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6.それぞれの、決戦前夜

 レヴィーのはるか東の地。今にも崩れそうな廃屋の一室で、女は微笑みとは縁遠い表情を浮かべていた。
「少なくとも、退屈だけはしないがねぇ」
 猫よりも尖った耳は、豹族のものだろう。その耳も今は苛立ちのためか、せわしなく上下に動いている。
「こう状況がコロコロ変わるのは、何とかして欲しいと思うね」
 女の前に広がるのはグルーヴェの地図だ。あちこちに記された書き込みやピンで留められたメモは、今起きている内乱の戦況が事細かに記されたもの。
 その中でも最新の情報は、やはりフェーラジンカのコルベット進軍が延びた件だろう。糧食が焼き討ちにあったため、一週間の延期を余儀なくされたのだ。
 そのお陰で、美女は他の場所にいる仲間との連携の調整に忙殺されている。
「あんたらはそう思わないかい?」
 羽根ペンをインク瓶に放り込み、地図の周りに立つ仲間達に問い掛けた。
「べっつにー。あたしは言われたとおりに動くだけだし。魔物ってあんまり強くないしねぇ」
「……気楽だねぇ、現場組は」
 部屋の隅で生あくびしているマチタタの言葉に、ため息を一つ。彼女はグルヴェアの処刑場へ偵察に行って以来、ずっと赤い泉の討伐を任せられている。
 歯ごたえのない魔物相手に、いくらか食傷気味らしい。
「けど、そのお陰でジークも出られるんだろ」
 女のため息に、地図の反対側に立っていたクワトロも苦笑する。
「そーよ。感謝して欲しいくらいだわ」
「……だ、そうだ」
 そして、クワトロの隣にいるのはあろうことか焼き討ちの張本人。グルヴェアから姿を消したボンバーミンミだ。
 あまりに尊大な少女の態度に美女は言い返そうとして……
「助かりました」
 それを遮る青年の声に、言葉を遮られた。
「ジーク。もう平気なのか?」
 肩から包帯を巻いた男の名はジークベルト。美女達が所属するグルーヴェ革命派の首領格である。
「大体は。そんなわけで、壮行会を兼ねて、ささやかながらお礼の席を設けさせて頂いたのですが……皆さんもいかがです?」
 無言で立ち上がった美女……雅華は、ジークに答えることなく部屋を後にした。食事の準備された部屋に向かったのだろう。
「……遠慮しとく。どうせ、サンドパプリカのフルコースとかでしょ?」
 雅華の態度と対照的なのはマチタタだった。
 彼女はこの地方の特産品であるサンドパプリカが苦手なのだ。普段の食事でも、刻まれたパプリカをラピスの皿にこっそり移しているのをジークもよく知っていた。
「まさか。普段ならともかく、今日はちょっと奮発しましたので」
「じゃ、お相伴にあずかろうかな」
 マチタタが移動したのを見て、クワトロも食堂へ。
「ミンミ殿は?」
「もちろん、喜んで」


「ソカロ様。お茶は口に合いませんでした?」
 物憂げに階下を眺めるソカロに掛けられたのは、柔らかい少女の声だった。
 ソカロがいるのはレヴィー城館のバルコニーだ。外に広がるのは丁寧に手入れされた庭園で、空は穏やかに晴れ渡っている。
 心浮き立つ事はあっても、沈む原因にはならないだろう。
「いえ、そんな事は」
 ドゥルシラの問いを、ソカロは柔らかく否定。食事はまずまずだし、城の居心地も悪くない。
 少女達の暴走も、いい加減慣れた。
「では……」
「……気になる方でもいてはる?」
 くすり、とドゥルシラの傍らにいた少女が微笑む。
 眼下の庭園ではオルタと従者であるコーシェ、フィアーノの三人が遊んでいる。
 それぞれ雰囲気は違うが、男の興味を惹く容姿を持つ娘達だ。ソカロが意識するのも、男として当然の反応だろう。
「グレシア。口が過ぎますわ」
 唐突な問い掛けに呆然としているソカロに、ドゥルシラは慌てて頭を下げた。
「ソカロ様、とんだ失礼を」
 そんな彼女に押さえ付けられるよう、グレシアも一礼。
「……い、いえ。あまりお気になさらず」
 黒眼鏡と物憂げな動作で内心の動揺を隠し、ソカロは静かに答える。
 勘の鋭い少女の事だから、動揺は気付かれているだろうが……よもや、蝶の羽根の女に視線を注いでいた事までは気付かれまい。
「で、気になるのはフィアーノ様ですの?」
 わずか一言で核心を撃ち抜かれ、ソカロはその場にがっくりと崩れ落ちた。


 その場に脱力したように崩れ落ちたのは、シャム猫の少女だった。
「……何でここで魚が出てくるかなぁ」
 目の前の皿に載っているのは、あろうことか魚料理。それも、エラが四つあるイワシ、ヨツエラサディンのムニエルだった。
「何でも何も……」
 小骨の多いイワシの身をナイフでザクザクと切り分けながら、雅華は首を傾げる。
「こんな荒野の真ん中で魚なんて、最高の贅沢だろう」
 領地のほとんどを内陸が占めるグルーヴェには、当然ながら海がない。その上、内陸部も砂漠に近い荒野が大半だ。
 そんな場所まで海魚を運ぶのは、確かに贅沢な行為ではあるのだが……。
「まあ、そうなんだろうけどねぇ……」
 ヨツエラサディンは、ココやエノクなどフェアベルケンの沿岸部ではごくごくありふれた食材だ。高級魚などと言われても、全く実感がない。
 その上、彼女はこの小骨の多い魚が大の苦手だった。
「じゃ、もらうわよー」
「んー」
 横からひょいと伸びたフォークをあっさりとスルーし、ムニエルがさらわれるに任せるマチタタ。
 そのムニエルを頭からかじりながら、強奪者の娘は「ああ」と思い出したように呟いた。
「そういえば、アンタ達はあたしを捕まえようとしないのね。ココの関係者じゃないの?」
 ボンバーミンミと言えば、ココ王都では一騒ぎ起こしたトラブルメーカーのはずだ。王都をぶらつけば、街の警備兵が追い掛けてきたものだが……。
「あたしの仕事じゃないしねぇ」
 目の前の空になった皿をつまらなそうに眺め、プリンセスガードの娘は呟く。
 アリスに命じられればともかく、ミンミ捕縛は他人の仕事だ。それにマチタタは、具体的にミンミがどんな事をしたのかを知らない。
「それに、ボンバーミンミには先日特赦が出た。女王の結婚と、エノクでの功績を買われてな」
 それに繋げたのは、クワトロだった。
「へぇ、そうなんだ」
 言われてみれば、エノクで赤の後継者の本拠地を一つ燃やした覚えがある。もちろんそれは個人的な目的のためだったのだが、あえてそれを言うほどミンミもお人好しではない。
「あなたとシーラ陛下の結婚で、ねぇ」
 だから、そう言うに留めておいた。
「……違うって言ってんだろ」


 コルベットの紋章が付いた馬車から降りてきた男達を、オルタは笑顔で迎え入れた。
「ご苦労様、二人とも」
 黒鎧の騎士フォルミカと、シェルウォードである。あの忌まわしき赤の地下要塞から、ついに二人の護衛が辿り着いたのだ。
 しかし、到着したばかりの二人の臣下に、主である王女は静かに告げた。
「二人とも。着いたばかりで悪いのですが、私はこれからコルベットに戻ろうと思います」
 その場にいた全員が、少女の言葉に凍り付く。
「殿下!?」
 臣下のフォルミカでさえそうなのだ。招いた側であるレヴィーの動揺は並のものではない。
「何をおっしゃいます!」
「何か落ち度がありましたか?」
 あまりの事に礼儀を忘れ、口々に言葉を放つ。
「いえ、皆様の歓迎は大変嬉しかったです。ここでの楽しかった半月は、一生忘れないでしょう」
 だからこそ、とオルタは言った。
「イーファ。貴女は、もしレヴィーが戦火にさらされたら、どうしますか?」
「え……? それは、護りますヨ」
 唐突な問い掛けに一瞬詰まるイーファだが、答えは決まっている。返答自体に窮する事はない。
「メルディアは?」
「護る為の、我が力です」
 二人目に問われたメルディアは、詰まる気配も見せはしない。答えは既にあるし、イーファに問われた間に、心の準備も出来た。
「だから私も、戦わねばなりません」
 己の居場所を護る為。
 皆の居場所を護る為。
 この、グルーヴェを護らねばならぬ。
 それを成す為に居るべき場所は、少なくともレヴィーではない。
「コルベットを、フェーラジンカが攻めているのでしょう?」
「!」
 更なる言葉に、一同は今度こそ言葉を失った。
 フェーラジンカ侵攻の情報がレヴィーに届いて、既に一週間が経つ。が、それをわざわざオルタに伝える者はこの場にいないはずだ。
 何しろそのフェーラジンカから護る為に、オルタはレヴィーに預けられたのだから。
「いくら私でも、そのくらい察せます」
 誰がオルタにそれを伝えたのかと訝しむ一同に、オルタは苦い笑みを浮かべるのみ。
 オルタ・リングは世間知らずだが、決して愚かではない。そのくらいの機微は、ある。
「コーシェ、フィアーノ」
 館の奥に声を投げれば、オルタの二人の侍従がぱたぱたと駆けてきた。手には、彼女がレヴィーに来た時に持っていた鞄を提げている。
「支度、出来てます」
 出発準備は完了。もと修道女の彼女だから、荷物は驚くほど少ない。
「殿下……ですが」
 それでもなお食い下がるフォルミカに、グルーヴェの次期女王は静かに呟いた。
「先日のような愚かな真似はしません。然るべき手段で、フェーラジンカに面会を申し込みます」
 先日の真似とは、戦場に飛び込んで全兵士に通信した事を言っているのだろう。確かにそれは狂気の沙汰だったが、この段階で面会をするというのも、十分常軌を逸している。
「構いませんね? フォルミカ」
 しかし、少女の放つ『気』に、男は圧された。
 長い逡巡の後、ついに男は一歩を踏み出す。
「……御免」
「ッ!?」
 気を失い、がくりと膝を折ったオルタを抱き留め、黒鎧の騎士は表情一つ変えぬまま。
「どなたか、殿下にお休み頂ける部屋を」
 その言葉に、レヴィーの者は誰も応えない。フォルミカの唐突な無礼に、誰もが言葉を失っているのだ。
「外鍵の掛かる部屋の方が、良いか?」
 そんな中、気まずい沈黙を破ったのは兎族の青年だった。
「ソカロ! あなた、何を!」
「フォルミカ殿! 決意された殿下の気持ちは……っ」
 一度沈黙が破られれば、そのあとの決壊は早い。イーファもメルディアも、口々に非難の言葉を放つ。
 ようやくオルタが心を決めたのだ。それを尊重するのが、臣下の役目ではないのか。
「……こうされては困るからこそ、我々は貴公らに殿下を預けたのだ」
 だが、そう返されてなおフォルミカに反論できる者は、この場にはいなかった。
「コーシェ、フィアーノ。貴公らは部屋の中で殿下のお相手をせよ。ウォードは扉の前で警備」
 オルタの側近達にそう命じておいて、黒鎧の騎士は穏やかなレヴィーの住人達に向き直る。
「では、案内頼みますぞ」



続劇
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