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「父様……」
夜の闇に、たおやかな少女の声が流れた。その気怠げな声に覆い被さるよう、大理石のバルコニーに白い巻紙が長く長くはためいていく。
白い紙、白い肌。少女の長く美しい髪と豪奢なドレスは、夜の闇そのままの黒。
「どうしました?」
そんなモノクロームの夜に、新しい色が入った。
年の頃は少女と同じか、少し上くらいだろう。青い貫頭衣に身を包んだ若い青年である。「夜風は体に障りますよ、シーラ」
バルコニーに立つ少女へ寄り添うように立ち、足元まで伸びたマントを少女の小さな肩に柔らかく掛けてやる青年。
少女の戴冠式はもう明後日。各国の要人も既にココ王城に入りつつあるし、仮に体調を崩したからといって式典を延期させるわけにはいかないのだ。
「イクス……じゃない、アルド。ここ……どう思う?」
アルドは少女に従い、スクロールの上、細く白い指に差された場所を静かに読み上げた。
わずかな停滞の後。続くのは、ため息一つ。
「……先王陛下も、この時期に無茶を仰る」
「無茶、よね?」
自信なさげな少女にええ、と青年は答え、少女の細い体をそっと抱き寄せた。少しは慣れたとはいえ、まだその動きは初々しく、どこかぎこちない。
「明日、アリス様達にも相談してみましょう。こんな注文、僕達だけではどうにもならない」
だが、それは明らかな判断ミスだった。
彼らは今宵、今すぐにでもココ王国の首脳部を集めるべきだったのだ。
事態は既に、彼女達の知らぬ所で動き始めていたのだから。
獣甲ビーファイター
エピローグプロローグ1
“『赤』の後継者”
淡い月光に、奇怪なシルエットが照らし出されている。
見渡す限りの礫砂漠の中。かつてそこには古代の都市と、いくつかの尖塔で構成された宮殿の遺跡があった。だが今その場所には、壮麗な王都も、細くそびえる尖塔もない。
変わり果てた今の光景を説明されて信じるような者は、このフェアベルケンにはいないだろう。
『砂漠のど真ん中にある遺跡に、巨大な船が斜めに突き刺さっている』
それも大国エノクでも見ないような、全長数百メートルもある船が、だ。
遊ぶ子供の空想か、悪い夢でも見たのだろうと笑われるに違いない。
けれど、それはまるきりの現実だった。
「スクメギ……か」
そんな異質すぎる光景を眺め、影は平板な声で静かに呟く。
一面の砂漠で比較対象物がないため、そいつらの大きさは分からない。ただ、漆黒のコートと仮面に包まれたその体は、身長とのバランスからすれば異様なほどに細かった。
「あれが墜落したのは計算外だったが……まあ、誤差の範囲だろう。アルジオーペ」
「……ええ。フォルミカ」
傍らに立つもう一人の黒い仮面が女の声で応じ、細い腕をすいと水平に伸ばす。
いかなる魔術の力か。伸ばした手の先、中空に不可思議な光の線が描き出され、コートの指先に複雑な陣形を形成する。
ぱちりと鳴る指が、力の完成を合図した。
「蹂躙なさい。我がしもべ達」
瞬間、コートの周囲に無数の赤い円陣が浮かび上がり……
その中から、白い外殻を持つ異形の存在が次々と喚び出されていく。
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