-Back-

21.リビルド 2008

 心地よい微睡みをかち割るのは、叩き付けられた大声。
「せいる! 起きろーっ!」
 続けざまに来るのは、布団を力任せに剥ぎ取られる感覚だ。
 とはいえまだ暑さの残る九月では、タオルケットを剥ぎ取られたところで寒くも何ともない。もちろん表面にひやりとした冷感はかすかにあるが、むしろ心地よくすらあった。
「…………ルーニさん」
 くしくしと目をこすれば、ベッドの前に立ちはだかるのは長い金髪の小柄な娘。セイルのタオルケットを手挟んで、偉そうに平たい胸を張っている。
「どした。まだ寝ぼけてんのか?」
 今年十四歳になる彼女は、せいるよりも一つ下。本来の規定よりも一年若く華が丘高校に入学を果たした、メガ・ラニカの才媛である。
「変な夢…………みた」
「へぇ……。ともかく、親父さんがもう朝ご飯出来てるから、起きろって」
 時計を見れば、目覚ましの鳴る数分前。とはいえ、ここで再びベッドに寝転がるような真似をすれば、目の前のパートナーからさらなる追撃が来るだろう事は想像に難くない。


 リビングに広げられた朝食の席に着いたのは、せいるとルーニ、そして父親の三人だ。
 月瀬家に母親はいない。魔法庁の実働部隊で働いていた彼女は、せいるが幼い頃に調査中の事故で亡くなったのだという。
「また……調査に出る」
「……………近原さんと?」
 途切れ途切れの父親の言葉にぽつりとせいるが返せば、父親は無言で頷いてみせる。
「夕飯は…………陸の家に頼んである」
「…………気を付けてね」
「いつも思うけど、よくそれで家族のコミュニケーションが成立してるよな」
 親子揃って首を傾げる様子に、ルーニは小さくため息を吐く。
 悪い人達ではないが、ルーニと彼らの会話量にひと回り以上の差があるのは、ルーニにとって小さな悩みの種だ。
「せいるくーん! おはよー!」
 そして庭先から響くのは、もう一つの悩みの種。
「よう。いつもうるさいな、リリ!」
 庭に繋がる掃き出し窓をがらりと開けば、隣の家の庭からこちらへ顔を覗かせている二人の少女が目に入る。
「別にいいでしょ。ね、キッスちゃん」
「そうですわ。元気なのはいい事ですし」
 悪びれる様子のない二人は、ルーニやせいると同級生。さらに具合の悪い事に、同じ魔法科のA組だ。
「おはよー! せいるくん!」
「………おはよう」
 もふもふと残ったご飯を平らげて、傍らに置いてあった鞄を取り上げる。洗顔と歯磨きは起きた直後に済ませたから、後はもう出かけるだけだ。
 ルーニを連れて窓から出れば、隣人の二人も既に登校準備を終えているのだろう。そのまま外へと歩き出す。
「月瀬んとこのガキどもか。しっかり勉強にはげんで来いよ!」
 そんな学生達に掛けられたのは、リリの家からの声。
「………あれは?」
 リリの両親ではない。背格好で言えば、せいるやルーニより少し高いか、同じくらいの女性だ。
 口調からすれば、かなり年上のようだが……。
「ルーナレイアさん? ママの友達で、昨日から遊びに来てるの。それより早く行かないと遅刻しちゃうよ!」
 見送るルーナにせいるはもう一度目を遣って。
 三人に遅れる事数十歩、学校へと至る道を走り出す。

 長い長い坂を登ったところにあるその高校の名は、地元の名を取って華が丘高校という。
 日本で唯一、魔法世界メガ・ラニカからの留学生の受け入れ制度を持った学校だが……その一点を除けば、さして珍しいところのある学校ではない。
「おはよ。百音」
 もちろん、朝の喧噪も、交わされる挨拶も、他の学校と何ら変わりのないものだ。
「………おはよー」
「どうかしたの? 冬奈ちゃん」
 机の上でへたばっている冬奈に、百音は鞄を置きながら、不思議そうに問いかける。
「どうかじゃないわよ……。またアキラの奴にさ……」
 恨めしげに視線を上げれば、その張本人は隣の机に腰掛けたまま、こちらに笑いかけるだけ。
「……また徹夜?」
「だって、新作のゲームっていうのが面白くってさ。それに協力プレイ出来るんだから、パートナーなら付き合うべきでしょ!」
 肝心のパートナーは、そのおかげで机に突っ伏したまま死にそうになっているわけなのだが……。彼女が過ごした魔法世界にはないコンピュータゲームに興味津々のアキラは、その様子を気にする気配もない。
「お疲れさま。体力回復の魔法とか、かけたげようか?」
 反対側から掛けられた小さな声に、冬奈は力なく顔をそちらへ向けてみせる。
 小柄な彼女もまた、メガ・ラニカからの来訪者の一人。
「……ファファは良い子だねぇ。あんたみたいな子をパートナーにしとけば良かったよ」
 入学式の夜から行われたパートナー決定合宿で、半ば勢いだけでパートナー登録をしたのが悔やまれる。夏休み辺りまではたまになら良いかと付き合っていたが、既にその悪習は慢性化し、冬奈のライフサイクルに深刻な影響を与えつつあった。
「何? 三角関係にしたいの? それならそれで……」
 どうやら女子の間で回っているレディースコミックの影響まで受け始めているらしい。
「いやいやいや。あんたが望んでるようなんじゃないから」
 がくりと突っ伏したまま、冬奈は力なくそう呟くしかないのであった。


 机の脇に置く鞄は、そっと音を立てないよう。
 席に着くときもなるべく音を立てず、気配を殺して腰を下ろす。椅子をずりずりと引きずって音を立てるなど、もってのほか。
「………おはよ。悟司、良宇」
 周囲の気配を確かめて、ぽそりと友人達に挨拶をするのは細身の少年だ。
「よう、レイジ」
「おはよ。……どしたんだ?」
 そうは言うが、原因はとっくに分かっている。一学期の中頃を過ぎたあたりから、それは既に朝の恒例行事と化していたのだから。
「いや。ヤツがいねぇかと思ってさ……」
 言った瞬間、ヤツは来た。
「レイジーっ!」
 教室のサッシを力一杯開け放ち、大きくその名を呼び叫ぶ。
 それを合図にレイジはがたりと立ち上がり、そのまま教室を飛び出していった。
「……ったくもぅ。逃げなくても良いのに。ねぇ、悟司くん」
「アタックが激しいのも良いけど、マヒルさんももうちょっと離れてみたら?」
 詳しい事は聞いていないが、二人はもともとメガ・ラニカで付き合いがあったらしい。それがひょんな事で応募した入学試験に合格し、ここ華が丘高校で再会することになったのだという。
「そうなのかなぁ……? なら、パートナー殿の意見も聞いておくとしますか」
 呟く彼女が態度を改める事はないだろうなと思っていると、レイジの出て行った扉から入れ替わりに入ってくるのはジャージ姿の青年だった。
「ホームルーム始めるぞー。レイジはいつも通りか?」
「来てますけど、いつも通り逃亡中です」
 男は面倒くさそうに閻魔帳に何やら書き込むと、レイジの席の傍らにいる女生徒に目を止める。
「マヒルちゃんも早く自分の教室に戻った方がいいぞ。さっき大神先生、入ってく所だったから」
 パートナー制度とクラス分けは別物だ。生活の都合上なるべく同じクラスの方が望ましいが、二年になればクラス替えもあるし、別クラスといっても隣のクラスである。実際の所、そこまで不便な事もない。
「ホントですかっ!? ありがとうございます、飛鷹先生!」
 ぱたぱたと教室を出て行く女生徒の背中を送りつつ、華が丘高校魔法科一年B組の担任教師は朝の出欠を取り始めるのだった。

「アキラちゃん。料理部のプリント、ここに置いとくからねー」
 昼食を食べ終わったアキラの所にやってきたのは、同じ料理部の男子部員だった。
「ありがと、マクケロッグくん。………何?」
 ハークが女の子が大好きなのは自他共に認める所だったが、女子が嫌がるような事は全くと言っていいほどしない。
 そのハークが珍しく、こちらへの視線を外そうとせずにいる。
「……いや、ちょっと今日、変な夢見てさ」
「変な夢? どんな」
 変な夢と自分が関係があるなど、あまり面白い展開ではなさそうだったが……それでも一度わき起こった興味を放り出す事など、アキラに出来るはずがない。
「アキラちゃんが地上人で、ボクはアキラちゃんのパートナーになって、ずーっとゲームの相手させられてるの」
 アキラは地上生まれだが、育ったのはメガ・ラニカだ。
 地上人として受験していれば、もしかしたらあった光景かもしれないが……。
 さしあたり、今の状況ではありえない設定だ。
「なに? 撫子に不満でもあるの? それともMなの?」
「そんなのあるわけないだろ。撫子ちゃん可愛いし、優しいし、ちょっとズレてるけど……そこがいいし」
 幼い頃、姉の怪我を魔法で治してもらったとかで、魔法使いのハークにもちゃんと理解を持ってくれている。
 子煩悩な撫子の父親がうるさくなければ、天国といっても過言ではなかった。
「なんであたし、料理作る前からお腹いっぱいにならなきゃいけないのよ……」
 自分を変な夢扱いされた挙げ句にのろけ話まで聞かされては、たまったものではない。小さくため息を吐き、差し出されたプリントに目を通す。
 今度の華高祭で行う出し物をまとめた紙だ。先日の会議で決まったのは、確か茶道部や園芸部と共同で行う喫茶店……だったはず。
「そうだ。プリント、百音ちゃんにも渡しといてよ。ボクはキッスちゃんに渡してくるから」
 B組の料理部員はアキラと百音の二人だけだ。アキラが百音に渡してくれれば、ハークの仕事が一つ減る。
「あたし、授業終わったら速攻帰るわよ。今日、ゲームやる日なのよね」
「また冬奈ちゃんに徹夜付き合わせるの……? っていうか、同じクラスなんだから休み時間に渡せばいいじゃない」
 相変わらずぐだぐだと呟くアキラにもう一枚プリントを押しつけると、ハークはポケットから携帯を取り出すのだった。


 ポケットの携帯から伝わるのは、わずかな振動とメールの着信メロディだ。
 マナーモードにしておかなかったうかつさを呪いながら。百音が見ているのは目の前の相手ではなく、彼方の蒼穹を舞う竜の姿。
「百音! 聞いておるのか!」
 怒声に慌てて視線を戻せば、そこにいるのは屋上の手すりに留まっている小さなフクロウだ。
 人語を話す魔法生物は珍しいが、いないわけではない。もちろんこのフクロウも、そんな希少な一羽である。
「き……聞いてるよぅ……」
 魔法生物のフクロウにお説教されてる女子高生なんて自分くらいだろうな……などと思っている間も、小さなフクロウの小言は止まらない。
「そんなじゃから、修行が進まんのじゃ。パートナーにも正体がバレおって……。フラン様は大層お怒りじゃぞ?」
「………うぅ。レイジくん、パートナーなのに……?」
 それは、夏の終わりの事だった。百音のちょっとした不注意で、パートナーのレイジに彼女のもう一つの顔が知られてしまったのだ。
「パートナーだろうが何だろうが、家族以外の者にバレてはならんと言ったろうが!」
 この身体のどこにこれだけの声量があるのだろうか。百音が身をすくめるほどの怒鳴り声を叩き付け、小さなフクロウは一度小さく咳払い。
「じゃから、同じく我が流派を学んでおる見習いに、お主の競争相手を任せることにした」
「競争相手?」
 競争相手はおろか、同門の見習いがいる事すら初耳だった。
 そもそも祖母の流派に所属する魔法使いは、ドルチェ家の一族だけだとばかり思っていたのだが……。
「やはり、切磋琢磨する相手がおれば少しは心構えが違って………んっ!?」
 そう言いかけたフクロウの身体が、わずかに揺れてぐらりと傾ぐ。
「メレンゲ!?」
「くっ、姑息な手を使いおって……! 百音、また来るからの!」
 大きなダメージではなさそうだが、ショックを与えるには十分だったのだろう。フクロウは勢いよく空へと舞い上がり、蒼穹の彼方へと消えていく。
「大丈夫か、百音!」
 代わりに百音の元に駆け寄ってきたのは、彼女のパートナーの少年だ。
「あ……うん。レイジくんだったんだ?」
「ああ。なんかあのフクロウに怒られてるみたいだったからよ……余計だったか?」
 魔法を展開した携帯をポケットへ戻しながら、少年はそっと少女の顔を覗き込む。
「う……ううん……。ありがと」
 お説教を逃れられたのは良かったが、肝心の所は聞きそびれたまま。
 競争相手となる見習いとは……一体?


 華が丘高校の長い長い坂を下り、道沿いにひたすら真っ直ぐ進んでいけば、華が丘で一軒のコンビニに突き当たる。
「森永さん。ここに貼ったんでいいですか?」
 レジの店員に元気良く問いかけるのは、夏服の袖に『華高祭実行委員』という腕章を巻いた少女だった。
 背中に大判のポスターを丸めた筒を大量に背負ったその姿は、ビームサーベル……というより、武蔵坊弁慶の如くである。
「はい。店長には許可はもらってありますから」
 華高祭のポスターが貼られていく様子を眺めている少年の胸元には、森永という名札が付けられていた。
 彼もまた華が丘高校の生徒の一人。コンビニのバイト学生という立場を利用して、こうして学校行事のポスターを貼らせてもらったのである。
「それにしても侘びしいなぁ……。華が丘にも、カフェのひとつくらいあってもいいと思うんですよね……」
 ひと仕事終え、少女は小さくため息を一つ。
「遠久山や降松ならともかく、こんな田舎にそんな便利なもの出来ませんよ。子門さん」
 コンビニが一つ出来ただけでも奇跡に等しいと言っていいのだ。その上でカフェなど、望みすぎというものだろう。
「ですよねぇ……。魔法は面白いけど、そこだけは選択ミスでした」
 真紀乃は帝都生まれの帝都育ち。絵に描いたような田舎町である華が丘にやってきたのは魔法の勉強をするためだったが……買物は通販に頼るとして、遊ぶ場所が少ない事だけは閉口させられたものだ。
「さて……と」
 ポスター貼りに巡る場所はまだ何カ所も残っている。
 新たな目的地に向かうべきか、少し休憩してから行くべきかを悩んでいると……入口でどさりという異音が響き、それに続いて二人の少年が入ってくる。
「こんちわー!」
「ああ、ソーア君、竜崎君。いらっしゃい」
 レムは祐希に軽く手を上げて応えると、一直線に売場の奥にあるアイス売場へ進んでいく。
「刀磨、アイスにするよな?」
 残暑は厳しく、入口に置かれた荷物は剣道部員のそれ。
 もちろん二人は汗だくで、レムがアイス売場へ直行するのは当たり前のことと言える。
「い、いや、ここは男らしく、コーヒーで……!」
 だが、刀磨が立つのはジュース売場。
 しかも圧倒的に売場スペースの縮小されている、ホット売場だ。
「………またブラック? 無理しない方が……」
 刀磨は家でもコーヒーを飲んでいるが、その時には砂糖とクリームを大量に入れて飲んでいるのを知っている。
 そんな彼がブラックなど飲めるわけがない。
 さらにこのタイミングでホットなど、自殺行為に等しいものだ。
「いいの! 男は黙ってブラックコーヒーなの!」
 回りの誰が見ても分かるほどに渋い顔をしながらホットの缶を取り上げて、レジで会計を済ませる。
 プルタブを開けて一口飲めば……。
「………………」
 浮かべるのは、誰が見ても分かるほどに死にそうな顔。
 苦い上に熱いのだ。当たり前である。
「ソーアさんは?」
「オレはアイスで……」
 肌に心地よい冷気を感じながら、安いアイスバーを取れば……。
「レム、パートナーなんだから付き合えよ……。武士ならば一蓮托生だぜ?」
 傍らから聞こえるのは、そんなパートナーの囁きだ。
「ぐ…………」
 結局レムが選んだのも、ホットのブラックコーヒー。
 もちろんそれを口にした瞬間、死にそうな顔をしたのは……言うまでもない。



 コンビニのレジの片隅に差し込まれた新聞の日付は2008年9月上旬。
 華高祭を間近に控えた、ある日の事であった。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai