6.歴史の抑止力 その夜。 穏やかな夜風の吹くテラスに、メルディアの姿はあった。 「ご主人。寝えへんのか?」 「寝られるわけないでしょ?」 夕食の後にノートの内容をイーファ達に語り、読み切れなかった所を読み終わって、ようやく寝間着に着替えた所だ。 「全く。何て物を見せてくれるのかしら、貴女達は……」 ノートの大半は獣機や箱船などの技術に関する研究成果だった。 しかし、残る半分。 そこに書かれた事は、恐るべき真実だった。 「だから聞いたやろ? 『世界の全てを敵に回す覚悟があるか』って」 「冗談だと思ったのに、まさか本当だとはね……」 全てを読み終わった今なら、ドゥルシラの言葉の意味も理解出来る。 この真実に自力で至れば、メルディアでさえ歴史の表舞台から姿を消しただろう。 「歴史の抑止力……『フェアベルケンの絶対正義』か」 真実の欠片を、ぽつりと口に出してみる。 正義。 他愛ないその単語の本質がこれ程恐ろしいものだとは、想像した事も無かった。 「謝っても、許してくれそうにないわよねぇ」 「無理やろうな」 わざと茶化した言葉に、グレシアも苦笑。 「獣機の神の絶対波濤。空さえ覆うその一撃に抗えるのは、空断つ牙の一撃のみ。神超える力の名は……」 超獣機神。 正義に抗う希望となるのは、ノートにも記述があるだけの言葉。それが一体どんな力なのか、ドゥルシラ達さえ知らないという。 その正体を知るのは、レヴィー候しかいない。 彼が姿を消したのは、その力を探す事も理由の一つだったのかもしれないが……。 考えれば考えるほど、深みにはまっていく。 「後は、本人に聞くしかない、か」 今は同じ道を歩いているのだ。足跡が辿れる以上、追い付く事も出来るはず。 「そうだ、グレシア」 不安や暗い考えを打ち払うように、メルディアは口を開いた。 「何や?」 「今晩、一緒に寝てくれる?」 唐突にこぼれ落ちた言葉に、侍従の娘は苦笑する。 「何や。イファやあるまいし、可愛らしい事言うなあ」 「何? イーファもドゥルシラと一緒に?」 「みたいやで」 晩に話をした時は深刻な表情をしていたし、ありがちな展開ではあるが……。 「……まさか、ロゥもハイリガードと?」 「いや、ロゥは冗談で言ってボコボコにされとったみたいやけど」 目に浮かぶほど分かりやすい光景に、はぁとため息を一つ。 「……全く、緊迫感の無い連中ね」 どこか微笑ましい反面、こんな連中と世界の全てを敵に回すのかと思うと、情けなくもなる。 「じゃ、寝る支度をなさい、グレシア。明日は早いわよ」 いずれにせよ、賽は投げられたのだ。後はもう、行ける所まで行くしかない。 「はいはい」 まずはグルヴェアに戻り、コルベットや赤の後継者との決着をつける事だ。 塔の街、グルヴェア。 それは王城でも市街であっても変わりない。 「コルベットが着くまで、あと三日か……」 市街の塔の一つ、かつてリーグルー商会だった場所で、白いコートに身を包んだ男は静かに呟いた。 リーグルー商会はココに避難し、今は誰も残っていない。他の大きな店も軒並み同じような状況で、いまだに営業しているのは逃げるアテがないか、義勇兵が小銭稼ぎに開けている店だけだ。 「見つかりそうか?」 あえて主語を出さず、棍を提げた青年はそう問うた。 「ああ。だいたい目星は付いた」 そう呟いて懐から取り出すのは、一枚の地図だ。 軍部と革命派の決戦から三週間が過ぎている。以来、コートの男は、ただ一つの情報を求め、グルヴェアの街中を歩き回ってきた。 「流石だな」 地図には無数の書き込みが施され、棍の男が手渡した時とは全く別の存在と化している。 その中に一際目立つのは、赤く示された七つの点。それが男の言う『目星』なのだろう。 「後は、決め手だけか」 相手がこのグルヴェアにいる事は間違いない。 「連中は三日後に必ず動く」 それも間違いない。 コルベットの襲来により、王都は未曾有の混乱に包まれるだろう。それが赤の後継者達にとって絶好の機会になる事は、想像に難くない。 「ああ。それまでに、どこまで絞り込めるかだな……」 可能性はあと七つ。一人で見張るには、やや多い。 「手伝えなくて悪いな」 各地で頻発する赤い泉の復活に、軍部派は深刻な人手不足に陥っていた。革命派からの連絡役であるベネンチーナでさえ、最近は泉討伐に駆り出されている有様だ。 だが、その討伐隊も徐々に帰還が始まっており、対コルベットの陣容を整えつつある。 「いや、こちらにも少々ツテが出来た。何とかやれそうだ」 「そうか。なら、頼むぞ」 去り際、イシェは男の名を呼んだ。 ソカロ・バルバレスコ、と。 |