12.テラダイバー・リキオウ 現われた姿に、ミーニャは思わず息を飲んだ。 「青い光の巨人……」 光に包まれた姿は、先程までの老爺の姿ではない。分厚く強靱な筋肉に覆われた、無貌の巨人。 大きさは獣機ほどのはずなのに、迫り来る威圧感はその体躯を数倍の大きさに見せている。 「テラダイバー・リキオウ。龍王様の本当の姿やね」 右手に輝く円盤は、無限の力の象徴だ。 その力を以てリキオウは龍王となり、フェアベルケンの十万年を支えてきた。 絶対正義の名の下に。 「あれが……」 青い巨神を取り囲むのは、赤の箱船レッド・リアと、世界を護る三体の獣機王。 いずれもフェアベルケン最強の一角だ。まともにやり合える相手など、そうはいないはず。 「強いで」 しかし、それを相手にしてもなお、獣王の余裕は崩れない。 「連中も、勝てるかどうか」 「……こっちに勝って欲しいみたいな言い方ね」 「そりゃ、どうやろな」 けれど獣王は、ベネの問いにもいつもの崩れた笑みを浮かべるだけだ。 その表情のまま、拳を握り、脚を曳く。 「さて。なら、こっちはこっちで続けよか」 「ええ」 シューパーガールも拳を構え。長い息を吐けば、光が両手を包み込む。 獣王の態度には、迷いも驚きもない。それが当然というふうに、視線をまっすぐ突き付ける。 「まだ続ける気なのかい?」 呆れているのはベネだけだ。 「当ったり前やろ。自分らに加勢に行かれても面白うないしな」 シューパーガールは疲労困憊、ベネに至っては武器がない。そんな彼女達が行ったところで、何の力にもならないだろうが……。 かといって、素直に通す気になれるはずもない。 「なら、あなたを倒してその先に行く!」 「それでええ! 来ぃや!」 二つの影が走り出し。 神々の戦いの始まりを告げるのは、打ち込まれた拳の轟きだった。 「あー」 巨神の足元で繰り広げられる光景を遠巻きに眺めながら、赤い法衣の少女はため息をひとつついた。 「……どうした? ミンミ」 傍らにいるのは長身の青年だ。肩に戦棍を引っかけて、こちらも超常の光景をぼんやりと眺めている。 「いやぁ。三大獣機王にレッド・リア、超獣機神まで揃い踏みとはねぇ……」 周囲には先程までの戦いの残滓、小さな炎があちこちでくすぶっていたが、それだけだ。激突そのものはレッド・リアが起動した時点で終わっていた。 「フェアベルケンを余裕で百回ぶっ壊せるメンツよ。こっちの負けは確定っぽいなーと思ってね」 ミンミの殺気は既に無い。渦巻く膨大な魔力もなりを潜め、そこにいるのはただの一人の女の子だ。 少なくとも、見た目だけなら。 「イシェファゾ、だったかしら?」 「おう」 問われたイシェは、短く答える。 「シューパーガールには悪いけど、あたしは逃げるわ」 龍王の魔力も暴走を始め、こちらに構う余裕はないだろう。イシェを倒した所で得るものはないし、オルタ達と手を組んだレッド・リアにも手を出すチャンスも無さそうだ。 「そうか」 イシェとて、ミンミと戦うのは降りかかった火の粉を払うためだけに過ぎない。逃げられたところで、何の問題もなかった。 後でゴーグルを掛けた少女には責められるかな……とも思ったが、それはその時に考えればいいだけの話。 「今度会うときは、きっと敵でも味方でもないはずよ。その時は、ゆっくりお話しましょうね」 そう笑った少女のまわりに浮かぶのは、無数の魔法陣。けれど、どれも破壊の気配も地獄の焦熱も孕まない。彼女得意の、長距離転移の魔法陣だ。 記号の群れが淡く輝き。 「それじゃっ!」 消える瞬間、ミンミはぐっと背を伸ばし、イシェの頬へと軽く唇を触れ合わせた。 「っ!?」 気付いたときにはもう遅い。既に少女の姿は無く、一陣の風が吹き抜けるだけ。 「…………なんだったんだ」 柔らかな感触の残る頬に触れ、イシェはぼんやりとそう呟いた。 世界を震わせるのは、力と力のぶつかり合い。 蒼い風が波濤を切り裂き。 紅い炎が高圧を灼き尽くし。 碧の閃光が海簫を貫いても。 青の巨神は、一歩も退かぬ。 激突に生まれた衝撃の余波だけで、山の形は変わり、不落の要塞と謳われたアークウィパスは崩されているというのに。その数倍、数十倍の力をぶつけ合っても、四柱の神は微動だにしない。 「無茶苦茶だな……」 戦いを見上げつつ、クワトロが呟いたその時だ。 余波のひとつが、来た。 「くっ!」 普段なら回避できるそれも、傷だらけの体では反応しきれない。獣機神なら身をそよがせるだけのそれも、生身のクワトロには致命の一撃だ。 しかし、その必死の衝撃はクワトロには届かない。 「大丈夫?」 目の前に張られた光の壁。 「あ、ああ……」 コーシェの結界に、遮られて。 (これ以上は、どうにもならんか……) 獣機のないクワトロでは、戦力にはならない。仮にラピスがあっても、獣機神達の戦列に並べたかどうかは分からなかったが。 後方に下がろうかとも思ったとき、脇にいた小さな影が立ち上がる。 「それじゃ、ちょっと行ってくるよ」 軽く手を振れば、現われるのは光の粒子。 「待て、マチタタ!」 「待てないよ。だって、あいつを倒さないと、姫様が困るんでしょ?」 ゆらゆらと揺れる光の粒が、ようやく大斧の形を整えた。オーバーイメージの実体化にかかる時間が、彼女の限界が間近である事を示している。 「そりゃ、そうだが……」 「全力で行けば、もう一発くらいは撃てるよ」 よ、と口にして斧を肩に担ぎ、マチタタ。 普段なら羽毛の如く扱うそれも、今は気を入れなければ持ち上げる事さえ叶わないというのに。 「……そうか」 彼女は、戦いに赴くというのか。 「なら、俺もやるべきだな」 青年も呟き、立ち上がる。 その懐にある、最後の切り札にそっと指を触れさせて。 それは、信じられない光景だった。 「……押されてる?」 四対一の戦いは、一の側が優勢だった。 「嘘! だって、レッド・リアはこっちにいるし、イルシャナ様も戻ってきてるんでショ? 龍王はたった一人なのに……」 四の側の連携が悪いわけではない。軍で戦技の訓練を得たイーファでなくても分かるほど、統率の取れた攻撃を見せている。 四の側に力が足りぬわけでもない。放つ斬撃の一打一打が、山を砕き、海を割るほどの力を持っている。 まともな相手なら、たとえ数万の大軍であろうとも、数秒と保たぬはず。 それだけの圧倒的な力を受けてなお、一の側は揺らがない。 「それほど、本気の龍王が強いという事でしょう」 もはや、人の領域の戦いではなかった。メルディアも超獣甲で常人以上の力を得たとは言え、その程度では及ぶべくもないだろう。 「……もう一手。いや、二手欲しいか」 呟いたのは、銀髪の娘を脇に置いた隻腕の巨漢だった。 既に血色の甲冑も、兎の仮面もない。比翼となるべき獣機の娘も力の大半を使い果たし、男の膝の上でくぅくぅと寝息を立てている。 「策があるのか? ドラウン」 「獣王から聞いた、一手ぶんはな」 ロゥの呼んだ名を否定する事もなく、巨漢はその名を静かに告げた。 「……超獣機神だ」 風が吹く。 炎が灼く。 大地が唸る。 それだけの力を受けてなお、大海の波濤は揺るがない。 「ち……っ!」 レアルの放った重力の枷がダイバを縛り、ソカロとヒューロの斬撃が両腕を斬り飛ばし。 ウォードの炎がそれを焼き尽くしてもなお。 「そんなものか! 獣機の王達よ!」 次の瞬間には龍王は両腕を構え、波濤の衝撃を叩き付けてくる。 無限の命を孕む青のディスクは、その程度では揺らがない。 「終わんねえぞ、こいつ!」 もう何度目かの瞬間再生を目の当たりにし、ヒューロは悲鳴じみた叫びを上げる。 「終わらないなら、終わるまでやるだけだよ。爆炎っ!」 ソカロの作った一瞬の隙を突き、ウォードの炎がテラダイバーを包み込む。 煉獄の炎で血肉を灰と化し、巨大な左手で打ち払ってもなお、無限の命がその無限を失う事はない。 「不意打ちならともかく……その程度が通用すると思うな!」 「くっ……!」 放たれた衝撃に、千メートルの巨神が揺らぐ。 その一撃で延ばされた右腕。 生まれた千分の一秒の隙に現われたのは。 「……むっ?」 巨大な斧を全身で振り上げた、小さな娘の姿だった。 「でええええええええええいっ!」 純然たる力の一撃が、無限の大海に叩き付けられる。 一撃目は、成功した。 カートリッジリロード。 「コーシェ、光で行く! いいな?」 トリガーに指を掛け、クワトロは叫ぶ。 「はいっ!」 ラピスから預かったハンドガンは、己の内から無数の部品を展開させて、両手持ちの大型銃へ。 魔力充填完了。 カートリッジイジェクト。 駆け巡る魔力が、全身を引き裂くのが分かる。 「行くぞ!」 本来ならラピスの超獣甲をまとって使うべき武器だ。生身で使えば、どれだけの反動が来るのかなど想像もつかない。 だが、マチタタの一撃を確実な一手へと繋げられるのは、これだけだ。 タイミングは少し早め。 着弾を考えれば……。 「その連携!」 トリガーに力を掛けたその時だ。 「少し待ってもらおう!」 クワトロの両脇を駆け抜けるのは、二つの風。 赤い血風と、銀の烈風。 その一瞬とひと言で、砲手は全てを理解する。 「コーシェ!」 「はい!」 幼いながらも歴戦をくぐり抜けた、術士も同じ。紡ぐ言葉は既に切り替え済みだ。 「なら、行けぇぇぇぇぇっ!」 両手で構えた大型銃が放つのは、直視も出来ぬ閃光の渦。傷口が開き、光の中に赤いものが消えていくが、クワトロはそれを構わない。 「ドラウン様!」 「応っ!」 戦斧の重い一撃に連なるのは、クワトロの銃撃ではなく、さらなる重さと力を持った大剣の剛撃だった。 「闇よ……」 光に昇華されるはずだったマチタタの一撃は、奈落に至る闇を生み出し。歪みに連なる剛撃が、重打の限界を突破する。 「はああっ!」 同時に放たれたシェティスの連続の突きは、大気を穿ち、閃光の渦を導く標となる。 そこを抜けたクワトロの砲撃は、より強い加速、より激しい輝きを得て、純然たる光の力へと換わっていく。 「光よ……」 コーシェの傍ら、黒衣の青年が崩れ落ちるが。 「コーシェ! 見るな!」 耳元に響く少年の声に答える事もなく。 少女はそちらに意識を揺らさない。 「付かず、離れず……」 広げられていた両手が、ひとつに重ね合わされて。 「一つに……」 生まれた闇に大剣をへし折られたドラウンが。 落ちていくマチタタを拾い上げたシェティスが。 崩れ落ちたままのクワトロが。 『還れッ!』 叫んだその時、全てを零に転ずる力の嵐が、龍王を巻き込んで渦を巻く。 「無属性連携か……」 全てを呑み込む無色の渦に、ソカロは静かに呟いた。 光と闇を統べる、闇すら呑み込む奥義の極み。綿密に構成された連携ならともかく、ここまで桁外れのアドリブで見るのは初めてだ。 「やった……のか?」 直撃を受ければ、獣機王とて無事では済まないだろう。この一撃が届かなければ……。 「あれで倒せる相手なら、苦労はしないよ」 しかし、響くのは冷たい少年の声。 「爆炎っ!」 上空から放たれた無限の炎が、無色の渦に吸い込まれていく。 既に連携も形を失い、渦はその回転を緩めつつあった。 「……まさか」 渦の内から響くのは、魂を震わす咆吼。 そして、尽きる事なき戦いの意志。 王の気配は、絶えていない。 「ヒューロ! 続いて!」 その姿を見定めた瞬間、レアルはその場から加速する。 「あ、おい、ちょっと待てってば!」 レアルの動きに半歩遅れ、ヒューロも風をまとって渦へと飛翔。破壊を尽くした無色の渦は、既に力を失ったのかこちらに何のダメージも与えない。 「イルシャナ様。レベル3、行きます!」 その中心に叩き付けられた一撃は、黒い霧をまとった斬撃だ。レアルの使う重力の力ではない。それ以上の黒、純然たる闇の一撃。 「ナンナ。こっちも行くぞ! 全開!」 放たれた風も加速に次ぐ加速。やがて光をまとい、輝く波へと昇華する。 「エミュ!」 「火照ちゃん……力、少しだけ借りるね」 獣機王を包む紅い炎が一際強く燃え上がり。 現われた少女の姿が、光に包まれた右手と、闇を掴んだ左手を、強く強く打ち合わせる。 「一つに……還れッ!」 力を失いかけた無色の渦が、新たな渦に巻き込まれ。 龍王の再びの咆吼すらも、その内へと吸い込まれていく。 |