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[4/20 AM10:35 帝都外縁南 東条学園北校舎2F 壱年参組]
 少女は、ゆっくりと顔を上げた。
「ね、伊月さん」
 眠そうな目をこすりつつ、隣でクラスメイトと盛り上がっている少女……伊月遙香に声を掛
ける。相当に盛り上がっている所だったらしく、遙香は3回目のコールでようやく気付いたら
しい。
「? あ、ゴメン結城さん。うるさかった?」
 10分という短い休み時間の間にどれだけ効果的な睡眠がとれるかというのは、快適な学生
生活を送る上で非常に重要なウェイトを占める。まあ、受験戦国時代と呼ばれる今の時代にお
いても、効果的な睡眠が取れなければ結局は授業中に眠ればいい、というくそいーかげんな説
も根強く支持されているのだが……。
 まあ、この辺は同じ学生である遙香もよく分かっているから、謝罪の方もいつにも増して素
直だ。
「ううん。そうじゃなくって……伊月さん、携帯、持ってない?」
 東条はあまりそう言うことにうるさくないので、携帯の持ち込みは禁止されていなかった。
それどころか、授業中の着信もあまり文句を言われない。
 アンテナが最大でも1本しか立たないのに目をつぶれば、学生にとって非常に快適な環境と
いえよう。
「携帯? あるけど……はい」
 差し出された携帯で何処かへと電話を掛け、二、三言喋った後、すぐに切る。可愛らしいマ
スコット付きストラップの下がった携帯が遙香の所に返ってくるまで、30秒ほどしかかから
なかった。
「ありがとう。テレホンカードも携帯も持ってきてなかったから、助かったわ」
「どこに掛けたの? 家?」
 着信履歴は消されているからどこに掛けたのかは分からない。だが、学校からちょっとした
用で掛ける上に電話番号をさらで入力できるとすれば、家か余程親しい友達の所のどちらかだ
ろう。
「さあ?」
 返ってきたのは、意外な答え。
「さあ、って……イタズラ電話?」
「そんなものかもね」
 ああ、向こうの電話に番号通知機能が入ってないと良いなぁ……と思いながら、遙香はとり
あえず携帯の電源を切った。どうせアンテナなど滅多に立たないのだから、付けていても時計
の役にしか立たない。
「でも、イタズラ電話で人の命が助かるのなら、安いものだと思わない?」
「???」
 そんな言葉を残して再び眠りについたいつもに、遙香は首を傾げるばかりだった。


[4/20 PM5:30 日本領海近海 護衛艦トロゥブレス号船倉]
「……今日は遅いなぁ」
 ゾッドの檻にもたれかかったまま、ジムは暇そうにそう呟いた。
 あと30分もすればゾッドの世話をしている技術者が日課のデータ整理を終えて戻ってくる。
変に疑われるののめんどうだし、もうあまり長くはいられない。
「いつも…………コないのか?」
「いや、来るとは思うけどな。何か忙しいのかね」
 寂しそうなゾッドにそう掛けておいて、手持ちぶさた気味に腕を組み直す。
 日本の女子高生ともなれば、そうそうこんな所まで来てばかりもいられまい。元同僚の日本
人女性……蘭の話でも、あの頃はバイトやら勉強やらで色々大変だったと聞く。
「いつもコないと、ゾッド、サビしい」
「まあなぁ……」
 いつもと知り合ってから数日。それなりに会話も成立するようになってきていただけに、ゾッ
ドでなくてもちょっと来ないのが残念ではある。
 特に、今日は半月ぶりの英字新聞を持ってきて貰える事になっていたのだ。
「ジム、いつも、スきか?」
 ぽつりと洩らしたその言葉に、ジムは何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
「……まあな。娘が増えたみたいだ」
 正直、彼女とはこの数日間で自分の娘達よりも長く会話をしている気がする。娘と話をするっ
てのはこんなもんなんだなぁ……というおじさんくさい考えにたどり着き、一人照れくさそう
な笑みを浮かべるジム。
 だが、普段なら「いつも、ジムのムスメ?」などと率直な質問を問いかけてくるゾッドの反
応がない。
「……って、どうした。ゾッド」
 視線を巡らすと、ゾッドの表情が硬い。
 普段のジムには熊顔のゾッドの表情など分からないが、そんな彼でも分かるくらい、ゾッド
の周囲の緊張感が高まっていたのだ。
「いつも、キョウ、こない、いい」
 普段のジムやいつもに見せる純粋で穏やかな瞳も、鋭い獣性を感じさせている。
 数日前。彼がゾッドやいつもと初めて出会った時には、動物故の自己防衛本能が欠如してい
るのではないか……などと勘ぐったものだが、それはどうやらジムの思い違いだったらしい。
「来ない方がいいのか?」
「そう。ヤツ、キた」
 その時。
 単独極秘航行を行っていた護衛艦トロゥブレス号に、凄まじい衝撃が走った。


[4/20 PM5:35 日本領海近海 護衛艦トロゥブレス号甲板]
「ちっ……もう砲撃まで始まってるか!」
 甲板に上がってきた瞬間に叩き付けられた爆音に、ジムは慌てて耳を塞いだ。
 既に艦砲射撃が始まっている。気の抜ける音と共に水音が響いているのを聞くと、魚雷か対
潜ミサイルあたりまで投入されているようだ。
「おい、どした! 海賊の襲撃か!?」
 とりあえず、手近でライフルを背負っている水兵をとっつかまえて声を掛けてみる。
 言ってみてから、その辺の海賊相手に艦砲と魚雷の同時攻撃なんかしないだろう……という
事に気が付いた。
「あ、ジムさん! 怪物です、大王イカの襲撃!」
 が、水兵の方はそんなジムの考えまで気は回らなかったらしい。慌てた口調で丸腰のジムに
説明してくれた。
「…………はぁ? お前、いくら書庫に海底二万マイルだか白鯨だかしかないって言っても…
…ジョークにしちゃ面白くないぞ」
 この艦では猫の額ほどの書庫で文学書を探しても、ジュール・ベルヌ以下の海洋冒険小説し
か出てこない。艦長と書庫担当の兵士が何を読んで船乗りを目指したかが手に取るように分か
るという……素晴らしいラインナップだ。
「冗談なんか言ってやしませんよ。ほら!」
 水兵の指す先に見えるのは、長くて生白い異様な2つの物体。長さは海面にあるだけなら2
0mに満たないくらいだろう。片面には円筒状の器官が数列に渡ってびっしりと並び、先端は
やや膨らみ、扁平になっている。
「マジかよ……」
 まさに、イカに与えられた2本の長い腕、触腕の姿だ。その根本がどうなっているのかは…
…あまり想像したくない。
「指揮お願いします! 3年前にはもっと凄い怪物やっつけたんでしょう!」
 ジム・レイノルド。『怪物退治のインプレイド作戦』前線指揮官だった彼の伝説は、極秘作
戦だったにも関わらず、軍の中では知れ渡っていた。
 その伝説的戦術に心棒する者は、3年を経た今でも軍内部に数多くいるという。
「ありゃ、お前……」
 俺のやった事じゃない、と言いかけて、ジムはその言葉を飲み込んだ。彼がした指揮ではな
いにせよ、その場に居合わせたのは事実。
 そして、この場には自分しか指揮能力をもった者はいない。艦橋は船そのものの指揮と艦砲
射撃で手一杯だから、こちらはこちらで動くしかないのだ。
「仕方ない。強襲装兵もまともな武器もないが……逃げられない以上、こちらも攻撃に移る! 
火薬庫から武器をありったけ持ってこい!」
「イエス・サー!」
 あの無実の勇名に負けて陸軍を辞めて以来。陸軍と海軍の違いはあれど、ジムは3年ぶりの
軍指揮官へと戻った。


[4/20 PM5:38 日本領海近海 護衛艦トロゥブレス号艦橋]
 艦橋は、文字通りの戦場だった。
「間違いありません。あれは、『フォース』です」
 そんな喧噪に満ちた戦場の中、艦長席の隣に立っている白衣の青年だけが冷静にそう呟く。
東欧から同乗していたただ一人の科学者で、ゾッドの管理を任されている男である。
「『フォース』? 押収した記録では、その個体は凍結されたと聞いていたが?」
 青年は普段なら艦橋に詰めるような人物ではないのだが、今は非常事態だ。何よりも、相手
に関する情報は少しでも欲しい。
「はい。ですが、あの外見は間違いなく……」
 『フォース』。記録によれば、大王イカの因子を培養して造り上げた人工生物だという。た
だ、何らかの問題があり計画は凍結、生み出された『フォース』も封印された。
 その怪物が、今まさに目の前にいる。
「ふむ……。いずこかの組織に出し抜かれたか、『Z』よりの刺客か……。いずれにせよ、勝
てる相手ではないな」
「残念ですが」
 艦長は、癖になりつつあるため息をほぅ、と吐いた。そのまま、艦内状況をチェックしてい
る副長の方へ声を掛ける。
「副長。緊急脱出用のジェットヘリの用意は出来ているかね?」
「あと5分時間が欲しいそうです」
 刻一刻と変化する状況を示すディスプレイから目を離すこともなく、副長は艦長に返事を返
す。
「そうか……」
 もちろん、自分が脱出するためのジェットヘリではない。こんな危険な任務に就いた以上…
…否、艦長として船を預かったその時から、船と共に死ぬ覚悟は出来ている。
「……博士。あの巨大怪獣を相手に……我々の戦力でどれほど持ちこたえられそうですかな」
 何せ、こちらの戦力はこのトロゥブレス号一隻のみだ。極秘行動という事での単独作戦だっ
たのが、相当に響いていた。
「『フォース』が動くまでが勝負でしょう。一度や二度の打撃で沈む事はないはずですが、ア
レが締め付けてくれば1分と持たないでしょうから」
 質問の前提は『逃げ切る』ではなく、『沈むまで』。ジェット水流で高速移動し、変幻自在の
10本の触手で締め上げてくる超巨大イカを相手に勝てるとは、微塵も思っていない。
 悲しいかな、それはまごう事なき真実。
「だそうだ、副長。『都牟刈』と『ゾディアック』の搭載と発進を急ぐよう、伝えてくれたま
え」
「そう思いまして、あと2分半と言っておきました」
「うむ、宜しい」
 だが、次の瞬間、再びの衝撃と共に絶望的な報告が入ってきた。
「艦左舷ジェットヘリポート、標的の攻撃により大破! 非常連結されていた船倉まで貫通。
船底に深度3損傷、隔壁の閉鎖を開始しました!」
「馬鹿な! ヤツには右舷を向けていたはずだぞ! 何故左舷ヘリポートの存在に気付く!」
 激昂する艦長とは対照的に、科学者の方はあくまでも冷静である。
「『フォース』には、逃亡経路を先に叩くような知性など存在しないはず……信じられません
な」
 いかな優れた兵器であろうと、計画通りの行動が行えなければ兵器は兵器としての価値をな
さない。そして、いかに巨大で圧倒的なパワーがあろうとも、『フォース』は所詮イカである。
イカである以上、『脱出手段』を破壊するような賢い攻撃が出来ようはずもない。
 組織の科学者達が打ち出した『フォース』凍結に対する総合見解も、『知性不足による作戦
遂行能力の欠如』で一致している。
(遠隔操作か、別の手段か……何らかの制御手段さえ確立されていれば、『フォース』の戦闘
力は非常に有用だな)
 白衣の男がそんな事を考えている間に、艦長は新たな作戦を決定していた。
「……機関全速。エンジンが爆発しても構わん。1秒でも時間を稼げ。それから、銃撃班は狙
撃中止、ヘリポートを発進可能にしろと伝えろ。いかなる犠牲を払っても構わん。ともかく、
ジェットヘリだけは脱出させるんだ!」
「イエス・サ……」
 そして、3度目の衝撃。
「艦長! 艦尾スクリューと通信塔、大破。船底に深度5、致命的損傷。本艦は……沈没を開
始しました……」
 返ってきたのは、今度こそ絶望的な報告。
 同時に、相手が知性的な存在である事を伝える決定的な報告でもあった。
「……なんてこった!!」
 艦長は天を仰ぎ、そう叫んだ。


[4/20 PM5:38 日本領海近海 護衛艦トロゥブレス号左舷ジェットへリポート甲板]
「ジムさん。艦橋より指示です。総員射撃中止、半数はヘリポートを復旧、残りは退艦用意だ
そうです」
「やってるだろが。ほら、お前も手伝え!」
 ジムは苛立たしげにそう言うと、ヘリポートにやって来た連絡兵にその辺で拾った鉄の棒を
放り投げた。別に腹立ち紛れに連絡兵にケンカを売ったわけではなく、鉄棒を梃子に使ってガ
レキをどけようというのだ。
「ったく、何考えてんだろうな。上の連中は」
 それを察した連絡兵が手早く鉄棒をガレキに食い込ませるのを見、ジムは握った鉄棒に力を
込める。ガレキは大半が鋼鉄製だ。梃子を使うとはいえ、ジムと兵士一人ではかなり荷が重い。
「……艦長達は自分達だけ逃げようなんて考えてませんよ。ジェットヘリで逃がすのは積み荷
だけです」
 力を込める腕に歯を食いしばりつつ、兵士。こんな非常時にそこまで言えるほど、艦長は出
来た人間らしい。
「分かってるよ。艦長は知らん仲じゃない」
 誠実と軍人気質を絵に描いたような初老の男の姿を思い出し、ジムの方もひとりごちる。彼
なら、例え何があろうとも自分一人だけが助かるような愚かな真似はすまい。
「それに、積み荷とも知らん仲じゃ……」
 その時、崩れたガレキの一角が隆起し、ガラガラと崩れ落ちた。内側から加えられた強力な
力に押され、持ち上がったガレキはトロゥブレス号そのものよりも早く、海の中深くへと沈ん
でいく。
 その中から現れるは、巨大な熊の如き獣の姿。
「ゾッド……無事だったか」
 とっさに警戒態勢を取って銃を構えた兵士達に作業を再開するよう指示し、ジムはほっとし
たように声を掛けた。
「ゾッド、大丈夫。ジム。あれ、テキか?」
 ゾッドの方もいつもの調子でジムの質問に応じる。ジムの指示で兵士達の殺気がなくなった
ことを分かっているのだろう。周囲の兵士には警戒する素振りすら見せない。
「あ、ああ。船を沈めようとしてるんだから、敵は敵だよな……ケタが違いすぎるが」
 その言葉に返ってきたのは、意外な言葉。
「なら、ゾッド、ジム、マモる」
 2mを越えようかという巨大な体躯を感じさせる様子もなく。
 ゾッドは、崩れ落ちて周囲に浮かんでいる無数のガレキに向かって跳躍した。
「オイ、ちょっと待て!?」


[4/20 PM5:40 日本領海近海 護衛艦トロゥブレス号艦橋]
「艦長! 左舷より有線で連絡。『ゾディアック』起動、『フォース』と交戦開始との事です!」
「うむ。こちらでも確認した」
 受話器を片手に報告を入れた部下に、双眼鏡に目を当てたまま答える艦長。そのレンズの向
こうでは、巨大なイカと人とも獣ともつかぬ異形の怪物が激しい白兵戦を演じている。
「今まで『サード』……いや、『ゾディアック』が戦闘状態に入った事などなかったはずだが
……何にせよ、時間は稼げますな」
 こちらも双眼鏡を構えたまま、白衣の男。
 大の大人が二人揃って双眼鏡を構えて質問に上の空気味に答えているというのは、お世辞に
も格好の良い光景ではない。
「『ゾディアック』は成功作だったな、確か。失敗作の『フォース』に勝てると言うことは…
…」
 でも言うことはシリアスだ。
「……残念ながら」
 あれだけの質量差がありながら触手の一撃を吹き飛ばしている所を見ると、純粋なパワーで
は『サード』の方が幾分か上回っているように見える。しかし、失敗作とはいえ『フォース』
は戦闘能力に問題があったわけではない。それにあの巨体だ。耐久力に至っては議論の対象に
すらならないだろう。
 持久戦に持ち込まれれば、押し切られるであろう事は想像に難くない。
「……そのようだな」
 ついに。『ゾディアック』の巨躯でも一抱えはあろうかという巨大な触手の一撃が、『ゾディ
アック』を捉える。
 捉えられさえすれば脆い。大きくはじき飛ばされ、逆巻く波濤の中へと消える『ゾディアッ
ク』。
「次は、我が艦か……。総員、退艦急げよ」
 意志の感じられぬ虚ろな『フォース』の瞳を双眼鏡の奥から見遣り、艦長は小さくそう呟い
ていた。

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