2.Welcome home dear…… 『それから……』 叩かれたドアの音に、オルタは走らせていた羽根ペンを止めた。 入るように促せば、姿を見せたのは四人の少女。グルヴェアに駐留していた、レヴィー家の四人組だ。 「あら、みんな。どうしたの?」 彼女達には、フェーラジンカの下で軍部の仕事を頼んでいた。主に獣機関連の調整業務だったが、先日終わりが見えてきたとの報告を受けていた。 「はい。こちらの仕事もひと段落したので、一度レヴィーに戻る事になりまして……挨拶に」 レヴィーにももう三ヶ月以上帰っていないはず。政務に復帰したレヴィー候の件もうやむやになっていると聞く。 「そっか……。ここも寂しくなるわね」 最後の戦いにいた顔ぶれでグルヴェアに残っているのは、彼女達が最後だった。 ここにいない皆も自分達のやり方でオルタを助けてくれてはいるし、獣機将の通信能力もあるにはあるが……直接顔が見られないのは、やはり寂しいものがある。 それに何より……。 「ソカロは……?」 メルディアの問いに、無言で首を振る。 ソカロ・バルバレスコ。 あの戦いのあった晩、彼も姿を消してしまったのだ。 ひと言の言葉も、一通の手紙も残さぬまま。 オルタも彼を探そうとはしたが、グルーヴェの復興に手を取られ、思うような成果が出ていないのが現状だ。 「空気読みなさいヨ、メル!」 沈んでしまったオルタを見て、イーファはメルディアの脇腹を軽く小突く。 「だって……」 「今のはご主人が悪いわぁ」 「グレシアまで……」 己の獣機にも見放され、メルディアは肩の力を落とすしかない。 「陛下! 家の事が片付いたら、すぐ戻ってきますねっ! それに、レヴィーでもソカロのこと、探してみますから!」 「……ええ。楽しみにしているわ」 つとめて明るく振る舞うイーファに、オルタも弱々しいながらも笑顔を浮かべる。 そこに姿を見せたのは……。 「……陛下」 「あ……」 男の姿に、メルディアは思わず視線を逸らす。 「どうしました? レヴィー候」 メルディアの雰囲気を読んだか、イーファは軽く会釈をひとつ。 「それでは、アタシ達はこれで……」 下がろうとした所を止めたのは、他ならぬメルディアの父親だった。 「お前達も聞いていなさい。構いませんか? 陛下」 「それは構いませんが……何ですか?」 レヴィー候の担当は、政務のはず。イーファやメルディアは軍務の担当だから、仕事の話ではないのだろう。 故郷に戻る挨拶だけなら、わざわざ引き止める必要はないはずだ。 「実は……」 半ば崩れた掘っ建て小屋の片隅で。 男が開いていたのは、箔押しの古書。半ば程まで読み進めた所で、気配を感じて視線を上げる。 「読書中のところ申し訳ない、ソカロ君」 慇懃な礼を寄越したのはカエル種のビーワナだ。聖痕の発現が強くカエルそのものの顔をした彼は、会ってふた月になるソカロにも感情を読み取る事ができなかった。 「何、ロイ?」 「君に来客だ。ルパートが連れてきた」 ルパートも、ロイと同じくカエル種のビーワナだ。 「この子が君に会いたいと」 ぺたぺたと特有の足音を立てて表に出、部屋の外にいる誰かを招き入れる。 現われたのは、一人の少女。 「……ソカロさん……」 青年の姿を見定めた大きめの瞳に、涙が浮かび……。 駆けだした次の瞬間には、その胸元に飛び込んでいた。 「ああっ! 会いたかった、会いたかったよぅ……」 ソカロの手から古書がこぼれ落ち、読んでいたページの位置さえ分からなくなるが……唐突な展開に、それどころではない。 「気持ちは分かるが、まぁ落ち着き給え。オルタ君」 「ちょっ、待っ……俺、君とは初対面なんだが……」 ロイの言葉にようやく落ち着いたのか、オルタはソカロの胸元からそっと離れ、目元に浮かんだ涙を拭う。 「あぁ、ごめんなさい、お父さんに会えて感激して……」 「……お父――俺が!?」 その瞬間、椅子の上から男は崩れ落ちた。 「……あ、卒倒した」 殺人現場のようになってしまった部屋の中。 人の数は、先程の倍ほどになっていた。 「……誰ですか。記憶のない相手にはショック療法が一番だって言ったの」 倒れたままのソカロに膝枕をしてやりながら、グルヴェアの女王はため息をひとつ。 「前に文献で読んだのだけど……ダメだったみたいですね」 そう言って肩をすくめるのはメルディアだ。 記憶の喪失は、超獣甲の代償である。強い力を振るえば振るうほど、失われる記憶は深く、大きくなっていく。 双方が交わりを深め、超獣甲に慣れていけばその影響を減らすことが出来るのは、使い手達の経験から分かっていた。だから、ロゥやイーファ達は、決戦の後も致命的な記憶の欠落は起きていない。 だが、オルタとソカロが超獣甲を行ったのは、あの決戦が初めてだった。 ロイやルパートの話によれば、今のソカロは過去十数年の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだという。 「まったくもぅ……」 ため息を吐きながらも、青年の寝顔を見つめるオルタの表情は穏やかなもの。ほんの一刻前、王城での昏い面影は、どこにもない。 「でも、抱きつけてちょっと嬉しかったでショ?」 にこにこと笑うイーファの問いに、オルタはきょとんとするが。 「……ちょっとだけ、ですよ?」 そう呟き、小さく頬を赤らめるのだった。 ソカロが目を覚ました時、目の前にいたのは見知らぬ少女だった。 「……気が付きましたか?」 「ああ……君は?」 目覚めぬ意識を呼び起こしながら。自分が少女の膝枕で眠っていたことに気付くまで、それほどの時間はかからない。 「どうか、そのままで」 慌てて膝から離れようとするが、少女に制され、頭の位置はそのままに。 「オルタと申します。先程は失礼しました」 優しげな少女だ。穏やかな物腰と芯の通った確かな声は、気高い誓いを立てた聖女か神官のように、ソカロには思えた。 「オルタ……君? いくら俺に記憶がないって言っても、君みたいな大きな子はいないと思うん……だ……」 この十年来の記憶は全くないが、ソカロ自身、三十には届いていないだろうと思っている。十台での結婚も普通のフェアベルケンだが、それでも二十前の娘がいるにはやや若すぎる気がした。 のだが……。 ソカロの頬にぽたりと落ちるのは、冷たい雫。 オルタの、涙。 「ごめん。何か俺、酷いこと言った……?」 慌て気味のその言葉に、あふれる涙を拭うこともなく。オルタは静かに首を振る。 「いえ……貴方が生きていてくれたのが、嬉しくて……」 膝から持ち上がった頭をそっと抱きしめ、オルタは青年の額に柔らかな頬を触れ合わせた。 「……おかえりなさい」 |