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5."そこ"にある真実

 がたがたと、荷馬車が揺れている。
 グルーヴェ南方はコルベットの進軍で大騒ぎになっているが、その反対、ココに通じる北方の街道は、驚くほどにのどかだった。
 大半の避難民は北方の各地に散っており、遠く離れたココまで逃げる者はごくわずかだったからだ。
 殊にリーグルー商会には行商や隊商の経験者も多い。出発時も移動中も、気味が悪いほどに何の問題も起きていなかった。
「んー。良い天気だねぇ」
 山積みにされた荷物の上、クマ族の少女は小さなあくびを一つ。
「お姉ちゃん」
 傍らにいるのは猫を連れた幼子だ。
「んー?」
 あくびで浮かんだ涙を拭いながら、少女の問い掛けに生返事を返す。
「お姉ちゃんは、ミンミを追わなくて良いの?」
 その一言に、ミーニャの動作が凍り付いた。
「ワ、ワタシ、ボンバーミンミナンテシラナイヨー?」
 残るのは沈黙。
 沈黙。
 沈黙だ。
 がたがたと揺れる馬車の上、どちらも口を開かない。
「……ごめん。良かったら、ツッコミ入れて」
 気まずさに負けを認めたのは、ミーニャだった。
「ごめんなさい。そういうの、よく分からないから」
「そか……」
 荷物の上に寝転がり、青い空を見上げる。
 空は高く、どこまでも広がっている。
 この空のどこかに、伝説の都市はあるのだろう。そして、そこには……。
(ディエス様……ホシノ様……)
 馬車の振動に身を預け、ぽつりと呟く。
 これまで信じ、尊敬してきた正義の味方達。
 彼らの間に、一体何があったのだろう。
 そして、彼らを信じて戦ってきた自分の正義とは……。
「正義ってさぁ。何なんだろうねぇ」
「わかんない」
 隣の少女は、猫を抱いて荷物に腰掛けたまま。
「私、今まで色んな人に追われてたから」
「何か、悪い事したの?」
 コーシェはミーニャの問いに、ふるふると首を振る。
「良く分からないの。でも、追い掛けてくる人がいるから……何か悪い事したのかなぁ、と思って」
 ココ、グルーヴェ、セルジーラ。どこに逃げても同じだった。彼らはどこからともなく現れ、少女をどこかへ連れて行こうとする。
 ネコさんと行動するようになり、ココの姫君達と親しくなってからはその回数も減ったが、それでも全く途絶えたわけではない。
 気配を感じる事は、幾度となくある。
「そっか……。でも、コーシェは悪い事してないよね」
「そうなの?」
 悪事を働いた人間には、どこかしら感じるものがある。だが、ミーニャが見る限り、コーシェにはその気配がない。
「分かるよ。コーシェは、悪い事なんかしてない」
 優しく笑い、少女の小さな頭を撫でてやる。
 セイギの味方としてココを守ってきた彼女だ。彼女が悪ではない事くらい、分かる。
 それが……
「じゃあ、お姉ちゃんの正義って?」
「あたしの正義?」
 問われ、ミーニャは撫でていた手を止めた。
「あたしの正義……」
 もう一度、問いかけを口の中に転がしてみる。
「あたしの正義……か」


 ココへ向かうグルーヴェの旅路は、穏やかな事この上ない。
 日は中天。リーグルー商会の隊商も一時隊の足を止め、昼食時である。
「なあ。ミーニャお嬢さん知らないか?」
 番頭に弁当を渡そうとしていた男が、ふと口を開いた。
「どっかで昼寝してるんじゃないのか?」
 グルーヴェを出てからのミーニャは、隊の子供と遊んでいるか、荷物の上で昼寝をしているかのどちらかだったはず。行程はスムーズだったし、邪魔にならないのなら、それはそれで問題なかったのだが……。
「おい、ちょっとこれ!」
「何だ?」
 慌てて走ってきた男が渡してきたのは、古布に書かれた手紙だった。
「『ちょっと用事が出来たので、コーシェちゃんとグルヴェアに戻ってきます。用が済んだら戻ります。ミーニャ』……って、誘拐じゃねえかそれ!」
 何もしないのが一番の手伝いになる。リーグルー商会に勤めて二十余年。番頭はその言葉を先日まで信じたくなかったが、今度こそその意味を理解したのであった。


「無いなぁ……」
 分厚い革表紙の本をぱたんと閉じ、グレシアはため息を吐いた。閉じた本を本棚へと戻し、隣の本を代わりに抜き出す。
 ぱらぱらとめくり、内容を斜め読みしていく。
 帝王学の話題は、今回の件に全く関係がなかった。
 これもハズレ。
「全く。何も考えずにあんな事を言うんだから。あのばかイーファったら」
 隣ではメルディアが大きめの椅子に腰掛け、グレシアと同じような事をしている。彼女が行っているのは、机の中にある書類の確認だ。
 レヴィー家、レヴィー候の書斎である。
「でも、考えてばかりで進まないよりはマシかもしれへんなぁ」
 家庭の医学を戻し、グレシアが次に取り出したのは文学全集だった。
「何ですって!」
 机の上に広げられたメモをばんと叩き、主人たる少女は声を荒げる。
「お前ら、いい加減にしろよ!」
 メルディアの怒りを止めたのは、やはり棘のある少年の声だった。
「ロゥ。外は?」
 一週間以上かかると思われた泉の平定を半分の四日でやってのけ、レヴィー家の捜索を始めたのが昨日の事。
 手がかりの欠片もないまま、貴重な二日目も終わろうとしている。
「何かあれば、もうちょっと景気のいい顔してるぜ……」
 まず、ロゥの担当していた庭園はアウト。
「そう……」
 書架まで動かしてみた父親の書斎も、見通しは暗い。
「後は、イーファのいる書庫だけか……」
 落ちていく夕陽を眺め、メルディアは重い息を吐くのだった。


 昼なお暗いレヴィーの書庫は、日が陰れば深夜とほとんど変わらない。
「イファ。少し休憩したら?」
 暗くなった書庫に明かりを持ち込んだのは、ドゥルシラだった。
「いい」
 歳よりも小さく見える背中に灯火の光を映し、主人たる少女は短く答える。
「イファの好きなたまごパイも焼いたのよ?」
「いい」
 古書のページを手繰る手は、止まる事がない。
「……そんな、根を詰めても良くないわよ」
「いいったら、いい」
 頑なな拒絶の言葉に被さったのは、ゆるやかに波打つ少女の長い髪だった。
「イファ……」
 頬で触れた少女の頬は、淡く濡れていた。
 その冷たさを感じられるよう、主の小さな躰を優しく抱き寄せる。
「悔しいんだよ、アタシ」
 広げた羊皮紙の上に、水の雫がぽたりと落ちる。
「伯父様が、もう少しで手の届く所にいるのに……。やっと、メルディアと……」
 続く言葉は言葉にならぬ。
「イーファ……」
 けれど、愛おしげに抱きしめた腕の中。メルディアには、こぼれ落ちたその言葉が届く。
「だからアタシ、絶対にメルディアと伯父様を取り戻すんだ。そのためなら……」
「イーファ・レヴィー。覚悟はあって?」
 その先が聞きたくなくて。イーファが言葉を終えるより迅く、ドゥルシラは問いかけを放った。
「ドゥルシラ?」
 イーファを柔らかく包んでいた優しい腕に、今は力が籠められている。
 問いに込められた意志の重さの分だけ、強く硬く。
「世界の全てを敵に回しても、たった一つの目的を達する覚悟はあって?」
「……ドゥルシラ」
 再びの問い掛けに、イーファは答えない。
 まずはドゥルシラの想いの全てを受け止めるために。
「その覚悟があるならば、私は貴女に道を示しましょう。無ければ……」
 今の言葉を忘れなさい。
 そう結び、しもべは問いかけの全てを終える。
 あるのは沈黙。
 続くべきは、主の返答だ。


「世界の全てが敵に、かぁ……」
 返ってきたのは、ぽつりと漏れた一言だった。
「嫌?」
「嫌だよ」
 優しい腕の中。主たる少女は、柔らかく笑う。
「メルディアや他のみんなが敵になるのは仕方ないけど、ドゥルシラが敵になっちゃうのは、イヤだよ」
 だから、少女は答えを出した。
 ごめん、と。
「そう……」
 答えを受け取り、ドゥルシラは目を伏せる。
 わずかな諦観と、少しの安堵を胸に抱いて。
 だが。
 探求を諦めたはずのイーファは、ドゥルシラの腕を掴んだまま放さない。
「ドゥルシラがいくらアタシを嫌っても、あたしは絶対に離さないから」
 続くのは、諦めを否定する言葉。
「その上で、他の全てと戦うよ」
 繋がる腕から、意志が流れ込んでくる。ドゥルシラの諦観の想いに、主の強い意志が上書きされていく。
「私も敵になっちゃうのに? 私の意志は無視しちゃうの?」
 その言葉と共に漏れるのは、快い笑み。
「だから、ごめんって言ったじゃない。嫌っても離さないからって」
 答えるイーファも、やはり笑み。
 主従の二人の間に、笑いが弾ける。
「悪いんだけど。そういう恩着せがましい事は止めて欲しいのよね」
 その笑いに水を差したのは、書庫の入口に立つ少女だった。
「メルディア……」
 メルディア・レヴィー。
 レヴィー侯爵の血を受け継ぐ娘。
 悠然と少女達の前に歩み、すいと立つ。
「戦うなら、ワタクシも戦いますわ」
 放つのは、高らかな宣戦布告だった。
「そんな下らない貸しを作られて恩に着せられるのって、正直迷惑なのよ」
「残念。ずーっと恩に着せてやろうと思ったのに」
 ドゥルシラに抱かれたまま、イーファはへらりと笑う。
「最低ですわね、貴女」
「言われたくないなぁ」
 見下ろす姿勢のまま、メルディアも薄く笑み。
「そういうわけで、ドゥルシラ。知っている事があるならさっさと白状なさい。そこにいるロゥも、一緒に戦ってくれるって言ってるから」
「なにーっ!」
 メルディアに連れられて様子見に来たロゥは、いきなり振られた話題に思わず声を上げた。
「あら。ロゥ・スピアードは、世界の全てを敵に回した女の子を見捨てるような冷血漢だったの?」
 見回せば、周囲の娘達は悪戯っぽく笑っている。
「……最低だよ、お前ら」
 どうやら、選択の余地はないらしい。
 大人しく、手を上げた。
「当然ですわ」
「だって、これから世界の全てを敵に回すんだもんね」
 だがそれも、一人当たりにすれば。
 世界の全ての、たった六分の一でいい。


 グルーヴェには塔が多い。
 それは、ここレヴィーの地でも同じだった。
「こんな所に……入口が」
 庭園の一角、今は使われていない塔の一つである。イーファもメルディアも塔の存在は知っていたが、単なる物見の塔だとばかり思っていた。
「グレシア。貴女もグルだったのね」
 無論、そんな塔に隠し扉や隠し階段がある事など知っていようはずもない。
「ごめんな、ご主人」
 底の見えない螺旋階段を下りながら、メルディアは肩をすくめてみせる。
「考えてみれば、お父様の研究に関わっていた貴女達を最初に疑うべきだったわね……」
 だが、それもレヴィー候との約束があったからこそだ。この秘密を守る事こそが、娘達の幸せに繋がると。そう、思っていたから。
「お詫びに、最後まで付き合うさかい」
「当然だわ」
 従者の苦笑に、主は悠然と笑う。
「ロゥ……」
 続いて螺旋階段を下りる少年の後ろで、幼子は小声で呟いた。
 それを不安の意志と取ったのだろう。主たる少年は、努めて明るく笑う。
「怖かったら、行かなくていいんだぜ? 手でも握っててやろうか? ハイリがぁっ!」
 少年は気付かなかった。
 段差のせいで少年の背中の位置が、少女が蹴りを叩き込むのに最も良い高さにあった事を。
(世界の全てを敵に回して、怖くないかって心配してやったのに……知らないっ!)
 底の見えない螺旋階段をごろごろと転がり落ちていく少年に鼻をふんと鳴らし、ハイリガードも階段を下りていく。
 前にレヴィーに来た時に世話になった場所だ。闇の階段など怖くも何ともない。
「イファ」
 殿を務める少女に、灯りを持った侍従の少女は静かに振り返る。
「なぁに?」
 ドゥルシラの動きに応じ、イーファも足を止めた。一段の差で、二人の目の高さが逆転する。
「さっきは変な質問をして、御免なさいね」
 素直に謝るドゥルシラの高さは、今のイーファよりも下の位置。いつもと逆になった高さに芽生えるのは、不思議な感覚だ。
「ううん。この先は、本当に危ないから……そうでショ?」
 この少女を守らなければ。
 そう、素直に思える。
「ええ。この先の秘密を知れば、貴女もレヴィー・マーキスと同じように後戻り出来なくなる。だから……」
 開き掛けたドゥルシラの唇を、イーファは人差し指でそっと塞いだ。
「言わないで」
 全て、分かって決めた事だから。
 悔いはない。
「行くヨ。ドゥルシラ」
 どこまでも、ずっと。
「はい。お供しますわ」
 例え、世界の全てを敵に回したとしても。


 辿り着いたのは、光に包まれた空間だった。
「おい……ここって……」
 さすがのロゥも、言葉を失っている。
 無限に続くかと思われた深い螺旋階段も、これならば納得がいった。
 獣機が戦闘形態で立っても、天井にはなお余裕がある。この広さを取るためには、なるほど相当な深さを稼がねばなるまい。
「これって……獣機の研究所?」
 ここまでの設備は、アークウィパスや王都の研究所でしか見た事がない。
 一国にもわずかしかない設備が、ここにはしっかりと揃っているのだ。
「侯爵様は、ここで獣機や古代技術の研究をしておられました」
「そんで……」
 グレシアが手を一打ちすれば、床の下から机らしき物がせり上がってきた。
「これが、レヴィー候が姿を消した本当の理由や」
 机の上にあるのは、綴じられた紙束。
 羊皮紙で作られた、分厚いノートだ。
「メルディア。そのノートは、貴女が最初に見る資格があるわ」
 知者の幻獣にして、レヴィー・マーキスの血を受け継ぐもの。
「これが、お父様の……」
 呟き、ノートを取り上げる。
 羊皮を綴じられ、細かな文字が書き連ねられたそれは、ずっしりと重い。
 数枚めくり、無言のまま目を通し始める。
 半ばまで流し呼んだ所で、ノートを閉じた。
「……メルディア?」
 少女の表情が険しい。イーファですら、今まで見た事がないほどに。
「三人に聞くわ。ここに書いてある事は、本当に真実なの?」
 メルディアの放った問いかけは、たった一言。
「私達の知る限りでは」
 ドゥルシラの答えも、たった一言。
「……なるほどね」
 彼女としてはそれで十分だったらしい。ノートを取り上げ、ロゥの方に向けてみせる。
 受け取り、二ページ目を開いた所でロゥの動きが固まった。
「俺、古代語なんか読めねえぞ」
 ロゥも傭兵だから、共通語の読み書きくらいは出来る。しかし、ノートに描かれた独特の文字は彼の語学知識にない物だった。
「獣機乗りの常識じゃないの?」
「……俺、現場組だから」
 疲れたように呟くロゥからノートを受け取ったのは、イーファだ。
「常識って、イーファは読めるのか!?」
「……何ヨ、その言い方」
 心底驚いた様子のロゥを、イーファはジト目でにらみ返す。
「し、士官学校の必修科目だったもの。これくらいなら読めるわよ」
 聞こえないほどの小声で「たぶん」と付け加え、イーファは二ページ目を開いた。
 硬直したまま、ページをめくる気配がない。
「読めても理解は出来てないみたいね」
 メルディアの言葉に浮かべていた笑みが引きつる。
「……あ、アタシも現場組だから」
「まあ、期待はしてなかったけどね」
 呆れたように呟き、メルディアはノートをイーファから取り上げた。
 さすがのイーファも、今回ばかりは言い返す隙をうかがう気力もない。
「とりあえず、夕食まで時間を頂戴。事態が大きすぎてまとめきれないわ」
「夕食って、間に合うのか?」
 既に日は沈んでいる。夕食まで、あと一刻あるかないかだ。
 相当な厚さのあるノートを読むだけでも大変なのに、それをまとめきる事が出来るものなのか。
「間に合わせるわよ」
 だが、メルディアは不敵に微笑むだけだ。
「どちらにしても『フェアベルケンの絶対正義』が動くのは、次の戦いが始まってからだろうけどね」



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