風が、吹いている。 小高い丘の上だ。石造りの遺跡が並ぶその地に立つのは、二人の男。 「とうとうここまで来たな、ディエス」 一人は壮年。 虎族の聖痕を穿たれた表情は静かで、かつ険しい。わずかな身じろぎで、双手に填められた鋼の牙が、じゃらり鳴る。 「そうだな。ホシノ」 一人は青年。 顔の半分を覆う紅のマフラーで表情は見えない。だが、その研ぎ澄まされた戦意は周囲の空気さえ変えるほど。 それが結界となり、周囲の敵は彼ら二人に近付く事も出来ぬ。 そう。 男達が居るのは、敵のただ中。 取り囲むは、六本腕の禿頭、歩く蝉、鈴虫の翅を持つ女、甲殻を背負った男……即ち、フェアベルケンには存在しないはずの聖痕を持つ者達。 『赤』の名を持つ異形の群れが、男達のまわりを十重二十重と取り囲んでいるではないか。 その数、ほぼ千。 対する味方は、たった二人。 千対二。 「やれやれ。タイネス巣の女王が座所に相応しき歓迎だな」 しかし、絶望的ともいえる状況にありながら、ホシノの顔に浮かぶのは、ただ笑み一つ。 タイネス巣は、フェアベルケン西方に潜む『赤の後継者』達の一大本拠地だ。そこを陥とせば、西方に蠢く後継者の戦力を大幅に削ぐ事が出来る。 大タイネスの南北分裂は防げなかった。だからこそ、ここで一撃加えておかないと、取り返しの付かない事になるだろう。 「だが、本当にいいのか? ディエス」 ふと、ホシノは傍らのディエスに不可解な問いを放った。 「愚問だぞ、獣王」 答えと同時に風が哮り、ディエスの口元を覆うマフラーを蒼穹へと舞い上げる。 「この星に生きるものとして、奴らと共に歩むわけにはいかん……」 そんなディエスの言葉を紡いだのは、人間の唇ではなかった。 「例え、同じ一族だとしてもな」 飛蝗の顎門。 岩すら噛み砕くそれがぎちぎちと鳴り、人の言葉を放っているのだ。 目の前の異形と同じ、『有り得ない聖痕』。 異形どもと袂を分かった、異質なる異形。 それが彼。 ディエス・トラメーナ。 「……そうか」 最後の答えは聞いた。 ならば、ホシノに問う事はない。 傍らの異形と共に、この星の守護者としての責を果たすのみだ。 「往くぞ、ディエス。ガーディアンズ・ギルドの長にして、『カルマ』の姿を継ぐ者よ」 「……応!」 そして男達は、絶望への一歩を踏み出すのだ。 絶対守護者の名の下に。 それはグルーヴェ王国が建国される前。 ほんの、数十年前の出来事である。 Excite NaTS "Second Stage" 獣甲ビーファイター #4 オルタ・リングの涙(前編) 0.アークウィパス撤退戦 五色の信号弾が、蒼い空に炸裂した。 アークウィパスでその意味が理解出来ない者は、敵味方合わせても数えるほどしかいない。 「イーファ。何だ、ありゃ」 そんな数少ない一人が、白い装甲法衣をまとった少年だった。 もともと傭兵に近い立場の少年だ。信号弾の読み方までは教えられていない。 「……こちらの撤退信号ヨ。ここもヤバいわね」 対する隣の少女……イーファは、完全な軍属。普段なら決して上げられるはずのない内容の信号に、やや表情が硬くなっている。 「なるほど……。アークウィパスが陥ちたか」 アークウィパスはグルーヴェ王国軍の本拠地であり、王国で最も堅固な城塞を持つ要塞都市だ。いかに主力が出払っていようと、わずか半日で陥とされるなどありえない……はずだった。 しかし、侵攻があってわずか半日で、空には五色の信号弾が上がっている。 「考えるのは後にしましょ、ロゥ。まずは、この場を離れないと」 いまのところ、周囲には敵の姿は無い。だが、これから革命派の追撃がかかるだろう。 その中にはグルーヴェでも屈指の戦士達も混じっているはずだ。超獣甲をまとうロゥを退け、イーファの槍を絶つほどの実力者が。 「……って、ロゥはこれからどうするの?」 「あー。考えてなかったな」 フェーラジンカの軍では投獄された身だし、先程まで戦っていた革命派にあっさり投降するのも気分が悪い。 軍部・革命派と並んでグルヴェアを三分する王党派には、あまり面識がなかった。 「じゃ、とりあえずウチに来ない?」 「レヴィーか……」 レヴィーはグルーヴェ内で中立を保っている数少ない場所だ。イーファの実家であり、ロゥの獣機が世話になった事もある。 「そうだな。グルヴェアに戻ってもロクな事なさそうだし……先行、頼めるか?」 「OK。じゃ、先に行って待ってるからネ! ロゥ!」 呟き、イーファは大地を蹴った。 軽やかな声だけを残し、六枚の翼は主たる少女を戦闘空域の外へ押し出していく。 「さーて。行くアテも出来たし、俺達も行くか、ハイリガード。追撃のサーチだけよろしくな」 「ん、了解」 イーファが姿を消したのを見送り、殿を引き受けたロゥ達もゆっくりと飛翔を開始する。 砂塵の荒野を、六枚の翼が駆け抜けていく。 「ったく、冗談じゃないわヨ!」 荒々しく吐き捨てたのは、アークウィパスを後にしたはずのイーファだった。 「イファ! 残り後方三騎、まだ追撃してくる!」 「もう……いい加減、見逃してヨ!」 ちらりと後を見れば、自らの十倍はあろうかという巨大なヒトガタがこちらを追い掛けているのが見える。 三式ギリュー。グルーヴェ正規軍に配備された主力獣機だ。このアークウィパスにも、防衛用に数騎が残されていたはずだが……。 「軍部のギリューはさっきの戦いで使い切ったんじゃないの!?」 そう。配備された騎体は、先程の革命派との戦いで全て迎撃されているはず。 「軍部派の騎士とお見受けする! 大人しく投降せよ! 我々はディセニア伯爵家、革命派の協力者である!」 「紋章から識別出たけれど……言わなくていいみたいね」 どうやら、レヴィーのように獣機を持っている中立貴族が、軍部か革命派に参戦しようと思ってやって来たらしい。 「アタシの運が悪かったって事……か」 冗談じゃない、と短く呟き、イーファは空中で急停止。持っていた長槍を構え直す。 追っ手は通常の獣機だ。超獣甲をまとったイーファであれば、倒す事自体は造作もない。 余計な争いをしたくはなかったが、どこまでも追ってくるなら相応の態度を見せるしかないだろう。 「我が名はイーファ・レヴィー! レヴィー伯爵家に名を連ねる者である!」 だが。 「……ドゥルシラ?」 名乗りと共に、六枚の翼がゆっくりと空の中に溶け始めた。 「……ごめん、なさい」 浮力を失い、大地に足を着いた刹那、がく、と少女の膝が崩れ落ちる。 獣甲側のサポートを失い、騎体のバランスを崩したのだ。 「ドゥルシラ!?」 その非常事態に、イーファは即座に起き上がる。見回せば、既に鋼の鎧は姿を消しており、獣機の娘は彼女の足元に倒れ込んでいるではないか。 「大丈夫!? どこか、やられてたの!?」 甲冑から伝わる情報の中では、極端に大きなダメージを受けた場所は無かったはず。連戦に次ぐ連戦で、出力は確かに落ちていたが……。 慌てて駆け寄り、横たわった少女の手を取る。 「ドゥルシラ!」 握りしめた少女の白い手からは、一切の力が喪われていた。 「イ……ファ……」 力ない笑顔で、ドゥルシラは弱々しく呟く。 「だいじょ……ぶ……から……」 ぱきぃん。 薄い硝子が砕けるような音がして。 少女の姿が、光の中にかき消える。 荒野に降り立ったのは、銀色の甲冑をまとった少女だった。 「……これは一体、どういう事だ!」 肩までの銀色の髪を砂混じりの風になびかせ、騒ぎの中心となっている場所へ歩いていく。 「い、いえ。我々はまだ何も……」 現れた少女の問いに、武官らしき男も困り顔。それがこの場の状況に困っているのか、現場を治めに来た革命派の幹部が年端もいかぬ娘だった事に戸惑っているのかは、分からなかったが。 「貴官らが到着したとき、既に雌雄は決していたのだ。我々としては、撤退した相手を追撃をする予定も、捕虜を取る予定も無かったのだがな……」 「ですが、シェティス殿……」 武官は非難じみた口調の少女に反論しかけるが、少女のほうは耳を貸す気配すらない。 「イーファ。ドゥルシラは?」 輪の中心。ディセニアの兵士達に囲まれ、荒野に力なく座り込んでいるのは、見知った少女だった。 「せんぱぁい……。ドゥルシラが……ドゥルシラが……」 ドゥルシラが消えた後、イーファに残されたのは、掌ほどの大きさの金属板一枚。 ドゥルシラのてのひらと同じ温度で、今も少女の手の中に静かに沈んでいる。 「……シスカ」 短い声と共に、シェティスの銀色の甲冑がかき消えた。代わりにシェティスに似た少女が姿を現し、主に向かって無言で首を振る。 「……お前にも分からんか」 「申し訳ありません……」 ふぅ、と短くため息を吐き、シェティスは泣きじゃくる少女をそっと抱きしめてやる。 何事もなければ解放するつもりだったが、こんな状況ではアークウィパスに連れて行くしかないだろう。 「貴官らには彼女の護衛を任せる。それで……今回の件は不問としよう」 「……は」 そして、イーファ・レヴィーは、革命派の虜囚となった。 |