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 穏やかな風にきぃきぃと揺れるのは、『月の大樹』と刻まれた金属製の看板。
 夕日に朱く染まるその店のドアを抜ければ、吹き付けてくるのは強い酒の匂いと、肉の焼ける音。そして、男達の騒ぎ声だ。
 そんな酒場のカウンターに目をやれば、そこにぶら下がるのは酒場には似つかわしくない小柄な少年だった。
「なぁなぁミラ。すげー依頼とか来てねぇのかよ! すげー依頼! ドラゴン退治とかさ!」
 少年が指差すのは、酒場の壁に無造作に貼り付けられたメモ書きの群れ。
 街の社交場を兼ねる酒場には、自然と面倒事や人集めの相談も集まってくる。それらの記されたメモが、こうして依頼という形でまとめられているのだ。
「来るわけ無いだろう。馬鹿か」
 小さいとは言え街道沿いの街にドラゴンなど出れば、少々の騒ぎでは済まないだろう。この街を通る二つ目の街道が開通して五年、ミラはずっと酒場の主をしているが、もちろんそんな依頼が来た事はない。
「まあ、仮にそんな依頼があっても、お前みたいなヒヨッコ冒険者に受けさせるわけが無いがな」
 露骨に嫌な顔をしてみせる少年を放っておいて。ミラが顔を向けたのは、階上の宿へと繋がる階段だ。
「だったらさ、こないだみたいな可愛い女の子を見つける依頼でも……」
「なら、お前向きの依頼が出来たぞ。坊主」
 そこに姿を見せたのは、おずおずと店内の喧噪を見渡している、カナンの姿だった。


 酒場を出て少し歩けば、すぐに商店の並ぶエリアにたどり着く。ちょうどカナンのいた部屋から見えていた、大きな木の生えているあたりだ。
「まるっきり、ファンタジーの世界ね……」
 通りを歩いているのは、耳の長いエルフに、短身巨躯のドワーフ。獣頭の人獣族に、三メートルほどの巨体を屈めて歩く巨人族。
 人ならぬ人とすれ違う度に声を上げそうになるのを必死に我慢し、カナンは先を歩く少年を見失わないように着いていく。
「この辺がバザールだな。大抵のものはここで揃うぜ」
 そんな彼女に気付いているのかいないのか。カウンターにいた少年は、肉を挟んだパンをかじりつつ……これがミラの『仕事』に対する報酬なのだろう……傍らのカナンに辺りの商店を指してみせる。
「ここが八百屋。あっちが肉屋だな」
「へぇぇ……。野菜は、だいたい同じ……かな?」
 並んでいる野菜は、カナンの記憶にあるそれらとさして違わないものだった。流石に肉は分からないが……緑の箱船の遺産の裔なら、こちらもそう違うものではないはずだ。
「そうだ。そういえば、電気は?」
 既に店仕舞いなのだろう。肉屋の店頭で店番の少年が消しているのは、癖のある臭いを放つ獣脂のランプ。
 だがカナンがいた部屋の明かりは、電気式の照明だった。だからこそカナンも、一瞬あの部屋を自分の部屋だと勘違いしたのだが……。
「でんき……?」
 そんなカナンの言葉に少年は不思議そうな表情を浮かべたまま。どうやら電気の存在そのものを知らないらしい。
「この時代には発電施設がありませんから。カートリッジという、電池に似た道具を使うんですよ」
 代わりに説明をしてくれたのは、カナンの肩に腰掛けていたシノだった。こんな場面の手助けとして、付いてきてくれたのである。
「カートリッジならルードの施療院に行けば見られるけど……。何か使う物があるのか?」
 少年の言葉に、カナンは首を振るしかない。
 彼女の持ち物は、下げていた識別票が一つきり。同じカプセルに入っていたはずの非常用キットは、彼女を見つけた冒険者達の戦利品になったのだという。
「じゃあ、シノもそのカートリッジで……?」
「私達は、中の魔晶石を直接摂取して稼働しています」
「魔晶石……ねぇ」
 また知らない単語が出てきたが、細かい所は追々分かるだろう。何やらおどろおどろしいイメージのそれは記憶の隅に置いておき、少年の次の動きに注視する。
「後は……どこを見て回ればいいかな」
 酒場の主からの依頼は、カナンにこの街を案内することだった。商店街の案内で、依頼はほぼ達成したと言って良いのだが……。
「あ、だったら……」


 小高い丘を登り切れば、見渡せるのは彼方まで続く緑の山並みだ。振り返れば、広い平野と中央を走る二本の街道、そして交差点にはガディアの街がある。
「ホントに緑になってるんだ。海まであるなんて」
 さらにその向こうには夕日を受ける海原と……何だかよく分からないが、砂浜の中に小さなため池らしき物がある。
「昔の世界って、どんなだったんだ?」
「んー。砂漠や岩山ばっかりでね。あたし達は硝子の覆いを作って、その中で暮らしてたの」
 カナンたち第一次開発隊の役割は、この星を居住可能な星へと作り替える事だった。その頃は見届ける事は出来ないだろうと思っていた光景が、目の前に広がっているというのは……どうにも、言葉にしようがない。
「砂漠……」
 ずっとこの木立の国で育った少年は、そもそも砂漠を見た事がない。前に住んでいた街も森に囲まれていたし、どこまでも広がる砂浜というのも、何だか違う気がする。
「そろそろ帰りましょう。この辺り、暗くなったら獣が出ますよ」
 そんな二人に掛けられたのは、小さなシノの声だった。カナンの頼みだったから来てはみたが、もともとこんな時間にうろついて良い場所ではないのだ。
「大丈夫だよ。獣くらい俺が守って……」
 その時だった。
 奥の茂みが揺れ、そいつが姿を見せたのは。


「え……狼……?」
 それは、彼女の知る狼ではなかった。似てはいたがもっと大きく、瞳は凶暴な色にぎらついている。
 それが、三頭。
「なんでこんな所にヘルハウンドが」
 つい先日討伐が行われ、一掃されたはずの猛獣だ。本当ならこんな場所にいるはずはないのだが。
「後ろに隠れてろよ! カナン!」
 既に少年は腰の小剣を引き抜いている。だが……その構えはぎこちなく、どうにも頼りない。
「来ます!」
 シノの言葉と同時、最初の一匹が少年に牙を剥く。けれど少年も冒険者を名乗る身だ。必死の一撃を寸での所で受け止めて……剣を飛ばされただけで済んだのは、僥倖と言うべきか。
「逃げろ!」
 少年はそれでも拳を握り、ひたすらに声を張り上げて獣たちの注意を引きつける。彼女の逃げる時間を一秒でも稼ぐ事が、今の彼に残された数少ない出来る事だったからだ。
「そんなの……っ!」
 出来るはずがない。
 そう言おうとしたカナンだが、肩から伝わる軽い衝撃にその先の言葉を途切れさせてしまう。
 彼女の肩から飛び出したのは、十五センチの小さな姿。その手が握るのは、背負っていたやはり十五センチほどの槍状の武器。
「ちょっと、シノ!?」
 カナンの知る小型ドロイドに戦闘能力はない。しかも大型犬より大きなヘルハウンド三頭を相手にして、勝ち目などあるはずが……。
「ハルキはカナンを! そいつらの相手は、私が!」
「え……?」
 だが、飛びかかってきた獣の次撃をシノは鋭い踏み込みでかわし、続けざまに加速する。
「ハル……キ………?」
 跳躍。
 翻るスカートの奥、鈍く輝くスラスターから放たれたのはしゅっという鋭い音だ。圧搾空気の一発で跳躍軌道をねじ曲げて、最奥にいた獣の背へ向け一直線に槍の突撃を叩き込む。
「はぁぁぁっ!」
 魔獣の絶叫に重なるのは、十五センチのシノの裂帛の気合と、叩き込まれた槍から迸る強い光。
 光が途切れると同時に槍を引き抜けば、ヘルハウンドの巨体がぐらりと傾ぎ……どうと音を立てるより早く、シノの体は空中にある。
 そんな獣の血に染まる槍の先端、くちばし状の部品が挟み込んでいるのは、シノの拳ほどある輝く石だった。ヘルハウンドを斃す前には無かったそれは、魔物の生命を精製して作り出す力の結晶……魔晶石。
「…………解放ッ!」
 着地と共に戦場に響くのは、ぱきり、という儚い音。
 くちばし状の部品に噛み砕かれた、魔晶石の音。
 その残響音さえ消えぬうち、シノは槍状の武器を大きく振りかぶり。
「伏せろ!」
「え……ひゃぁっ!?」
 それを見たハルキが、傍らで呆然としていたカナンを地面に引き倒し、慌ててその上に覆い被さる。
 そして。
「あぁぁぁっ!」
 横薙ぎに大きく振り抜かれたその軌跡は。
 凝縮された力の解放形態……少年の背丈さえゆうに越える長大な光の刃となって、ハルキとカナンの頭上を駆け抜けて。
 残るヘルハウンド達を、真っ二つに切り裂くのであった。


続劇

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