見ればただのお洒落着ではなく、金属糸と鉄片を縫い込んだ実用的な防具だと分かるだろう。
「冒険者証が使えない?」
 そんな彼がカウンターに置いているのは、手の平に乗るほどの銀色のエンブレムだ。冒険者ギルドの紋章が象られた総銀のそれは、ギルドの正規冒険者に与えられる洋白の冒険者証とは違う。ギルドで一定の功績を立てた者にのみ与えられる、上位冒険者の証。
「王都の冒険者ギルドの正式な物なんだが……」
 言葉と共に紋章の中央……魔晶石が嵌め込まれた箇所に手をかざせば、淡く石が輝くと同時、禿頭の老人の姿が浮かび上がってくる。手をかざした者が紋章の正しい主である事を示す、偽造防止魔法の一種である。
 だが、そんな一流冒険者を示す証を前にしても、酒場の女主人はため息を一つ吐くだけだ。
「東にあるシュナンのギルドマスターなら、何度か会ったこともあるのだがな……」
 そもそも禿頭の老人……王都のギルドマスターが本物かどうか分からなければ、真贋の判断のしようがない。彼女はそう、言いたいのだろう。
 事実この時代、冒険者ギルドの力が及ぶのはせいぜい王都の周辺まで。街道沿いとはいえガディアのような地方都市では、冒険者の支援や依頼の斡旋はギルドではなく酒場の役目になってくる。
「後は塩田騎士団の連中か」
「……僕は騎士じゃないから、そちらの紹介はさすがに」
 王都の出身である事は違いないが、少年はあくまでも冒険者。近くの街の冒険者ギルドならともかく、騎士団の紹介が受けられる身分ではない。
 そして残念ながら、今の彼には近隣の大都市まで移動するための路銀さえも心許ないのだった。
「実力が分からん以上、こちらからの紹介は出来んよ。行きたいならその辺りにメモが貼り付けてあるから、好きに選ぶと良い。……説明はしてやろう」
「割の良い仕事を紹介してもらおうかと思ったのですが……。それでは、仕方ありませんね」
 少年は肩をすくめてエンブレムを懐にしまうと、壁に貼られていた依頼を一つ一つ丹念に眺め始める。
 壁に貼り出された依頼は誰でも自由に引き受けて良い……というのは、この世界の冒険者達の、数少ないルールの一つ。
 ただ、その依頼の難易度や割の善し悪しは、少年のような行きずりの冒険者には分からない事がほとんどだ。調査なら土地勘が必要になるし、魔物は棲む土地が変われば強さも性質も変わってくる。
 その辺りの説明や助言をしてくれるのが、ミラ達のような酒場の主なのだが……。紹介が欲しければ、まずは実力を見せろという事なのだろう。
「そうだ。それと、今晩の宿はいただけますか?」
「出すものさえ出してくれるなら、それは拒まんさ。カナン!」
 ミラが声を掛けたのは、客の帰ったテーブルを片付けていた小柄な少女だった。慣れた様子で山のような皿……大食漢のドワーフ族が帰った後は、いつもこうだ……をカウンターに運び、代わりに放り投げられた鍵束をひょいと受け取ってみせる。
「彼を部屋に案内してやってくれ。一番安い個室でいいそうだ」
「はいっ! それじゃ、こっちです!」
 そのまま鍵をエプロンのポケットに放り込むと、カナンは宿になっている階上へぱたぱたと掛けだして行くのだった。


 冒険者の斡旋所を兼ねた酒場は、その冒険者の逗留先……即ち、宿屋を兼ねている事も多い。ミラの営む『月の大樹』も、そんな宿屋を兼ねた酒場の一つだ。
「えっと、一番安い部屋でいいんですか?」
 一万年の眠り目覚めたカナンがそのままミラの店で働くようになったのは、自然な流れと言えるだろう。半年が過ぎた今ではそれぞれの部屋の値段や間取りも頭の中に入っており、客の案内を最後まで任される事もほとんどだ。
「構いません。……恥ずかしながら、路銀が心許なくて」
「ふふっ。じゃあ、こちらになりますね」
 少年が通されたのは、硬いベッドに申し訳程度のテーブルが据え付けられただけの簡素な個室だった。これよりも安い部屋になると、数台のベッドが並べられただけの相部屋か、馬小屋になる。
「ええっと………」
 既に日は沈み、部屋のあちこちには闇がわだかまっていた。カナンはテーブルの上に置かれたランプを点けようとするが……。
「……あれ?」
 持ってきたランプから火種を移せばいいのだが、それがどうにも上手く行かない。
「こうだね」
「あ、どうも……」
 代わりに慣れた手つきで明かりを灯してみせれば、少女は少年に向けて恥ずかしそうに照れ笑いをしてみせる。
「君……この時代の生まれではないのかい?」
 ランプの点け方など、普通にこの世界で育った者なら子供のうちに慣れてしまうはず。だが少女の振る舞いは、ランプの油も買えないような家の出とも、ランプを自分で点ける必要のない家の出とも思えなかった。
 ならば、残る答えはそれほど多くない。
「そうですけど……古代人って、そんなにいるんですか?」
 ガディアにいる古代人は、今のところカナンと、ルードの施療院の院長の二人だけ。両親もスピラ・カナン生まれだという彼から、惑星開発の成功と繁栄の時代の終末は聞く事が出来たが……カナン個人に関わるような事は何一つ分からずじまい。
 旅の古代人にでも会えればと、こうしてミラの宿屋で働いているが、残念ながらこの半年で古代人の客は一人も訪れる事がなかった。
「そうですね。王都には何人か知り合いもいますし……。王宮で、古代の技術や知識を生かしている者もいると聞いています」
 古代人と言っても基本的には少年たちこの時代の人間と大差ない。もちろん目覚めて間もない頃は、現在の習慣に戸惑ったり、少年達なら普通に出来る事が出来なかったりと、微妙な違和感が抜けきらないものだが……。
「え、でも、古代の知識はうかつに教えちゃダメって……」
 カナンは、そう院長やミラから聞かされていた。
 ルードや簡単な古代の道具程度なら生活を便利にするだけだが、古代の知識……特に先進的な概念や技術の中には、諸刃の剣となる物も多くある。かつての文明の中には、分不相応な古代の知識を暴走させて滅びた文明もあるのだと。
 それはカナンも納得し、ミラ達の流儀になるべく合わせるようにしていたのだが。
「けれど、安全で皆の幸せに繋がるようなものは、少しずつ使っていくべきだというのが今の王の考えのようですよ」
 例えばこの街にもある塩田がそうだ。古代人の知識を利用したこの製塩技術のおかげで、木立の国全土に良質の塩を安定して行き渡らせる事が出来るようになった。
「そう………なんですか」
 少女に浮かぶ表情は、多くの驚きと、ほんの少しの期待の色と。そして、その奥に宿る不安の色だ。
「カナン! ミラが、よく分からない古代の品が持ち込まれたから、見て欲しいって!」
 そんな微妙な雰囲気を破ったのは、階下から文字通り飛んできたシノの声だ。
「あ、うん。分かった! ……それじゃ、ゆっくりしていって下さいね!」
 古代の品の鑑定は、カナンの大事な仕事の一つ。その役割を果たすため、カナンは部屋の鍵を少年に渡し、急いで階下へ戻っていくのだった。


続劇

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