8.コルベット和平会談 グルーヴェには塔が多い。 それは古代遺跡を流用したグルーヴェの都市計画によるのだが、その塔が古代遺跡の中でどんな役割を担っていたか知るものは、少ない。 イシェファゾもそんな理由を知らない者の一人だった。 「さて、と」 右手の棍を地面に突き、青年はコルベットの塔を見上げて一人ごちる。突っ込んでいたポケットから取り出した手に握られているのは、赤色の魔石だ。 軽く握りなおして集中すれば、左手を包み込むのは真っ赤な炎。魔石から溢れ出したような赤い色が、轟と燃え上がる。 「バッター第一球……」 手首のスナップを効かせれば、手を包む炎が球となり、ふわりと宙を舞った。 炎の球は中天まで舞い上がり、重力の向きに沿って落下を開始する。 「打ちましたっ!」 両手持ちに構えた棍を落下軌道に振り抜けば。 ゆるゆると落ちていた炎球は真横の加速を得、弾丸へと変わる。 「かきーん!」 鈍い効果音は面白みがなかったので、口で効果音を付けてみた。 打球は凡打。軌道はフライ。それでもゆるやかな放物線を描くボールは、遠く離れたコルベットの尖塔を直撃する。 それが、爆裂した。 轟音と共に大地が揺れ、衝撃が大気を震わせる。黒煙がもうもうと上がり、小さな見張り塔なら軽く吹き飛ばせそうな威力を予感させた。 「……効果はない、か」 しかし、塔は無傷だった。せいぜい外殻を覆うコケが剥がれ落ちた程度だ。 無傷の塔を見て、イシェは慌てて走り出す。 背後へ。 「やべ」 背中を見せた瞬間、塔から無数の閃光が青年に向けて飛来する。 イシェの火球に数倍する爆裂が辺りを覆い尽くしたのは、それから数秒後の事だった。 「そうか。イシェでも無理か」 イシェの報告を受け、ジンカは静かに笑った。 「笑い事じゃないですよ……」 対するイシェは笑い事ではない。塔の上に待機していた魔術師の猛反撃を受け、命からがら逃げ帰ってきたのだ。爆炎にさらされた彼は、顔も体も真っ黒である。 フェーラジンカの軍がコルベット公爵領に入って十日が過ぎた。 しかし、戦況は最初から全く変わっていない。コルベット軍は、城塞都市の門を閉ざしたまま動く気配を見せないのだ。 ある意味その判断は正しいだろう。オルタの救出を目的とするジンカ達は強硬手段に出られないし、そもそも塔を中心としたグルーヴェの城塞は籠城戦に向いた作りになっている。塔の上層に魔術師を置いておけば、矢弾の補充も無しに上空からの砲撃戦を掛ける事が出来るのだ。 ジンカがコルベットと同じ状況に陥っても、今のコルベットと同じ判断を下したはずだ。 「そもそもあの塔って何なんスか? 随分丈夫みたいですが……」 その話を聞き、真っ黒になった顔も拭かずに イシェは問う。 いくら石造りの城塞とはいえ、彼の火炎弾が全く効かないなどありえない。一撃で塔を崩せるとまでは言わないが、多少のダメージはあるはずだ。 それが、あの塔には全くない。 「ああ。ありゃ、アークウィパスと同じ頃に作られた遺跡でな。少々の魔術を食らった所で、びくともせんのだ」 その鉄壁の要衝が、さらに籠城戦を有利にする。 「だからお前にやらせてみたんだが……」 ジンカ軍の戦力でイシェ以上の火力となると、もはや獣機しかない。だが、獣機の力で城攻めをすれば、肝心のオルタにも危害が及びかねない。 そうなれば本末転倒だ。 「やれやれ。戦況を見かねたオルタ姫が訪ねてくれるとか、ないものかね」 「流石にそんな都合の良い展開は……」 投げやりなジンカの言葉に、兵士達も久方ぶりの苦笑を漏らす。 その兵士達の間を縫って、報告の兵士が現れた。 「閣下。オルタ・リングを名乗る一団が、面会に現れましたが……いかがいたしましょう」 落ち着かぬ様子のオルタに、ウォードは小声で声を掛けた。 「殿下。緊張しておいでですか?」 今は士官用の天幕に通されている。 しかし、天幕の外はフェーラジンカに仕える武人達が包囲しているのだ。いくらウォードやソカロ達が一流の使い手であろうと、これだけの包囲を突破できる自信はない。 「ええ。少し」 硬く握られた修道女の手に、小さな冷たい物が触れられた。 「水で作った珠です。少しは落ち着くかと」 ウォードの術で、水を固めたものなのだという。オルタの緊張を考えて、今朝立ち寄った泉で準備しておいた物らしい。 ウォードとそんな話をしていると、反対の手にも柔らかい感触があった。 「オルタ様。大丈夫?」 見れば、コーシェが小さな手でオルタの手を握りしめている。 「ありがとう、二人とも」 穏やかに微笑み、侍従達のささやかな心遣いに感謝する。 「殿下。緊張されずとも、ここに殿下に危害を加えようとする輩などおりませんわ」 そう言って艶やかに笑ったのは、この天幕の中で唯一のジンカ側の人間だ。 オルタの取り次ぎから本人確認まで行った彼女は、ジンカの副官なのだという。幼い頃からグルーヴェ王家に仕えていたという彼女は、オルタ自身もわずかながら覚えがあった。 確か、アモエナ家の長女で、名は…… オルタが女の名を思い出そうとしている所に、長身の青年が入ってきた。 「アルジオーペさん。どうです?」 イシェファゾの問い掛けに、ジンカの副官は静かに頷いてみせる。 「オルタ・リング殿下に間違いありませんわ。魔法感知も済ませてあります」 「なら、閣下がお会いになるそうです」 それだけ言い、イシェは入口から姿を消す。 「そう。では皆様、こちらへ」 オルタ達が通されたのは、軍部派の戦陣の中央にある天幕だった。獣機や騎兵などが待機する地を抜けた先、一番奥にあたる場所である。 彼女達が通った一角だけでも、コルベットの主力に近い兵力が整えられていた。これだけの大兵力と正面からぶつかっても、コルベットの勝機など万に一つもありはしないだろう。 「殿下。お久しゅうございます」 その中枢に、その男は居た。 天を衝く巨大な双角と、漆黒の軍服に付けられた将軍の証。 グルーヴェ軍の長、フェーラジンカ・ディバイドブランチ大将である。 「こちらこそ。会見を受け入れてくれた事に、感謝を」 それに対するはオルタ・ルゥ・イング・グルーヴェ。グルヴェア王家、最後の生き残りの娘である。 「見かけぬ顔ですが、後の者達は?」 「私の伴の者です。皆、信頼出来る者ゆえ、気にしないで頂ければ」 コーシェ、フィアーノ、ウォード、そしてソカロ。いずれも出会ったのはごく最近だが、オルタは既に彼女達には一部の警戒も抱いていない。 「では、こちらも彼等の同席を許可して頂きたい」 ジンカの側に着く部下は、イシェを除けば長年戦場を共にした部下ばかり。もちろん、クルラコーンやアルジオーペの姿も見える。 「もちろん、構いませんわ」 仮に設えられた会談席。そこの上座をオルタに譲り、ジンカも続いて席に着く。 「では、早速ですが……話を始めましょうか」 「ええ」 そして、グルーヴェの行く末を決める会談が始まった。 話し合いが始まって、十五分が過ぎた。 真剣に会話するオルタとジンカを横目に、ソカロは青年に声を掛けていた。 「なあ、貴公」 オルタ達をジンカの天幕に案内した青年だ。一人だけ冒険者然とした格好をしている男、イシェファゾである。 「何だ?」 会談は和やかに進んでいた。 ジンカの目的はオルタを自軍に引き入れる事であり、オルタの願いは自分の関係者に手出しをさせない事だ。 そもそもジンカは、オルタの件がなければコルベットなどはなから眼中にない。手出しするなと言われても、全く気にならないのだ。 「どうしてジンカは、殿下に会う気に?」 そんな平行線を辿る気配のない会談だからこそ、ソカロもこんな質問をする余裕があるのだった。 彼が心配しなくても、放っておくだけで会談は双方の合意のうちに終わるだろう。 「さあな。攻城戦に飽きたんだろ」 言われてソカロは納得する。 遠目に見ても、コルベットの街は籠城戦に向いた構造だったからだ。そのうえオルタという人質を取られているとあっては、攻めにくい事この上ないだろう。 「それに、それを言うならこっちの話だ。なんであんな要塞からわざわざ出て来て……」 「……まったくだ」 逆にイシェから質問され、苦笑する。 結局、交渉は半刻もかからなかった。 「では、この条件で宜しいですかな」 ジンカがそう言い、交渉の結果を清書した羊皮紙をオルタに差し出す。 「確認させて頂きます」 その羊皮紙を受け取り、オルタは中に書かれている内容に間違いがないかを通読する。 軍部派と王党派は同盟を結ぶ事。 代表はオルタが務め、補佐はジンカが行う事。 共に革命派を倒す事。 軍部はコルベットに手出しをしない事。 オルタに自分の側近を選ばせる事。 「はい。間違い、ありません」 そう明言し、渡された羽根ペンで自らのサインを描き込んだ。 「では、こちらも……」 羊皮紙を受け取り、ジンカもサインを書き込もうとしたところで、 「閣下」 天幕の入口にいたアルジオーペがジンカに駆け寄り、耳元に小声で数語囁きかけた。オルタの案内もしてくれた美女の顔は、心なしか青ざめて見える。 「……何?」 アルジオーペの言葉に、今まで穏やかだったジンカの表情が変わった。 「殿下。大変に残念ですが……この会談、無かった事にして頂きたい」 |