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[5/15 AM 10:54 帝都飛び地一区 新帝都国際空港 ロビー]
『誠に申し訳ございません。先程帝都沿岸部に出現した巨大生物の影響で、全ての空路が
空自の管制下に入っております。そのため、誠に申し訳ありませんが各便の出発は一時休
止されていただきます。
 巨大生物の進行ルートは現時点では当空港を外れておりますので、避難等の指示は出さ
れておりません。なお、各便の離陸時刻は未定となっております。皆様、誠にご迷惑をお
掛けしております……』
 一拍おいて、それと全く同じ内容のコメントが英語で繰り返される。
「空自ねぇ……。乗り換え便、当分乗れそうにないわね」
 英語アナウンスを聞きながら、蘭は傍らにいるリリアの方を向いた。リリアは蘭と違っ
て日本語が分からないのから、行動を開始するのも英語のアナウンスが終わってからだと
思ったのだ。
「ねえ、リリ……」
 だが、もう彼女はいなかった。それどころか、他の乗客に混じって既にカウンターの方
にたかっているではないか。
「はぁ……」
 能力者と怪獣映画の本場の国だからか、国内線のロビーは全体的なパニックにはなって
いない。しかしその分、国際線のロビーは大変かも知れないな……。身動きが取れなくなっ
ているスタッフを見ながら、蘭は割と呑気にそう思った。
 こういう時の情報であれば、携帯でも使って帝都付近の知り合いでも呼び出した方が信
頼性ははるかに高い。
 何しろ国の首都に向かって巨大生物がやって来ている状況なのだ。いくら自衛隊や国が
報道管制を敷こうとしても、日本の優秀なマスコミ陣はその管制よりも早く巨大生物関連
の臨時ニュースを始めているだろう。
「まったく、もう……リリアってば!」
 とりあえずリリアをカウンターから引き剥がそうと待合いの椅子を立った、その時。
「………………」
 唐突に耳に届いた声に、彼女の時間が止まった。
 次瞬、耳元から去りゆくのは、一陣の赤き影。
「どうしたんだい、ラン」
 戻ってきたリリアに対応するだけの動きすら、今の蘭には取ることが出来ない。
「リリ……ア……。今……いま……」
「どうしたんだい、ランってば!」
 辺りのスタッフは相変わらず囲まれたままでこちらに気を回す余裕はないようだ。もち
ろん、客達も似たようなもの。
「ああもう。今何か飲み物買ってきてやるから……とりあえず日本円よこしな!」


[5/15 AM 11:20 帝都上空]
「……成る程」
 雅人から聞かされた途方もない話に、ジムは深いため息を吐いた。
「これが、僕がミス・ウィアナから聞かされている情報の全てです。お分かり頂けました
か?」
「まさか、そんな事態になっていようとはな……。それは、引き受けないわけにはいかん」
 手元のコーラで袋詰めのパンを流し込むと、カラになったペットボトルをコンビニのビ
ニール袋に押し込んだ。こんな狭苦しい機内で豪華な機内食が出るとまでは期待していな
い。
 それでも、カレーの味しかしない最前線の食事よりははるかにマシ。補給の少ない最前
線では、『現地調達』の食材をカレー粉で誤魔化して調理するのが普通なのだ。
 『現地調達』がどのようなものを指すのかは、さすがのジムも進んで思い出したいもの
ではない。
「貴方なら引き受けて貰えると思っていました。ご協力、感謝します」
 そこまで話が終わったところで、ようやく口を開く者がいた。
「御角雅人」
 ジムの隣、後部座席に腰を下ろしていた青年。
 巌守穿九郎だ。
「何です?」
「ウィアナ・パナフランシスは『この戦いで、帝都に現れた守護神は全て滅びる』。そう
予言したのだな?」
「ええ。正確には、この戦いに関った守護神は全て、という事らしいですが。……少なく
とも、僕はそう聞きました」
 雅人の今回のクライアント、ウィアナ・パナフランシスは『予言』の才を持つ。その名
の通り、先の未来を見通す力だ。それが『能力』によるものなのか、もしくは他の力に依
るものなのかは分からないが……。
 ただ一つ明らかなのは、未だかつてその『予言』が外れたことはない、という事実だけ
だ。
 見通せぬ未来はあっても、見通した未来は全て事実。そのウィアナが見通したからには、
間違いなく現実となるのだろう。
「そうか……」
 ちらりと腕に巻かれた時計に目をやり、穿九郎は呟く。今時珍しいゼンマイ式の時計が
示す時間は、11時20分。
 頃合いだ。
「それだけ分かれば、もうここには用はない」
 その言葉と同時にバクン、という音と衝撃が、機内を駆け回った。
 音は穿九郎がセスナのハッチを開いた音。
 衝撃は機内から流れ出す空気の流れによって。
「では、さらばだ」
 そのまま、穿九郎は虚空へひらりと身を躍らせる。
 後に残ったのは方向修正と加速を兼ねた穿九郎の軽い蹴打と、ジムがあわてて閉めた
ハッチ、二つの衝撃のみ。
 窓の向こう。空の下方には既に穿九郎の漆黒の白衣の影すらも見えない。
「な……大丈夫なのか、彼は」
 ジムが呆然と呟くのも無理はないだろう。いかに穿九郎が高度な能力者だとしても、高
度数千mからパラシュートもなしで降下して無事に済むとは……とても思えない。
「大丈夫、だと思いますよ」
 多分、と付け加えた雅人にもそれほどの自信はないようだ。いまいち頼りない。
「そ、そうなのか……」
 もと合衆国の一流指揮官に残された選択肢は、平然と返す雅人の言葉に頷く、しかなかっ
た。


[5/15 AM 11:20 帝都飛び地一区 新帝都国際空港 ロビー]
「シグマ? シグマ・ウィンチェスターかい?」
「ええ」
 見るからに様子のおかしい蘭を椅子に座らせ、リリアがジュースを買いに行って帰って
くる頃には……彼女の様子は普段に戻っていた。
 普段なら戦場で混乱した新兵をグーの一つで黙らせるリリアも、ほとんど感情を表に出
さない蘭の類を見ない混乱ぶりに慌てていたのだろう。スラングと訛のキツい英語にイタ
リア語、果ては生まれ故郷のガルニアや近所のルーマニア、トルコ語まで混じらせた早口
で「ジュースをくれ」とまくしたてていたのだ。おかげでジュースを二つ買うだけなのに
30分もの時間がかかってしまっていた。
 アルコールでないのを残念に思いながら一息に飲み干し、それでもようやく一息つく。
「シグマがいたの。それで、ここから逃げた方がいいって……」
 既にいつもの宮之内蘭だ。周囲に聞き取られてパニックにならないよう声を小さくし、
声の調子にも普段の冷たすぎるくらいの冷静さが戻っている。
「お客さんでも来るってのかい?」
 もちろん、リリアも同じ。適当にぼかした代名詞だけでどうとでも取れる言い方に誤魔
化しておく。怪獣襲来という異常な状況下では、普段なら冗談で済む台詞も本気と取られ
かねないからだ。
「いえ。もうすぐ、戦場に……」
 そう言った次の瞬間。
 どぉんっ!
 滑走路のはるか向こうにあった飛行機から、巨大な火柱が立ち上った。


[5/15 AM11:21 帝都飛び地一区 新帝都国際空港 駐機場]
 新帝都国際空港の駐機場は、炎に包まれていた。
 爆発の火柱は絶妙の間を置いて次々と立ち上っていくため、二次災害を警戒する消防隊
は近寄ることが出来ないでいる。不幸中の幸いと言えば……整備中の飛行機には航空燃料
が積み込まれていなかった事と、作業員の避難が極めて迅速に終了した事だろうか。
 いや、人影はあった。
 作業服ではなく、燃えさかる炎に照らされる赤きコートの姿が。
 どうやって国内に持ち込んだのか大型のハンドガンとランチャーを無造作に提げ、炎の
道を悠々と進む青年こそは……シグマ・ウィンチェスター。
「死になさイ……」
 小さく呟き、ハンドグレネードのトリガーを引き絞る。
 火薬ではなく空気圧か別の物なのか、高速で弾体が射出される音は消音器もつけていな
いのに驚くほど小さかった。
「それは聞けんな」
 それに対し、高速で飛翔するグレネードを一閃するのは巨大な剣を振りかざした巨漢。
その一撃に、グレネードが暴発するかもしれない、などといった不安は一切感じられない。
 斬!
 そして、
「ったく、フォローするこっちの身にもなってみなさいよ!」
 嘯!
 大剣の斬撃を縫うように繰り出された鞭が両断され失速したグレネードを巧みに絡め取
り、落下時に発動する衝撃信管の機構をも完全に殺しきる。
 斬撃を放った男の名は、ヴァイス・ルイナー。
 妖艶な衣装をまとった鞭使いの女の名は、リーンシェラー。
 だが、そんな女に掛けられたのは感謝の言葉ではなく、短い呟きのみ。
「誰も頼んではいない……下がっていろ」
「あーもう、ったく!」
 リーンシェラーはそれだけ言うと、その辺に散乱している壊れた着陸脚に無造作に腰を
下ろした。こうなるとヴァイスの耳には自分の言うことなど何一つとして入らなくなるの
は、よーく知っていたからだ。
 ムカついたので、既に鞭を使う気もない。
「ミューア……約束は、必ず果たす」
 既にリーンシェラーの事など意識の外のヴァイスは、僅かにヒビの入った大剣を構えた。
音速を超えるマグナム弾よりはるかに遅いとは言うが、だからといってグレネード弾その
ものが遅いというわけでは決してない。もともと剣というものは飛んでくる物体を切るよ
うには作られていないのだから……先程のような無茶をすればヒビの一つも入ろうという
もの。
 もちろん、そんな事を意に介す男ではない。
 ぽつりと呟き、無造作に間合を詰める。
「ミューア? アナタは、ミューア・ウィンチェスターに連なる者デスか?」
 だが、シグマはヴァイスの言葉にトリガーに掛けていた指を一瞬止めた。
「自ら進化する破滅の守護神『ザッパー』……ミューアの願いは、貴様をこの世から滅ぼ
すこと。今度は必ず……倒す」
 誰に言うでもないヴァイスの言葉に秘められているのは、強い意志。
 3年間の追跡の果て、初めて目の前の『敵』と邂逅したのは……2週間前の箱根。その
時は奇襲を受け、剣を抜く間もなく敗れ去った。
 そして今、『後援者』からの助っ人である御角雅人の協力により、ヴァイスはここにい
る。
 今度は負ける気などない。負けぬという強い意志が、約束を果たそうとする強靱な信念
が、剣を握る腕に籠もる。
 力を与える。
「ミューア……貴方という人は……」
 対するシグマ……ザッパーの声に潜むのは、怒り。
 シグマ・ウィンチェスターという人間をよく知るものであれば、珍しいと評価しただろ
う。何をおいても冷静で感情など出さないような男が、ここまで怒りを露わにしているの
だから。
 震える腕でグレネードランチャーを再び構え、激昂と共に榴弾を乱射する。
 これもまた、力。
「死になさイ! ここにある『草薙』と共に!」
 射出の次瞬には弾倉を取り替え、次の連射に繋ぐ。
 連射連射連射連射連射連射連射連射!
 先程の比ではない。圧倒的な数の高速榴弾が、ヴァイスめがけて容赦なく襲いかかった。


[5/15 AM11:32 帝都飛び地一区 新帝都国際空港 構内]
「ねえ! 蘭!」
「何?」
 空港内部の入り組んだ通路を走りながら、リリアは3歩ほど前を走っている蘭に声を投
げつけた。
 空港の内部へと向かう通路には誰もいない。後ろの方からはパニックに陥った客達の喧
噪が聞こえるが、それを気にするつもりもない。
「シグマの所にいくのはいいけど……道は合ってるの?」
 我ながら頭の悪い質問だと思いつつ、リリア。
 侵攻経路と逃走経路の確保は作戦遂行における基礎中の基礎だ。これが出来ていないヤ
ツは戦場では間違いなく死ぬし、逆を言えばそれが出来ていたからこそ蘭やリリアはこう
してここで走っていられるのだから。
 もちろん、普段の蘭が相手ならこんな愚かな質問などしない。シグマを相手にした動揺
が残っていてはと思い、こんな馬鹿馬鹿しい事を言ってみたのだ。
「多分ね」
 手元の簡略化された地図……カウンターの上に置いてあった空港のパンフレットだ……
を軽く振り、蘭。
「ま、外に出られりゃ、一緒か……」
 頼りない返事にリリアは苦笑。
 空港の完全な地図を手に入れるには時間がなさ過ぎた。ただ、天井や壁に設置されてい
る指示プレートを追えば、ある程度までは迷わずに進むことが出来る。それほど大きな問
題は……ない。
「そこの二人! 宮之内蘭とリリア・ヴォルフィードだな!」
「誰!」
 唐突に叩き付けられた声に二人は反射的に散開し、柱の影に身を隠した。武器のセーフ
ティを解除して相手の声から位置を特定し、周囲に伏兵がいないか気配を探る。通路の構
造は移動の間に把握済みだから、伏兵が潜みそうな場所の予想は造作もない。
 アイコンタクトでお互いの情報に相違がないことを確かめ終わるまでにかかった時間は、
ほんの一瞬。
 2度目のアイコンタクトで飛び出し、すぐ傍まで歩いてきた声の主に右手を突きつける。
「名前と所属と目的を言いなさい。5秒!」
 対する声の主……黒いジャケットをラフに羽織った日本人男性……は、両手を頭の後に
もっていき、少し考えてその手を上にあげた。『能力者』の多い日本人では、両手を頭の
後ろに持っていった位で武装解除したなどとは思われないからだ。
「……っと。僕は敵じゃないよ。ていうか、そんなもの持ってどうやって税関を抜けた?」
「質問はこちらからよ! 3秒!」
 女達の返答はにべもない。蘭とリリアのそれぞれの指が、ラップフィルムに包まれたモ
デルガンのトリガーに力を込める。
 多分、出てくるのはBB弾などではなく、実弾だろう。
「改造モデルガンなら金属反応は出ないし、ラップでくるめば火薬臭は確実にシャットア
ウト出来るかぁ……よくもまあ、考えたものだ」
 一世を風靡した『どんな臭いも通さない』というキャッチコピーを思い出し、青年は二
つの銃口で頭を挟まれたままで悠然と笑った。銃を突きつけられているという怯えは欠片
も見られない。
「あと1秒!」
「御門雅人。WPの雇われ探偵。ちなみにD級、非能力者だ」
 そして、ようやく雅人は口を開いた。
「任務は……君たちを捜しに来た。ミス・ウィアナ・パナフランシスの依頼でね」
「ウィアナの?」
 ウィアナ・パナフランシスとWP。証拠はないが、とっさにつく嘘にしてはあまりに唐
突な名前だ。嘘をつくなら、二人の古巣である23傭兵分隊やウェルド・プライマリィを
名乗る方が自然だろう。
 それを、わざわざ『WP』とは。
「そう。君たちにどうしても頼みたい事があるんだってさ。シグマ・ウィンチェスター絡
みの事だから、君たちにも損な話じゃないと思うよ」
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