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2.そして夜は明けて

 『碧玉の道』の朝は早い。
 何しろフェアベルケンの東と西の果てを繋ぐ大街道である。朝日を合図に宿場を出る乗合馬車の一団は、ちょっとした名物になっているほどだ。
 殊に今日はココ女王の戴冠式ということもあり、宿場を飛び出す馬車の数はいつもの倍近くに増えている。
 エノクからココへと向かう一台の中で、男はサングラスの調子を整え、内心小さなため息を吐いた。
(何で俺、こんな事してんだろうな……)
 見上げんばかりの長身であろう青年だ。
 あろう、というのは、彼が向かいの座席にまで脚を投げ出し、それでも窮屈そうに身を屈めているからだった。
 もともとは小柄なビーワナ向けの馬車だったのだろう。彼が乗っている馬車は、屋根の作りも扉の作りも、普通の馬車に比べて明らかに小さく出来ている。六人乗りとは聞いたが、普通の旅行者なら四人で満席になってしまうはずだ。
 そんな長身の彼が、六人乗りを五人乗りにしてまでこの馬車に乗っているのは……理由があった。
(あー。あそこで失敗したんだろうなぁ)
 エノクの冒険者ギルドでつい引き受けた依頼を思い出し、心の中だけで呟く。
「ねー。ソカロは朝ご飯、食べないの?」
 そこに至った所で、思考中断。斜向かいに座っていた少女から声がかかったからだ。
 サングラスを少しずらして様子を見れば、ネコ族の少女がこちらにサンドイッチの包みを差し出していた。
「んー? 具は?」
「ヨツエラサディンと、野菜があるよ」
「俺ァ、草食だからよ。こっちだけ貰うわ」
 そう言って野菜サンドの包みを取り上げ、それきり無言で包みを開ける。作ってそう時間が経っていないらしく、野菜の色はまだ新しい。
 ココ菜にサンドパプリカ、あとはクラトア産のミレニアトマトが彩りを添えている。ココ西部ではごく普通の旅人の朝食といったところか。
「マチタタは?」
「野菜サンド……ああ、それ、サンドパプリカは入ってるのかな?」
 クッションの効いた席に身を埋めていたメイド服の少女は、その問いに気怠げに問い返す。
「普通入ってるだろ」
 パプリカの苦みに少し眉をひそめ、ソカロが言葉を添えた。魔よけの効果があるとされるサンドパプリカは旅人料理の定番食材だ。旅人向けの野菜サンドに入っていない方がおかしい。
「じゃ、どっちも要らない」
 あたしあれ嫌いなのよね……と呟き、マチタタと呼ばれたもう一人のネコ娘は馬車の椅子に再び身を埋めた。小柄な彼女に小さな馬車は居心地がいいらしく、そのまま澄んだ青い瞳を静かに閉じる。
「……イワシは食わんのか」
 一度は閉じた目を薄く開き、マチタタはソカロの方を軽く睨み付けた。
「ネコ族がみんな魚好きだなんて、偏見だわ」
 ぽそりと呟きかけ、
「そうなの? ルティカはお魚大好きだよ?」
 不思議そうに首を傾げるルティカにはぁ、と短くため息を吐いて、それきり黙ってしまう。
「でも、それだと一つ余っちゃうね」
 ソカロの隣で静かに野菜サンドを食べている少女を見、ルティカ。
「スピラは野菜サンドか。じゃ、残りはルティカが食っていいだろ。胴元はいらんそうだし」
「ルティカ、もうサーディンサンドみっつたべたから、お腹いっぱいだよ」
 一行は四人。買ったサンドイッチは六つ。
「…………あ、そう」
 ソカロは買い出し係のルティカが弁当を幾つ買ってきたのかなど、知るはずもない。
「あ、キミ、良かったらサンドイッチ食べない? 人数分買ったんだけど、一つ余っちゃったの」
 最後にルティカが声を掛けたのは、ルティカの隣に座っていた仮面の少年だった。
 古傷でもあるのだろう。目元を覆う仮面を付けた彼だけが、このおかしな一行のメンバーではない。朝乗り合ったばかりで、仮面の理由どころか名前も知らない少年だ。
「……」
 いきなり声を掛けられたからか、少年の反応は鈍い。
「ん?」
 首を傾げるルティカだが、やがて黒いコートの袖口から伸ばされた少年の手は、サンドイッチの包みを受け取るように泳ぐ。
「目、悪いの?」
「気にして貰う必要は、ないね」
 やがて白い包みは無事少年の手に触れ、数度の修正を経て少年の手に収まった。
「よかったー。ありがとね」
「……どういたしまして」
 ぽそりとそう答え、少年はそれきり無言でサンドイッチを口に運び始める。
 そんな様子を見て、ソカロは再び思った。
(やっぱりそうだ。エノクのギルドで俺は間違えたんだ)
 少女一人の護衛。戦闘の可能性かなり大。報酬は危険報酬抜きで普段の倍、諸経費別。
 フェアベルケン最大の都であるエノクの物価は高い。数日滞在しただけですっかり寂しくなってしまった懐具合に、それならと引き受けた仕事だったが……。
 護衛対象の無口な少女。
 好き嫌いの激しい侍従風の娘。
 護衛の相方に至っては食べ盛りの子供。
(ガキの引率料込みじゃ、ちと安いわなぁ)
 平和なココ、それも王都まで半日の距離となれば、野盗の出る可能性ももう無いだろう。
 誰ともなしにそう呟き、サンドイッチの包みを丸めたソカロは、ぼんやりと視界を外に移すのだった。


「姫様。前向いてくださいにゃ」
 シーツの糊も落ちてすっかり柔らかくなったベッドの上。ナコココにそう言われ、アリスは窓の外に遣っていた視線を正面に戻した。
「姫様、ご機嫌斜めにゃりね」
 背中からは、ナコココがアリスの髪を梳く柔らかな音が聞こえてくる。もう何年も任せているのに一向に上手くなる気配がないが、だからといって辞めさせる気はさらさらない。
「そんな事を訊いて……お仕置きされたいのかしら? このバカ猫は」
 冗談めかした不吉な言葉にも、幻獣の娘は髪を梳く手を緩めない。
「機嫌の悪い時のお仕置きは、痛いからイヤにゃあ」
「じゃあ、あたしの機嫌が良い時のお仕置きは構わないのかしら?」
「嫌って言っても、するくせに」
「ふふ。そうね」
 そう返したきり、アリスは口をつぐんだ。
 シーレアに突如現れた魔物の群れ。それを迎え撃つ為に出撃した彼女の部下達は、そろそろシーレアに到着している頃だろうか。
 自分がナコココと穏やかな時間を過ごしている間にも、彼女達はアリスが命じた戦いの只中にいるのだ。
 王族ならば仕方ないと割り切る事は簡単だ。けれど、そんな考えはしたくない、とも思う。少なくとも、自分だけは。
「あんまり、考えないほうがいいにゃりよ。姫様には、姫様の仕事があるんだから」
 髪を梳く手が止まり、細い腕が後から回されてきた。ことり、と頭に載せられたのは、愛しい猫の細いおとがいだろうか。
「……ナコココに心配されるようじゃ、お仕舞いね。あたしも」
 静かに微笑み、刻を同じくして鳴った控えめなノックに言葉を投げ返す。
「お楽しみの所でしたか? これは失礼をば」
 入ってきたのは、メイド服に身を包んだネコ族の娘だった。ワンピースタイプの服の色は、アリスの傍仕えを示す紺の色。
 深夜の街でムディアと呼ばれていた、ペルシャ猫の娘である。
「あら。ムディアなら大歓迎よ? 貴女にはいつも裏方ばかりさせているのだから、たまには労わせて頂戴な」
「私の分はマチタタにでもしてやって下さい」
 柔らかく掛けられた主の言葉にも、珍しいほど素っ気ない態度だ。普段アリスに仕える娘達であれば、その言葉に頬を赤く染め、少しだけ誇らしげに頷くだけだというのに。
「そう? じゃあ貸しにしておくから、気が向いたらいらっしゃいな」
「にゃんですとー!」
 反抗の声を上げる猫叉を黙らせておいて、アリスは表情を変えた。アリスに抱かれる気のないムディアが寝所を訪れたからには、何か重要な報告があるのだろう。
「マチタタは昼頃の到着になるそうです。それで問題ないと伝えましたが」
「手際が良いわね。それで問題ないわ」
 アリスはそう答えながらベッドから降りると、寝巻きの肩紐をするりと引いた。薄絹で仕立てられたナイトドレスはそれだけで少女の肌を滑り落ち、アリスの裸身を惜しげもなく侍女達の前にさらし出す。
「昼って、それじゃ間に合わないにゃりよ?」
 ココからシーレアまでは馬を使っても半日かかる。飛べる魔術師なら一刻もかからないが、あのマチタタが魔法を覚えたという話は聞かない。
 昼前に戦いが始まったとして、夕刻に着いたのでは戦いの役に立たないだろう。
「彼女に急ぐよう伝えると、何をするか分かりませんから……」
 フリルとレースに包まれたドレスの袖をアリスに通しつつ、ムディアはため息を吐いた。
「あー」
 言われ、ナコココも口をつぐむ。
 マチタタはアリスのプリンセスガードが形になる前からアリスに仕えていた。ムディアもマチタタとほぼ同時期に、アリスの警護役として彼女に迎え入れられている。
 この場にいる三人の誰もが、彼女のシンプルな性格を良く分かっていた。
「こちらで転移の術師を手配しておくわ。ココからはそれで行かせましょう」
 ムディアがアリスの着替えを手伝っている間に、ナコココは彼女の髪をまとめ終わっている。やる気になればそれなりに上手くやれるのに、と、慌ただしさの中でもアリスは微笑を禁じ得ない。
「それと、ボンバーミンミ……ミンミ・ワイナーの件ですが、この半年、彼女は活動していませんし」
「ええ。そちらは暫く保留にしておいて。この前はその件で呼び戻す暇も無かったけれど、今回はムディアにも十二分に働いて貰うわよ」
 髪と服が整ったのは全くの同時。
「御意に」
 そう答えた瞬間、朝食を告げる小間使いのノックが寝室の扉を柔らかく叩いたのだった。


「流石に、獣機まではどうにもならないわね」
 朝食の席でのイーファの問いに、イルシャナもさすがに困惑するしかなかった。
「そうですか……」
 イルシャナは鋼鉄系ビーワナの長という、もう一つの顔を持つ。だが、獣機の絶対数がほぼゼロに近い今、彼女に出来る事は余りにも少ない。
「でも、貴女はシーラ陛下に謁見する役を賜っているのではないの?」
 ちなみにこの席にいるのは王姫であるトーカと王族のイルシャナ、彼女の客人であるイーファの三人と、給仕の少女達だけ。本来揃うはずのシーラとアリスは忙しく、少し前に各々で食事を済ませていた。
「ええ。でも、メルディアはきっと失敗するでしょうから……」
 メルディア、と言われてもイルシャナには誰だか思い浮かばない。
「朝、シェティス様と居た彼女の事ですわ」
 イーファの給仕をしている、ドゥルシラという娘……イーファが連れてきた世話役の少女だ……に助け船を出され、ようやくその少女の様子を思い出す。
 冷静で利発そうな、軍人向きの少女だった気がする。
「さっき、ガチガチに緊張してましたから。弓兵があれじゃ、役に立たないです」
「そうは見えなかったけど……よく見ているのね、イーファは」
「そ、そんなんじゃないです!」
 慌てての反論に、くすりと笑み一つ。
「大……嫌い、ですから。あんな奴」
「まあ、謁見の方は何とでもなるけれど……。エミュ、連合会議には、グルーヴェは誰が出るのだったかしら?」
 ココ王国の戴冠式ということで、城には由緒ある七王家だけではなく、近隣の有力国家も続々と集まっている。それに伴い、各国から首脳会議の提案がなされているのだ。
「えと。大臣の……ミクスアップ・ディソーダー侯爵って人です。イルシャナさま」
「ディソーダーが侯爵!? ンなアホな!」
 手帳に書いてあったメモを読み上げたイルシャナの側近に、メルディアが連れてきていた世話係の娘が驚いた声を上げる。
「え? でも、ちゃんと書いてあるよ。あと護衛が一人って」
 見れば、彼女だけではない。イーファも、ドゥルシラも驚きを隠せない様子だ。
「グレシア、ディソーダー家って……」
「せや。せいぜい男爵のはずやけど……イファの親父さんが確か伯爵やろ?」
「それが、いきなり侯爵?」
 その話を聞き、イルシャナもようやく驚きの理由が分かった。
 公候伯子男。厳然と存在する領地制度と爵位制度の中で、男爵がいきなり侯爵になる事など有り得ない。
「もし来るならジンカ将軍か、コルベット公爵やと思うてたんやけどな……」
 悩む一同だったが、その様子をじっと見る視線に気付き、ふと顔を上げる。
「どうしたの? コーシェイ」
 見ていたのはトーカの給仕をしていたコーシェイだった。もともとはイルシャナの傍仕えだが、年が近いということで、今日はグレシアと一緒にトーカの給仕を手伝っていたのだ。
「ううん。なんでも……ない」
 ぽそりとそう呟き、コーシェイはデザート用の食器を取りに下がるのだった。


「着いたーーー!」
 歓喜の声を上げたのは、一体誰だったのか。
 見上げんばかりに巨大なココ王都の門をくぐる馬車の中に、その声は響き渡った。
「ねえねえ、ウォードはこれからどうするの? 戴冠式の見物? それとも、誰かに会いに行くの?」
「……人待ち、かな」
「ルティカたちはねぇ。人捜しなんだよ。王都って、人多いんだよね? 見つかるかなぁ?」
「知らないよ、そんなの」
 中でもはしゃいでいるのはルティカだ。部外者であるウォードも最初は邪険に扱っていたのだが、それを気にする様子のないルティカに根負けし、最後には短い返答をするようになっていた。
「到着ぅー。ほら、降りた降りた」
 がた、とひと揺れして馬車が止まり、ネズミ族の御者が内側に高めの声を投げかける。
「やれやれ。やっと着いたか……」
 少女達に続いて長身のソカロが降りると、小さな馬車は挨拶もなしにガラガラと走り出した。稼ぎ時の今、少しでも便を出したいのだろう。
「それじゃ、行くわよ。ソカロはあたしとルティカとラピスを見失わないようにね」
「要するに、全員なんだな」
 無口なラピスの手を引き、ソカロはダラダラとマチタタの後を歩き出す。
「じゃあねー!」
 その後を、手を振りながらルティカが続き。
「……」
 最後には、仮面の少年だけが残された。
 否。
「思ったより、早かったのね。シェルウォード」
 銀の仮面の傍へと立つは、黒いコートの女の姿。
「君達が遅すぎるんだ。アルジオーペ」
「この子がはしゃいじゃってね」
 お祭り騒ぎの王都では、少年の仮面も美女の黒コートも、一切目立っていない。むしろ地味すぎて逆に浮いているほどだ。
 それに引き替え、すらりと立つ『三人目』は風景へ完璧にとけ込んでいた。
「そいつが五人目?」
 青く輝く蝶の翅は、普段ならひたすら人目を引くだろう。だが、薄い鋼の質感を併せ持つそれは、今日という日には仮装の小道具にしか見えなかった。
 趣味の良い空色のワンピースと長い黒髪は、その異様さえ除けば普通の美人にしか見えないのだ。
 ウォードの問いにちらりと視線を寄越し、ふわりと微笑む。
「ああ、あまり息をしない方が良いわ。この子、周りに幻を撒いているから」
「早く言いなよ、それを!」
 そう言いながらも慌てて口元をコートで覆い、不機嫌そうに呟くウォード。
「で、貴方はいつも通りに?」
「ああ。君達に命令されるのは気に入らないからね」
 そう言い捨てて、ウォードも雑踏の中へと姿を消すのだった。

 そして街中が歓声に包まれる。
 いよいよ、戴冠式が始まったのだ。



続劇
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