4.見えぬ風、見せぬ牙 グルヴェアの地には、塔が多い。 天を衝く塔が林立する街には、そこから落ちる影もまた多く、深い。 そんな影の底の一つで、男は足を止めた。 「嗅ぎ回っているのは、貴様か」 影の中でもなお鮮やかな、白いコート。 背後に立つは、影の中でもなお暗い、闇色の甲冑。軽歩兵の着る革鎧ではない。重装兵が戦場のみでまとう、全身鎧だ。 いくら戦争を控えたグルヴェアの地とはいえ、平時から甲冑をまとっている兵士などいるはずがない。 「だとしたら?」 「死んで貰おう」 男の問いに、黒甲冑は腰の長剣を引き抜いた。 「分かりやすいな……君達は」 甲冑の態度に、男は苦笑を隠せない。 情報収集が目障りなら、放っておけばいいのだ。自らの隠蔽工作に十分な自信があれば、気付かれる事は無いはずなのだから。 こんな中途半端な所で襲撃を掛ければ、自ら失策を認めるようなもの。 「分かりやすい、か。『邪魔者はさっさと消す』。貴様らのやり方を真似ているだけなのだがな」 既に甲冑は打突の構え。合図一つで間合を詰め、男を叩き斬れる体勢だ。 「……どういう意味だ?」 それに応じ、男も鋭く腰のサーベルを引き抜いた。細身の刃が風を斬る音が、ひゅんと啼く。 「これが理解できないから、貴様らは無知だというのだ」 確かに男の情報収集は、シーフギルドほど秘密裏に行われていたわけではない。隠蔽工作をする余裕はなかったし、白コートの長身は嫌でも人目を集めてしまう。 だが、黒甲冑の言葉はそんな浅い意味ではないように、青年には聞こえた。 「まあいい。貴様はここで死ね」 青年は剣士の技しか持っていない。いかに卓越した剣技も、常識の技では彼らの『異能』には敵わない。 その現実は、一度敗れた目の前の男が一番よく知っているはずだ。 「……行くぞ」 そこで、黒甲冑は気が付いた。 自分の視界が、右と左で縦方向にずれている事に。 「ああ。悪い」 何気ない言葉と共に。 呟く青年の映る視界が、左右に離れる。 「対策くらい、疾うに準備済みさ」 言葉と共に炸裂するのは、全身が引き裂かれる感覚と、暗転する意識。 黒甲冑の男は最後まで気が付かなかった。 青年が既に最初の一撃を終えていた事を。 青年のサーベルの柄、ひっそりと輝く碧い宝珠の存在を。 サーベルを鞘に納め、白コートの青年は路地裏に声を放った。 「そっちも出て来たらどうだ? 魔術師」 「ありゃ。バレてたか」 悪びれた様子もなく現れたのは、赤いコートを着込んだ小柄な少女。 唯一普通の少女と違うのは、周囲に灯り代わりの火球が浮かんでいる事だろうか。 「そんだけ魔力が動けば、誰でも気付くだろう」 青年の常識とも言えるツッコミに、少女は困ったように笑う。 「それに気付かないバカとやり合ってた頃の癖が、いまだに抜けなくてねぇ。ティアハート使いなら、気付いて当然かぁ」 笑顔には一切の邪気がない。だが、警戒を怠っていい相手でもないと、青年の本能が告げている。 相手は、笑顔で敵を殺す人間だと。 「で、お前も俺を消しに来たクチか?」 検証の素材は揃い、仮定は確定に変わった。個人的には、もう敵に見つかって戦ってやる理由はない。 「いや、情報交換しに来ただけよ」 赤い少女はひらひらと手を振って火球を消し、戦闘の意志がない事を示す。 「お前の目的は何だ。ボンバーミンミ」 呼ばれた名前に少女は一瞬表情を驚きに変えるが、観念したように首を振った。 嘘は通じないと、悟ったらしい。 「『究極の炎』よ」 「究極の炎?」 それは青年をしても聞いた事のない言葉だった。レヴィーやスクメギで読んだ古代の文献にも、載っていない言葉だ。 「知らないのならいいわ。貴方達には関係のない物だし、オルタ・リングに被害の及ぶ物でもないわ」 捜す者の名を呼ばれても、青年は表情を変えなかった。それを見て、ミンミは少しだけ残念そうな表情を浮かべる。 「足元への入口が分からなくてね。良かったら、手を貸して貰おうと思って」 「いいだろう。こちらに危害を加えないなら、協力しても良い」 へぇ、と少女は感嘆。 「……随分と簡単に言うわね」 もう少し時間がかかると踏んでいたらしい。 ココの関係者なら、ココ王都を混乱の渦に巻き込んだ炎の魔術師を警戒するのはむしろ普通と言える。 「お前は信用してないが、時間がないからな。何であれ、手数が欲しいのさ」 青年がグルヴェアに入って、既に十日。王都にコルベットの軍勢が辿り着くまで、あと一週間しかないのだ。 「じゃ、交渉成立ね」 流石の青年も、ミンミの差し出した手を握り返すような事はしなかった。 そこは、白く染まっていた。 白い躯。 白い脚。 白い顎。 全てを白で包んだ物体が、無数に蠢く命無き空間。 そこに命は存在しない。白い物体は命を持たず、ただ動くのみの存在だ。 命を蹂躙し、殲滅するためだけに動く疑似生命群。 名を、魔物という。 しかし、生命の蹂躙存在たる魔物達も、今は一切の動きを止めていた。 刀剣を通さぬ外殻はひしゃげ。 精兵を駆逐する甲脚は折られ。 甲冑を貫く顎は打ち砕かれて。 「カヤタ。現状は?」 その中央に舞い降りたのは、黒い影。不吉な墨色の翼を優雅に畳み込みつつ、そう問うた。 「周囲に魔物の反応ありません。泉も沈黙……というか」 少し離れた場所にある、崩れ落ちた神殿のような建物を一瞥し。 「原形を留めていません」 かつて魔物だったものの上に立ったまま、クロウザはまとう黒外套からの報告を静かに受ける。 「そうだな」 それにしても見事な破壊ぶりだ。精度はともかくとして、単純な力だけで評価すれば、フェーラジンカの葬角にさえ匹敵するだろう。 確か、ここの制圧担当は……。 「あれ。遅かったねぇ」 残骸の影から姿を見せたのは、魔物よりもはるかに小さな娘だった。 戦場にそぐわない侍女服に、申し訳程度の革鎧を引っかけているだけの姿。武器に至っては、寸鉄一つ帯びていない。 「……そうか、やったのは貴公か。マチタタ」 ココから来た、ネコ族の少女である。 「仕事が迅いな」 「こんなの簡単だよー。こわせばいいだけなんだから」 そんな事を話していると、荒野の向こうに鉄色の甲冑をまとった歩兵が姿を見せた。鎧の重さに慣れないのか、歩き方はまだぎこちない。 「クロウザさーん」 近寄って来れば、スケールが違う。クロウザの五倍、いや六倍はあるだろうか。 獣機である。 「もう制圧したんですか? 流石、早い」 クロウザの元にようやく辿り着くと、甲冑の胸が開き、中から少年兵が姿を見せた。 「私は一足遅かったようだ。やったのは彼女だよ」 「ははは。冗談を」 兵士の反応は当然だろう。普通、ネコ娘のマチタタがたった一人で泉の制圧を終えたなどとは思わない。 「で、何用か?」 「はい。南に二箇所、泉の反応が見つかったそうです。近くのベネンチーナ隊と合流して、撃滅に当たれと」 「近く……」 クロウザがそう呟けば。まとう黒外套から頭部甲冑がせり上がり、覆う仮面の内側に周囲の部隊配置を映し出す。 近くにある味方は、三隊。どれもグルーヴェ正規軍ではなく、革命派に属する遊撃部隊だ。そのうちのマチタタ隊は今合流しているから、残る隊は…… 「赤兎隊の方が近くないか?」 「赤兎隊は単独で西の泉の平定をするそうです」 むしろ、西側はベネ隊のほうが近いように見えたが……。 「まあいい。ベネの所へは私が行こう。貴官はマチタタと、南のもう一箇所を制圧してくれ」 「え? 俺、獣機戦って今日が初めて……なんですが」 クロウザ隊も、隊と名は付いているが実際はクロウザの単独部隊だ。連絡役として新人の少年兵が一人付いているものの、獣機に慣れる事が目的であって、戦力として期待されているわけではない。 そんな新兵が、こんな小さな娘と二人で一体何をしろというのか。 「なら、尚更そちらの方がいいと思うぞ」 「はぁ……」 良く分からないながらも、上官の指示には従うしかない。頷き、獣機の大きな手のひらで少女を拾い上げる。 「よろしくねぇ」 「それにしても……。この辺りは泉が多いとは聞いていたが、これ程の物なのか?」 クロウザが赤い泉討伐の指示を受けて王都グルヴェアを出て、既に一週間が過ぎていた。その間、転戦に次ぐ転戦である。 「いえ、流石にここまででは……」 相次ぐ赤い泉の復活に、グルヴェアの軍部は貴重な獣機戦力のほとんどを割かれていた。 コルベットをグルヴェアで迎え撃つ流れになっているのも、王都を戦場にしたいわけではなく、単に時間が足りないからだ。 コルベットはグルヴェアで迎え撃っても良いが、コルベットを警戒して赤い泉を放っていては、グルーヴェ全土が血の海に沈んでしまう。泉の討伐は、グルーヴェにとって最重要問題なのだ。 「まるで、誰かが封印を解いて回っているような……」 兵士は自ら呟いた不吉な言葉に、ぶるりと身を震わせる。 「いや、忘れて下さい」 「まあいい。なら、移動を開始するぞ」 そして、巨大甲冑は背中の翼を広げ、新たな戦場を求めて飛翔を開始した。 巨大な甲冑が、ゆっくりと空を翔けている。 「マチタタさん」 ひゅうひゅうと風が鳴く世界の中で、少年は手のひらに座っている少女に声を掛けた。 「ん? なーに?」 飛翔する獣機のまわりは強風が渦巻いているはずだが、マチタタはそれを気にする様子もない。退屈なのかわずかに目を細め、眠たげにしているほどだ。 「先に言っときますけど。俺、獣機使った実戦って初めてなんスよ……」 先日のコルベット攻めでは、歩兵の一部隊にいた。しかし、相次ぐ人不足から獣機隊に回され、気が付いたら獣機の操縦席に座らされている。 武器の使い方や歩き方は一通り覚えたが、空を飛ぶのはこの一週間でようやく形になってきた所なのだ。 「うん。さっき聞いた気がする」 細かい所は覚えていなかったが。 「だから、戦闘は……」 「別に期待してないからいーよ。こうやってあたしを運んでくれれば、それで十分」 マチタタも足が遅いわけではないが、長距離を延々走れるわけでもない。それに、速く動けるならそれに越した事はなかった。 「そう、ですか……」 自分よりはるかに年下の少女の言葉に、安堵半分、ショック半分の気持ちでしばらく翔べば、やがて眼下に白い群れが見えてきた。 「結構、多いですね」 そう呟いた瞬間。 「っ!」 騎体に衝撃が走り。 砕けた鋼の翼と共に、鉄色の騎体は螺旋を描いて大地へと落ちていく。 砂埃の中から立ち上がったのは、見上げんばかりの巨大な影だった。 歪んだ鋼の鎧も、見た目ほどのダメージはないらしい。立ち上がる動きは滑らかで、ひしゃげた鎧を除けば全く正常に見えた。 「マチタタさん?」 周囲を白い影に取り囲まれながら。獣機から響いたのは、少年の声。 獣機は無事だった。しかし、その手の中に隠れていた少女は……。 「ん? 大丈夫?」 全く無事そうだった。 打ち身一つ無い様子で、ひらひらとこちらに手など振っている。 「え、ええ。何とか……」 答えかけた瞬間、大地が揺れた。 兵士もようやく気が付いた。少女は、何も自分に向けて手を振っていたわけではないのだと。 少女が何気なく振った手の中に。今は、強い黄玉の輝きを放つ『何か』があるのが見て取れる。 「爆ぜて形成せ……」 大気が歪み。 大地が歪み。 少女のなぞる、軌跡の中に。 巨大な力が姿を見せる。 「神斧・フランシスカっ!」 光は爆ぜて、形を成した。 たったいま仕上げられたばかりのような、真新しい両手斧となって。 オーバーイメージ。 思念の檻の中に、炸裂するティア・ハートの強意を閉じこめる秘技。 彼女は常に武器を持たない。それは少女が格闘技や魔法の類を使えるからではない。作られたばかりの武器を、何時でも手にできるからだ。 「じゃ、危ないから下がっててねー。巻き込まないように殴るのって、あんまり得意じゃないから」 少女の大きさをはるかに越える大斧を、果物ナイフか何かのように軽く扱い、マチタタは立ち上がる獣機に声を放る。 「え、でも……」 少年兵は躊躇した。 これがクロウザであれば、少年は指示に従っただろう。しかし、人間としての良識が、子供を一人残して逃げる事を許さなかった。 「俺も戦います!」 少女を潰さぬように立ち、慣れぬ槍を半身に構える。 「もう、邪魔だなぁ……。じゃあ巻き込むけど、上手く避けてよねー」 呆れたようなマチタタが大斧を無造作に振り下ろした、次の瞬間。 少年は自分の浅慮をいきなり後悔した。 たった一撃で。周囲を囲む白き異形の一列がごっそり削り取られるのを、目の当たりにして。 そしてその先、衝撃の到達点に。 「あれ。まだ人がいた」 すいと立つのは、白い仮面を付けた女だった。 「ココの手の者か……」 薄く嗤い、六本の腕を構える。 「あれは……」 少年兵はその姿に見覚えがあった。 グルーヴェ軍部の長、フェーラジンカの傍らに立っていたその姿を、忘れようはずもない。 「アルジオーペ! 貴女が犯人か!」 フェーラジンカを裏で操っていた、赤の後継者が幹部の一人。 「なに? 敵?」 「敵です! マチタタさん、俺、この事を伝えに一度戻ります! ここ、お願いできますか?」 既にマチタタの実力は理解していた。ここで彼女の足手まといになるよりも、下がって報告を行う方が皆の役に立つはずだ。 「良く分かんないけど、あの人ごとここ壊しとけばいいんだよね」 「なんか細かいニュアンスおかしい気がしますが、とりあえずそれで!」 言うなり、少年兵は片翼での飛翔を開始。 「逃がさなくてよ」 安定しない騎体を撃ち落とそうと、砲撃能力を持つ魔物が構えを取るが。構えた端から衝撃波が襲い来て、分厚い装甲を一撃で打ち砕く 「もう。せっかちだなぁ……」 充填されていた力が方向を失い、亀裂の走った所から溢れ出し、魔物の内より炸裂する。その衝撃は周囲の魔物も次々と巻き込んで、爆裂の連鎖を巻き起こす。 「さて。邪魔もいなくなったし、ちょっと本気で行こうかな」 欠け一つ無い大斧を構え直し。 マチタタは、余裕の笑みを浮かべた。 |