16.転章 レッド・リア浮上 それは、深い闇の中にあった。 何処とも知れぬ洞窟の底だ。転移の門まで備えた古代遺跡の最深部、この世界にある場所かさえ怪しいほどの場所。 「シーグルーネ。私は眠りに就くけれど、その剣は貴女に預けるわ」 そこに響くのは、優しげな女性の言葉。 「姉さま……だって、この剣は!」 少女が託されたのは、白と黒の柄を持つ双の剣。目の前の女性が王の中の王より賜った、神器の一つであるはずだ。 「こうしなければ、やがて私は貴女と戦う事になってしまうから……」 柩を模したチェストに腰掛け、女性は悲しそうに呟く。 「おやすみなさい、愛しい妹。ベネンチーナ様、この子の事、宜しく頼みますわね」 その姿は、次第に闇の中へとかき消えて……。 「……姉さまっ!」 その声と共に、少女は身を起こした。 見回せばそこは闇の中。 しかし、姉と邂逅した遺跡の奥ではない。革命派が隠れ家の一つとして使っている、小さな洞穴の中だ。 「どうしたんだい。静かにしなよ、シグ」 息を整えていると、横から眠たげな声が聞こえてきた。どうやら、起こしてしまったらしい。 「……ねえ、ベネ。あたしの姉さまに会ったときのこと、覚えてる?」 ついでなので、そう問うてみた。 あの洞窟はベネが冒険者だった頃に行った場所だ。何か、自分と違う事を覚えているかもしれない。 「ヒルデさんのことかい? 東方の近くまで行った時の事だよな……でも、何を今更」 「あの時、姉さまはこのままじゃあたしと戦う事になる、って言ってた。どういう意味なんだろうね? ベネ」 あの時、姉は久方ぶりの再会を喜ぶどころか、むしろ悲しんでいるようだった。 ここ最近は考えないようにしていた思い出の一つだが、夢に出てくれば気になりもする。 「そんな事、あたしが知るわけないだろ? 怪我人ばっかりなんだ。早く寝ちまいな」 だが、ベネはそれだけ答えると毛布をかぶって寝息を立て始めた。 「何でだろう……姉さまの夢なんて、しばらく見なかったのに」 アークウィパスの戦いが終わってから、一週間ほどが過ぎた。 「体調はどうですか? 将軍」 グルヴェアの軍部塔。中程にある一室で、イシェは花を生けた花瓶を窓際にそっと置いた。 「ジンカで構わんよ。全く、酷いものだな、このレポートは……」 ベッドにいるのはグルヴェア軍部の長、フェーラジンカだ。包帯だらけの片腕で、器用に羊皮紙の束を扱っている。 彼が読んでいるのは彼自身がこの一月半にしてきた事の報告書だ。軍備の極端な強化や王城塔の占有など、常軌を逸した行動の数々も載せられている。 「記憶を失っていたとは言え、あの時死んでおけば良かったと思うよ」 窓際の青年の冷たい視線に気付き、苦笑。 「……冗談だ。した事の責任は取るよ。生き残った以上、な」 「安心しました」 既にその言葉は果たされつつある。 税率は日常レベルに戻っているし、街も平時の穏やかさを取り戻そうとしている。軍部も本来の魔物討伐という役割を果たすようになっていた。 「……ん?」 その時だ。 窓際に置かれた花瓶が、床に転げ落ちたのは。 「将軍っ!」 次の瞬間。 足元から突き上げるような衝撃が、グルヴェアの全ての存在に襲いかかった。 「グルヴェアで地震? 詳細は!」 緊急で入った報告に、ジークは包帯だらけの身を無理矢理引き起こした。ベッドから降りようとして、周りから慌てて止められる。 「下町の塔がいくつか崩れたくらいで、全体にはあんまり影響なかったみたいだね」 走り書きされた羊皮紙を読みながら、隣のベッドにいた雅華がやれやれとため息を吐く。 「まあ、今の俺達に出来る事はないか……」 ここはグルヴェアから遠く離れた隠れ家の一つだ。フェーラジンカと和解した以上、隠れ住む必要はもう無いはずなのだが、いまだにジークはこうした生活を送っている。 「でも、どうにかならないのか? 連中、次は最後の封印を狙ってくるんだろ?」 そう。 スクメギに続き、アークウィパスの封印も破られた。残る封印は、たったの一つ。 「……空の上の封印を、どうやって守るんだ?」 「そ、そりゃ……なんかこう、魔法の機械で」 スピラ・カナンがフェアベルケンの空のどこにあるのか誰も知らない。獣機で飛んでいける距離にあるのかすらも、定かではないのだ。 「ここから一番近いスピラ・カナンへの道は、タイネスの東の果てだからな。今から行ったとしても、間に合わんよ」 タイネスのような大国に獣機で乗り込んだら国際問題になる。だが、広大なタイネスを横断するには馬を使っても半年はかかるだろう。 「それよりも、敵の本拠地に直接殴り込んだ方が早いでしょうね」 そう言って入ってきたのは、真っ赤なローブをまとった少女だった。 「……ミンミか。レッド・リアがどこか、解ったのか?」 「グルヴェアの地下だった。今じゃ転移障壁も張られてるし……例の地震は、復活の前兆でしょうね」 転移魔法を妨害する障壁が張られている以上、魔法での侵入は出来ない。しかし、人工の構造物である以上、どこかに入口があるはずだ。 「地下か……それは盲点だったな」 ジークの言葉に静かに頷くミンミ。 グルーヴェ上空が古代の大戦で最終決戦が行われた場所だという事は知っていた。しかし、まさか王都の真下に遺産そのものが眠っているなど、普通思わない。 「ま、とりあえず、傷を治すのが先だよ。全てはそれからさ」 螺旋を描く階段の果てにあるのは、堅牢な壁に囲まれた工房施設だった。 王都の中で最も深い場所だろう。関係者以外立ち入り禁止であるその部屋の扉を開いたのは、獣機とは縁遠い所にいる男だった。 「……おっさん。いるのか?」 返ってくる声はない。入口にいた見張りの兵士は、人の出入りは無かったと言っていたが……。 「おーい。レヴィー・マーキス!」 長い戦棍を提げたまま、男はいくつかの部屋を抜けていく。複雑な実験機材や高価そうな薬が並んでいるが、男にはその価値が今一つ分からない。 「おっさん」 四つ目の部屋で、ようやく人の気配があった。 「あなたは?」 古ぼけたベッドに横たわった、包帯だらけの子供の姿が。 「お前こそ……誰だ?」 軍部の記録では、この地下研究室で調整中の獣機はいないはずだった。 アルジオーペがグルーヴェに敵対する者として手配を受けたのは、フェーラジンカが軍務に復帰したつい先日の事。同時に彼女が籍を置いていた地下研究所も調査の対象となり、こうしてイシェ達がやってきたのだが……。 いるはずの男はどこにもおらず、代わりにいたのは幼子が一人。 「獣機、じゃないよな」 青年の問いに、少女はふるふると首を横に振る。 「コーシェイ。この子は、ねこさん」 見れば、少女の枕元には猫が一匹丸まっていた。どうやら怪我をしているらしく、腹には丁寧に包帯が巻かれている。 「……何で、こんな所に?」 「転移して逃げてきたら、ここにいた男の人が助けてくれたの。ねこさんの手当もしてくれたのよ」 何から逃げてきたのかとは聞かなかった。疲れた様子の少女に深い事を聞くのは、あまり好ましい行為とはいえない。 「そのオジさんはどこに?」 細かい事は先送りにして、当面の問題だけを問う。 「分からないの。さっき起きたら、もうどこかに……」 怪我をして寝込んでいたのなら、眠りの時間も延びているはず。さっき、の基準はアテになりそうにない。 「……一足遅かったようですね、イシェ殿」 「ああ」 恐らくアルジオーペの仕業だろう。イシェ達よりもほんのわずか早くここに現れ、レヴィー・マーキスを連れ去った。 「とりあえず、コーシェイ……だったか? 俺達と一緒に来るか? 飯くらいは、食わせてやれると思うが」 まだ怪我は癒えていないようだし、重要参考人でもある。今のフェーラジンカなら、話せば面倒くらい見てくれるに違いない。 「はい。おじさま」 「よし、いい子だ」 わしわしと黒髪を撫で、小さな体をひょいと抱え上げてやる。折れそうなほどに細い躰は、猫一匹を抱いていても木の葉のように軽い。 「あとな。俺の事はお兄さん、な」 小声でそう言い直した時には、幼子は既にくうくうと寝息を立てている。 少年を目覚めさせたのは、周囲を包む低い振動音だった。 「あら、起きたのね。シェルウォード」 六本腕の美女の声を聞きながら、液体に満たされた寝床から身を起こす。 澱んだ意識の中から蘇るのは、記憶に残る最後の光景。 燃え上がる大広間と…… 「……ロード・シュライヴは!? ……痛ッ」 全身に走る引きつったような痛みに、顔をしかめる。 「無理は禁物よ。十日も再生槽にいて、それなのだから」 「……再生槽? 海水じゃないの?」 貝の聖痕を持つウォードは、水棲系ビーワナに近い特性を持つ。 よくよく見れば、海水かと思われた寝床の水は、不思議な色をした溶液だった。水槽は大きな装置に繋がれており、その中にも不可思議な溶液が流れている。どうやら、溶液に何らかの加工を施すのが装置の役目らしい。 「傷ついた肉体を再生させる。我がレッド・リアの技術の一つさ」 悠然と響いた子供の声に、ウォードは目を見張る。 「ロード・シュライヴ! ご無事だったのですか!?」 そこにいるのは、レッド・リアの真の主。ミンミの爆発で死んだはずの……。 「第三艦橋の端末……僕のほんの一部が傷ついただけだよ。アークウィパスの封印も解けたし、安いものさ」 「……アークウィパスは、陥ちたんだ」 フェーラジンカが巧くやったか、シュライヴの『保険』が功を奏したか。いずれにしても、シュライヴが予想した通りの展開になっているらしい。 「ええ。後はスピラ・カナンだけ」 「……どうするの? あの城って空の上にあるんでしょ?」 その上、どこにあるのかも分からないはずだ。近場にあるアークウィパスの封印を破るのとはわけが違う。 だが、ウォードの当然ともいえる問い掛けを、シュライヴは鼻で笑う。 「莫迦にしているのかい? レッド・リアにとってあの程度の距離、離れた内に入らないよ」 そう言った瞬間シュライヴの周囲が揺らぎ、精緻なジオラマが姿を見せた。よく見れば、無数の塔の林立する都が中央に置かれている。グルヴェアを中心とした地形図らしい。 自分の使う蜃気楼に似た術なのだろう、とウォードは見当を付けた。 「……周囲五千キロを索敵。空中要塞スピラ・カナンをロック」 聞いた事もない呪文と共に地形図はどんどん小さくなり、代わりにさらに遠くの光景が広がっていく。王都グルヴェアが見えなくなり、アークウィパスが豆粒ほどの大きさになったところで、ジオラマの縮小がぴたりと止まった。 その中に、空中に浮かぶ芥子粒のような存在がある。 「これが……シュライヴの、力」 それが空中都市の現在位置だと理解するまで、さして時間はかからなかった。 「破壊された第三艦橋を修復して、それからあの忌々しい空中都市を撃ち落とす。タイムスケジュールはどうなっている?」 「オルタ・リングの調整も入れて……三週間もあれば、十分かと」 アルジオーペの報告を聞き、幼子に見える主はわずかに思考。 「そう。ま、ちょっと掛かりすぎな気もするけど、いいや。任せるよ」 それだけ言って、レッド・リアの支配者は姿を消した。追従するように、広大な地形図もその場にかき消える。 「君も復活したら、しっかりと働いて貰うよ。いいね」 残された少年は、響き渡るシュライヴの言葉に諾の一言を返すのみだ。 グルーヴェの戦況を聞き、男はやれやれとため息を吐いた。 「アークウィパスが陥ちたかぁ……」 虎族の男だが、精悍な印象も巨大な体躯もない。どちらかといえば盛り場をうろついている貧相な酔っぱらい、といった印象の中年男である。 事実、片手には酒の入った瓶を抱えていた。 広い荒野の真ん中で、月見酒と洒落込んでいるのだ。 「……はい」 しかし、傍らに座る少女は真剣そのもの。いや、正確に言えば、緊張で身を強ばらせていた。表情も、普段の少女からは想像も出来ないほどに硬い。 まさか、ふらりと絡んできた酔っぱらいが、自分が最も尊敬する人物の一人などとは思わないではないか。 「オオゴトになりそうやな。こりゃ、ヒルデも起こしてきた方が良かったかいな……」 緊張している少女を差し置いて、男は神妙な表情で一人呟く。何か考えているらしいが、口元に酒瓶を運びながらでは競馬の勝ち馬を予想しているようにしか見えなかった。 「……ホシノ様」 そして、少女は意を決して口を開いた。 フェアベルケン最強の一角を預かる、獣王の名を。 「何や? シューパーガール」 「……いえ、何でもありません」 だが、そう言ったきり、少女は口をつぐんだ。 「……さよか」 どう見ても酔っているのだが、この男には一分の隙も感じられない。殺気も闘志もないはずなのに、勝てる気がしない。 どんな問い掛けも、今のままでは口にする事さえ出来そうになかった。 「この戦い、フェアベルケンの命運を決める戦いになるで。そう硬くならんでもええけど、気張りや」 へらりと笑うのは、どこにでもいる酔っぱらい。 「……はい」 その威圧感に呑まれたまま、ミーニャ最悪の夜はゆっくりと過ぎていく。 南方コルベットの城塞に響き渡ったのは、絹を裂くような悲鳴だった。 「「オルタ様がさらわれた!?」」 「あぁ……。何たる事……」 同じ表情、同じ装い、同じ動作をするはずの双子公爵だったが、この時ばかりはショックに差があったのか、片方だけがふらふらとその場に崩れ落ちる。 受け止めた側も相当なショックがあったのだろうが、倒れた方を支えるだけの余裕はあったらしい。 「……オルタ様は外遊に出ている事にします。いいですね?」 軍部と革命派の和解で、グルーヴェは小康状態にある。その各地をオルタ姫が慰問に回るのは、まあ、ありえない話ではない。 「ここに居る者を姫様の捜索隊に任命します。見事、賊の手から姫様を救い出しなさい!」 「……了解ですが、閣下達は?」 気を失った片割れをソファーに寝かせつつ、双子の一人は静かに答えた。 「我々は一足先にグルヴェアに向かいます。聞けば、フェーラジンカも先の戦いでかなりの戦力を失った様子。王都を取り戻すには、絶好の機会でしょう」 既にオルタ・リングはグルヴェアの地下、レッド・リアにある。捜索隊がいかにグルーヴェ中を走り回ろうと、見つかるはずがない。 だが、それでいいのだ。 青の一族如きに、詳細まで説明してやる義理はない。 「……そう、ですね」 答える彼らも、グルーヴェに残された三つの勢力がとっくに和解しているなどと、言い出せないのであった。 |