3.そして、ラシリーアへ 『それでは、近況報告ばかりになりましたが、この辺りで。 またお会いできる日を、楽しみにしています。ナンナ姉さまにもよろしくお伝え下さい。 それでは。 貴女の妹、オルタズ・スクエア・メギストスより』 そして、少しばかりの時が過ぎた。 眼下に広がるのは、一面に広がる青い海。 グルーヴェ北東、沖合数十キロ。 セルジラ内海の、ほぼ中央部。 「いよいよね……」 足元の光景を眺めながら、純白の獣機は誰とも無しに言葉を紡ぐ。 「うん」 少女の声の呟きに答えてくれるのは、体の内に納まった小柄な娘。 「いよいよだね」 辺り一面全て海だが、そこには何もないわけではない。それどころか、無数の船団がこの一点に集結しているのだ。 メインマストに上がるのは、ココの軍旗とグルーヴェの軍旗。 戦闘ではない。恐らく史上初であろう、ココ海軍とグルーヴェ海軍の共同作戦が、これから始まるのだ。 グルーヴェ最大の戦艦も投じられた大作戦だが……船団の中央に位置する巨艦に比べれば、その戦艦さえも小舟にしか見えぬ。 グルーヴェ艦の倍ほどの大きさを持つココの船も、また然り。 赤の箱船レッド・リア。 それが、この作戦の中枢となる巨艦の名前。 「お久しぶりです、姉さま」 掛けられた声に振り向けば、そこに浮かぶのは二体の鋼の巨神だった。 「あの時以来かしら……。二人とも、元気だった?」 純白の獣機の問い掛けに、青い獣機は小さく肩をすくめてみせる。 「ええ。子供のお守りは、大変ですけれど」 「誰だよ、子供って!」 青い獣機の胸元が開き、そこから顔を出すのはフェレット種の少年だ。 「自覚はあるんですのね」 口論を始めた少年と青い獣機に微笑みをひとつ残し、今度は浅緑の獣機に向き直る。 「オルタ。ソカロの調子はどう?」 「はい……」 下腹の装甲が複雑にスライドし、その中から姿を見せたのは長身の青年だった。 「相変わらず記憶は戻りませんが、良くしてもらっています。ミス……イルシャナス」 イルシャナのことも忘れているのだろう。ソカロの初対面のような挨拶に、イルシャナはわずかに言葉を濁す。 「……そう。なら良かった」 気が付けば、足元の船団がこちらに発光信号を送っているのが見えた。 全ての準備が完了したらしい。 「なら、早速だけど始めましょうか。メティシスやアノニィにばかり働かせるのも何だし……引き潮の間に済ませたいしね」 大船団はレッド・リアから離れ始め、大型艦の甲板からは次々と飛行型の獣機が飛び立っている。 獣機の反応を確かめれば、レッド・リアを中心に、円状に配置されつつあった。 「はい。それでは姉さまがた、まだ後でお話しましょうね!」 獣機将オルタズは右手側へ。 「ええ! 今夜は寝かせませんわよ?」 獣機后ナンナズは左手側へ。 「なら、エミュ。わたし達も行きましょうか」 「はいっ!」 そして獣機王イルシャナスは、前を目指す。 「これだけか……」 乗り込みの終わったレッド・リアの甲板を見渡し、ウォードはそんな感想を口にする。 新天地を目指すため、レッド・リアが旅立つこと。そして、その旅に同行してくれる赤の同志を集めてくれること。 その二つが、あの戦いでウォードがオルタに出した協力の条件だった。 「これでも、集められるだけは集めたんだよ?」 片目のビーワナの言葉は、ウォードにも分かっている。 グルーヴェの復興で人手が足らないにも関わらず、オルタは最大限の有能な人材をこちらに割いてくれていた。 そのおかげでレッド・リアの右手は修復されていたし、青のディスクも主力機関で静かに唸りをあげているのだから。 「そうだな。色々あったが……赤の後継者の代表として、皆には礼を言わないとね」 そして互いの出した最後の条件は。 今までの遺恨を、忘れること。 遺恨の源、龍王ダイバは既に亡い。赤の一族はこれから空に旅立ち、お互い二度と会うことはないだろうが……だからこそ、無駄な遺恨を残したくはなかった。 それが、オルタとウォードの出した結論だった。 「で、これから、どうするんだ?」 いつもの戦棍がないのが手持ち無沙汰なのだろう。両手を無意味に遊ばせていた青年は、ウォードにそう問い掛けた。 その様子がおかしくて、ウォードはくすりと笑ってみせる。 「ふふ……まずは始祖の目的に従って、とりあえずのゴールを目指すよ」 箱船が創られた最大の目的は、七枚のディスクを創り出した『誰か』に出会うこと。彼らの住む約束の地、スピラ・カナンに至ることだ。 「その後は?」 その問いを待っていたのだろう。 ウォードは少し低い声で、ぶっきらぼうに言葉を放つ。 「そんな先の事なんか知るか。ゴールがあるなら、先を考えるのはそこに着いてからだ」 「……無責任だな」 ストレートな感想に、ウォードは軽く肩をすくめてみせる。 「君が言った言葉だよ? イシェファゾ・ムレンダク」 最終決戦のあの日。ミンミの問いに答えた、彼の言葉。 最初の和睦はただの打算だった。けれど、その答えを得た今、ウォードは本気でスピラ・カナンに至る気でいる。 先のことを、考えるために。 「……マジか」 あまりといえばあまりの答えに、さしものイシェにも笑顔が浮かぶ。 「ロード。そろそろ、時間です」 「ああ」 無口な者同士、別れの挨拶は短いものだ。それが永劫の別れであっても、悔いがなければ数分もあれば事足りる。 「君は良いのかい? フィアーノ」 艦橋へ上昇を始めたタラップで、ウォードは傍らの蝶族のビーワナへと問い掛けた。 「ええ」 呟く彼女が見上げるのは、はるか天空の一点だ。 「……幸せにね。ソカロ・バルバレスコ」 そこには浅緑の獣機と共にある、騎士の姿があるはずだった。 ココ王国所属、セルジラ内海軍・旗艦。 「メティシス。準備はどうだい?」 イシェを連れてレッド・リアから戻ってきた雅華が問いかけたのは、制御台に座る小柄な少女だった。 「獣機隊、配置完了しました」 前面の水晶盤には、レッド・リアを中心に円状に配備された獣機が光点となって記されている。 それが全て予定位置であることを確かめて、雅華は指揮杖を持つ手に力を込めた。 「障壁展開用意!」 放った叫びは通信機械を通じ、全ての獣機へ行き渡る。 「四番シーグルーネ、準備いいよ」 最初に返ってきたのは、妹の騎体。 「五番ハイリガード、完了だ」 それとほぼ同着で、歴戦の勇士の返事が来る。 「七番ドゥルシラ、準備おっけーだヨ!」 この戦いで桁外れの成長を見せた新人は明るく。 「十番。ネコさん、準備できたって」 伝説を受け継ぐ少女は穏やかに。 「六番グレシア、完了です」 「へへっ、メルに勝った!」 静かに正確な答えを寄越してきた娘に、茶々が入る。 「七番うるさいよ!」 「はーい」 思ったほどは成長していないのかな、とも思いつつ、雅華は苦笑。 「九番シスカ、八番カースロット。共に準備完了です」 無言を貫く戦士の分まで、その比翼たる娘が答えてきた。 残る配置は三つだけ。 「三番オルタズ、遅くなりました!」 数奇な運命を辿った獣機将と。 「二番ナンナズ、完了ですわ」 天命に導かれた獣機后と。 「一番イルシャナス準備完了。障壁本隊、一番から十番まで全て準備完了!」 最後に来たのは、全ての宿命を自らの手で斬りひらいた、獣機の王だ。 「補助出力部隊、全て問題なし。行けるぞ!」 フェーラジンカから来た支援部隊の報告を確かめて、雅華は指揮杖を振り上げた。 「総員、展開!」 鋭い声と共にレッド・リアを中心に十の光条が立ちのぼり、その間を光の壁が覆っていく。 ファランクスやストンスキンをはるかにしのぐ、バリアとかいう古代の防御壁だ。本来は獣機や箱船の防御用に創られたそれを、今回は壁代わりに使っているのである。 「障壁完成を確認。レッド・リア、浮上開始してください」 「了解した。我が姉妹」 セルジラ内海の中央。全長数キロの巨大戦艦が、ゆっくりと浮かび上がる。 放たれる力は水面を揺らし、やがてそれは巨大な津波となって辺りに広がっていく。バリアの内側では、激しい暴風も渦巻いているはずだ。 「障壁、問題なく稼働中。周辺への被害ありません」 だが、障壁の内側で荒れ狂う大嵐も、壁の外にある雅華の艦までは伝わってこない。 十体の獣機が見守る中、赤の巨大艦は高度を少しずつ増していき、いつしか見えない高さへと。 嵐が収まり、獣機達が障壁を解除した頃、通信機が最後の通信を受け止める。 「こちらシュライヴ。レッド・リア、高度百キロ到達。これよりフェアベルケンを完全に離脱する。そちらの被害はないか?」 「当方被害無し」 「了解」 音声を切り替える小さな音がして、ウォードの声が聞こえてくる。 「こちらロード・シェルウォード。皆の協力に、最大限の感謝を。ありがとう」 それに応じてメティシスも、雅華に通信を切り替えた。 「こちら雅華。ココ女王シーラ・テ・コーココとグルーヴェ女王オルタ・ルゥ・イング・グルーヴェの代理人として、貴艦の航海の無事を祈る」 短い返事があって、通信が切れる。 「赤の箱船との通信終了しました。……成功です」 そこまで言いきり、メティシスはふぅと肩の力を抜いた。 「全艦隊に通達。これにて、全ての作戦を完了とする!」 天へと消えていく巨艦を見上げていたのは、黒い影。 「皆様には挨拶をしなくて、良かったのですか?」 黒翼を広げた獣機の背で、そいつは静かに笑ってみせる。 「縁があれば、また逢う事もあるだろう」 「次はどこに? エノクにでも行きますか?」 小さくため息をついて、黒翼の獣機は翼をひと打ち。ゆっくりと円を描きつつ、主からの指示を待つ。 「久しぶりに国元に戻るとしよう……報告する事も、山ほどあるしな」 その言葉に円状の軌道を抜け、進路を東へ。 「……また寄り道をしなければいいけど」 「何か言ったか?」 「いえ。何も」 黒い翼は空に消え。 一枚の黒羽根が、ひらりと宙に舞う。 そして、巨艦の昇天を見上げる姿が、もうひと組。 「赤の箱船が昇っていく……月詠のままに」 呟く姿が、ひとりめ。 「誤差は?」 問う姿が、ふたりめ。 「月詠の通り、範囲の内に」 答える姿が、さんにんめ。 「ならば佳し」 ふたりめが満足げに呟いて。 「次の舞台は?」 次に問うのは、ひとりめだ。 「月詠の通り、ラシリーアに」 やはり答えるのは、さんにんめ。 「ならば佳し。月詠の通りに」 ひとりめも、満足げに。 「世界は、月詠の語るままに」 「月詠の語るままに」 ひとりめの言葉に、残る二人が唱和して。 その気配は、完全に消えた。 物語は、まだ、終わらない。 |