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3.王都の夜に舞うもの

 グルーヴェ王都、グルヴェアの夜は深い。
 もともと高層建築物が多く、影の多い街なのだ。夜の帳が降りれば、その影はさらに深く、昏くなる。
 その闇の中を駆ける、影があった。
「ご主人。こんな事したら、うちかてフォローできへんて」
 メルディアと、その臣下のグレシアだ。
「フォローして貰わなくてもいいわよ、別に」
 階段にいる番をやり過ごし、一般兵は侵入を許されていない階上へ。
 本来なら王族の暮らすはずのフロアだ。かつて国王夫妻と三人の王子が暮らしていた場所も、今はグルヴェアを統べるミクスアップと補佐であるフォルミカが居を構えている。
 魔法による警備もないわずかな間隙を抜け、さらなる奥の間へ。
「ご主人、これ以上はヤバいて!」
「グレシアは気にならないの? あの石の事」
 グルーヴェ軍の秘密工廠に搬入された緋い石の事だ。対軍部派、対獣機用の秘密兵器と聞かされていたが、故郷、レヴィーの古文書にさえ載っていない魔石である。なにか禍々しい存在である事だけは間違いない。
「そりゃ、気になるけど……」
 正直な所、同じ獣機であるグレシアとて他人事ではないのだ。しかし、こんな所にまで忍び込んで情報を集めたいかといえば……。
「グレシア、聞こえる?」
 見つかればただでは済まない奥まで来た所で、扉の向こうからぼそぼそという声が聞こえてきた。
「うん。聞こえるけど……」
 人ならぬグレシアの耳に届くのは、二人分の男の会話。声の情報から、ミクスアップとフォルミカの二人だと判断する。
(ブラディ・ハート? あの石の事かいな……)
 問題の魔石の件について話をしているようだ。
 耳をそばだてて聞いているうちに、困り顔だったグレシアの表情が少しずつ硬度を増していく。
「ご主人。あの石……」
 二人の会話から漏れ聞こえた魔石の力。対獣機の切り札と成りうるその特性に、グレシアはぼそりと主の名を呼んだ。
「ごめん、グレシア」
 だが。
「こっちはそれ以上に、ヤバイみたい」
 呟く、メルディア。
 少女達二人の後に立つ、黒い影は……。


 分厚い扉が開いて出て来たのは、夜目にも鮮やかな赤い鶏冠を持つ中年ビーワナと、黒鎧をまとった細身の騎士だった。
「どうしたクロウザ。侵入者か?」
「いや、道を知らぬ新兵が紛れ込んだだけでござった。少し絞って帰しましたよ」
 暗闇の中だ。燭台を突きつけられているとはいえ、黒外套をまとったクロウザの姿は半ば闇に没している。
「後で警備の兵は厳罰だな……。よもや、我等の話を聞かれてはおらぬだろうな!?」
 奈落に沈んでいるかのようなクロウザを不気味に思いながらも、その思いを蹴散らすようにミクスアップは声を荒げる。
「ははは。この距離からあの扉越しに話を聞くなど、兎族でも無理でござろう」
 もし聞こえたならば、と黒外套の男は不敵に微笑む。
「……化け物くらいでござるよ」
 暗闇に潜む黒外套と、灯りを背負う黒鎧の騎士の視線が絡み合ったその時。
「閣下! 侵入者ですっ!」
 王城塔に、兵士の鋭い声が響き渡る。
「何者だ。化け物か?」
「いえ、武器庫に侵入者です。先日運び込んだ新兵器が一つ、奪われたとのことで……」
 その言葉に、ミクスアップの表情が露骨に曇った。
「つ、つつつ、追跡しておるのか!?」
 こんな状況でミクスアップが怒鳴らず踏みとどまっているのは、追跡兵の主力である有翼種に夜目の利く者がほとんどいないのを理解しているからだ。
 無論ニワトリであるミクスアップ自身も、夜は目がほとんど見えていない。
「は。メルディア様がお一人で」
「そうか。クロウザ、行ってフォローしてやれ」
「承知」
 フォルミカの言葉に、黒外套の男は静かに頷くのだった。


 闇に覆われた王都を、メルディアは走っていた。
(暗いわね……)
 夜空を見れば、月は中天に差し掛かろうかというところ。これがココ王国であれば、まだ街には多くの灯りが残っている時間だ。
 かつかつと瓦屋根を蹴り、逃亡者の背を見失わないよう疾駆する。
(なに? ご主人、もう少し明るくしよか?)
 耳元で響くのは、従者であるグレシアの声だ。彼女を鎧としてまとった今だからこそ、こんな闇夜で逃亡者の追跡などという事が出来るのである。
(いいわ。十分見えているから)
 その彼女の力の一つ。闇の中でも見通す瞳は、しっかりと逃亡者の背中を捉えたまま。
 その背が、くるりとこちらを向いた。
「あれは……」
 手に握られているのは隠密には向かない長めの剣。柄にはめ込まれている、不吉な血の色を放つ宝石は……
「拙いっ!」
 歪む空間が、グレシアを通じた視界にはっきりと写し出された。背中の翼を展開させてその場を離れようとするが、半歩、間に合わない。
「あァっ!」
 全身を薄く覆う鋼の鎧が、一瞬もとの重さを取り戻した。
 しなやかに曲がるはずの関節も重い拘束具と化し、バランスを完全に失ったメルディアはグルーヴェの高層建築の高みから転がり落ちていく。
「グレシア! グレシアっ!」
 主の悲鳴に反応を取り戻したのは、塔の中腹を過ぎる頃。
 言葉で答えるよりも迅く双の翼が展開し、落下の加速を一瞬で中和した。歪む世界を逃れれば、鎧の重さも、関節の鈍りもあっさりとかき消えている。
「すまん、ご主人! ちょっと間に合わへんかった!」
 焦り気味のグレシアの言葉に、メルディアは無言で元の高さへと戻った。
「ちょっと、ご主人?」
 全体的に薄い装甲の中で唯一の重装を持つ右腕を前に延ばし、内部の機構を露出・展開させる。
「もしもーし」
 瞬きする間に組み上がったのは装着者の身長に及ぼうかという巨大な弓だ。手甲の内よりすいと伸びた光の矢を引き絞り、はるか遠くに姿を消した逃亡者の背を『補足する』。
「グレシア、レベル2」
 ぼそりと呟いたその言葉に、流石のグレシアも顔色を変えた。
「な、ちょっとご主人! 短気はやめとき!」
 だがメルディアの意志は変わらない。重手甲の分割線を光の筋が駆け巡り、絞られた光矢をより長く、より鋭く造り替えていく。
 視線の先の逃亡者は意志の内に補足したまま。どれだけ裏道を逃げようと、幾たび扉をくぐり抜けようと、もう、逃がさない。
 メルディアの視線は既に鋼。
 メルディアの意志も既に鋼。
「……シュート」
 輝きの一撃は逃亡者の踏み込んだ裏道を一瞬で踏破し、逃亡者が潜った扉の全てを貫き、階段を駆け上がり、路地を抜け、追撃し、迫り。
 逃亡者の背を、正確に撃ち抜いた。


「どうしようかなぁ……」
 グルーヴェに居並ぶ塔の一つ。リーグルー商会の保有する塔の上で、ミーニャは真っ暗な夜空を見上げた。
 手にしているのは一通の手紙だ。
 ミーニャが間違えて持って出た雷のティアハートを持ち帰るようにという、母からの手紙である。
「返してもらうまで帰ってくるなって言われても、なぁ」
 売った男の顔は覚えていた。が、その彼が何処にいるのかはもちろん分からない。
 冒険者か、軍人か……それとも、ただの風来坊か。
 灯りのほとんど無い陰鬱な街に視線を落とし、はぁとため息。
「……あれ?」
 その視線の先に、何か動くものがいた。
 見覚えのある背中。
 見覚えのある髪。
「……ミンミ!」
 既に少女の中には悩みはない。高い塔の上からひょいと飛び降り、各所にある張り出しを蹴りながら地面に着地、接地と同時にダッシュする。
 考えるのは明日のこと。まずは今目の前にいる宿敵を追いつめる事が、先だ。


 夜目にも分かる鮮やかな紅が、男の手を濡らしていた。胸の傷口に当てた手は宙を押さえるだけで、止血の意味を果たしていない。
 男の中心に大きな風穴が開き、灼かれた組織から血がじわじわと溢れ出しているのだ。
 王城の武器庫から奪取した長剣を杖代わりに、男は残された力を振り絞って前へと進む。
「あら。ごくろうさま」
 その先に、少女が一人、いた。
 グルヴェアの裏道、暗がりの街のさらに闇の底、黒い澱みをまとって、そこに立つ。
 すいと踏み出し澱みを抜ければ、黒かと思われた色は意外にも深い緋色だった。
「お前……は……赤……」
「やだわ。失礼しちゃう」
 泡と共に放たれた言葉を、少女は失笑で否定する。
 王城にこんな娘はいなかった。ならば、それ以外で男の脱出劇を知っているのは……
「なら……これ……フェーラ……」
 男は路地の壁に背を預けると、支えとしての役から解放された長剣を少女の元へと差し出した。彼の遺志を解したか、少女もその血塗られた剣をすいと受け取る。
「あり……が……」
 全ての力を使い果たし。だが与えられた任務を全うした男は、穏やかに微笑む。
「でも残念ね。あたしは赤じゃあないけど、そっちの関係者でもないの」
 その男の笑みが、凍り付いた。
「じゃあね。ブラディ・ハートをありがとう。そして、さようなら」
 すいと手を伸ばし、一瞬の光。灼熱をも過ぎた熱量は、狭い路地裏に臭いさえ残しはしない。
 ゆらりと昇る陽炎を片手で払い、振り返った所に声が投げられた。
「ボンバーミンミ!」
 声の主は少女と同じ年頃の娘だ。闇澱むグルーヴェの路地裏でさえ、彼女の背にだけは月光が輝いている。
 こちらを勇ましく指す指先にも、光のティア・ハートの輝きが強く灯っている。
「まあ! シューパーガールじゃない。どう、元気してた?」
 柔らかな、しかししっかりと闇を照らす光に、赤い少女……ボンバーミンミは眩しげに目を細め、歓喜の声を上げた。
「元気してたじゃないっ! 今度はこの街で、どんな悪事をするつもり!?」
 ココで戦っていた頃のミンミは武器など使わなかった。そんな彼女が剣など提げているということは、何かの企みが絡んでいるに違いない。
 だが、シューパーガールのその問い掛けに、ミンミはあからさまに不満そうな声を上げた。
「……失敬ね。ココで貴女と遊ぶならともかく、こんな辛気くさい街に用なんかないわよ」
 あの頃は楽しかったわねぇ、とうっとりと呟く、緋い少女。
「それにあたしが用があるのは、赤の後継者だけなの。じゃ、忙しいから、またね」
「ち、ちょっと、ミンミ!?」
 一方的にそう結論付け、宿敵の魔術師はふいと姿を消した。転移の魔法である。
「それにしても……。赤の……後継者?」
 何となく薄寒い感じを受ける単語だが、一度も聞いた事がない。もちろん、ミンミの企みなど見当も付かない。
「貴女、何者! 我々から奪ったものを返しなさい!」
 そこに投げ付けられたのは、上空からの誰何の声だった。
「……あーもうっ!」
 ミンミ以上の面倒ごとに巻き込まれる予感を感じ。
「せ、閃光!?」
 シューパーガールは目くらまし一つ、さっさとその場を後にするのだった。



続劇
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