7.砕け散る光たち 荷馬車の幌から顔を出し、左右を確認。誰もいないのを確かめて…… 「よ、っと」 ひょいと飛び降りたのは、ミーニャだった。 はるか遠くからは風に流れて兵士達の怒声が聞こえてくる。とはいえ輸送部隊は部隊の中でも一番後方にいるから、ミーニャとしては戦場にいる実感はあまりない。 「で。ミンミか雷の人がいると思ったんだけど……ここ、どこだろ」 一般人であるミーニャに戦場の知識はない。あるのは戦場なら探し人が見つかるだろうという直感と、輸送部隊の馬車に忍び込む身のこなしだけだ。 とりあえず周囲の兵士に見つからないよう、こそこそと移動を開始する。 炎が舞い、その間を双の剣が駆け抜けた。 怯み、双剣に出鼻をくじかれた兵士達は、鋭い棍の打撃に次々と倒れていく。 ミクスアップの軍勢は王城仕えの近衛や民兵が主力の部隊である。数こそは多いが、常に魔物相手に実戦を繰り広げていた正規軍に比べれば力の差は明らかだ。 「あんま、後味の良いもんじゃないな」 二人の槍兵をさばきつつ、イシェファゾはそうぼやいた。 もともと彼の使う棍は対多人数・乱戦向けの武器だ。そこに炎のティアハートが使える事を買われ、近衛ながらも最前線で戦う事を依頼されたのである。 「イシェ! 倒れてくる!」 「疾ッ!」 上からの影を感じ、慌ててダッシュ。暗がりを抜けた瞬間に、背後から轟音が響いてきた。 鋭角で構成された装甲は歪み、特徴的な直線の翼も落下の衝撃で半ばから折れ飛んでいる。 フェーラジンカ軍の主力、三式ギリューだ。 鈍く動く関節に突き込まれた無数の槍を見て、青年は小さくため息。 「シグは操者のフォロー!」 「もうやってる!」 獣機が敗れたのは自分の魔石が創り出した獣機結界の効果もあるのだろうな、と暗い気持ちに襲われかけるが、そんな思考は戦場では命取りだ。すぐに考えを打ち払い、イシェ達を取り囲む敵の存在に意識を集中させる。 三人目の敵を打ち据えた所で、四人目の兵士がいきなり肩に弓を受けて倒れ込んだ。 「そっちは大丈夫!?」 矢羽の色は味方のもの。 「アルジオーペさんか。獣機が一騎やられた。後は大丈夫だ」 馬上から支援してくれた副官の美女に声だけ投げ付け、イシェは五人目の敵を迎え撃つ。 「じゃ、そっちは私とムディアで回収するわ。範囲魔法はもう来ないから、安心して頂戴!」 「了解」 ジンカの副官であるアルジオーペは、魔術師の心得もあるのだという。既に乱戦になっているし、大きな魔法が来ないのは経験では分かってはいるが……魔術師にそう言われれば安心するというものだ。 「そっちは大丈夫か!」 「ええ。ムディアもいてくれるしね!」 見れば、周囲の敵はムディアの鎖に絡め取られ、あるいは打ち据えられている。イシェとアルジオーペが話す隙が出来たのは、ひとえに彼女のお陰らしい。 「それじゃ、ここは頼むわね!」 馬首を返し、二人の美女は新たな戦地へ疾駆する。 「了解……」 アルジオーペの言葉に答えて六人目を打ち据えた所で周囲を見回したイシェは、言葉を失っていた。 「……って、嘘だろ……?」 目の前に立つ、巨大な漆黒の影を見上げて。 グレシアの翼で低空を翔けながら、メルディアは追跡者に向けて思わず毒づいた。 「全く、しつこい!」 不思議な事に、クロウザの拳打でのダメージはほとんどなかったのだ。それを幸いに体勢を立て直せば、今度は騎馬の追っ手がやって来た。 減速せぬまま弓を出し、前方に向けて続けて三射。弾道を描くはずの光の矢は途中で大きく軌道を変えて、後方の敵に襲いかかる。 迎撃は一瞬だ。 切り払うまでもない。結界に阻まれた光の矢は制御を失い、光の粒を散らしながら失速、霧散する。 「ご主人!」 「分かってる!」 グレシアの悲鳴にメルディアも唇を噛む。 エリア的には獣機結界の外を飛んでいるはずだ。だが、三人の追撃者が放つ獣機結界はメルディアの動力器官に干渉し、出力の上昇を妨げ続けている。 「とにかく、何とかするしかないでしょ!」 そうは言うが、騎馬の追跡者と距離を保つのが精一杯で、上昇に転じる隙すら与えられない。周囲に距離を空けられる地形はないし、しばらくはこの状態を保つしかない。 「そんな、イーちゃんみたいな……」 「あんなバカと一緒にしないで!」 呆れるグレシアに言い放った瞬間。 「バカで悪かったわネ!」 正面に、そのバカが現れた。 「え……っ!?」 迫るのは正面。 加速したグレシアが隣を抜けるのは一瞬。 水の獣機はすぐ傍を交錯。 「イーファ様、ばかっ!」 声を放てた時にはイーファの獣機は結界の中に飛び込んでいる。いかにドゥルシラが高性能であろうと、動力の元を断たれてはどうしようもないはず。 事実、ドゥルシラは動きを止め、大地に脚を着いてしまう。 「任せたわヨ!」 だが、疾風一陣。完全に停止したドゥルシラの横を駆けた三人の刺客は、抜けると同時に馬上から崩れ落ちたではないか。 「無茶をやらせる……」 繋がるのは、ブーツが土を拍つ軽い音。 ばさりとひるがえる白いコートと、内に籠もる熱を解き放つ長い耳。 「でも、お陰で助かったよ」 ドゥルシラの操縦席から駆け下りると同時、傍を抜けた刺客を続けて三斬。ソカロの運動能力あればこその芸当だ。 「だが、こいつらは赤の後継者とやらではないようだな……」 「だねェ」 追っ手が倒れたおかげで獣機結界の効果は既に消えていた。動力が戻り立ち上がったドゥルシラのもとに、グレシアもやって来る。 「赤の……後継者?」 久方ぶりの従姉妹の聞き慣れぬ単語に、メルディアは首を傾げるのだった。 戦場は乱戦の度合いを深めていた。 ブラディ・ハートに動きを縛され、それでも周囲の兵士達を巻き込もうとする獣機。その獣機を仕留めようと群がる兵士達。その兵士達を後から叩き斬る、馬上の騎士達。 馬を狙った近矢が飛び交い、外れた打撃は甲を穿ち。大きな魔法で瞬時の決着がつかぬ代わり、惨劇の場はより長く、より陰惨な状況へと転がり落ちていく。 「これが……戦場」 戦場間近の丘の上。地上に現出した修羅の地獄を目の当たりにし、オルタは思わず膝を折っていた。漂う血臭に吐き気がこみ上げ、昼食を食べずに急ぎ来た事を感謝する。 「大丈夫? 殿下」 ふらふらする身を道化に支えて貰いつつ、オルタはもう一人の侍従を呼び寄せた。 自分はこの地獄を終わらせるために来たのだ。こんな所で倒れてはいられない。 「コーシェ。お願い、出来ますか?」 「うん」 フードを被った少女の動きに合わせ、足元にいた仔猫がオルタの肩にひょいと駆け上がる。 「これで、通信出来るって」 言われ、オルタは仔猫の耳元に唇を近付けた。 そして一声。 「戦闘中の皆に呼びかけます」 「私はオルタ・ルゥ・イング・グルーヴェ。グルーヴェ王国、現在の第一王位継承者です」 小さな。しかし、確かな意志の籠もった声が、戦場にいた全ての獣機から響き渡った。 「王命に於いて、全ての戦闘の停止を命じます。共にグルーヴェの臣民であるあなた方が戦う理由など、無いはずですよ」 宣言してしまった以上、もう一人の修道女には戻れないだろう。けれど、この混乱のグルーヴェを治められるならそれでもいい、とも思う。 少なくとも、この地獄を目の当たりにした今では。 「これはこれはオルタ姫様。ご機嫌麗しゅう」 肩の仔猫の口が動き、甲高い男の声が流れ出した。 「貴公は?」 「ミクスアップ・ディソーダーと申します。王無き現王国にて、宰相とこの軍の指揮を務めさせて頂いております」 コルベットの話の中でも聞いた事の無い名だ。しかし、獣機の通信を介してまで自ら宰相と名乗るという事は、しかるべき立場にいる人物なのだろう。 「では、貴公に至急戦闘の停止を命じます。よろしいですね?」 しかし、肩の猫は無言で首を振った。 「残念ながら、あの軍人どもは陛下に反旗を翻した謀反人。我々は、それを討伐しにきた次第に御座います」 そこに反論の声が流れ込んだ。 「我々とてグルーヴェの平和を願うのみ。王権を騙り、グルヴェアで好き勝手振る舞っているのは貴公であろう、ミクスアップ!」 若く、強い声だ。怒りの籠もった声だが、苛立ちのあるミクスアップと違い、聞く者にどこか安心感を与える柔らかさがある。 オルタ自身も王宮にいた時、何度か聞いた事のある声だ。 「貴方の声は聞き覚えがあります。確か、軍部の……」 コルベットから聞かされた名は。 「は。フェーラジンカ・ディバイドブランチにございます。祖父トゥーナッカイの頃より、グルーヴェ獣機部隊とアークウィパスの守護を命じられております」 「なら……」 「陛下の命なれど、それは出来ませぬ。せめて奸臣ミクスアップを討たねば、ここで倒れた同胞の想いとて無駄になりましょう」 そう言われれば、オルタも言葉を詰まらせるしかない。 「「何を言うか、軍人と役人風情が!」」 そこに三番目の声が雪崩れ込んだ。 汚いな、とクワトロは呻いた。 「……傀儡の取り合いか」 先程と同じ丘の上。クワトロの獣機であるラピスに一連の会話を受信させているのだ。 オルタの後見人であるコルベットまで論争に加わり、平行線の言い合いが続いている。 「でしょうね。コルベットにミクスアップ、今はフェーラジンカもか。グルーヴェの汚い所が全部集まってるんですから」 誰もがそれぞれの思想を持ち、その全てが妥協を許さぬ平行線になっていた。会話の程度に至っては、聞くに堪えない物にまで堕ちている。 「ともかく、そんな汚い所を全部洗い出す。それを成す為に、私は革命を起こそうと思ったんですから」 「起こした、んだろ?」 呟いたジークの言葉は断定ではなかった。 「いや。思った、ですよ」 クワトロの疑問を、有翼獅子はさらに否定。 「……どういう事だ?」 「本当は、デバイス様には生き残っていて欲しかったんです……が……」 だが、クワトロの欲しかった答えが与えられる事はなかった。 ぐらりと青年の体が傾ぎ、そのまま崩れ落ちたからだ。 「ジーク!?」 背中には深い斬撃創。 斬られたばかりの傷痕からは真っ赤な血が溢れ出し、その一撃が今この瞬間与えられた事を示している。敵兵はおろか、流れ矢さえ飛んでくる事のない位置のはずなのに。 「!」 殺気。 一挙動で銃を抜き、突きつけた先は…… 「何だ……」 小間使いの少年だった。持ってきた紅茶をトレイに載せ、両手でそれを支えている。 「お前か」 視認した瞬間、クワトロは引金を引き絞った。 二発の炸裂音が響き、連なるのは硬質な物がぶつかり合う鈍い打音。 「ああ。都合が悪かったからね」 銃弾を受け止めたのは、いつの間にか少年の両腕を覆っている巨大な貝殻だ。 「貴様、赤の者か!」 宙を舞う紅茶のカップから渦巻いた水の鞭を両手の銃で弾き飛ばし、二転、三転して距離を空ける。ラピスを横目に見れば、ジークを庇って防御術を使う構えだ。 それを見てから護り手への配慮を遮断。残弾を計算し、攻撃に転ずるためにクワトロは疾走を開始。 「だとしたら?」 水の鞭の動きは大きいと判断して一気に間合を詰め、貝殻の盾の内側から銃弾を叩き込む。予想通り少年の動きが一瞬遅れた。銃を短杖のように使い、盾を弾いて……。 「残念だけど!」 放たれた銃弾を受け止めたのは盾の内側から生まれた水の鞭。着弾の熱量に水の鞭は内側から炸裂し、立ち込める水蒸気はそのまま密度を高め、煙幕となって……。 「別にこれ以上戦う気はないんだよね。それじゃあ」 風が煙幕を払った時、刺客の姿は既に跡形もないのだった。 |