10.不滅のヴルガリウス 闇に包まれた大回廊を、二つの影が駆けていく。 「待てッ!」 追う影は文字通りの異形。三対の巨腕を持つ、人と大蛸の合成体。 陽光の下に姿を現せぬ、文字通りの怪物だ。 「待つもんですか!」 逃げる影は小柄な少女。だが、歴史の裏側に潜む闇と戦う彼女もまた、陽光の下に姿を見せぬ存在だ。 どちらも漆黒の闇をものともせず、追跡と逃亡を繰り広げている。 「待てと言われて待つバカは……」 「ディエスの一味も堕ちたものだな」 「なぁんですってぇ!」 ぽつりと漏らした蛸怪の言葉に、少女は思わず足を止めた。 途端に飛んでくる三撃の弾丸……否、十メートルを隔ててなお届く拳を鋭く回避。 「だから、甘く、愚かだというのだ。あの裏切り者のようにな!」 さらに繰り出された三撃の触腕を続けて回避。伸びきった腕を蹴ってさらに飛び、天井を蹴り込んで方向転換。六本の腕から次々と放たれる魔術の弾幕をかいくぐり、一気に間合を詰めていく。 この間合ではもう逃げられない。 そもそも、一人を相手に逃げる気ははなから無い。 ならば、攻めに転じるだけだ。 「だったら、あたしが貴方達の野望を止めてみせる! かつてディエスがしたように!」 限りなくゼロに近い間合で繰り出されるのは、光をまとった正義の拳。分厚い甲冑に覆われたヴルガリウスの胸甲に、正面から叩き付ける。 「破ァァッ!」 めき、という鈍い音がし、衝撃が弾けた。 少女の拳が砕けた音ではない。 異形の甲冑が歪んだ音だ。 それを証拠に、少女の拳が打ち込まれた位置には、拳を象った意匠が刻み込まれている。 「したように……か。ククク、とんだ道化だな、貴様等は」 しかし、鎧が歪むほどの衝撃を受けつつも、禿頭の巨漢は笑みを絶やさぬまま。 「……なんですって?」 超常の力を持ち合わせた相手だという事は、少女も理解していた。だが、相手のこの態度は突出した身体能力から来る余裕だけではない。 あまりにも、異常過ぎる。 「確かに奴の裏切りで、我らがタイネス巣は滅びた。それは否定せぬ」 そう言うと、男はゆっくりと甲冑を外し始めた。少女の打撃では致命傷が入らないという自信の現われと、歪んだ甲冑が身体の自由を奪う事への対処だろう。 歪んだ胸甲が取り払われた躯には、やはり何の傷痕も残っていない。 「知らんのか? あの愚か者が、どんな滑稽な末路を辿ったのかを」 「な……」 語られた言葉に、少女は抗う術を持ち合わせていなかった。 「嘘だ……」 ただ、体は自然に前へと動く。 かわす気配もない巨漢に正面から突っ込み、光をまとう拳を叩き付ける。 「嘘だ嘘だ嘘だ……」 拳のラッシュ。連打に次ぐ連打。 胴、肩、顔、足。巨漢の全身に拳の弾幕が容赦なく襲いかかる。銀光の残滓が消えぬうち、さらなる銀光を叩き付けていく。 「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」 打ち込まれた拳に響くのは、大樹を殴りつけた時のような鈍い感触。ダメージなど入っているようには思えなかったが、それでも少女の連打が止まる事はない。 銀光が一際強く輝き。 「嘘だぁッ!」 渾身の正拳を撃ち抜いた。 だが、その一撃さえ、衝撃貫通の快音を響かせる事は無い。 光を失った拳は、無限再生を続ける不滅の巨躯に受け止められたまま。 「本当だ。英雄ディエスは、獣王に殺された」 一度は止まった少女の拳が、ヴルガリウスの言葉に再び動き出す。けれど、光の護りを失った拳では、ダメージを与える事など出来はしない。 「奴らの王……ダイバの命令でな」 「あたしは認めない……。そんな出任せ!」 英雄ディエスと獣王ホシノは、力を合わせてタイネス巣を滅ぼした。その二人が、なぜ戦わねばならないのか。 信じられなかったし、信じたくもなかった。 「好きにしろ。だが、其れが真実だ!」 振り上げられたのは、巨漢の三対の拳。 渾身の一撃を叩き付けた少女に、避ける術はない。 「きゃあっ!」 それを防げたのは、目の前で小さな爆発が起きたからだった。 「どうしたの、シューパーガール」 弾き飛ばされたシューパーガールの前に現れたのは、真っ赤な服をまとった少女。 「ミンミ! どうしてここに!?」 「こんな奴に苦戦するなんて、貴女らしくもない」 差し出した手を取らずに立ち上がる少女に、ミンミは苦笑を禁じ得ない。 「……あいつを倒す。力を、貸して」 だが、ミンミの苦笑はセイギの味方の表情を見た瞬間、怪訝なものに変わった。 「……本当に、どうしたの?」 瞳に宿る炎の色は、光ではなく闇の色。ミンミが好敵手と認める少女のものではない。 「ああああああああっ!」 その昏い光が、胸元で爆ぜた。 シューパーガールを包むゴーグルやワンピースが黄金の輝きを放ち、強く膨れあがる。少女自身も押さえきれない光は、はけ口を求めて少女のからだを疾走し…… 「破あああああああああああああああっ!!」 突き出された右腕から、一気に炸裂した。 「ぐぅっ!」 視界を覆う閃光は、不滅の巨漢を貫いて、闇の通路を灼き尽くし、なおも力を緩めない。 意志に応じる魔法の石は、いまだ力を放ち続けている。無限再生を続ける魔人の再生速度を、圧倒せんばかりの勢いで。 「マックスハート!? ちょっと、ミーニャ!」 暴走する閃光は見えるもの全てを白く染め上げている。その向こうに見える少女の姿でさえ、自らの放つ光に呑み込まれつつあった。 「死ねええええええええええええぇッ!」 耳を覆いたくなるような少女の絶叫が、狭い通路に木霊する。 「全く、もう!」 ミンミが少女のもとに歩み寄ったその時、そいつは姿を見せた。 「こノ力……倒してオカねば、なルマい!」 暴走する輝きの中から。 原型を灼かれつつも、太い怪腕をなお伸ばすその姿。 光を抜けた部分がすぐさま再生を始め、閃光の源を叩き潰そうと破壊の拳を握り締める。 「まだ生きてたの!? しつこい!」 ミンミは舌打ちと共に駆け出し、無限光を放つシューパーガールの右手に自らの左手を重ね合わせた。 「ミーニャ。その力、借りるわよ」 叫びと共に数語の詠唱。少女を包む強烈な光がわずかに弱まり、それに比例するようにミンミの周囲を巡る炎が輝きを増していく。 「サモンイフリート……インフェルノ!」 放たれた言葉と共に、魔法が完成する。 生まれ出たのは龍を象った灼熱の炎。シューパーガールの放つ光条を駆け巡り、迫る怪腕を噛み砕く煉獄の飛龍だ。 直線の光条から渦巻く螺旋へ。白銀の輝きと絡み合うように、龍を象った真紅の炎が燃え上がった。 「焦熱と無限光の中に消えなさい! アイン……ソフ……アウル!」 光の奔流に無限の再生速度を凌駕され、灼熱の業火で細胞の全てを灼かれ、火龍の顎に魂を喰らわれる。 その中では、何人も存在する事を許されない。 「がああああああああっ!」 灼光の中に響き渡る獣の咆吼。 それが、不滅と呼ばれた男の、壮絶な最後だった。 草原を吹く風の中、幾何学的な図形を描く魔法の光が散り、かき消える。 光の中に現れたのは、二人の少女だった。 「……助かったよ、ミンミ」 呟いたのは、古ぼけたマントをまとった少女。トレードマークのゴーグルを付けていないため、代わりに口元をマントの襟で覆っている。 強い意志を秘めた瞳は、疲労で輝きこそ弱めているが、いつもの少女のものだ。 「ちょっと、シューパーガール。いつもの貴女らしくなかったわよ。暴走なんかしちゃってさ」 対するのは赤い服を身にまとった娘。こちらはいつもの悠然とした態度を崩さない。 「あいつ……」 シューパーガールの瞳に一瞬、あの時と同じ色が宿りかけるが…… 「……ごめん、言いたくない」 そう言うだけで、いつもの少女に戻る。 ヴルガリウスの言葉は、少女の心の深い所に棘のように突き刺さったまま。しかし、それをミンミに話した所でどうなるとも思えなかった。 ミンミもそれが分かっているのか、何か言いかけた少女を気にする様子もない。 「そうだ。猫を連れた子供が来なかった? 一緒にあの中に乗り込んだんだけど」 広間でウォードと対決した時、先にシューパーガールと合流するように言っておいたはずだ。それなのに、先に合流したのはウォードを倒したミンミの方。 「コーシェかな? 見てないけど……」 「うん。まあ、あの子は転移魔法も使えるし、護衛もいるし、大丈夫だろうけど」 それに、幼いながらも冒険者の身のこなしをしていた。ヘタをすれば、目の前の少女よりもしっかりしているだろう。 「それじゃ、あたしは行くわ。次はいつもの貴女と戦いたいわね」 そう言ってミンミはロッドを軽く一振り。杖の軌跡が魔法陣を描き、転移の魔法を完成させる。 「あ、ミンミ……」 そう言いかけた時には、既にその姿は無い。 「もぅ。ありがとう、って言おうと思ったのに……」 力ないその言葉は、草原の風に流されるだけ。 それと、ほぼ同刻。 「ここ……どこだろう」 コーシェはいまだ、レッド・リアの中にいた。 そもそも構造どころか道の作りさえ分からないのだ。普通に進む事など出来るはずもない。 その時、先導のように歩いていた子猫が、たっと駆け出した。 「……殺気?」 コーシェが気付くより一瞬早く感じたのだろう。瞬きする間に巨大な獣機の姿を現し、曲がり角に現れた影へ鋭い一撃を叩き込む。 いかに普段は愛らしい子猫の姿をしていようとも、正体は戦士のそれだ。哀れ、通路の向こうにいた相手は一撃両断。上半身が宙を舞い、下半身がその場にどうと倒れ込む。 「ねこさん、だいじょうぶ!?」 獣型獣機は巨体に似合わぬ機敏な動きで角まで退がって間合を稼ぎ、相手におかしな動きがないか確かめる。 何せ相手は赤の後継者だ。ヴルガリウスのような例もあるし、真っ二つにしたからといって油断は出来ない。 それはコーシェも分かっているのか、威嚇の声を上げる猫に寄り添ったまま。 「……」 無言のまま、時間だけがじりじりと過ぎていく。 ゆっくりと流れて来るのは赤い血だ。傾斜はごくわずかなのだろう。血の流れ方は、亀の歩みのように遅い。 その赤いものが少女達の足元に辿り着き、表面が固まろうかというその時。 「もう、非道いのね……」 やはり、きた。 上半身と下半身、確かに二つに絶ったはず。十分な手応えもあったから、残像や幻影といった事は無い。 ずる、ずる、という躯を引きずるような音がして……やがて、ゆっくりと立ち上がるような音が響く。 取って代わるのは、ぺたぺたという裸足の足音が一つと、硬い靴音が一つ。 出会い頭となる角は危ない。二人は通路の中程、相手の姿を確かめられる位置まで、そっと後退する。 「……そんな!」 だが、通路から姿を見せた影に、流石のコーシェも息を飲んだ。 「「あら。驚くような、ことかしら?」」 左右に並び立つ全く同じ姿。 全く同じ動作で、全く同じ言葉を放つ、全く同じ顔の女。 違うのは、服に広がる鮮血の模様と、着ている服の形だけ。ベルトのわずか上で断たれた服は、片方はブラウスだけ、片方はスカートだけという様相を呈している。 「コルベット……さま」 そこにいるのは、まさしくコルベットの双子公爵ではないか。 「「コルベットに居るのは、私の分身ねぇ」」 二人の美女は、同じ動作でくすくすと嗤う。 「まあ、とりあえず」 そして、スカートだけをはいた美女は、腰に下げた長剣を優雅に引き抜き。 「貴女は死んで頂戴」 ブラウスだけを羽織った美女は、両の手で印を結び。 「ねこさんっ!」 斬撃と魔法が放たれたのは、同時だった。 |