1.王都暗雲 無数の塔の林立する街、グルーヴェ王都・グルヴェア。 その中で最も高く、最も中央に位置する塔が、グルヴェア王城塔である。そして、その一角に王城塔の主の姿はあった。 「閣下。シニアス、カルテデーン、ディニセアの三領が、こちらとの同盟を破棄するとの使いを寄越して参りました。ディセニアに至っては、既にアークウィパスに入城した様子」 「そうか……」 将校の言葉に、巨大な双角を持つ男は静かに頷いてみせる。 平時だというのに重厚な鎧をまとった男の名は、フェーラジンカ・ディバイドブランチ。今のグルヴェアを支配する鹿族の青年である。 彼らの前に広げられているのは、無数の朱線と四色の旗に覆われたグルーヴェ王国の地図だ。書き加えられた無数の朱線は、グルーヴェ各地を治める諸侯の領地を。立てられた旗は、その諸侯が今どの勢力に属するのかを示している。 男の報告を受け、シニアス、カルテデーン、ディニセアの三領に立てられたジンカ派の赤い旗が、他の勢力への恭順を示す色の旗に差し替えられていく。 「これで、我らに従う諸侯は三割を切り申した」 「中立の地もほとんどがオルタ・リングに付いたか……」 地図上にある旗は、大半がオルタを示す青色だ。残りをフェーラジンカの赤と革命派を示す緑が取り合っている状況である。 コルベット・アークウィパスの敗戦から一週間。たったそれだけの間で、グルーヴェの勢力図は劇的に変わりつつあった。 「となると、これが気になりますな……」 そんな中。ぽつんと立つ黄色い旗に、武官の一人が小さく呟く。 中立を示す黄色い旗。朱筆で描かれた領地の名は…… 「レヴィーか。閣下、如何なされます?」 「捨て置け」 短く答えたジンカの言葉に、武官はもう一度問い直した。 「良いのですか? レヴィーめは、中立と言いながら裏でコルベットとも繋がりがある様子……」 先日のコルベットで、会談に応じたオルタがふと漏らした言葉だ。もともと武器商人あがりのレヴィーの事、何か企んでいる気配もある。 「武器商人くずれに何が出来るか。それより、戦力の再編は済んでいるのだろうな?」 「本隊の編成にはあと十日ほどかかりそうです。先遣隊は、三日後には出撃できる予定ですが……」 革命派に十分な準備の時間を与えるわけにはいかないため、時間稼ぎの部隊を先行して投入する計画になっていた。 兵力数に余裕がある軍部派だからこそ出来る手段である。 「先遣隊は二日、本隊は一週間で済ませろ。ジークベルトならもっと短く済ませるぞ」 「……御意に」 「ならば、後は任せる」 鎧に覆われた両の拳を一つ打ち合わせると、ジンカは喧噪に包まれた会議室を後にするのだった。 「閣下」 ジンカの背後から掛けられたのは、静かな男の声だった。 長身の青年だ。棍を提げた風体は警備の兵士にも見えるが、ただの警備兵なら将軍に声を掛けたりはすまい。 「イシェファゾか。どうした?」 「その……」 左腕を見て言い淀む青年に、ジンカは薄く笑う。 「ああ、これか」 ジンカが一声掛ければ、鎧甲に覆われた左腕がしゅるしゅると解け、少女の姿へと姿を変える。 「アルジオーペに調整させたのだ。クルラコーンの出力を絞り、長い時間使えるようにしてあるだけだよ」 装甲を失った左肩から先は、何もない。 先日のコルベット攻めで失った左腕は、あの時から失われたままだ。 長身の青年と無言の少女を連れ、隻腕の鹿将はそのまましばらく歩いていく。 「随分、少なくなったな……」 次に口を開いたのは、傭兵隊の詰め所の前だった。 ミクスアップを破り、グルヴェアに入城した頃は、この詰め所にも多くの傭兵達がいたものだが……。今の詰め所には、往時の半数以下の傭兵しかいない。 本格的なぶつかり合いは無かったとは言え、王党派を相手にしたコルベットの戦いでジンカは相当の兵を失っていた。 「はい。ロゥやベネンチーナも、アークウィパスの撤退戦で……」 そして、何より大きいのがアークウィパスの陥落だ。こちらの手の内全てを読んだ革命派の攻撃で、ジンカ達は駐留していた兵士の大半を失っている。無事にグルヴェアまで戻れた者は少なく、戦列に復帰出来た者はさらに少ない。 「……そうか」 がらんとした詰め所を後にし、フェーラジンカは再び歩き始める。 「イシェファゾ。クルラコーンをアルジオーペの元に連れて行っておいてくれるか? 普段から使うには、まだ出力が強すぎる」 歩みを止めたのは、人通りの少ないテラスに着いた時だった。 「最下層にある工房にいるはずだ。頼むぞ」 「……了解」 グルヴェア王城塔の最下層、地下階の一番下にあたる場所は、工房と呼ばれている。 「何だね、君は」 入口の衛兵を抜け、長い階段を延々と下った所で、イシェは硬さを帯びた声に呼び止められた。 「この先は関係者以外、立ち入り禁止だぞ?」 濃い色のフードを目深にかぶった男だ。性別は声で男と解るが、表情までは解らない。 「フェーラジンカ卿の命令だ。アルジオーペ殿に、クルラコーンの調整を頼みたいそうだ」 男はイシェの言葉に、傍らの少女を招き寄せた。フードを取り、クルラコーンの瞳の奥をじっと覗き見る。 「ヴァルトラウテか……。まだ出力が強かったか」 男は三十の後半から、四十の前半といった所だろうか。学者か貴族といった感じの、やや世間ずれした雰囲気を漂わせている。 「……あんたは?」 「アルジオーペ卿の助手のようなものだ。解った、この先には私が連れて行こう」 そんな事を話していると、通路の奥から若い女が姿を見せた。 「どうしたの?」 「ああ。アルジオーペさん」 「あら、イシェファゾ。ここは立ち入り……」 そう言いかけたアルジオーペを、自称助手の男は苦笑気味に制する。 「閣下がヴァルト……クルラコーンの再調整を頼みたいそうだ。彼はその付き添いさ」 「あら、そう。なら、了解したとお伝え下さるかしら?」 ぼんやりと立つ少女を抱き寄せ、美女はふわりと妖艶な笑みを見せる。 「承知した」 そう答えるものの、イシェファゾがその場から立ち去る気配はない。 「……何か?」 美女ならともかく、男の方をじっと見ている青年に、さしもの男も怪訝そうな声を返す。 「いや。あんた、どこかで会った事ないか?」 そう。ごく最近の事だ。 彼本人か、近しい存在に、会った記憶があるような……。 「気のせいだろう。私は君の事など知らない」 「そうか。気のせいかな……」 男に考えを一言で否定され、イシェファゾは地下の工房を後にするのだった。 階上に姿を消したイシェを見送り、アルジオーペはくすくすと笑う。 「知らない、ねぇ」 確かに、イシェは男本人と会った事はないはずだ。だが、『会った気がする』というならば、あながち外れてもいないはず。 「……私は作業に戻るぞ」 そんな事に興味など無いかのように、男は暗い色のフードをかぶり直した。既に表情も解らなくなっている。 「はいはい。ローゼンクランツとヴァーミリオンの改修はどう?」 「九割がた、という所だ。先にロスヴァイセ……ローゼンクランツを仕上げて様子を見る」 相変わらず愛想のない男に、美女はクルラコーンを抱いたまま苦笑。反応のない少女の頬を、長い舌でぺろりと舐め上げる。 「それは任せるけれど、ヴァーミリオンはアークウィパス攻略に間に合わせて頂戴よ?」 「問題ない。それより、約束はちゃんと守ってくれているのだろうな?」 それだけ言い残し、フードの男は工房の奥へと姿を消した。 「期待しているわよ。レヴィー・マーキス」 |