5.おわりのはじまり グルーヴェ王都グルヴェアの空は狭い。 それは無数に林立する塔のせいでもあるし、今のグルヴェアが持つ空気のせいでもあった。 「これが……王都?」 城門の先に広がる風景に、少女は息を飲んだ。 小汚いマントに身を包んだ小柄な体を、より小さく縮こまらせる。 「そうです」 娘の言葉に、長身の青年も頷いた。 グルーヴェは本来軍事国家だから、以前のグルヴェアもそれなりの威圧感はあった。しかしそれでも、交易商や旅芸人のいる、活気ある街だったはず。 今では、その面影もない。 「お客さん達、間が悪いねぇ……。今日はさ、露天なんかどこも休業さ」 「そうなのか?」 宿屋の呼び込みらしい男の言葉に、青年は眉をひそめる。 「ああ。何でも北のアークウィパスに部隊を派遣するらしくてね。邪魔だから大通りの店は全部出店禁止なんだとよ」 背後を振り返れば、グルヴェアの大通りを武装した騎兵達が次々と通り過ぎていく。 「あんなにたくさん……」 少女は驚いているが、軍務経験のある青年から見れば、大した規模ではない。 「街の外にも本隊はいませんでしたし……恐らく、牽制のための先遣隊、といった所でしょう」 アークウィパスが陥落してわずか十日。いくら急ぎとはいえ、この短期間でアークウィパス奪還の大兵力が編成出来るとは思えない。 「そう……なのですか」 思えば、コルベットを攻めていた部隊さえ、この程度の規模ではなかった気がする。 「そんなわけでお客さん。今晩はウチでいかが……」 「一応、呼び込みも禁止なんだがな……」 ソカロ達を誘おうとした男の背後から掛かるのは、やれやれといったふうな声。 「イシェファゾ殿……」 冒険者らしい風体の、長身の男である。もちろん呼び込みの男の態度を見れば、ただの冒険者でない事は明白だ。 「俺だからいいけど、他の奴らには気を付けろよ?」 へぇ、と宿に下がっていく男を苦笑で見送り、イシェはソカロ達を一瞥。 傭兵の男と、ボロ布をまとった娘の組み合わせ。その組み合わせで思い当たるのは、ただ一つ。 「……ウサギの兄さん。悪いが、難民の受け入れは今ぁやってねえんだ」 そのはるか地下に、蠢く闇の姿があった。 「オルタ・リングは動かず……か」 同じ台詞、同じ口調で、二つの声が木霊する。 一人は鎧装の青年、一人は女の声を持つ異形。 「王者としての自覚に欠ける。困ったものだ」 呆れたようにため息を吐くのは、六本の触腕を持つ禿頭の巨漢だ。 「そちらの方が良いのではなくて? 変に動かれた方が、今は拙いでしょう」 そして、艶やかに囁くのは、同じく六本の腕を持つ細身の女。 男と違うのは、それが蜘蛛の脚だという事だ。 「……かつての我が主は、動かぬままディエスに城を陥とされた」 古い事を、と蜘蛛の美女は苦笑する。 「ロード・シュライヴも蘇った今、オルタなど動かなくとも何とでもなるわよ」 真の主は活動を開始している。 古代の英雄も既に伝説の彼方だ。 計画は全て予定通り。今更、何を怖れる事があるだろう。 だが、禿頭の巨漢は異形の席を立ち上がった。 「吾輩はコルベットに戻る。シェルウォードやフィアーノに任せておくのは心許ない故にな」 グルヴェアの軍部はアークウィパスにかかりきりで、彼等の要であるコルベットに手を出す余裕はない。だからこそ、彼等はこうしてグルヴェアの地下で密談を交わしていられるのだ。 だが、今その要を護るのは、計画の員数外の二人だけ。先日の侵入者騒ぎの例もあるし、不安は拭えない。 「そうだ、ヴルガリウス。帰る前に、ヴァーミリオンの調整に付き合って貰えないかしら?」 「もう終わったのでは無いのか?」 先程の会談の中で、そちらの計画も予定通りに進んでいると言っていたはず。 「ローゼンクランツはもうセルジーラに送ったのだけれどね。レヴィー・マーキスが、実戦データが欲しいとか言っててね」 ヴァーミリオンは計画の重要な駒だ。そう言われれば、巨漢……ヴルガリウスに断る理由はない。 「……仕方あるまい。付き合おう」 グルヴェアの大通りを一つ入った小さな店に、男達の姿はあった。 「……そうか。やはり、あれは先遣隊か」 「ああ。本隊はまだ当分だ」 並べられた商品をぼんやりと眺めつつの会話は、端から見てもさして重要そうには思えない。どう見ても主の買い物を待つ侍従達だ。 まさか、旧知の傭兵同士がスパイ並の情報交換をしているとは誰も思うまい。 「あの、ソカロ……」 しばらくすると、店の奥から一人の少女がおずおずと姿を見せた。 「お客様、よくお似合いですよ」 「ふむ。いいんじゃないか?」 「だな」 少女が着ているのは冒険者がよく着る、動きやすさを重視した服装だ。先程までまとっていた寝間着同然のワンピースとは全く違う。 細身の少女に、よく似合っているが……。 「ソカロ。今は、こんな事をしている場合じゃ……」 そう。今の彼女達の目的は、一日でも早くココに辿り着く事ではないのか。 「……さっきの難民スタイルよりは、目立たないだろう?」 「あ……」 言われ、少女は言葉を失った。 このグルヴェアはフェーラジンカ率いる軍部派の本拠地だ。出撃前で混乱しているとは言え、警備が無くなっているわけではない。 ここで変に目立っては、ココに辿り着くどころではなくなってしまう。 「じゃ、こちらはそれで頼む」 ソカロの言葉に、仕立屋は一礼。 「かしこまりました。ではイシェファゾ様。ご依頼の物は、これで宜しいでしょうか?」 そう言って仕立屋が広げたのは、少女がまとった服とは対照的な物だった。グルヴェアよりもココで見られるような街着で、ふわりと広がったスカートに軽くフリルがあしらわれている。 「……いい、と思う。嬢ちゃんはどう思う?」 が、肝心のイシェファゾは曖昧な答えを返すのみ。 「よく……わからないです」 そして、少女も明確な感想を答えられない。 普段着ているのはお洒落とは無縁の服だし、礼装を着る時は既に用意された物を着るだけだったからだ。 結局服の事は仕立屋に任せる事にしたイシェ達に、ソカロは苦笑。 「大変だな、お前も」 「城に変わった技術屋の男がいてな。獣機に着せるんだとかいって、頼まれたんだよ」 「そういえば、レヴィー家の獣機もメイド服を着てたっけ……」 ココでも似たような光景を見た覚えがある。 「……そうか。誰かに似てると思ったら」 ふと、イシェの頭の中で思考が繋がった。 「ソカロ。レヴィーって確か、辺境の商人あがりの貴族の事だよな? 獣機使いの娘がいる」 「ああ。それがどうかしたのか?」 レヴィー自体は中立だが、そこにいる二人の娘は各々の信じる勢力に身を投じている。そのどちらかに、イシェファゾは会った事があるらしい。 「そうか。あいつに似てるんだ。あのオヤジ」 レヴィーで独自に動く男は、ソカロや少女の知る中にはいない。 が。 「ソカロ……確か、メルディアの父君は」 「ええ。イシェ、その話、詳しく聞かせてもらっていいか?」 |