14.転章 オルタ・リングの涙 舞い降りてきた獣機から飛び降りたのは、メルディアとアイディだった。 「コーシェ! 殿下は無事ですか!」 軍部派の陣から遠く離れた森の中だ。混乱する軍部の追跡を封じ、ようやくコーシェの獣機と合流できたのである。 「ソカロ!」 そう問い掛けても、ソカロやコーシェからの返事はない。 「殿……下?」 慌てて駆け寄れば、オルタはコーシェに膝枕されたまま、横になっているではないか。 胸が静かに上下しているあたり、命に別状はないようだが……。 「ソカロ。一体、何があったの?」 「色々ややこしくてな……」 実際の所、ソカロでさえ混乱して何がどうなったのか分からないのだ。 アークウィパスが陥とされて、そこにはいないはずのフォルミカがいて、和平会談が決裂して、逆上したジンカの腕が水の刃で斬り飛ばされた。 これだけの状況を簡潔に説明できる者など、この世界にどれだけいることか。 しかし、一つだけ説明出来る事があった。 「とりあえず、これを見て貰えるか?」 ソカロは気を失ったままのオルタの手を取ると、修道服の袖をそっと引き上げてみせる。 そこにあるのは、光沢のある鎧のような腕だった。 「これ……は? まさか、獣機の腕?」 少女の腕にしてもか細いそれは、鎧を付けているようには見えなかった。そして数日前、一緒に水浴びした時のオルタは、そんな腕を持ってはいなかったはずだ。 人の腕と鎧の腕を同時に持つ種族といえば、グレシアたち鋼鉄系ビーワナ以外に存在しない。 「……違うで」 だが、遅れて合流したグレシアは、それを静かに否定した。 「その腕は鎧やなくて外骨格や。何かのショックで発動したんやろな」 「外骨格?」 外骨格と言えば、アリやセミなど昆虫の持つ特徴の一つだ。そして、虫のビーワナなど、このフェアベルケンには存在しない。 アイディの知る限り、そんな『無いはずの聖痕』を持つ者は……。 「……まさか!」 浮かんできた結論に、遅れてきた二人の少女は言葉を失った。 「せや」 ソカロもコーシェも、その結論に至ったからこそ、言葉を返せなかったのだ。 「その腕は、赤の後継者の、聖痕や」 コーシェ達が恐ろしい結論に辿り着いていた頃、ウォードもまた、一つの結論に向き合っていた。 「聖痕の力が、乗っ取られたの?」 フィアーノは、問われた言葉に首を傾げた。 「ああ。心当たり、ないか?」 先程の、水球の暴走事件である。 聖痕を使う事とは、自らの体を動かす事に等しい。 大人がコップで水を飲む事を失敗しないように。フィアーノが空に舞い上がる事を失敗しないように。ウォードが簡単な水の支配を失敗する事など、普段ならありえないはずなのだ。 「そうねぇ……。そんな事が出来るのって、女王くらいじゃないのかしらねぇ」 物心着いた時から一人だったフィアーノには、女王に関しての記憶はない。だが、グルーヴェ巣の他の仲間がそんな話をしていたのを聞いた覚えはある。 女王は、生まれ出る子供達の力を掌握できる、支配の聖痕を持つのだと。 「やっぱり、そうか」 ならば確実だろう。 あの場所に赤の後継者は三人いた。しかしアルジオーペが水属性の魔法を使った様子はないし、フィアーノは魔法も水も操れない。 さらにこの仮説なら、ヴルガリウスやフォルミカが執拗にオルタを気に掛けていた理由も納得がいく。 「という事は……」 全ては繋がった。 「オルタ殿下が、グルーヴェ巣の新たな『女王』……」 王都グルヴェア。 そのはるかはるか地の底に、禍々しい声が響き渡った。 「そう。次の女王がやっと見つかったの」 それは、無邪気な幼子の声。 それは、無邪気故に残酷を行う、幼子の声。 それは、憎悪を憎悪と知らぬ、幼子の声。 「は。アークの娘が、女王の聖痕を発動させました」 闇の中に一人立つのは、蜘蛛の聖痕を持つ美女の姿。南方コルベットよりグルヴェアに戻った、アルジオーペである。 「アーク? 前の女王だっけ?」 「はい」 『それ』にとって重要なのは、組み立てられたシステムと、そこから生まれる結果だけ。構成要素の名前など、どうでも良いのだ。 「まあいいや。で、次はどうなってるの? 暇つぶしも良いけど、ちゃんと僕が復活できる準備はしてくれてるんだろうね?」 「勿論ですわ」 その為の計画である。ここまで来る為に、赤の後継者達はグルーヴェを興し、全ての駒が揃うタイミングを待ち続けてきたのだ。 新たな女王の誕生。 解かれた最初の封印。 そして、主の復活。 「スクメギの封印は解かれたし、新しい女王は見つかった。なら、次はアークウィパスかな」 ここまではシナリオ通り。 そのシナリオに沿うならば、次の解くべき封印は、アークウィパスだ。 「フェーラジンカはアークウィパスを占領した革命派を攻めるそうですわ。アークウィパスの破壊も辞さない覚悟だそうで」 フェーラジンカは既にアルジオーペの手中にある。その上、独走したウォードの仕掛けが想像以上の効果を発揮してくれた。 そのお陰で、アルジオーペが何もしないうちからアークウィパスの崩壊は決定事項だ。 「そう。なら、君達の暇つぶしも役に立ったわけか……封印が二つ解ければ、最後の封印を解くのはすぐだしね」 無邪気な幼子の声が、闇を帯びる。 「待ち遠しいねぇ。忌々しい龍王が棲むこの世界を、跡形もなく消し去る日が……」 それは無邪気な幼子の声。 「そして、僕が旅立てる日が……」 蜻蛉の翅を笑顔でもぎ取る、残酷な幼子の声。 |