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5.戦いの結末

「……で」
 吐息のかかる間合にいるエノク王子に、シーラはどこまでも冷めた声で呟いた。
「なんで貴方がここにいるのよ。ジェンダ」
 呼んだ名はジェンダ、なのである。
 夫の名前はアルド。でも、目の前にいる、アルドの顔をした男は、ジェンダという。
「んー。イクスに頼まれましたから」
 こちらも一応は小声だ。顔を寄せ合っているお陰で、端から見れば長いキスをしているだけにしか見えない。
「常識って物がないの、貴方は」
「陛下とはいえ失敬な。僕の事を周りの小さな基準で計って貰っては……」
 シーラはこんな男をロイヤルガードに入れ、なおかつオーバーイメージの技術まで会得させた事を悔いていた。
 心から、悔いていた。
「全く。迂闊だったわ……同じ影武者なら、マリネの人形の方がいくらかマシだったわ」
「マリネはほら、陛下の影武者で忙しいですし。僕の『喝采』じゃダメですかねぇ?」
 彼のオーバーイメージは『喝采』。身にまとう事で、幻ではなく、あらゆる体型・性別に変身出来る魔力のコートだ。
 主な使い方は、見ての通りである。
「そういうレベルの問題じゃないでしょ……エイス達が苦労するわけだわ。全く」
 はぁ、と吐いたやるせないため息は、もう何度目になるだろうか。
「まあ、諦めてください。へーか」
「ああ、そうだ。ジェンダ」
 近付けていた顔を離し、長いキスのフリを終えるジェンダ。この辺りは流石に演技のプロだ。列席者から気付かれた様子はない。
「だいたい予想は付いているけど……うちのバカ王子様は、一体どこに?」
「陛下の予想通りですよ」
 拍手喝采の一同に素知らぬ顔で堂々と手を振り、ジェンダはにこやかに答えた。
「今頃、外で暴れてるんじゃないですかねぇ」


「ご婦人が相手とは……やりづらいな、流石に」
 繰り出される鞭を剣で捌きながら、突如現れた黒眼鏡の男は苦笑気味に呟いた。
 その上、彼が得意とする武器は未だ届いていない。本来なら、今日中には届くはずだったのだが……。
「ラピスが来れば、少しは違うか」
 受け流すタイミングが遅れ、鞭の一撃を食らう瞬間に魔術の障壁が展開。結界が穿たれる鈍い裂音がしただけで、直撃を免れる。
「お義兄様。コーシェにはテレポートの準備してもらうから、もう防御は出来ないよ」
「誰がお義兄様だ!」
 トーカがコーシェに与えた指示の意味は良く分からないが、それだけに反論し、黒眼鏡の男は長剣を構え直す。
「あー。いたー」
 外野からあまりに緊迫感の無い声が掛けられたのは、その時だった。
 声の主を知っているからか、戸惑い無く持っていた剣を投げつけ、男は半歩後退。
「マチタタか。ってことは、ラピスもいるな?」
「相変わらず、全然こっちの事考えてないね、アルド様は」
「この姿の時はクワトロと呼べと言ったろう……そっちがラピスか?」
 ため息を吐くマチタタにそれだけ言い捨てておいて、男はその隣にいるピンクの髪をした娘に声を掛けた。
「お初にお目に掛かります。マスター。ラピス・ラズリ、対ボンバーミンミ用の装備をお持ちしました」
「よし。よくやった」
 差し出された二丁の短杖を受け取り、ラピスの長い髪を軽く撫でてやる。少女はくすぐったそうに身をよじり、主の意を悟ったのか戦闘領域からぱたぱたと離れていく。
「ねえ、アルド様。あたしシーレアに行きたいんだけど、トーカ様下げたらもう行っていい?」
「任せて貰って良いが……俺はクワトロだ」
 二丁の短杖……『銃』と呼ばれる古代武器だ……を構え、黒眼鏡の男は体勢を立て直した蝶の女へ向き直る。
「ほら。二人とも、行くよー」
「わかったにゃ!」
 マチタタの声にルティカが応じ、
「おう。支援に回るから、そっちは任せるぞ」
 ソカロは剣を抜き、クワトロと共に敵の元へ走り出した。


「……助かりましたよ」
 渦巻く水の中心で、ムディアは静かに呟いた。
「そう。そうだったの」
 ハートブレイカーの一撃を食らい、ティア・ハートを砕かれたというのに……ムディアの水のティア・ハートが暴走する気配はない。
 ただ、こんこんと水が溢れ出すのみで……。
「ええ。ティア・ハートを解放するの、私、少し苦手なもので」
 理由は唯一つ。
 枷を砕かれ暴走し、炸裂するはずの力。その力の全てが彼女の意志の下にあるという、ただそれだけの理由。
「……オーバーイメージ、ね」
 ムディアの余裕のわけをようやく悟り、蜘蛛の美女は辺りに無数の銀糸を張り巡らせた。
 伸ばした糸を即座に縮め、その反動でココの空へと舞い上がる。
「捉えなさい。ギルチック・チェーンッ!」
 それを追うように。高らかなムディアの叫びと共に、水に覆われた全ての領域から、波濤の鎖がココの青空に次々と駆け上がっていく。
「なかなか、やる!」
 アルジオーペは六本の腕で次々と蜘蛛糸を放ち、迫り狂う鎖の隙を縫うように移動・回避し続けた。大地に放った糸で急降下し、瞬時に織った網で方向転換し、果てはムディアの鎖にまで銀糸を絡め、流れに沿って移動する。
「残念」
 だが。
「この街に関しては、私の方が詳しいですよ」
 その目の前に、ムディアがいた。
 蜘蛛女の如き白銀の網を、鋼の鎖で編み上げて。銀糸の移動と同じ動きを、鉄の鎖で生み出して。
「でも、使い方は私の方が、巧いわよ」
 絡み付こうとする鎖を止めるべく、アルジオーペも糸を紡ぐ。
 銀糸と銀鎖、二つの束縛者が絡み合い、砕きあって……。


「バカか、こいつはっ!」
 ウォードもひたすらに焦っていた。
「バカじゃない! セイギの味方だっ!」
 入ってきたのは、ウォードより少し上くらいの少女だった。
 そいつが、いきなり殴りかかってきたのだ。
「冒険者ギルドを無茶苦茶にして! 何考えてんだっ!」
「貴様らがっ!」
 輝く拳はティア・ハートの力だろう。
 ならば見ていたはずだ。分かっているはずだ。少年が、触れただけでティア・ハーツを砕く力の持ち主だということを。
 だが、少女にはそれに対する怖れがない。
 故に、拳に迷いがない。
 ウォードの貝の手甲を驚く事もなく、ひたすらに正面から、拳の連撃を、ブーツの蹴撃を叩き付けてくる。
「大人しく、降参なさいっ!」
「ちっ!」
 両手を重ね、ウォードは一瞬意識を集中させた。貝殻の内に水の力が渦巻き……
「そんなもの、このシューパーガールには効かないよっ!」
 叩き付けられた高圧の水撃にもひるまない。
 ミーニャ・リーグルー。
 またの名を、シューパーガール。
 ただの少女に見えても、心は、体は、ココの平和を守る立派な戦士なのだ!
「ミンミの爆裂に比べたらッ!」
 シューパーガール最大のライバル、炎を操る大魔術師の事を思い出し、水の一撃を弾き返す。
「……ミンミ?」
 しかし、その言葉にウォードの動きがぴたりと止まった。
「……それは、ミンミ・ワイナーの事か?」
「え? うん。そうだけど……」
 ミーニャの言葉に、黒いコートが風に舞い、仮面の下の濁った瞳がゆらりと揺らめく。
「そうか……」
「え?」
「ミンミ・ワイナーの縁者なら、皆殺しだっ!」
 超高圧の水撃が狭い冒険者ギルドに荒れ狂い。
 小さなギルドが崩れ去るまで、ほとんど時間はかからなかった。


 白銀の鎖を器用に操り、ムディアはココの路地裏へひらりと舞い降りた。ネコ族の優雅な身のこなしは、彼女の体に傷一つ付ける事はない。
「……音の原因は、これですか」
 目の前にあるのは、完全に倒壊した冒険者ギルドの成れの果て。この音に一瞬気を取られたせいで、蜘蛛女の刺客を逃してしまったのだ。
(いや……違うわね)
 手元に引き戻した鎖は、鏡のような切断面で断ち切られていた。
 最初からその力を出していれば、ムディアを倒す事は簡単だったはず。相手も逃げる瞬間までは本気ではなかった、という事なのだろう。
 オーバーイメージの鎖を解き、意識を崩れたギルドに引き戻す。
「丈夫な建物では無かったけれど、一体誰が……」
 気配を殺して瓦礫の山へと近寄ると。
「痛ぅ……」
 大きな梁を吹き飛ばし、勢いよく立ち上がる小さな影が、一つ。
「あーもう、埃だらけだよー」
 驚いた事にケガ一つないようだ。砂場に転んだ時のように、ぱたぱたと服を払っているだけ。
「……また、貴方ですか」
 その姿に、ムディアは心当たりがあった。
「……げ」
 もちろん影も、心当たりがあった。
「シューパーガール!」
「鎖女っ!」
「そんな名前で呼ばないで貰いたいっ!」
 かつてのボンバーミンミ事件以来の腐れ縁だ。参考人として捕まえようとするたびに、逃げられている。
「ギルドを壊したのも貴方!?」
 じゃらりとオーバーイメージの鎖が鳴り、自称セイギの味方を捉えようと、その鎌首をゆっくりと持ち上げた。
「違うっ! セイギはそんな事を良しとしない!」
「なら何で逃げるの!? 大人しく弁明なさい!」
 放たれた鎖を端から回避。相変わらずの非常識な運動能力に、ムディアは内心舌を巻く。
 ぱっと見普通の少女に見えるが、最強の魔法使いの一人であるミンミを一人で退け、アリスのガードの中でも屈指の拘束能力を持つムディアの鎖を平気で避ける相手だ。少なくともその正体は、そこらの冒険者程度では収まるまい。
「言い訳なんて見苦しいっ!」
 走り出したシューパーガールを追いかけるため、ムディアもまた走り出すのだった。


 ゆっくりと舞い上がる蝶女に向けて、ソカロは呆然と声を放つ。
「蝶のビーワナだと……? そんな奴が、いるっていうのか?」
 昆虫種のビーワナなど、この世界にはいないはずなのだ。だが、目の前の相手が持つ聖痕は、間違いなく蝶のそれ。
「いるんだよ。目の前にな!」
 対するクワトロはもう少しだけ冷静だった。両手の銃を正面に構え、走りながらの速射を続けざまに。
 短剣ほどの長さしかない『銃』は、蝶の女の鞭を受け流し、柄での打撃を与え、クワトロの手の中で縦横の働きを見せている。
「ちイっ!」
 クワトロの言葉に、ソカロも再び走り出す。ウサギ族には珍しい長耳が風に激しくなびき、駆け上がる体温を素早く解き放っていく。
 故に、加速はさらに強く、迅く。
 刃の鋭さも速さに追従し、飛翔する鞭を踏み込みと共に断ち切った。
 軽くステップを踏んで過剰な勢いを瞬時に殺し、
「その耳……ソカロ? ソカロね!」
 女の声に、だ、と動きを止めた。
「……何で、俺の名前を?」
 王都に入って名を名乗った覚えはない。無論、蝶族のビーワナなどに知り合いはいない。
「そう。分からないのも、無理はないわね」
 剣の届かぬ空中に身を置いたまま、女は鈴の鳴るような声で笑う。
「まさか……お前……っ!」
 聞き覚えのある声。
 忘れようはずもない、その声。
「今度こそ、貴方は私を殺してくれるのかしら?」
 その言葉を残し、蝶の女はゆらゆらと飛翔を開始する。
 人も多くなってきたし、クワトロの銃も厄介だ。これ以上戦いを続ける理由は、あまり無い。
「フィアーノっ!?」
「逃がすかっ!」
 銃の狙撃も照準が甘いのか、青空に紛れて飛び去るフィアーノには届かない。
「ソカロ、もう行くよ!」
 戦況を見て安心したのか、トーカは既にこの場から姿を消していた。コーシェはマチタタの傍に来てテレポートの準備を済ませている。
 任務も済んだマチタタにもこの場に残る理由はもう、どこにもない。
「おい、ちょっと待て……って」
 しびれを切らせたマチタタが、テレポートの発動をコーシェに指示し。
「ひゃあっ!」
「おわっ!」
 ソカロにぶつかった『誰か』と共に、キラキラと光る魔力の渦が広がって……。
「……ふむ」
 残されたのは、はじめから居た門番達と、クワトロとコーシェだけ。
「待てーっ!」
「……ん?」
 そこに追い付いてきたのは、
「ああ、アルド様。この辺りに、ピンクのワンピース着た女の子来ませんでした?」
「だから、俺はクワトロだって言ってるだろう!」
 シューパーガールを追いかけてきた、シャム猫の少女だった。



続劇
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