3.侯の影追うもの 「ああ、そうだ」 客間の警護に戻っていたイシェファゾが口を開いたのは、客人達がささいな口論を始めて三十分も経った頃のことだった。 「なあ、お前ら。確か、レヴィー家の者だよな?」 現在客間にいるのは、少女の二人組と、その傍仕えらしい少女がやはり二人。メイド達も主人達のケンカは見慣れているらしく、止めようとする気配もない。 「ええ」 答えるのは、相手の頬を引き延ばしていた少女と、 「それがどうかしまして?」 相手の薄紫の髪を引っ張っていた少女だ。 発端もハッキリしない他愛もない争いだったが、次にイシェの放った言葉は、そんな下らない闘争を終わらせるのに十分以上の力を持っていた。 「レヴィー・マーキスって男、知らないか?」 次の瞬間掴まれたのは。 「貴方! どこでその方と!」 金灰の髪と、 「答えなさいヨ! イシェファゾ!」 軽く引っかけた上着だ。 「いや、そんな事しなくても話すから……」 襟元をぐいぐいと締め上げられながら、イシェは力なくそう答えるのだった。 グルヴェアの地には塔が多い。 それら尖塔群の中央に位置する最も高い塔、王城塔。 その底。王都グルヴェアの地下で最も深い場所に、イシェファゾ達はいた。 「伯父様達が、ここで……」 石造りの広い部屋だ。 灯りは手元にあるだけだから、周囲がどこまで広がっているのかは分からない。獣脂の燃えるランタンをかざしてみても、部屋の端に光が当たる様子はなかった。 この地下の大広間で、レヴィー・マーキスは、獣機の研究を行っていたのだという。 「ああ。騙されてるのか脅されてるのかは知らんが、少なくとも協力はしているようだった」 中の資料は既に外に運び出されていた。アークウィパスの技師達に調査させているが、研究資料ばかりでそれ以外の書類は見つかっていないらしい。 「それで、その子は?」 唯一の手がかりは、この地下でマーキスに助けられたという少女だが……。 「リーグルー商会の連中がココに避難するっていうから、預けてきた。ここはもうすぐ戦場になるからな」 「そう……」 王都グルヴェアには、南方コルベットの王党派が軍を進めている。もう半月もせぬうちに、彼らは王都の門まで辿り着くだろう。 イシェファゾの判断は正しい。 「それに、その子もマーキスの顔と名前くらいしか知らないようだった」 「でしょうね」 少女の話が本当なら、単に怪我の手当をして貰っただけ、という事になる。獣機で追えばすぐ追いつけるだろうが、そこまでして話を聞くメリットはない気がした。 「メルディア。どうする?」 「どうするって?」 問い掛けたイーファに、メルディアは不思議そうに問い返す。 「……え?」 その問い返しの意味が理解出来なかったのか、イーファの疑問符はまるまる一呼吸遅れてから。 「今ならベネみたいに、雅華に話してここに残れるよ?」 革命派の連絡要員として、クワトロとベネンチーナは王都に残る予定になっていた。しかし、二人をフォローする名目であれば、メルディア一人くらい残っても問題はないはず。 「残ってどうするの?」 「そりゃ、伯父様の手がかりを……」 この地下広間にも見逃しがあるかもしれない。ここになくても、別の場所にあるかもしれない。 グルヴェアに残りさえすれば、そのチャンスは間違いなく手に入る。 「必要ないわ」 だが、少女の答えはごく短いもの。 「必要ない……って。会いたくないの!? 伯父様に!」 激昂するイーファの言葉に、メルディアは赤い瞳をすいと細める。 「今がどんな時か分かってるの? イーファ」 温度を持たぬ問い掛けは、熱を帯びた少女の言葉を冷たく冷やす。 ぐ、と黙ったままのイーファに、メルディアは言葉を重ねて問い掛けた。 「もうすぐグルヴェアは戦場になるわ。そこで、いるかどうかも分からない人間を捜す余裕なんか、あると思って?」 答えは、無論ない。 押し黙ったままのイーファを静かに見つめたまま、メルディアは答えを待つ。 「……」 答えはない。 否。 「……」 答えは沈黙だ。 本来、感情を走らせるべきは実の娘であるメルディアだ。その彼女に完璧な理論でねじ伏せられては、イーファは沈黙で抵抗と回答を示す事しか出来ないではないか。 「レヴィー様、イシェファゾ様。上で雅華様がお呼びですが」 粘り着くような時間が終わったのは、使いの兵士が呼びに来た時だった。 「ほら。帰るみたいよ、イーファ」 言葉の温度を上げぬまま。叡智の幻獣を聖痕に戴いた少女は、理性だけで一歩を踏み出す。 対峙する少女の傍を抜け、知を以て進むべき場所へと向かって真っ直ぐに。 「会いたいって……。あの時のあんた、泣いてたじゃない……」 その言葉に、少女の足が、止まる。 イーファは識っていた。 マーキスが突然姿を消した後、遺された少女が流した涙の数を。 そして今まで、どれだけの情報を集めてきたのかを。 「今は、そんな事言ってる場合じゃないわ」 その言葉を振り切り、メルディアは再び歩み出す。 「絶対! 絶対伯父様と会わせてみせるからね! ばかメルディアっ!」 だが、イーファは知らない。気付かない。 彼女を小馬鹿にしたように振られるメルディアの右手の裏側を。 きつく握り締め、細い爪に食い破られた、赤く染まる手のひらの事を。 少年は、ゆっくりと広間を見渡した。 (ここが、アルジオーペ達の研究所か……) 半盲の瞳には、闇のヴェールは半ばしか力を発揮しない。 見えぬ瞳に見えるもの。広間に漂う異様な感覚に、わずかに身震いする。 このレッド・リアに最も近き場所で、一体どんな研究が行われていたのか。 (流石に、もう資料などは無いようだな) 資料のほとんどはアークウィパスの研究施設に送られた後。軍部の技術班がマーキスの研究の調査を行うのだという。 がらんとした部屋には数えるほどの調度しかない。 「どうしたんだ? お前」 思考が断ち切られたのは、炎棍使いの声によってだった。 (……しまった) 少年は一瞬、心の中で臍を噛む。 自分の正体を、棍使いに気付かれたか……。 「あ、いや……」 「珍しいのは分かるけど、ここはホントは俺達義勇兵は立ち入り禁止なんだ。早く戻ろうぜ」 少年を手招きする男は、既に階段に辿り着いている。 「は、はい」 どうやら男は少年の事をただの義勇兵だと思ってくれているらしい。 やれやれ。 少年は心の中で安堵の息を吐き、幻影をまとった顔に慌てた表情を描き込んだ。 語られた言葉に、豹族の美女は片方だけの目を丸くした。 「一度、レヴィーへ戻りたい?」 急ごしらえの幕舎にいるのは雅華やジーク達、革命派の主要人物ばかり。 革命派の移動本部の一室である。 「はい。行方不明になった我が伯父の居所が分かりそうなので、もう一度手がかりを探してみたいと思いまして……」 「イーファ・レヴィー!」 イーファの言葉を遮ったのはジークや雅華ではない。 メルディアの機先さえ制したのは、意外な人物だった。 「シェティス先輩……」 肩までの銀髪を持つ、細身の少女。かつてイーファの上司だった事もある獣機使いの娘だ。 かつて上司だったからこそ、なのだろう。並み居る幹部達の末席に座り、いつもならほとんど口を開かぬはずの彼女が珍しく怒りを露わにしている。 「今がどんな時か分かっているのか!? 勝手が過ぎるぞ!」 現在、革命派はグルーヴェ軍部の外部遊撃隊としての任を受けている。本来この席は、先日フェーラジンカから受けた指示を検討する会議なのだ。 主な指示は、次に控える対王党派戦での支援と、最近頻発している赤い泉の駆除である。 「だからこそ、です!」 しかし、イーファも退く気配はない。 語気を強め、銀髪の娘に真っ向から立ち向かう。 「……ふむ。レヴィー方面の泉討伐を受けてくれるなら、構いませんよ。確か、そういう指示が来ていましたよね? 雅華」 「ああ。ロゥと、レヴィー家の二人に頼もうと思ってたから、泉の処理が早く終わったなら問題ないよ」 フェーラジンカから受け取った資料の束を横目に、隻眼の美女は呟く。 活動を再開した泉の数は多い。三騎の獣機を投入したとしても、期限内に倒しきれるかは微妙な所だった。 「ありがとうございます!」 「ジークベルト殿!」 それでもなお思う所があるらしいシェティスに、ジークは静かに肩をすくめる。 「シェティス。レヴィー侯爵は、グルーヴェ随一の古代史研究者ですよ」 「古代史……?」 フェアベルケンで古代史といえば、神話時代の伝承を意味していた。一般にはおとぎ話だが、この戦いに参じている者達にとってはもう一つの意味がある。 獣機、箱船、古代遺跡。 全て、そのおとぎ話の時代の産物だ。 「グルヴェア地下に残されていた資料の中には、アークウィパスやスクメギで発見された技術を越える研究もあったそうです……」 その言葉に、一同は息を飲む。 「今後の赤の後継者との戦いに彼が加わってくれるなら、心強いでしょう」 「……了解しました」 そこまで言われれば、シェティスとて引き下がるしかない。 「ロゥ、メルディア。君達も異存はありませんね?」 「俺は東部の泉討伐に回るもんだと思ってたが……」 フェーラジンカの話では、赤い泉の活動が各地で活発になっているとあった。そのためコルベットとの決戦はギリギリまで引き延ばし、まず目の前の脅威を何とかするのが当面の方針なのだそうだ。 特に泉の活動が活発なのが、コルベットの進軍ルートとは正反対のグルーヴェ東部で、ここには革命派だけでなく、軍部からも主力が注ぎ込まれる予定らしい。 「まあ、東は残った皆で何とかします。グルヴェアのベネンチーナにも動いてもらう事になるでしょうし。君は二人のフォローと、レヴィーの泉をお願いしますよ」 「了解ッス」 ロゥが気になっていたのはその一点だけだし、メルディアが言いたかった事はシェティスに越されてしまった。これ以上反論するのは、それこそ時間の無駄と言うものだ。 「ただし、期限は泉の討伐込みで一週間です。グルヴェアの防衛戦にまでは、必ず戻って来て下さい」 イーファもジークの言葉に諾の意を返し、会議は次の議題へと移る。 |