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3.赤の後継者

 膨大な魔力によって生み出された苛烈な波濤が、最後の魔物の群れを一気に押し流した。
「手応えがないの……これで仕舞いか」
 燃え上がる杖を元の宝珠に戻し、ローブを被ったままの蛇は静かに呟く。
「そうねぇ。もうちょっと多くても、よかったかな?」
 傍らにひらりと舞い降りたのは、薄桃の短衣に小振りなロッドを持った可愛らしい娘だった。こちらも装飾の多いロッドを元のティア・ハーツに戻し、ほぅと一息。
「アンタらがデタラメ過ぎんだよ……」
 そんな二人を見てため息をつくのは、身長ほどもある柱時計を傍に置いたままのキッドだった。薄く紫電の走る柱時計は重さがほとんどないらしく、キッドの腕の動きに沿ってゆらゆらとその位置を変えている。
「そっかなぁ。でも、これもキッドくんのおかげだよねー?」
 娘はそう言うと、一人だけ不機嫌な少年に屈託のない笑みを見せ、後からひょいと抱きついた。
「ってこら、やめろよっ! アクアっ!」
「ふふん。今日はどこからどーみてもあたしがおねーさんだもんねぇ」
 そう。アクア、である。
 キッドのかつての力は『対象を幼児化する』だけの魔法だった。だが、新たなイメージを手にした彼は、戻すだけだった刻を自在に操る力を手に入れた。
 今のアクアは彼女が最も強い力を操るであろう、未来の姿なのだ。
「だーっ! はーなーせーーー!」
「あはは。かわいー」
 少年の背に柔らかな胸を押し付けたまま、少女は少年の反応がおかしいのかけらけらと笑っている。
「とは言え、あまりにも手応えが無さ過ぎる」
 そんな呑気な光景を横目に、男は静かに呟いた。
「それはそうだろう。こっちは陽動だからな」
 まさか三人で片付けるとは思わなんだが。と、男の呟きにどこからともなく聞こえた声が続ける。
「……成程な」
 蛇の術士に驚いた様子はない。
 静かな言葉と共に再び燃え上がる三蛇の杖。アクアに遊ばれてこそいたが、キッドの力はまだ解けていない。アクアも既にキッドを解放し、装飾過剰なロッドを再展開。無論、まだ最盛期の力と姿を保ったままだ。
「アクア、スクメギまで跳べるかの?」
「う……ンッ!?」
 だが、その答えはくぐもった悲鳴によって遮られた。
「アクアっ! がぁっ!」
 連なるのは、キッドの鈍い叫び声。雷光が爆ぜる音が、少年のオーバーイメージが途切れた事をリヴェーダに伝える。
「ちぃっ」
 気付いた時には既に眼前。迫る影の一撃を『三聖頌』で受け止めて、魔術師は本能だけで詠唱していた魔法を鋭く叩き付けた。
「フレアっ!」


「ウシャス。大丈夫か?」
 細い体を縛した糸を切りながら、男は腕の中の少女に問い掛けた。
 コートの女は倒れたまま動く気配がない。鎧の上から殴ったような手応えだったが、呼吸もしていないあたり、運良く死んでしまったのかもしれない。
「マスター。まだ、戦えますか?」
 自由になった腕で濡れた唇を拭いながら、それでも少女は問い掛ける。
「大丈夫だが……まさか」
「ええ。まだ、あいつは……」
 その背後に、もう別の声が来た。
「いきなりグサリとはね。私じゃなかったら……」
 女の声。
「生きてます」
「死んでるわよ」
 少女の声と女の声が、対照的な内容の言葉を発現した。
「……バカな」
 だが、男の耳に二つの言葉は届いていない。女が死んでいなかったから、ではない。
 立ち上がった女の姿に目を奪われていたから。
「全く、少しは遠慮したらどうなのかしら?」
 落ちた仮面を両の手で直しつつ、とっさの斬撃に乱れたコートの襟を正しつつ。女の声のそいつは、両の手で肩をすくめるジェスチャーを繰り出している。
 全てを同時に。
 三対の腕で。
 聖痕ではありえない。六本の腕を持つ生物など、並のビーワナはもちろん幻獣族の中にも存在しないから。もちろん、フェアベルケンのどんな生物も六本腕などという特性を持ってはいない。
 そうか?
 糸を繰り出し、八本の手足を自在に操る生物は本当にいないのか?
「……いや、そんな、バカな」
 ふと浮かんだ考えを、男は慌てて否定した。
 ビーワナ種にはあり得ないはずの特性だったからだ。
「やっと気付いたみたいね」
 だが、その表情を女はあっさりと肯定した。
「……あり得ないだろう」
「いえ。それが正解です」
 男の味方であるはずの少女でさえ、肯定した。
「バカな! この世界のビーワナに、そんな奴がいるはず……」
「この世界の、ね」
 そう。
「まさか……」
 まだ、生きているのだ。
「少し喋りすぎたかしらね。まあ、殺すから関係ないけどさ」
 驚愕に凍る男にもう一度肩をすくめ、残る四本の腕をすいと構える。硬質な外殻を持ち、鋭角に伸びる指先は、武器など使わずとも十分な殺傷力を持っているだろう。
「させません」
 女のその言葉を、男に抱かれたままの少女が否定した。
「ウシャス?」
「マスター、私の本当の力をお貸しします。完全なティア・ハーツと並ぶ、あの者達に対抗出来る、古代よりの遙かな希望を」
「そう。あの力を使うのね」
 それが何か分かったのだろう。女は婉然と微笑んだまま、ゆっくりと三対の腕を組んだ。ウシャスの言う『力』が完成するのを見届ける気なのだろう。
「来なさい。相手になってあげる!」
「ならば、行きます」
 愛しい主を強く強く抱きしめたまま、赤銅鉱の銘を持つ少女は高らかに声を上げた。
「超獣甲!」


 爆炎が空を舐め、大地を焼き尽くした。
 フレア。太陽を喚び出すに等しい破壊力を持つその古代魔法は、本来なら数千の敵を一度に葬り去るために使われる術だ。それを至近距離で食らえばどうなるか……。
「……むぅ」
 自らの杖『三聖頌』が宙に消えていく中、蛇族の老爺は静かに息を飲んだ。
 焦熱に硝子化した砂丘の上、ゆらぐ陽炎をまとって立ったその姿。
 炭化し形を亡くしたコートを捨てる、その姿に。
「なるほど。今の英雄の実力はこの程度か」
 頭から爪先、指先までを隙無く覆う、漆黒の全身鎧。
 キッドの力が切れ、最盛期の力を失った後の術とはいえ、太陽の灼熱を受けて小揺るぎもしないその強さ、硬さ。
「バカな……貴公ら……まさか……まさかッ!?」
 その正体に思い当たりがあるのだろう。老爺の蛇の瞳は、今までにない驚愕に見開かれている。
「ならば、少しばかりハンデをくれてやらねばならぬか」
 どす。
「赤……の……」
 老いた体では視認さえ出来ぬ一撃。元の姿に戻ったティア・ハートの砕ける衝撃が体を貫き、かろうじて繋ぎ止めていた意識をあっさりと吹き飛ばす。
 暗転する意識の中、リヴェーダの脳に男の冷たい声が響き渡った。
 次に狙うは、ココ王城である、と。


 深い森を走りながら、黒い仮面を被ったそいつは女の声でくすりと笑った。
「遊びすぎたかしら。またヴルガリウスに叱られるわね」
 傍らを走るのは黒い甲冑をまとった細身の男。
 全身を覆う甲冑をまとっているというのに、フォルミカの足が鈍る気配は全くない。むしろ、黒いコートを着ている時よりも軽快に走っている。
 この黒甲冑が男の表皮だと誰が信じられようか。アルマジロ族や亀族のような有機的な甲羅ではない。ビーワナ種にはあり得ない、金属光沢を持つ漆黒の外骨格が。
「少しは刺激がないと詰まらんだろう」
 フォルミカがそう言った瞬間、アルジオーペの顔に小枝が当たり、表情を隠していた黒い仮面がはじけ飛んだ。くるくると宙を舞う黒仮面だが、地上に落ちるよりも早く彼女の放った粘糸に絡め取られ、瞬きする間に手の中へ。
「ふふっ。そうよねぇ」
 やはりビーワナ種にはあり得ぬはずの複眼をすいと細め、蜘蛛の美女は不吉な笑みを浮かべるのだった。



続劇
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