14.焔神の懐で 刻は、いくらか巻き戻る。 「ミーニャ、どこ行っちゃったんだろ……」 ぼんやりと呟いたのは、ネコを連れた少女だった。あたりを見回し、困ったように首を傾げてみせる。 目の前は分岐路。 通ってきた道も、無数の分岐。 複雑な構造を持つ鋼の回廊は、完全な迷路と化していた。一緒に潜入したクマ族の娘も、迷路を進むうちにはぐれてしまったのだ。 「ま、いいか。きっと無事だよね」 何となくそう呟き、再び歩き出す。 方向感覚はとうに無い。己の勘と経験を信じて、ただただ前に進んでいく。 やがて通路の先に、光に包まれた出口が見えて……。 「……ここは」 「……街!?」 目の前に広がる光景を見て、ロゥは自らの目を疑った。 「何だこりゃ……」 街、である。 石のような材質で建てられた無数の家が整然と並んでいるのだ。誰が見ても、きちんとした都市計画に基づいて建てられた街だと分かるほどに。 「ねえ、これ……」 敵の本拠地だと決死の覚悟で潜入した場所に街があるだけでも十分に異常だったが、それに輪を掛けて異常なのは、地面だった。 「壁や天井にも街があるって……」 まさにそうとしか言いようがない。なだらかな軌跡を描いて上向きのカーブを描く壁にまで、住宅街が張り付いているのだ。天井を見上げれば、たなびく薄雲の向こう、弧を描く壁の果てにも街の影が見える。 球の内側ではない。円筒の内周全てに、街が張り付いているといえば良いか。 「グレシア、これは……」 「街やな」 当然のような言葉に、さすがのメルディアも表情を険しくする。 「そんなの、見れば分かるわよ」 視界に映る構成がおかしい事を除けば、ごく普通の街だ。街路沿いに進んでいけば広場に辿り着くし、広場の中央には噴水まで置いてある。 「グルヴェアよりも手が入ってるかもね」 塔の立ち並ぶ王都を引き合いに出し、イーファは呟く。 ただ一つ違うのは、人間の気配がしない事だ。塔の街、王都グルヴェアよりも広い敷地には、誰一人として住民がいないらしい。 正しく、ゴーストタウンとしか言いようがない有様だ。 だが。 「箱船の中に街があるのが、そんなに珍しいか?」 声と共に、無数の気配が浮かび上がる。 広場を取り囲む建物の中から。 広場から伸びる裏道の影から。 そして、音もなくせり上がる地面の底から。 黒い鎧の騎士達が、音もなく姿を見せる。 「ちっ……囲まれたか」 ただ気配を消していただけではない。せり上がる床、回る壁、レッド・リアの市街地そのものが、彼らが隠れる武器となっている。 見える場所全てを埋め尽くす黒鎧の騎士は、百体はくだらないだろう。 「道を拓く。グレシア、方向はこっちでいいか?」 その鎧の群れを見据えたまま、ロゥはハイリガードを片手で抱き寄せた。普段は拳を返す娘も、今日ばかりは拒む様子もない。 敵の動きを真剣に見つめ、主の声を静かに待っている。 「ああ」 彼女が示す先は、敵の最も厚い場所。 レッド・リアに侵入した時、グレシアは付近の壁から地図を手に入れていた。ロゥ達には分からない仕掛けだったが、今まで迷わずに来られたのは彼女の導きによるものだ。 その彼女が正面と指すならば、そこが目的地なのだろう。 「なら……」 短い声と共に、少年は白き鎧をまとう。突撃戦に向く重矛を正面へと構えれば、黒い異形達も応じて構えを取りなおす。 生まれるのは静寂。 張りつめる、緊の糸。 往くぞと少年が続ければ、全ては堰を切ったように動き出すだろう。 まさに少年が言霊を放とうとした、一瞬。 「みんなは先に行っていいよ」 言葉を継いだのは、メイド服の少女だった。 「マチタタ?」 どこか気の抜けた言葉遣いにも、張りつめた糸は緩まない。 「あたしはこんな所に用はないからさ。みんな、何か用があるんでしょ?」 少女がどこからともなく取り出した大斧を目にして、緩もうはずもない。 どこからか。ちゃき、と長剣を構える音が鳴る。 「……分かった。行こう」 「ソカロ!?」 その音に緊張の限界を悟った長身の青年は、静かに呟いた。 「そうね。時間もないし」 「メルディア!」 導き役を連れた少女も、言葉に応じる。 「行くぞ、イーファ」 「ロゥ、アナタまで!?」 最後の綱と頼んだ鎧の少年までもが、ネコ娘の提案に諾の意を示す。 「イファ。貴女も」 従者の言葉に首を振り、代わりにイーファはたしなめる少女を抱き寄せた。 「なら、アタシは残る! マチタタ一人にこんな大役任せられないでショ!」 その決意の声と共に、糸が切れた。 フォルミカの群れが一斉に動き出し、広い街路を黒く埋め尽くす。 「邪魔なんだけどなぁ、そういうの」 呆れたような言葉と共に放たれるのは、大振りな衝撃波だ。街路を真っ直ぐ進む破壊の波は黒鎧の騎士達をまとめて呑み込み、戦場に道を創り上げる。 ロゥがその気を逃すはずもない。第二波の破壊に身を隠すよう、重矛での突撃を開始する。その後に長身の青年が白いコートをひるがえして続き。 「なら、二人に任せるわ。ドゥルシラ、地図は受け取っているわね?」 「はい。大丈夫ですわ」 とはいえ、地図が無くとも渡す暇などない。ドゥルシラの答えを聞くよりも迅く、弓を構えた少女はソカロに続いて走り出す。 「グレシア! 何でアタシに聞かないの!?」 もちろん、イーファの声が届く頃には黒の大波の中に姿を消している。 「もう。ドゥルシラ、超獣甲!」 「……はいはい」 むくれたような表情のまま、イーファは細身の甲冑をまとった。甲冑に近しい意匠を持つ細槍をくるくると回し、襲いかかる無数の太刀を端から叩き落とす。 連続。 半歩進み、槍を振り抜く動作で体勢の乱れたフォルミカを三体ばかり薙ぎ払った。 バックステップを一つ踏めば、背中合わせになるのはイーファよりもさらに小さな背中。 「えーっと、イーファだっけ? あたし、あんまり周り見ないで攻撃するから、巻き込まれないように気を付けてね」 「その必要はないデショ」 既に敵は全方位。振れば当たる位置にある。 「みたい、だね」 無造作に衝撃波を放てば、家が吹き飛び、それに混じって黒い影が宙を舞う。 逆方向では、嵐の打突がやはり街路に無数の破壊を連なり穿つ。 赤き箱船の内。百対二の乱戦が、始まる。 黒い群れを振り切った三人は、疾走を続けていた。 箱船内のフォルミカ達は獣機を持っていないらしい。獣甲の機動力を以てすれば、振り切る事など造作もない。 「あっちや!」 グレシアの導きに角を曲がれば、その先にあるのは垂直にそびえ立つ巨大な壁と、数名の黒鎧の騎士。 正面の壁には建物は張り付いていなかった。どうやらここが、円柱の底面にあたる場所らしい。 「ソカロ。この先は……」 残り数百メートルを低く翔びながら、メルディアはふと、言いにくそうに呟いた。 「ああ。こちらは心配するな」 少女の考えは既に分かっていたのだろう。ソカロは短く応じ、獣機をまとう二人の加速に追いすがる事に集中する。 「俺が案内すればいいだろ?」 「…………まあ、そうだな」 軽く応えるロゥに対する返答にあるのは、わずかな間。 「ハイリガードじゃ心配なのは分かるが、任せとぐはぁっ!」 その瞬間、地面スレスレを翔んでいたロゥが一瞬で失速。触れた地面にバランスを奪われ、派手な錐揉みをかまして地表の上を二転、三転する。 「誰じゃ心配だって!?」 苛立ちと共に鎧から響くのは、気の強そうな少女の声。 ふわふわと頼りなく浮き上がった少年の顔は、顔面着地でボロボロになっていた。 「ははは。頼りにしているよ……」 派手なスキンシップに青年が苦笑した時だ。 正面の大壁が、内側からはじけ飛んだ。 「……何!?」 黒鎧の衛兵を巻き込んで飛翔する瓦礫を大きな物は避け、小さな物は受け流して、三人は適度に散開。 巻き起こる砂埃の中へと目を凝らす。 「何だ……ありゃ」 内側に見えるのは、巨大な『何か』だった。 全高は十メートルほど。獣機よりやや小さい程度……だが。 煙の中にあるシルエットは、間違いなく異形のそれ。獣機の動きでも、魔物の動きでさえない。巨大な芋虫の蠕動運動に似たその姿は、獣機をはるかに凌ぐ質量とパワーを感じさせる。 「通しはせぬぞ。ロゥ・スピアード」 晴れていく砂塵の中、響く声。 「こいつ、何で俺の名前を……!?」 現れた巨大な異形の姿に、言葉に、先陣を切る少年は息を飲む。 「我々が貴公らの事を知らぬと思うか? 幾度となく相見えた、この我々が」 女の声で語るのは、巨大な芋虫の先端から直接生える女の上半身。 「その言い方……まさか」 我々。 自らの事をそう呼ぶ者を、ロゥは一人だけ知っていた。いや、一人……と呼ぶべきかは、迷う所であったが。 しかし、その者はどう見ても男。目の前の、女の性を持つ生物ではない。 「アルジオーペらが頼りにならぬ以上……貴公ら全て、ここで我々が倒す」 ロゥの逡巡など意にも介さず、女王フォルミカは構えを取る。周囲を固めるのは、彼女の子供であり分身である、無数の騎士達だ。 その体勢を見て、ロゥは思考を叩き斬る。 「させるかよ、フォルミカ!」 言葉の代わりにこちらも構え。後ろを走るコートの青年に向け、声を放つ。 「悪い、ソカロ。この先は一人で行ってくれ」 「ロゥ……」 メルディアとソカロには揺るがぬ目的がある。 「次は俺が止める番だろう。行け!」 そのフォローをするためのイーファであり、マチタタであり、彼なのだ。 イーファとマチタタは道を切り開いた。 ならば、今度は彼の番だ。 「分かった!」 戦場を突き進む一団は二手に分かれ、それぞれがさらに加速を開始する。 百対二の戦場に、緊迫感のない声が響き渡った。 「ちょーひっさつー」 続くのは、鋭さと強さを持った声。 「超獣甲弾丸ッ!」 大地を穿ち進む破壊の衝撃が黒鎧の騎士を呑み込み、着弾点はさらなる爆裂に覆われる。 二つの破壊を逃れた騎士達に襲いかかるのは、弧を描く剛力の一撃と、直線に進む素早さの一撃だ。 残る敵は三十を切った。別れた仲間に振り切られ、戻ってきた敵を加えても、だ。 「……違う」 肢体を駆け巡る熱さに大きく息を吐き、少女は呟く。 「何が?」 「さっき、メルディア達と使った合体技みたいなカンジじゃないなぁ……って」 どちらの時も放った力は全力だ。それは間違いない。 しかし、今の一撃には、何か足りない感覚がある。それもまた、間違いのない事だった。 「へー」 興味なさそうに応えるのは、大斧を無造作に駆る娘。大振りに放つ斬撃にときおり波濤の渦が見えるのは、暴走するイーファの力を吸い上げているからだ。 「ま、いいんじゃない? 敵はいなくなったんだし」 が、と斧を下ろせば、既に周囲に敵は無い。体の内に残る余剰な力を数度の素振りで発散させておいて、マチタタは大斧を元の光へと還元させた。 「そうなんだけどさ……」 呟くイーファも既に獣甲を解き、ドゥルシラを傍らに置いている。全力を振り絞った後だ。頬は軽く上気し、息も僅かに荒い。 「じゃ、行こうか」 「ちょ、ちょっと待ってヨ」 そんなイーファを気にせず進もうとするマチタタを慌てて呼び止めた所に、その声は来た。 「暴れてる侵入者がいるからと来てみたら、貴女達だったの……?」 今度は百体の騎士ではない。 たった一人の、妖艶な美女。 「蜘蛛女の人か。この間みたいに、危なくなったら逃げるの?」 「今日はレッド・リアの中だし、逃げるわけにはいかないわねぇ」 三対、六本の腕それぞれに武器を構え、あるいは印を結び、美女は静かに嗤う。 「イーファ。先に行って良いよ」 「でも、アナタ」 軽く言うネコ娘に、イーファは思わず問い返す。 マチタタは地図を持っていない。ここで別れたら、二度と合流できない可能性がある。 それでなくとも敵陣の真っ只中なのだ。単独で残るという事は、そのまま死に繋がると言っていい。 「ちょっと借りがあってねー。倒したら、すぐ追い掛けるから」 その手には既に大斧が握られている。先程百体の敵を相手にした事など無かったかのように。疲労の色一つ感じさせない、その容姿。 「ああ、そちらの彼女にもお相手は用意しているから、気にしないで」 アルジオーペがそう言った瞬間、蜘蛛女の左右の空間が歪み、爆ぜ割れた。 三対の腕を持つ美女の左右。完全に対称な動作で礼を返すのは、同じ衣装を身にまとう、同じ顔の女。 「……コルベット公!?」 右と左。対称に下げた剣帯から対称な動きで長剣を引き抜き、同じタイミングで剣環を凛と鳴らす。 「「ええ。宜しくね、イーファ・レヴィー」」 イーファが超獣甲をまとうよりも迅く。 対称の美女は大地を蹴り、容赦ない斬撃を叩き込む。 |