9.アークウィパス強襲 時は、前日に遡る。 レヴィーやコルベットのはるか北。ココ王国に近い山脈の麓に、その場所はあった。 「あれが、アークウィパスか」 グルーヴェの誇る巨大城塞をサングラス越しに見、クワトロは感嘆の声を漏らす。 アークウィパス。 神話の時代から連なる超古代の遺跡にして、グルーヴェ軍部の本拠地だ。それと同時に、グルーヴェの誇る獣機部隊の発掘場でもある。 グルーヴェの獣機がア式獣機とも呼ばれるのは、アークウィパスの名に由来するのだ。 「そういえば、アンタらは初めてなんだっけ」 雅華やジークは軍部出身だからアークウィパスなど今更驚きもしないが、クワトロや赤兎は外部の人間だ。もちろん、グルーヴェの誇る大城塞も初見である。 「うむ」 「堅牢とは聞いていたが、これ程とはね」 白亜の外郭部は迷宮のような構造になっているし、中央にある城塞の壁は驚くほど高い。スクメギ深部と同じ材質で作られているとすれば、獣機の攻撃でも容易には突破できないだろう。 「あんな所を本当に落とせるのか?」 「その為の戦力は、選んだつもりですが」 獣甲使い、ティア・ハーツ、祖霊使い、魔術師。 確かに革命派でも最強の戦力が揃っている。数こそ少ないが、正面から一国の大軍を相手取っても負けはしないだろう。 「いや……」 だが。 その圧倒的な戦力を前に、クワトロは敢えて問うた。 「ジーク。本当に、アークウィパスを陥としていいのか?」 コートの青年の問い掛けに、有翼獅子の男は首を傾げた。 「本当に、とは?」 「分かってるんだろう!」 見え透いた芝居に苛立ちを隠しきれず、自然と語気が荒くなる。 「ゲリラがあんな目立つ本拠地持って、どうするよ!」 ジークベルトたち革命派は、これまで核となる本拠地を持たずに動いてきた。だからこそジンカも彼等の動きを捕らえきれず、大きな攻撃を受けずに済んできたのだ。 「これじゃ、ただフェーラジンカを挑発するだけだ。分かってるのか?」 だが、アークウィパスを本拠地と据えれば、ジンカは即座に総攻撃を掛けてくるだろう。いかに革命派が精鋭揃いといえど、グルーヴェ正規軍数万の前にはひとたまりもあるまい。 「いいんだよ、それで」 「何?」 意外な肯定にクワトロは息を飲んだ。 「誰もコイツに言ってないのかい? ……本来の革命はね、もう失敗してるんだよ」 その様子を見て、呆れたように雅華が呟く。 「……革命が起きる前のグルーヴェの状況は知っていますよね、クワトロ」 「ああ。無能な国王が、下の言いなりになってたって聞いたが」 だから、暴走した中央がココへの侵略を開始し、かつてのスクメギの戦いは起きたのだ。 それを憂いたジークベルトが革命を起こし、今に至る。少なくともクワトロはそう聞いていた。 「本来の予定はね、第三王子のデバイス様が生き残って、ジンカと協力してジークを討つハズだったんだ」 グルーヴェの未来を憂いたのは、ジークだけではなかったらしい。 「護る側もグル……狂言だったのか」 その通り、と、ジークは首を縦に。 「だが、その土壇場でジンカは裏切った。デバイス様を殺し、私をその犯人に仕立て上げて」 その後どうなったかは、クワトロがグルヴェアで見たとおりだ。 「オルタ姫と協力し、良きグルーヴェを作ってくれるなら、大人しく討たれても良かったのですが……ね」 いまやコルベットとオルタ姫を奪い合い、ミクスアップを倒した後はグルーヴェの王者の如き振る舞いを見せている。 デバイスと三人で王国の未来を語り合った盟友の面影は、今や何処にもない。 「それを皆は?」 真実を告げられても動揺する気配さえないということは……。 「少なくとも、最初から革命に関わった連中はみんな知っています」 そして、今でも協力してくれている。 フェーラジンカとの対決の場を作る為に。 反旗を翻した将軍の真意を問い質す為に。 「なら、処刑場で問い詰めれば……」 「あそこで問い掛けても、彼は返事などしないでしょうよ」 そして兵士達に追いつめられ、ジーク一人が討ち取られて終わりだったろう。 それでは本当の犬死にだ。革命を起こした意味さえ無くなってしまう。 「折角ここまで来たんです。何かグルーヴェの為になる事を遺していかないと、意味がない」 「アークウィパスを取り戻す為、連中がオルタと手を結べば良し、という所か?」 「理想はね」 そしてジンカがオルタを盛り立ててくれれば、少なくとも当初の目的は果たされる。革命派のメンバーの逃走経路は確保してあるし、ジークとしても思い残す事はない。 「最悪、今回の事件の黒幕をいぶり出すくらいは出来るでしょうよ」 そう呟いたジークの先にあるのは、赤い仮面をかぶった隻腕の巨漢。肩に乗る少女は視線に気付いたのか、青年を見てくすりと笑う。 「……そういうことか」 だからこそ、今までのような討伐部隊相手では意味がないのだ。 アークウィパスを陥とし、本気で仕掛けてくるフェーラジンカを正面から迎え撃つ。 そのための、アークウィパス攻略だ。 「では、往きましょうか」 男は歩みを止める事はない。 敵と味方、無数の屍を乗り越えて、なお。 「飯だよ、ロゥ」 「おう。悪ィな」 鉄格子越しに渡された食事を、ロゥは受け取るなり即座に食べ始めた。 「……アンタ、あんまり投獄されてる自覚ないだろ」 ベネはそのあまりに堂々とした食べっぷりに苦笑するしかない。 「食える時に食っとかないと、ロクな事ねえだろ」 傭兵や冒険者の基本だぜ、と少年はスープをすすりながら答える。 「まあ、そりゃそうだけどさ」 そこまで言った時、地面がわずかだが揺れた。 強固な地盤の上に立つアークウィパスでは、地震は少ないと聞いていたが……。 「ベネー。どこー!?」 訝しんでいると、営倉の入口から少女の声が聞こえてきた。 「こっちだよ、シグ!」 「どっちー」 入口に呼びかけるが、返ってくるのは間の抜けた返事のみ。 アークウィパスの営倉はシグのいる入口からロゥのいる一番奥まで真っ直ぐな作りだから、まともな方法では迷わないはずなのだが……。 「ったくもう、この子はー!」 仕方なくベネは営倉を真っ直ぐ進み、真っ直ぐ引き返してシグを連れてきた。 「で、なんだい、今の揺れは。敵襲でもあったのかい?」 アークウィパスはグルーヴェ最大の要害だ。ここを襲えるような戦力など、グルーヴェにはコルベットを攻略中の正規軍くらいしか存在しないはずだが。 「うん。なんか、革命派とかいう人達が攻めてきてるみたい。出動命令かかってるよ」 「って、それを早く言いな!」 営倉はアークウィパス外郭の中程にある。そこまで揺れるほどの侵攻など、緊急事態以外の何事でもない。 「ロゥ。鍵はここに置いとくから、死にそうになったら適当に逃げなよ!」 ベネは慌てて立ち上がると、シグに営倉の鍵束を放って走り出す。 「……ああ」 急ぐベネとは対照的に、営倉入りのロゥは駆るべき獣機もない。牢屋の奥の壁にもたれ、静かにそう答えるのみだ。 アークウィパス外郭の迷宮を走りながら、クワトロはどこか拍子抜けしたように呟いた。 「……意外に、正攻法なんだな」 獣機に乗った雅華やマチタタが正面から乗り込んでいる間に、非常用の抜け道から本隊が内部に侵入する。 それが、ジークの立てたアークウィパス攻略作戦の概要だった。 驚くほどに典型的な陽動作戦だ。まるまる戦術の教則本に載せて良いほどに、基本に忠実な。 「別に奇策ばかりが戦術ではありませんよ」 迷宮の中だというのに、ジーク達は駆ける速さを緩めない。 「まあ、兵士の方が特殊だから、教則本には載せられないか……」 彼らは迷宮を迷わない。 それもそのはず、制圧本隊の半分以上は軍部の出身者だったからだ。アークウィパスの構造を知り尽くした彼等の前に、外郭の迷宮は防御機構としての意味を成さない。 「わあっ! 何で貴様ら、こんな所までっ!」 それどころか、おっとり刀で駆けつける軍部派の裏をかくための強力な武器とさえ化していた。 「シェティス隊、任せる!」 槍を構えたシェティスが部下を連れて敵兵に躍りかかり、ジーク達は別の道を走り出す。入念な打ち合わせをしていたのだろう、動きには一瞬の遅滞もない。 「信号弾だ! 信号弾、てぇっ!」 始まった混戦の中、白煙を曳いて白い光球が天へ駈けのぼった。無論、その内容も革命派の前には筒抜けだ。 「獣機隊を呼んだか……。シスカ、獣機戦用意! 他の者は一気に制圧を掛けろ!」 「了解っ!」 ぐらぐらと、地面が揺れた。 「……そろそろ、ここもヤバイかな」 牢屋の中、ロゥは一人ごちる。 ベネが鍵を置いていったのはもちろん知っていたが、あまり逃げる気にもなれなかった。勝手に逃げるのは、どこか卑怯な気がしたからだ。 このまま何事もなければ、牢の中にいようと思っていた。 だが、命が危ないとなれば話は別だ。彼にはまだやりたい事は沢山あるし、やらなければならない事も山ほどある。 少なくとも、こんな所で瓦礫に押し潰されて死んでやる気は、ない。 ぐらぐらと地面が揺れ、ぱらぱらと石のかけらが降ってくる。 「……大丈夫だろうな、この壁」 古代遺跡の壁材は、箱船の装甲板と同じ材質で出来ていると聞いた。ロゥが戦った箱船の装甲は、獣機の攻撃が直撃しても耐えきるほどの強度を持っていたはずだ。 そう思い、試しに思い切り蹴ってみた。 少年の蹴打を受けた壁は確かな手応えと共に、小さくではあるが確かに砕け散る。 「ただの石かよ!!」 ぐらぐらと地面が揺れ、爆裂音が響き渡った。 戦場はごく近い。 その上、ロゥの命綱となるべき牢獄の強度は、無いも同然。 「ヤバイ。とりあえず、逃げよう」 まずは牢屋を出て、それからだ。 獣機はないが剣の修練はしてある。戦場で全く役に立たない、という事はないはずだ。 「鍵、鍵……」 ベネは牢の前に放り投げておくような事を言っていたから、すぐ拾えるはず。 そう思って牢の外を見れば…… 「……おい」 鍵が置いてあるのは、ロゥの牢のはるか彼方に位置する机の上。 あれをこの位置から取るのは、ごく普通のラッセであるロゥには絶対無理だった。 「ベネーッ!!」 「……あれ?」 誰かに呼ばれたような気がして、ベネンチーナはふと振り返ってみた。 「なあシグ」 後ろにいるのはシグだけだ。仕方ないので、何となく気になった事を聞いてみる。 「あんた、ロゥの部屋の鍵、どこ置いた?」 牢屋を出る前に、シグに預けたはずだ。ロゥがいつでも逃げられるよう、言いつけておいたのだが……。 「最初に置いてあった机の上だけど」 「……」 言われ、『最初に置いてあった机』の位置を脳内でシミュレートする。 「……」 牢屋の一番奥から人が手を伸ばして取るには、かなり無理そうな位置だった。 「この、ばかっ!」 響いたのはべきという、鈍い音。 「やーん。ベネがぶったー」 どう見ても陥没している頭を押さえ、座り込んで泣き出すシグ。 「まあ、やっちまった事は仕方ないね。アイツの悪運に賭けるしかないや」 ほぼ確定で死ぬかもしれないロゥの事をすっぱりと切り捨て、ベネンチーナは正面を見据える。 「それどころじゃないしねぇ」 シーグルーネも涙を拭い、主に寄り添うように立ち上がった。 「全くだ」 前を阻むは、十騎を超える獣機の群れだ。アークウィパスの最終防衛線、外郭の入口となる城門前である。 「アンタらは歩兵の相手をしてればいい。獣機が来たら、出来るだけ逃げ回りな」 「あ、ああ。頼むぞ」 恐らく相手は総力戦。だが、味方は後詰めの歩兵のみ。城内の獣機も、出撃準備の真っ最中だ。 それまで獣機の相手が出来るのは、ベネ達たった二人だけ。 「じゃ、行くよ。シグ!」 だが、美女の言葉に悲壮は見えぬ。 「はーい!」 少女の声にも気負いは見えぬ。 なぜなら。 「超獣甲!」 絶対の切り札が、そこにあるからだ。 少年は、それは夢だと思った。 「……あれ?」 もしくは、極限状況の自分が生み出した幻かと思った。 「言っとくけど、夢でも幻でもないからね。ばかロゥ」 だが、どちらも違っていたらしい。 「ハイリガード! それに、イーファ!?」 目の前にいるのは彼の相棒と、槍使いの少女だった。そして手には、牢屋の鍵を持っている。 「革命派がアークウィパスを攻めるって聞いてネ。とりあえず、間に合ったみたいね」 「……どんな情報網を使った?」 怪訝そうな顔でロゥは少女に問うた。 いまだジンカの本隊が来ない所をみると、革命派の奇襲は完璧だったと見ていい。その情報を、どうして部外者の少女が知っているのか。 「一応、アタシもグルーヴェの軍人なんだけどね……。とりあえず、さっさとそこ出なさいヨ。戦うにせよ逃げるにせよ……」 だが、少女はそれに答えない。拾ってきた鍵で牢の鍵を開けようとする。 「いや」 言いかけたイーファの言葉を、ロゥは静かに遮った。 「ロゥ。革命派の情報ってね……」 「ああ。何となく見当が付いた」 ハイリガードの言葉さえ、最後まで聞くことはない。 あいつだ。 この石壁の向こうに立つ、圧倒的な気の主。 気配を押し殺すことなく。 いま、ゆっくりと大剣を振り上げて……。 「イーファ! 来るぞ!」 「え!? ドゥルシラっ!」 弾かれたようなロゥの怒声に、イーファも慌てて侍従を呼んだ。 「ハイリガード!」 そしてロゥも、牢の向こうに立つ少女を呼ぶ。 「ええ! 超獣甲ッ!」 その瞬間。 世界が、横殴りに吹き飛ばされた。 |