-Back-

「一龍さん……」
 短くも激しい戦闘が終わった後。
「何で……何で姉様を……」
 一龍の膝の上で、スイはかすれた声で小さく呟いた。
 辺りには無数の蟲の死骸が転がり、既に姉のいた場所の痕跡すらその中に覆い隠されて
いる。
 故郷の村も先日の蟲の襲撃で近くの村に移る事になってしまったし、もうスイ達には姉
を偲ぶ場所すら残されていない。
 ……だが、背後の英雄から戻ってきたのは、
「……すまん」
 という一言だけ。
「すまん……って!」
 短く。あまりにあっけないその言葉に、スイが内側に押し隠していたものがどっと溢れ
た。
「そんな、そんな一言でオシマイですか!? 姉様を殺したのに……何で……何でよぉ…
…一龍さぁん…………っ!」
 それ以上は声にならず。厚い胸に顔を埋め、小さな拳を何度も何度も叩き付け、少女は
ただ、激しく泣く。
「……すまん」
 一龍は掛ける言葉が見つからず、再びそう言うだけで、泣きじゃくる肩にそっと手を伸
ばそうとする。
 そうするしか、一龍には彼女へのなぐさめ方が分からなかったから。
 けれど、その太い手に、ぱん、という軽い音が響いた。
「そんな事言わないで!」
「スイ……」
 見下ろす一龍に見上げられるのは、泣きはらしたスイの顔。けれどその顔には、涙だけ
でなく別の表情が新たに加わっていた。
 怒り。
 ただすまんと繰り返すだけで、涙すらみせぬ男に対する……純粋な想い。
「ホントに悪かったって思ってるんですか? こんな世界に勝手に呼び出されて、戦いに
巻き込まれて、私たちの事なんか別にどうでもいいって思ってるんでしょ!」
 だから姉様だって簡単に殺せるんでしょ、と強い口調で叩き付け、スイは再び伸ばされ
た一龍の腕を振り払った。
「もう嫌! 貴方なんて……姉様を殺した貴方なんて、英雄様じゃない!」
 その叫びに入り口のハッチが音を立てて吹き飛び、衝撃の流れに乗るようにしてスイの
小さな身体が外へと飛び出していく。
「スイ!」
 それを追って飛び出そうとする一龍だが、
「来ないで!」
 スイに首からもぎ取ったチョーカーのようなものをぶつけられて一瞬ひるみ、さらにそ
の隙にスイの命令に従ったシャルラッハロートが、ハッチを失った胸元を覆うように腕を
組み上げる。
「スイ……」
 いかに一龍に力があろうと、動力を失い、動く気配すらなくなった鋼鉄の騎士の組まれ
た腕を振り解くのは不可能に近い。外へと消えた少女の名を、呆然と繰り返すしかなかっ
た。



「姉様……」
 再び地上に降りたスイは、力なく言葉を紡いだ。
 周囲に敵はなく、急ぐ必要はない。けれど、おぼつかない足取りで出せる精一杯の速さ
で姉のいた場所へと歩み寄る。
 30分ほど歩いた果てに、そこはあった。
 無数の奇声蟲の骸の中、一面の荒野と、その中に穿たれた一条の溝。
 激しい戦いと一龍の放った衝撃波の中心となったそこには、もう何もなかった。
 建物の残骸も、姉のいた痕跡すらも。
 もう、何一つ……。
「姉様……」
 呟くと、自然と涙が出てくる。
 一龍のした事が正しいのは分かっていた。
 奇声蟲に襲われた者を助ける術がこの世にない事も、奇声蟲に卵を産み付けられた人間
を救う術は、その命を絶つしかないという事も……。
 けれど、だからといって……。
「一龍……さん」
 表情も変えずに彼女達の命を絶っていい訳では、決してないはずだ。
 そう思うと、再び涙があふれてきた。
「…………」
 抱いてくれる腕もなく。謝る声も、怒りをぶつける相手もなく。
 今はただ、一人。
 それが寂しくて、悲しくて。それを慰めてくれる人もいないことに気付いて涙はさらに
あふれ、留まる所がなく。
「姉様ぁ……一龍さぁん……」
 泣きじゃくりながら。最後まで穏やかだった姉の笑顔と一龍の無表情な顔を思い出して
いると、ふと、足下に何かが当たるのに気が付いた。
 しゃがみ込み、上に溜まった砂を払うと、そこから現れたのは小さな宝石と細やかな意
匠の施されたチョーカーが一つ。
 シトヤが最後に傍らへと置いた『声帯』だ。
「シトヤ姉様……」
 そっと拾い上げ、静かに胸にかき抱く。
 一龍の元を飛び出した時、自らの声帯は一龍に投げつけてしまっていた。もう絶対奏甲
を操るわけではないから、なくて困るものでもないが……。
 ともあれ、シトヤの声帯を抱いているだけで、一人ではないような気がして、スイはあ
ふれ出る涙を何とか抑えることが出来た。
「姉様……」
 袖口で涙を拭い、小さく呟く。
「……私、どうしたらいいんでしょうか」
 もと英雄の元に戻るわけにもいかず、かといって姉達やシマネ達と合流する術を知って
いるわけでもない。泣いて落ち着いたら、今度はそんな心配が頭をもたげてきた。
「私……」
 広い森の中で迷子になったような心細さ。
 いや、違う。
 耳を澄ませば、遠くからは重い絶対奏甲の駆動音や奇声蟲の上げる奇声、剣と甲殻のぶ
つかり合う音が聞こえてくるではないか。いくら自分の周りが穏やかとはいえ、ここは戦
場なのだ。一龍達が見つけてくれるより早く、他の何かがやってくる可能性は十分にある。
 それが人ではない可能性だって……。
「……ううん」
 そうだ。あんなひどい事をしたんだもの。一龍さんがいくら優しいっていっても、怒っ
てるに決まってる。こんな私を捜しに来てくれるはずがない。
 でも、それは自分のせいだ。
「悪い子だ。私……」
 そう思うとまた悲しくなってきて……涙があふれてくる。
 だから、スイは気付かなかった。
 後に迫る、大きな気配に。
「……一龍……さん?」
 それに気がついたのは。
 『それ』がスイの背後に忍び寄り、巨大な……小さなスイから見れば、あまりにも巨大
な……爪を振りかざした、その時だった。
< Before Story / Next Story >



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai