1.下される刃 砕かれる刃 「出るのね」 「ああ」 放たれた問いに、男は短く答えた。 あまりといえばあまりの非道。通りすがりの身といえど、見逃すわけにはいかぬ。 男は語らぬ。ただ、黒外套をひるがえす背中のみがその言葉を語っている。 「往くぞ」 男の言葉に女の答えが静かに続く。 「……はい」 その間には、半歩の間。 女は知っていたからだ。 "主の名に於いて従者に覚醒を命ず……" ひるがえる黒外套の下が、厚い包帯に包まれている事を。 "主たる我が名はアスマル" 悠然と立つ男の体が、声なき悲鳴を放っている事を。 "従者たる汝が名は……『カヤタ』!!" しかし、それでも女は答えた。 半分の心配と、半分の諦めを籠めて。 ここで応えねば、男は傷ついた身一つで戦場に向かう事を、知っていたから。 『応』、と。 塔ばかりが並ぶグルヴェアにも、平らな建物はある。 円形闘技場。 ココの水上舞台やセルジラの空中競技場に比べれば小さな建物だが、それでも数千の観客が剣闘士達の戦いを見る事が出来る。 しかし、普段なら相応の賑わいを見せる闘技場も、今日は数えるほどの客しかいなかった。 「公開処刑して兵士の志気を上げようなんざ、今日び流行りゃしないよ」 閑散とした闘技場のベンチに腰掛けたまま、豹族の女はやる気のない声を出す。 「おい、ベネ……」 「聞こえてやしないって、ロゥ」 咎めようとした少年の言葉を、短く制止。 「それに、聞こえたって咎める奴なんかいないだろう?」 そう言われては、ロゥも続ける言葉がなかった。 議会派の主要人物を公開で処刑する。 彼女達の指導者であるフェーラジンカによって決められたその方針を、グルーヴェの兵士達は混乱気味に受け止めていた。 もともとフェーラジンカは義理に厚い軍人として知られた男。そんな彼が、敵対しているとは言え自国の同胞を一方的に処刑するなど……ジンカの事をよく知る古参の兵でさえ首を傾げる決定だったのだ。 そんな状況で処刑への反論を口にしても、軽い注意を受けるか黙殺されるのがオチだろう。 「ムディアも死んじまったし、詰まんないねぇ」 ネコ族にしては勤勉な彼女なら、こうして怠けていれば何か言ってきただろうが……半月ほど前のラーゼニア戦で行方不明になったまま。既に行方不明となった兵士の捜索も終わっており、彼女が見つかる可能性は限りなくゼロに近い。 何しろラーゼニアでは地形が変わるような兵器が使われたのだ。彼女達のように無事に生き残れた方が、むしろ不思議なほどである。 「そういえば、将軍の性格が変わったのはあの時からだったか……」 ジンカが超獣甲を使い、敵軍の将であるミクスアップを一撃のもとに葬り去ったあの日。 そんなぼんやりしたロゥの思考を蹴り破ったのは、ベネの大声だった。 「悪い。やっぱ気分悪いから、あたしゃ裏でひと眠りしてくるよ。イーファ達が後で来るって話だから、人手は足りるだろ?」 「了解。適当に誤魔化しとく」 ベネの声には微塵の不調さも感じられないが、男はそれを知ってなお流す。 「ロゥ。あんたも、あんまり思い詰めてもしょうがないよ」 「……ああ」 そう言い残し、相方の少女を連れて豹族の美女はその場を後にする。 「だな。俺達傭兵は、出来る事だけ片付けるしかないからな……」 イシェファゾもぽつりと呟き、ベンチに放り捨ててあった木槌を取って闘技場へ向かう。処刑台を組み立てている最中に、休憩と称して抜け出してきたのだ。 「出来る事だけ……か」 出来る事だけ。 口の中で小さく繰り返し、一人残ったロゥも立ち上がるのだった。 「出来る事、ねぇ……」 (それやってるだけでも、結構イイコトあるもんねぇ) と、少女は思う。 知り合いの頼みだからと、気楽に請け負った仕事だった。が、まさかここまで理想の展開になるとは思っても見なかった。 グルーヴェ王城塔の隅、糧食庫を見下ろす一角である。 「黙れ。殺すぞ」 近しい尖塔に立つのは、長いマントを羽織った細身の少年だ。仮面を付けているため表情は分からないが、垂れ流しの殺気は痛いほどに伝わってくる。 「ならさっさと殺せばいいじゃない」 出来ればの話だけど、と少女は薄く笑う。 「貴様ァッ!」 激昂した少年の周りの大気が密度を増し、現れた水流が水の竜と化した。渦巻く竜は声なき叫びを一つ放ち、少女に向けて襲いかかる。 対する少女は何をするでもなく、ただ竜の動きを見つめるのみ。 「止せ。ウォード」 が、背後から掛けられた青年の声に、水の竜が停止した。 止まった位置は少女の正面。少女の顔まで、拳一つの隙しか空いていない。 「騒ぎを起こすな。その垂れ流しの殺気も何とかしろ」 黒鎧の騎士の叱責に、水の竜は身震いを一つ。そのまま少女の眼前で散り、霧と消える。 そんな少年や水竜などはなから居なかったように、少女は青年に声を掛けた。 「あら。貴方、前に焼かなかったっけ?」 「ボンバーミンミともあろう魔術師が、ジークベルトの使い走りとは。何の心境の変化か」 回答をはぐらかされた上、あっさりと目的を看破された事にも、ミンミは苦笑を一つ浮かべるのみ。 「……せめて、ボランティアと言ってよ」 もしくは、本業のついで。 本来なら組織の精鋭が決死の覚悟で乗り込む作戦も、彼女にとってはモノのついでに済んでしまう事らしい。 「まあいい。ならば、我々は退くとしよう。今日は貴公と事を構える気はないのだ」 「でも、こっちにはあるのよねぇ」 そう言ってマントをひるがえす黒鎧の騎士に。フェアベルケン最凶の炎の魔術師は、笑みを浮かべるのだった。 「今日こそ、『聖地』の場所を教えてもらえないかしら? 赤の後継者さん!」 爆発魔の二つ名にふさわしい、凶悪な笑みを。 グルヴェアの円形闘技場には、朗とした男の声が響いていた。 「……は勝手に獣機全廃条約などを結び、国の主の如き振る舞いをしてみせた!」 闘技場の隅でその様子を静かに見つめるのは、黒眼鏡を掛けた細身の青年だ。二人の少女を連れた姿は微妙に浮いていたが、それは少女連れという点より、少女を『こんな場所』に連れてきている事に対するもの。 「先に宰相を名乗ったミクスアップ・ディソーダーは下級の役人であり、宰相となる家系に名を連ねる者では決して無い!」 グルーヴェは政治の手腕よりも血統が重視されるというが、男の発言は正しくその思想を全面に押し出したものだ。 その演説を聴きながら、自分の力量は血統に相応しいものなのか、と男はぼんやりと思う。 そしていずれは彼の二つの祖国も、こんな事件が起きる事があるのだろうか、とも。 「ね。アルド様ぁ」 「だから、マチタタ。俺の事はクワトロと呼べと言ってるだろ」 演説に飽きたのか、くいくいと男のコートを引っ張る少女に、クワトロと名乗った男は小声で注意する。 アルドなどありふれた名前だし、変装も完璧なはずだが、何かの拍子に気付かれないとも限らない。注意するに越した事はないのだ。 「あたし、難しい事は良く分かんないんだけど。結局あれって何が言いたいの?」 そう問われれば、上手く答えるのはなかなか難しい。少し考えた後、クワトロは答えを出した。 「王族じゃないのに王様になろうとしたから、ダメだよって事……かな。ナコココがシーラを差し置いて、女王になるって感じ」 「ナコはバカだけど、そんな事しないよ?」 速攻の返答に、苦笑を一つ。例え方が悪かったようだ。 「じゃ、キッドとか、リヴェーダでもいいや」 その例えでも、マチタタは上手くイメージできないらしい。「へー」などと明らかに分かっていない生返事を寄越すのみだ。 「……なら、あのお兄さんは王族?」 「違う……んじゃないかな」 王族に近い者か高い地位にはあるようだが、他国の詳細な血統まではクワトロにも分からない。 「それじゃ、あの人も一緒だねぇ」 核心を突いた一言にクワトロが反応を取れずにいる間に、フェーラジンカの演説は終盤に向かっていた。 「そして、それを知りつつミクスアップを宰相に任じた元老院の罪は、極めて重い!」 長大な双角を生やした男は高らかに叫び、闘技場の中心を指差す。 そこにあるのは一段高くなった台と、居並ぶ老人達の姿。見る者が見れば、彼らがグルヴェア王家の重鎮達だと分かるだろう。 「彼らに元老院を任せ置いては、第二のミクスアップを生む苗床となるのは明白である!」 故に処断する。 二度と、間違いを生まぬよう。 後任の者達に干渉すら出来ぬよう。 その為の…… 「準備!」 男の声と共に老人の一人が引きずり出され、刑台の上に膝を折った。貴族としての最後の誇りか、はたまた単なる諦観か、命乞いはおろか、取り乱す様子さえない。 それと同時、傍らにいた仮面の執行人が、先の平たくなった不格好な剣を振り上げる。 切っ先のない、斬撃する為の刃のみで構成された奇怪な剣は、エグゼキューショナーと云う。処刑人が罪人の首を断つ為だけに作られた剣には、貫く為の切っ先は必要がないのだ。 「執行せよ!」 老人の首の上にかざされた斬首刀が陰鬱な陽光を弾き、禍々しい輝きを放つ。 「ラピス……」 断頭の剣を黒眼鏡の奥から睨み、クワトロは傍らの少女に静かに呟いた。 他国のやり方に口を出したくはなかったが、それも限界に近い。 「マスター、大丈夫」 しかし、ラピスと呼ばれたもう一人の娘は、言葉少なに答えるのみ。 「来ます」 剣が振り下ろされると同時に、その、一言を。 剣に映った輝きは、燃えさかる炎の赤だった。 「ったく。サボれもしないのかね、この城は!」 式典の警護をサボろうとベネが城に戻ってみれば、軍の糧食を積んだ馬車が燃やされていたのだ。どこのゲリラか分からないが、式典で城の警備が手薄になった隙を突いての犯行である。 「ベネ、水水ーっ!」 「ンなもんその辺の連中に任せときな! さっさと超獣甲するよ!」 炎の勢いはあるが、燃えている場所自体はまだ少ない。恐らくは炎の使い手が、瞬間的に大きな炎を使った所為だ。 すなわち、まだ犯人は近くに…… 「えー。火ぃ消せないじゃん」 「だからほっときな! 来たよ、上!」 いた。 「ひゃあっ!」 直情から落下してきた漆黒の影を超獣甲と同時に引き抜いた双剣で受け止め、弾き返す。 弾けたのは二撃。斬撃と、水の刃だ。 「黒い騎士!? ラーゼニアで死んだんじゃないのかい!」 相手は先日の議会派との決戦で姿を見せた黒鎧の騎士と、黒いマントをまとった仮面の少年。 「残念、今日は忙しいのでね。これで失礼する!」 少年と騎士は剣を抜いたベネに構う様子もなく、一気に王城の区画から姿を消す。 「待ちな! 火を点けたのは……」 叫び掛けた所に、さらなる殺気が襲い来る。 ベネの脇を駆け抜けるのは、 「魔術師……アンタだねっ!」 相手はまだ少女だが、ベネの剣に容赦はない。 だが相手もさるもの。斬撃を避けてくるくると宙を舞い、ふわりと着地する。体術を使った着地とは明らかに違うその動きは、魔術を動作補助に使った証だ。 「じゃあねっ!」 着地と同時にこちらに火球を数発。超獣甲の防御力で炸裂の熱と着弾の衝撃を防ぎきれば、少女の姿は既に無い。 「待ちなっ! って!?」 ベネは犯人らしい一団を追おうとするが、動かぬ足に非難の声を上げた。 「先に火を消さなきゃ!」 既に燃える馬車には兵士達が取り付き、消火活動を始めている。火など放って置いても消してくれるだろうに……。 「ああもう、この子はーっ!」 ベネが超獣甲を引き剥がした時には、既に放火犯達の姿など見えはしないのだった。 言葉よりも、想いよりも、動作が先に立った。 「貴方!」 「ダメだ! やっぱ見てらんねえ!」 ロゥがイーファに叫び返した時には、既に闘技場の観客席を蹴り走り出している。叫びと思考が、ようやく疾走という動作にリンクする。 「ロゥ! あたしも……」 ちょうど一歩遅れて続くのは、ロゥよりさらに小柄な娘。長い髪を振り、少年に続いて観客席の壁を跳び越えようとスピードを上げ…… 「邪魔だ!」 「っ!?」 投げ付けられた少年の声に、たたらを踏む。 体勢を崩した少女を受け止めたのは、その後にいたイーファだった。 「止めろォォォッ!」 執行人の異形の刃が一直線の斬撃を放つ。 駆けるロゥはまだ闘技場の端。中央で下された一斬を止められる位置には、まだ無い。 しかし、その少年の動きもまた、停止する。 「でも残念。貴方も、邪魔なのよ」 ロゥを打つのは身を縛す水の鎖。 耳元に伝わるのは、その鎖から放たれた声。 「な……っ!」 その時だった。 振り下ろされた斬首刀が、何者かによって弾き飛ばされたのは。 「誰だッ!」 中央に立つジンカの叫びに、『そいつ』は塔の上から不敵に微笑んだ。 「……誰?」 そのシルエットから少女というのは分かる。だが、ゴーグルを掛けた顔の表情までは伺えない。 「あー」 「な、何でこんな所に……!?」 この場にいる者達の中で、クワトロとマチタタだけはそれが誰かを知っていた。 「償いを与える機会もなく罪人を断ずるなど、言語道断!」 突然の乱入者に騒然となる会場を切り裂くように。高らかな怒声と共に組んでいた腕を振り解き、双角を持つ将軍を鋭く指差す。 「そんな悪党に名乗る名前など……」 曇り始めた天空に、雷光が閃いた。 鋭い言葉と轟く閃光に会場は一転、怖れの沈黙が支配する。グルーヴェ王国の最高権力者を、少女は悪の一言で断じたのだ。 刹那の無音に、勇気ある少女の叫びだけが響き渡った。 「このシューパーガールは持ち合わせていないッ!」 こいつ、バカだ。 この場にいた誰もがそう思った。 「とうっ!」 なんだかどうでも良くなっただんまりの中、堂々と名乗った無名のヒーローは大きく跳躍。着地点はもちろん、闘技場のど真ん中だ。 空中でくるくると回って勢いを調整、いかに身軽なビーワナでも到達不可能な距離を軽々と跳び越え、着地する。 「……で?」 問い掛けるのはフェーラジンカ。少女に悪と呼ばれた、グルヴェアの主。 少女の着地した先には既に護衛の兵が展開を終えている。退くか負けるか、一対百では選択肢など二つしかない。 「……言わないと解らないの?」 だが、周囲を囲む紅い刃の林に眉一つ動かさず、シューパーガールは拳を構え直す。 「解らないなら教えてあげる」 戦力差は圧倒的。 だが! 「アタシは正義を貫くのみ!」 少女の選ぶ道は、前にしかない! 黒雲に覆われた空に雷鳴が響き渡る。 一直線に落ちるのは、血の色をした稲妻と。 「……来ました」 闇色の、嵐。 闘技場は混乱の渦の直中に在った。 「よくぞ申した、少女!」 渦の中心は文字通りの渦。 螺旋を描く、黒羽の嵐。 「来たな……黒い獣機使い!」 処刑台から飛び降りたジンカは、中央に渦巻く闇を前に苦々しげに呟いた。 ラーゼニア会戦で議会側にいた、黒い獣機使い。単騎で圧倒的な力を持ち、並み居るジンカの兵達をことごとく打ち倒して回ったという。 しかし、その黒い獣機使いは戦いの後消息を完全に絶っており、倒されたとも、投降したとの報告も受けていなかった。 その敵が、やはり来た。 「ブラディ・ハート部隊! 展開せよ!」 無論、彼がこの処刑場に訪れる事は予想してある。だからこその護衛兵であり、彼らに持たせた紅い石を持つ刃なのだ。 そんなジンカをせせら笑うよう、黒い嵐は処刑台の中央で轟と渦巻いたまま。 「どうした! 早く結界を展開せよ!」 議会派が王城に残していたブラディ・ハートはまだ使える品だったはず。その全てが、会戦の時と同じく途中で砕けたとでもいうのか。 怪訝に思うジンカの元に駆け寄ってきたのは、警備を任せていた男の一人だ。 「ジンカ様。ブラディ・ハートが」 彼の言葉に周囲を見れば、紅い宝石をはめた武具が端から砕かれているではないか。これではブラディ・ハートの獣機結界を張る事は出来ない。 渦巻く風の中、こんな芸当までこなしたというのか。あの黒い嵐は。 「イシェ。お前の獣機結界は?」 「無理ですよ。俺の結界だけじゃ、奴を止められやしない」 そう言って、イシェはポケットから紅い輝石を取り出した。淡い輝きを放つティア・ハートは起動状態にあるが、黒い嵐を止めるには今一つ効果が薄い。 「……ッ!?」 ふと気配を感じ、イシェファゾはティア・ハートを持っていた左手をポケットに戻した。 半歩下がると同時に左脇を駆け抜けたのは、なにか細い紐状の…… (……鎖?) 感知した時には既にその影はない。気のせいか、渦巻く闘気に幻でも見たか。 「イシェ、どうした!」 「いや、何でも……」 ジンカの問いに思考を切り替え、再び渦へと向き直る。 「……来ぬのか?」 嵐の中、男の声が嗤うように響く。 「ならば、老人達の命、この場で貰い受ける」 渦巻く闇が一際大きくなり、中の処刑台ごと押し潰そうとうねりをさらに強くする。 (くそっ!) 勢いを加速する獣機相手に、獣機結界一つではどうにもならない。 それを砕けるのは、やはり 「させるかぁぁっ!」 獣機しかない。 重矛をふりかざし、天空より刑場へ駆け下りる巨大な影一つ。 「ロゥ・スピアード!」 その巨大な斬撃が渦巻く嵐を真っ二つに断ち切り。 炸裂する閃光と衝撃の後に残るのは、完全に砕かれた処刑台と、鮮血の沼地に立つ白い重装獣機の姿のみ。 |