9.黄泉還る赤 「さて。エノクの残党」 「……はい」 玉座から睨め付ける視線に、少年は身を硬くした。 「君は何をしたか、分かっているよね」 少年はかつての戦いで、視力のほとんどを失っている。しかし、その見えぬ瞳でも、主君と崇めるモノの放つ圧倒的な視線は感じる事が出来た。 シュライヴの言葉も首を振って受け入れるのが精一杯。既に言葉を返す事さえ出来ない。 「じゃ、いいや。ヴルガリウスのフォローを頼むよ」 だが、その圧力はあっさりと消えた。 「……処罰は?」 完全な敵対者を、あろうことかシュライヴの眼前にまで引き込んでしまったのだ。命など無いものと思っていたのだが……。 「いまさら青の連中に知られたからって、別にどうってことはないよ。城の連中は、もうアークウィパスを陥とすために出発しているし」 フェーラジンカの本隊は、既にアークウィパスへの行程の半ばまで進んでいる。獣機を主力にした彼らは、間違いなく革命派を蹴散らし、アークウィパスを陥とすだろう。 それに、保険も掛けた。もしフェーラジンカがしくじっても、アークウィパスの封印が解かれる事は確実だ。 「もう、止められやしないんだ。チェック・メイト。僕の勝ちだよ」 「そうかしら?」 その瞬間、退屈そうな少年の座る玉座が、跡形もなく爆裂した。 「……ロード?」 からん、と空虚な音を立てて転がる端材が、呆然とするウォードの思考を現実に引き戻す。 「こういう逆転も、あると思うんだけどなぁ」 た、と中空から降り立ったのは、子猫を抱いたフードの娘と、真っ赤な衣装をまとった少女。 「貴様……どうしてここに!」 ふわふわと広がる血のような赤を、シェルウォードが忘れようはずもなかった。 血の赤。炎の赤。 ウォードの家族を奪い、故郷を奪い、視力を奪った虐殺の赤を。 「シューパーガールの気配を頼りに来たんだけど、ハズレだったみたいねぇ」 跡形もなく砕け散った玉座を見て、そうでもないか、と紅い少女は無邪気に笑う。 「貴様……爺様に続いて、ロードまで……! 殺す! 絶対に殺す!」 「へぇ。言うじゃない」 渦巻く水をまとったウォードに、紅い少女の笑みの質が変わった。 「コーシェ。貴女は先にミーニャと合流して。ヤバそうだったら、とっとと逃げちゃっていいから」 「うん」 腕から飛び出した子猫を追うようにして、コーシェは走り出す。ロッドを振れば、その先に光の玉が浮かび上がり、闇に閉ざされた通路を明るく照らし出した。 「逃がすかよッ!」 それを逃がすまいと、阻むウォードも両手を鋭く振り抜いた。少年の周囲に渦巻く水が刃の鞭へと換わり、横を抜けようとするコーシェに向かって襲いかかる。 「だーかーら、あなたの相手はあたしだってば」 だが、紅い少女の声と共に、ウォードの放った水鞭は端から砕け散った。 物理的な打撃ではない。 いつの間に放ったか。紅い少女の周囲に浮かぶ無数の火球が、水の刃を瞬時に蒸発させたのだ。 「なら、貴様から殺してやる!」 炎の魔女。 「ボンバーミンミ!」 その名を、ボンバーミンミ。 「ふふ。やれるものなら、やってみなさい」 そして、神殿の如き荘厳な空間は、煉獄の炎に包まれるのだった。 燃えさかる爆炎の中に立つのは、白い重装獣機の姿だった。 その身の丈ほどある長大な重矛を大きく薙ぎ、こびりついた液体を振り払う。そこから起こった衝撃の波が燃える炎を切り裂いて、朱の内にある建造物をがらがらと打ち崩した。 「そちらは終わったか、ロゥ」 掛けられた声は背後から。 二メートルを超えるほどの大男だ。分厚い装甲を全身にまとった歩兵とは対照的な軽装に、不釣り合いなほどの大型剣を背負っている。 さらに不釣り合いだったのは、男の顔を覆う兔を模した仮面と、男の肩に若い娘が腰掛けている事だった。 異形を通り越して、不可思議ですらある。 「ああ。一通りな」 足元から聞こえる赤兎の言葉に短く答え、白い重装獣機は己の重装を解除した。 見上げるばかりの巨大甲冑が姿を消した後に降り立つのは、小柄な少年とさらに小柄な幼子だ。こちらの娘は、仮面の男の肩にいる少女よりも、さらに幼い。 「周囲に魔物の反応は無いから、やっぱりこの泉が動いてたっぽいな。あの六本腕じゃねえ」 崩れ落ちた廃墟を見遣り、ロゥは呟く。 俗に『泉』と呼ばれる古代の建造物だ。大半の泉は既に機能を停止しているが、中には休眠しているだけの泉もある。 それが時折勝手に動きだし、無数の魔物を生み出す温床となるのだ。 魔物の発生を止めるには、こうして泉そのものを破壊するしかない。 「しかし……妙だな」 「何が?」 怪訝そうに呟く赤兎に、ロゥは首を傾げる。 「この泉は、何年か前に討伐の対象になっているはずなのだ」 それでなくとも、この泉はアークウィパスから数日の距離にある。その距離にあって今まで警戒されていないなど、本来ならありえないはずだ。 「枯れてた泉が、また動き出したって事か? 俺が来てからの十日で三件だぞ?」 無論、活動を止めた泉が何らかの拍子で再び動き出す可能性はある。しかし、それはごく希な事であって、ロゥがアークウィパスに着いてからの十日の間に立て続けに三件も起こるなど、普段ある事ではない。 「だが、認めるしか無い。以前の討伐では、ここは完全に……」 赤兎がそこまで言いかけて、ロゥは表情を変える。 「以前の討伐? シェティスにでも聞いたのか?」 「……いや。そういうワケではないが」 男の表情は兔を模した仮面に遮られ、少年には伺う事すら出来ない。 「赤兎。お前、記憶が……」 「くどいぞ、ロゥ・スピアード」 強い赤兎の言葉に、ロゥは言葉を止められる。 「そういえば、今日は俺の事を狙わないんだな」 仕方なく、話題を変えてみた。 「なぁに? キミはまだ赤兎と戦う気なの?」 答えたのは仮面の男ではなく、肩に腰掛ける少女だ。年上であろう少年をからかうかのように、くすくすと笑う。 「な……ッ。だって前!」 「俺の相手は赤の連中だけだ。お前と戦ったのは、単に俺の前に立ち塞がったからに過ぎん」 言われ、ロゥは反論を続けられない。 確かに以前アークウィパスで戦った時は、ロゥと赤兎は相対する立場にあった。今は同じ革命派に籍を置く以上、わざわざ剣を交える意味はどこにもない。 「クロウザ程の男ならまだしも……今の貴公に、それだけの腕があるとでも言うか?」 「テメェ……」 「ロゥ!」 思わず激昂する少年の袖を、傍らにいた幼子が引き止めた。 「戦わないなら、それでいいよ……あたしも、姉様と戦いたいわけじゃないし」 震える声で呟く少女の言葉に、少年も握りしめた拳をゆっくりと開いていく。爪先に付いているのは、赤い血だ。 「良い子ね、63387」 「姉様……」 巨漢の肩でくすくすと笑う少女を、幼子は寂しげに見上げ……。 「赤兎、ロゥ! 本部から帰還指示が来ている……どうしたんだ?」 「何でもねえ!」 ロゥは、やってきた銀髪の娘に荒々しくそう叫び返すのだった。 |