少女のものとしては随分と大きな執務机に置かれたのは、一端を丁寧にまとめられた一房の髪束だった。 色は、窓から差し込む陽光を弾く、金。 遺髪、である。 「ムディアの髪、ね」 「はい」 傍にいたネコ族の少女が息を飲むのに構わず、執務机の主は静かに口を開く。 「あたしは、伸ばせって言ったのに……」 麾下である彼女が、数多くの可愛らしい服を秘蔵しているのは知っていた。そんな服と合わせる為に、髪は長い方が良い、と少女はずっと言っていたというのに。 「必要だったから、だそうです」 机の前に立つ報告者の言葉に少女は納得する。そんな娘なのだ。この髪の主は。 「そう。潜伏先は?」 少女の放った言葉に、傍仕えのネコ娘は首を傾げた。 ムディアは、死んだのではないのか? 「グルヴェアに侵入すると言っていましたが、流石に細かい所までは……」 「……そう」 椅子に着いたまま、ふぅ、と長く息を吐き、少女は静かに呟いた。そのまま、ココ王国第二王女アリシア・テ・コーココの執務室に、重苦しい沈黙が落ちる。 「……ティニャ。下がるにゃ」 その沈黙を破ったのは、傍仕えのネコ娘だった。 「はい?」 「そーいう趣味の悪い冗談は、もうやっちゃダメにゃ!」 シッポまで逆立てて叫ぶネコ娘の姿にティニャと呼ばれた報告者は目を丸くする。いつものんきに見えた彼女がここまで怒る姿など、初めて見たからだ。 「御免なさいね、ティニャ。ちょっとこのバカ猫に折檻しないといけないようだから……」 「は、はあ」 とんでもない事を平然と口にするアリスに曖昧な言葉を返し、ティニャは一礼。質素な執務室を後にする。 「次の任務の件はまた後で指示するわ。誰かに用意させるから、今日はゆっくり休んで頂戴」 激昂する部下と対照的な落ち着いた言葉を背に受け、報告者の娘は執務室の扉を静かに閉じた。 ティニャの気配が廊下の向こうに消えたのを感じ、アリスは長いため息を吐いた。 「……この、バカ猫。見え見えなのよ」 白い天井を見上げ、瞳を閉じる。 「ティニャの冗談だって事くらい、分かるでしょうに」 後ろからしがみついてきた少女の腕はそのままに、たしなめる事もしない。 「でもナコココ、見てられなかったにゃあ」 アリスに迷惑を掛ける事など、普段のナコココなら決してしないはずだった。今日の怒りも、無論自分の為ではない。 「情けないわね。部下一人死んだって聞かされたくらいで、立ち上がれなくなるなんて」 少女の閉じた瞳から、すいと一条の雫が零れた。その弱さの証を、ナコココはそっと舐め取ってやる。 「でも……」 そんな弱い主だからこそ、ティニャもムディアもアリスに付いてくるのだと、少女は思う。 だからこそ、自分は絶対の忠誠を誓えるのだと、そう想う。 「……ムディアが帰ってきたら、今度こそ足腰立たなくしてやるんだから」 「に、にゃんですとー!」 Excite NaTS "Second Stage" 獣甲ビーファイター #3 シュライヴの影(前編) 0.暗雲 無数の塔が林立するグルーヴェ王都・グルヴェア。 謁見の間は、塔を昇る螺旋階段の先にあった。 「レヴィー家……メルディアであったか。先日の活躍は、大儀であった」 本来ならばグルヴェア王が就くべきその座にあるのは、ヘラジカの大角を備えた青年将校の姿。 フェーラジンカ・ディバイドブランチ。グルーヴェ将軍の一人にして、現在のグルヴェアの守護者である。 「は」 そのジンカを前に膝を折るのは、二人の少女だった。 「で、その代理として貴公が来たわけか」 先程名前の挙がったメルディアではない。薄紫の髪をした彼女の名は…… 「イーファ・レヴィーと申します。こちらは獣機のドゥルシラ」 呼ばれた名に、イーファの後に控えた侍従姿の娘も静かに一礼する。 「獣機を持っての参戦は歓迎しよう。だが、御用商人の件であればギルドを通して貰いたい」 「いえ、レヴィー家は既に武器の取り扱いを辞めております故」 レヴィー家が武器商人だったのは昔の話だ。少なくとも、イーファ達は武器の流通に関わる両親の姿を見た事がない。 「そうか。ならば、下がって良い。後の事は部下に案内させよう。イシェ!」 呼ばれて姿を見せたのは、傭兵らしい長身の青年だった。ジンカの指示に短く答え、階下へ再び姿を消す。 どうやら、着いて来いという事らしい。 「ちょっと、待ちなさいよっ!」 ぱたぱたと少女達が階下へ走り去るのを見て、グルヴェアの仮初めの主は不機嫌そうに舌打ちを一つ。 「武器商人風情が貴族の名乗りとはな……」 わずかその一言で少女との会談を忘れ、新たな事柄に思考を切り替える。 「アルジオーペ」 「ここに」 姿を見せたのは、長い髪を持つ妖艶な美女だ。 「裏切り者の処分はどうなっている?」 「……問答無用で処刑ぃ!?」 唐突に出て来た物騒な名前に、少女は目を丸くした。 「ちょっと、いつの時代よそれ!」 少女の出身地であるココにも死刑制度はある。だがそれは誰の目にも明らかな理由がある時に限られ、一方的な理由で死刑判決が下される事はない。 「いつの時代も何も、明後日行われるそうですよ」 「ぶっちゃけありえない……」 客の言葉に天を仰ぎ、少女。 「あまり、そんな言葉を口にしない方が良いよ、ミーニャちゃん」 ミーニャをたしなめたのは店員の一人だ。 「んー。まあ、そうだけどさぁ」 店員は少女の口の悪さを注意したのではなかった。最近とみに増えた、巡回の兵士達に聞かれる事を考えての発言だ。 グルーヴェは現在内乱の真っ只中で、王都であるグルヴェアも戦時下にある。王族が死に、ミクスアップが実権を握ってから、衛兵の数は明らかに増えた。 だが、ミクスアップがフェーラジンカに破れ、フェーラジンカがグルヴェアの主となってからは、それに輪を掛けて増えている。 不当な発言で捕まる住民達も増えた。今の客の娘とミーニャの会話でさえ、最近は取り締まりの対象になる可能性が高い。 「アイディ。買い出し、終わったぞ」 少女達がそんな話をしていると、店の入口に長身の影が姿を見せた。 声質から男と分かるが、怪我でもしているのか、顔を包帯で覆っている。 「ん。それじゃ、失礼するわ」 だが、冒険者にはそんな傾いた格好をしている者は珍しくない。普通の町人ならともかく、冒険者相手の仕事をしている店員やミーニャからすれば、驚く対象にもならなかった。 「へえ。またご利用下さい」 丁寧に一礼し、笑顔で送り返すのみだ。 螺旋階段を下りながら、黙っていたイシェは唐突に口を開いた。 「なあ。アンタ、獣機使いなんだよな?」 「? そうだヨ?」 いきなりの質問に首を傾げるイーファだが、軍部とはいえ精鋭部隊である獣機乗りは珍しいのだろう、と思う事にする。 「なら、一つ聞くんだが……ティアハートって、そっちの姉さんとも相性悪いのか?」 その瞬間、少女の紫の瞳がすいと細まった。 「……アタシのドゥルシラに、何かするつもり?」 腰に提げた剣が、からりと鳴る。儀礼刀とはいえ、単に刃が付いていないだけだ。使い方次第で十分な武器となる。 本気なのだ。彼女は。 「そんなんじゃねえよ。ちょっと気になっただけだって」 「イファ」 「ドゥルシラは黙ってて! 理由を聞くまではそんなこと教えられないヨ!」 ドゥルシラの静止など聞く様子もない。剣の柄に手を掛けたまま、青年を睨み付けている。 少女の立ち位置は螺旋階段の上方。踏み込む間合こそ短いが、段差のあるぶん青年の頭上から切り込める位置にある。 だが、青年はもちろん少女と争う気など微塵もなかった。 「……ちょっと怪しい奴がいるんだよ。そいつが獣機だから、気になっただけだ」 「怪しい獣機?」 あっさりと白状した青年に、眉をひそめる少女。 その様子を敵意が消えたと判断し、イシェは周囲を見回した。辺りに誰もいないのを確認してから、トーンを落として言葉を続ける。 「あんたも気付いてるんじゃないのか? 将軍の性格が変わっちまった事」 「ええ……それは、まあ、ネ」 言葉を濁しつつも、イーファはイシェに同意。 かつてのフェーラジンカは、もっと気さくで将軍という雰囲気を感じさせない男だった。だが今は、さながら独裁者のような様相を呈している。 その変貌は、地位に酔った、の一言で済ませられるレベルではない。 まさに、人が変わったとしか言いようがないような……。 「でも、クルラコーンはディバイドブランチ家に以前からある獣機ですわよ」 「そうなのか?」 問い返すイシェファゾに、ドゥルシラは小さく頷いてみせる。 「ええ。わたくしがレヴィー家にお世話になる、少し前に発掘された騎体ですから」 「そうなんだ」 「へぇ……」 イーファの家にドゥルシラが来たのは、八年ほど前になる。そんな昔からある獣機であれば、ヘタに細工はできないだろう。 「もしクルラコーンが原因なら、それは……」 そこまで言って、ドゥルシラは視線を伏せた。 「あれ……か」 獣機という力の代償。 かつてドゥルシラから聞いた話を思い出し、イーファも瞳を伏せるのだった。 「よりによって、あの性格を消さなくても……」 |