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sun-day stories
[2012/06/29]


 豪、という轟きは、辺りを舐め尽くす紅の炎の舌の這いずりか、崩れ落ちる構造材の断末魔か。
 少女が恐れに閉ざしたまぶたの向こう。
 視界を赤く染めるそれは……今はもう、無い。
「目を、開けて」
 声だ。
 燃えさかる炎の音でも、屋敷の崩れる音でもない。
 優しい、穏やかな、人間の声。
「目を開けて」
 怯え竦んだ心をじわりと溶かすその声に、娘は恐る恐る目を開ける。
「……っ!」
 そこにあるのは、巨大な影。
「大丈夫だよ。助けに来たんだ」
 背負った炎の影で、相手の顔は良く分からない。けれど救助用パワードスーツに身を包んだそいつは、娘の足を挟み込んでいた瓦礫を易々と取り除き、小さな体を優しく立ち上がらせてくれた。
「なら、行こう」

 二人が走り出した背後に響き渡るのは、全てが燃え尽き、崩れ落ちるさらなる轟音だ。




Open Your EYES




 見上げた空は、どこまでも青い。
 雲一つ無い青空に伸びるのは、古びた鉄に覆われた無数の塔だ。
 大地からまっすぐにそびえ、時折左右に分岐を伸ばすそれらは、さながら荒野に広がる針葉樹の森。
 だが、そこは死の森ではない。
 塔の間を飛び交うもの。
 塔の壁面階段を歩くもの。
 塔の階層部分に暮すもの。
 いずれも人だ。
 この巨大な塔を我が家、我が街とする、人間達。
「ナナ。どう? 何か視える?」
 そんな古鉄の針葉樹林の一角に生まれたのは、少女の声。
 塔の周りを飛び交う、小さなひとつ。
「……異常なし。周辺に火災はありません」
 飛行機能を組み込んだ、サイドカーに似た機械である。ハンドルを握る小柄な娘の問いに、助手席に腰を下ろした少女がぽつりと返答を寄越す。
「OK。なら、次の層に行こうか」
 エンジンを軽く吹かしたその時、飛んできた声は空の彼方から。
「やっほー! ワンコー!」
 見かけよりもはるかに離れた、塔と塔。その間を行き来出来る数少ない交通手段として、タクシーがある。
「マトじゃない。どしたの?」
 小柄な車体の運転席から手を振っているのは、さらに小柄な女の子。
「ワンコにおみやげがあってさ! 会えて良かった!」
 空中で制止したサイドカーの脇にタクシーを停めると、運転席のマトは機械の手で小さな包みを差し出してみせる。
「これって……」
 受け取った包みの中にあるのは、パックに入った菓子だった。フタには青い魚に似た生物のイラストが描かれている。
「イルカプリン!」
 イルカという生物がこの世界から姿を消して久しい。ワンコも記録映像で見た事があるだけだったが……。
「海洋塔でクローン再生されたんですよね」
「朝イチで見学に行くお客さんを連れて行ってね。百円の安物だけど、ワンコとナナと、妹ちゃんの分」
「エイトのぶんも? ありがとうございます」
 サイドカーのダッシュボードにプリンの包みを大事そうに仕舞い、ナナも小さく頭を下げた。
「いいなー海洋塔。行ってみたいなー」
 ワンコのサイドカーは塔内の巡回用で、塔の間を行き来するほどの航続力はない。故に、他の塔に向かう時はマト達タクシー乗りに頼る事がほとんどだ。
「私とワンコの仲じゃない。デートに誘ってくれたら、いくらでも連れてってあげるのに」
「ホント!? じゃ、次の休みにデートしよ!」
「先輩……」
 満面の笑みのワンコに、脇のナナは小さくため息を一つ吐き。
「……どしたの、ナナ」
「三層上に」
 そのひと言で、既にワンコはサイドカーを始動させている。
「マト、プリンありがと!」
 残るのは元気いっぱいの言葉と、全速のサイドカーが起こす風。
 長い髪とふわふわのドレスを風に揺らしながら、タクシー屋の娘は後ろ姿をじっと見上げるのだった。

『遅えぞワンコ!』
 通信機を揺らす男の怒鳴り声を聞きながら水平飛行に移れば、不自然な位置で燃える炎はすぐに見えてくる。
「周辺感知終わり。要救助者は、三区・四番に二人、五番に一人、八番に三人」
『エイトの感知と同じだな。五番の一人は任せる!』
 通信機に返事を投げつけ、ワンコはさらに機体を加速。
「ナナ!」
「了解!」
 燃えさかるビルの直前で。
 その機体が、割れた。
 丸みを帯びた機首は胸甲に。
 両手を覆う風防は腕甲に。
 ナナが乗っていた側車も変形し、脚や背部の推進器の一部へと変わる。
 そこに、感知能力を備えた彼女の相棒の姿は既にない。
「突入!」


 ぱちぱちと爆ぜる炎の中。耐熱装備をまとうワンコは、その脚をさらに早めていく。
「先輩。熱くありませんか?」
 サイドカーの装甲と、緩衝と断熱を兼ねた保護ゲルに包まれた彼女の耳元に響くのは、相棒の声。
「平気。ナナが守ってくれてるから」
 装甲はサイドカーが転じたもの。
 そして、いま彼女を包む保護ゲルこそが、相棒の真の姿であった。
 塔の科学によって生み出された、流体生命。
 高められた感知能力によって周囲の火災や生存者を見つけ出し、隊員のサポートを行う、人工の生命体。
「次は右」
 そんなナナの誘導を受けながら、ワンコは迷いなく前へ。
 そこに、いた。
「天井の強度が限界です。間に合いません」
「間に合わせるの!」
 叫びと共に、ワンコは機体をさらに加速させる。


「目を、開けて」
 掛けたのは、声。
 迫る炎にも、構造材の悲鳴にも負けぬ強さで……けれど、相手を怯えさせない優しさを込めて。
「目を開けて」
 その想いが届いたのか。
 倒れ伏す少女は、必死に閉じていた目を恐る恐る開いてくれた。
「……っ!」
 息を、飲む。
「大丈夫だよ。助けに来たんだ」
 炎を背負うが故の影で、ワンコの顔は分からないだろう。装甲をまとう姿は、大きく、恐ろしいはずだ。
 故に優しく……そして頼もしく聞こえるよう、ワンコは言葉を紡ぐ。
「なら、行こ……」
 少女の足を挟み付けていた瓦礫を慎重に取り除き、小さな体をそっと立ち上がらせて。
「先輩!」
 その瞬間だった。
 天井の強度が、限界を超えたのは。


 軋むのは、装甲の音。
「先輩……」
「ナナ。あの子は?」
 眼前に落ちてきた瓦礫のせいで、視界は最悪だ。崩れた瞬間、必死に庇った覚えはあるが。
「先輩が支えになってますが……」
 彼女達の背中にかかる重量は、機体の強度限界をはるかに超えている。助けが来るのが早いか、機体が限界を迎えるのが早いか……それとも、炎に巻かれるのが先か。
「……だから、無理だと」
 助けに入る前から、天井の強度は限界に達していた。少なくともあの段階で判断していれば、二人が巻き込まれる事はなかったはずだ。
「でも、この子は守れた」
 今のところは、だ。
 装甲の軋みは、さらに不安を増す音色に変わっている。今のままでは定型を持たないナナはともかく、救助者の少女とワンコが助かる見込みはない。
「……諦めるもんか」
 豪、という轟きは、辺りを舐め尽くす紅の炎の舌の這いずりか、崩れ落ちる構造材の断末魔か。
 だが、少女はもうまぶたを閉じたりはしない。
 今は助けを待つ立場では無い。
 彼女が、助ける側なのだ。
 そしてそんな彼女達に掛けられたのは。
「目を、開けて」
 優しい、穏やかな、人間の声。

 見上げた空は、どこまでも青い。
 黒煙が向かう青空に伸びるのは、古びた鉄に覆われた塔たちだ。
「……助かった、ね」
 火災現場から少し離れた所で、装甲を脱いだワンコはぼんやりと空を見上げていた。
「結果論ですが」
 助けた少女の外傷はかすり傷程度だという。念のために病院に運ばれるそうだが、次の日には帰れるだろうという話だった。
「あの機体、誰だったんだろ」
 だが彼女が助かったのも、ワンコ達が生き延びられたのも、瓦礫を取り除いてくれた謎の機体がいたからだ。
「周辺の塔でも登録のない機体でした」
 背負った炎の影で、表情は見えなかった。ワンコの物より大型の機体自体も、見覚えの無いものだ。
 しかし。
(あたしは、あの声を……)
 あの言葉を。
 忘れるはずが……。
「補給終わったぞ、ワンコ!」
「はーい。ナナ!」
「了解です」
 とはいえ今はその事を考える時ではない。
 炎はまだ、治まってはいないのだ。


 眼下に広がるのは、炎の戦場。
「頑張ってね。ワンコ」
 放水ユニットを背負い、再び炎の中に飛び込んでいく機体を見つめ、そいつは穏やかに呟いた。
「良いのですか? 名乗らなくて」
 タクシーのコンソールを彩るのは、流体生命の転じた無数の計器たち。
「いいよ、別に」
 相棒の言葉に、小さく笑みをひとつ。
 機械の指でイラストの描かれたフタを開け、そいつは中身をそっとひと口。
「百円でも美味しいわね。このイルカプリン」


お題:『タクシー』『火事』『100円』



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