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17.禁じられた問い掛け

 九月の日差しはまだ強く、夏の終わりといったイメージが強い。
 けれど日が沈んでしまえば、吹く風に八月ほどの熱はなく。耳を澄ませば、風の中にはかすかに秋の虫の鳴き声も混じってくる。
「ねえ……冬奈ちゃん」
 夜の闇の中。傍らの布団から聞こえてくるのは、冬奈の様子を確かめるような小さな声。
「何……?」
 朝が早い四月朔日家でも、寝るには幾分か早い時間帯だ。
 しかし、今の冬奈達は四月朔日家の一員ではなく、あくまでも客人の身。貴重な家族団欒の時間にまで居間や食堂に居座るのは、さすがに無粋と言うものだ。
「今日、楽しかったねぇ」
「……そうだね」
 買い食いにゲーム、ウィンドウショッピングと、その合間の他愛ない雑談。十六年の時を隔てようとも、少女達のしている事に差など無い。
 そのはしゃぎようが、この先に待ち受ける試練からの逃避だったとしても……だ。
「柚子ちゃん達、このままじゃいられないのかな……」
 ぽつりと呟いたファファのひと言は、2008年から来た誰もが胸に秘めたこと。
 秘めて、口には出せぬこと。
 冬奈が相手だからこそ……言えること。
「……いられるよ」
 そう。
 それは、不可能なことではない。
「あたし達の時代に、来なければ」
「……うん」
 時の流れは、川やレールに例えられる。事件が起こり、新たな分岐が生まれれば、その先に作られるのは『もし』の世界だ。
 故に、『柚子が未来に来なかった』という選択を行えば、そこには新たな歴史が生まれるだけ。
「そうすることも、不可能ではない……か」
 2008年のはいり達からは、確かに柚子を連れてくる事を『託された』。
 しかし、選択を行うのは今ここにいる冬奈達だ。
 2008年のメガ・ラニカもはいり達も放ったまま、柚子がここに残る歴史の流れに乗っかるのも、また冬奈達に与えられた自由、でもある。
 だが、それは…………。
「…………」
 至った思考に小さく身を震わせ、冬奈は掛け布を抱き寄せる。
「……冬奈ちゃん。そっち、行って良い?」
 そんな彼女に掛けられたのは、傍らからの小さな声だ。
「ん」
 はにかみながらの声にそう答えてやれば、やがて暗闇の中、胸元にごそごそという感覚が伝わってくる。
「………あったかいね。冬奈ちゃん」
 小柄なファファの身体を包むのは、かすかな震え。
 冬奈と同じ考えに至り、それが示すものを理解してしまったのだろう。
「……うん」
 抱き付かれた冬奈もその考えを振り払うように、ファファの小さな身体を抱きしめるだけだ。


 掃除に洗濯、風呂の支度。広い兎叶の屋敷とはいえ……二十人近い優秀な働き手がいれば、それらの作業が終わるのはあっという間だ。
 事実、食事が終わった段階で残っている作業は、食事の片付けくらいのもの。
「ええっと……柚子、ちゃん?」
 そんな中。
 ひとり母屋の縁側で空を眺めていた少女に掛けられたのは、遠慮がちな少年の声だった。
「あ、ごめんね。驚かせちゃった?」
 背後からいきなり掛けたのが悪かったのか。
 凍り付き気味の少女に、ハークは気まずそうに苦笑い。
「い、いいえ。男の人から名前で呼ばれるなんて、滅多にないから……びっくりしただけです」
 学校の男子からは名字でしか呼ばれた事はないし、柚子の家は女系家族で男手がない。茶道を習いに来る男衆からは名前で呼ばれることもあるが……ひと回り以上離れた彼らから言われるのと同級生からそう呼ばれるのでは、全くの別物だ。
「ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」
「……慣れてますから」
 ハークはどんな慣れ方だよと一瞬思うが、柚子の腕に揺れる一重の腕環に目が留まり、その言葉を胸の奥へとそっとしまう。
 なにせメガ・ラニカの神を封じるような戦いを経験してきたのだ。それだけの大事件に関わってきたのだから、未来からの来訪者を迎え撃つ事があっても……確かに不思議ではない。
「でも……嫌なら、断ってね」
 ぽつりと呟くハークに、柚子はその目を丸くする。
「どういう事ですか? ハーク……さん達は、未来の世界を救うためにここに来たんじゃ……」
 メガ・ラニカの滅びを救うため。
 未来のはいり達に託された歴史を、繋ぐため。
「そうなんだけどさ」
 それはハークも理解している。
「でもそれって、柚子ちゃんやこの時代のはいりちゃん達に辛い想いをさせてまで、しなきゃいけない事なのかなって」
 ハーク達が過ごす未来に、三十一歳の柚子はいない。
 その歴史を成立させるためには、大神柚子がこの時代に戻ることは許されないのだ。
 それは即ち、はいり達や魔法科のクラスメート、柚子の家族、柚子を辺りを取り巻く全ての人々との間に、最低でも十六年の断絶を与えることになる。
「でもメガ・ラニカが滅びたら、私達よりもっとたくさんの人達が、辛い想いをするんですよね」
「……うん」
 その言葉を否定する術を、ハークは持ってはいなかった。
 かつてから緩やかに起こっていた世界の崩壊は、その崩壊を留めていた第四結界が失われたことで、その勢いを加速度的に増やしているのだという。
 それを止められるのは、もはや柚子達だけなのだ。
「ハークさんも、ルーナちゃんも……」
「……うん」
 その言葉も、否定は出来ない。
 ハークとしては故郷にそれほど未練はないが、そこで暮らす家族達までそうかと問われれば……。
「それに、28日を越えたら……私も、どうなるかわかりませんし」
「……うん」
 そして、彼女自身の運命も。
 9月28日に何が起こり、どうして柚子が消え去ったのかは……レイジ達も調べきることは出来なかったのだ。
 故に、28日以降の彼女がどうなるか、それはまさに神のみぞ知る所となる。
 もっともメガ・ラニカで皆が信じる神は、彼女たちに封印されていたのだけれど。
「柚子ちゃーん。一緒にお風呂、入らないー?」
 そんな、止まってしまった会話に入り込むのは、廊下の向こうから彼女たちの姿を見つけた百音の声。
「あ、うん! ……それじゃ、ハークさん。行きますね」
「……うん」
 さっきから相槌しか打ってないな、とハークが気付いたのは、穏やかに微笑んだ柚子が女の子達のもとへと駆け出してから。
「あーあ。何か、もっと都合良くみんなが幸せになる方法って、ないのかなぁ……」
 そんな事が出来れば苦労はしないというのは、言った本人が一番良く分かっている。
 それが出来ないからこそ、みんなこうして悩んでいるのだから。


 闇の中に奔るのは、月光を弾く戦鎚の一撃。
「だから、甘いって言ってんだろ!」
 それを力任せに撃ち落とし、さらにセイルの元へと迫り来るのは、ルーナの戦鎚に繋がれた巨大な鉄球だ。
「……っ!」
 当たれば無論、無事では済まない。
 だが、打撃音の代わりに撃ち落とされたハンマーヘッドが大地を削るぎゅりぎゅりという音が響き、セイルの小さな身体を一瞬でその場から弾き飛ばす。
「そういう仕掛けか! 未来の技術ってのも、大したもんじゃないか!」
 盛大に外れた鉄球をワンアクションで引き戻し、構え直したルーナが浮かべるのは獣の笑み。
 月光の下で吠える、狼の笑みだ。
「がんばれー! セイルくん!」
 傍らでのリリの声援に反応することもなく、セイルは元に戻した戦鎚を構え直す。
「ほら。集中せい」
「……はーい」
 だが、隣の良宇に言われ、リリは携帯を握り直す。
 軽く集中すれば、やがれそこにぶら下がったストラップが携帯からゆっくりと離れていき。
「うぅ、難しいなぁ……」
 集中が切れたところで、その場にぽとりと落ちてしまう。
「まあ、焦らんとやっていけばええ」
「うん」
 せっかくセイルからもらったプレゼントなのだ。護身用のリリックというのは少々色気がないが、セイルらしいと言えばらしくもあり、悪い気分ではない。
「みんな、元気だねぇ……」
 そんな良宇達に掛けられたのは、穏やかな声。
 ちらりと見れば、そこにいたのはこの屋敷の年若い主だった。
「えっと、良宇くん。今日はありがとう!」
「オレは何もしとらん」
 小さく呟き、視線を戻すのはブランオートの血を受け継ぐ者達のぶつかり合いだ。
「でも、レイジくん達に聞いたら、お部屋の片付け、良宇くんがやろうって言い出したって……」
「恩義を受けたら、恩を返す。気にせんでええ」
 むしろ、これから良宇達がしようとしているのは、そんな事では償いきれない行いなのだ。この程度の事でその莫大な借りを返せるとは露程も思ってはいない。
「でも、嬉しかったから。……ありがとう」
「兎叶先生は……」
「……先生じゃないってば。はいりでいいよ」
 先生などと呼ばれたのは、生まれて初めてだ。テストで勉強を教えてくれる師を求めるのはいつもはいりの側だったし、彼女の得意な運動で先生扱いされるような事態は、今のところ機会がない。
「……なら、兎叶」
「何?」
 過去とはいえ教師の名前を呼び捨てにするのは何となく罪悪感があったが、はいりとしてはそれが一番違和感がないのだろう。良宇の呼び方に対して、何か言ってくる事はない。
「兎叶が本気を出せば、世界を思うままに出来るというのは……本当か?」
 問われた言葉に、はいりは沈黙を守ったまま。
「朝も言うとったろう。週休二日にしようかって」
 今の世界で休みの土曜は、第二土曜日だけだ。
 だが、はいりが本気の力を振るえば……第二土曜だけの休みを、全ての土曜に当てはめる事が出来るのか。
「あれは…………冗談だよぅ」
 困ったように笑う少女だが、その間にあるのは……否定すべきか、肯定すべきかというわずかな迷い。
「やろうと思えば……出来るんか?」
 連なる問いに、答えは一つ。
「……やった事はないけど、たぶん」
 はいりの力は、歴史そのものを書き換える力。右の物を左にあった事にし、外れた攻撃を当たった事にし、世界に一つしかない四重の鈴を二つあった事にする。
 それを踏まえれば……休みではない土曜日を休みだった事にする事も、理論上は不可能ではないはずだ。
「なら……オレ達の時代と今の時代を結び付けることは……出来んのか?」
「……どういうこと?」
「オレ達の時代と、大神がこの時代にいるままの時代を、兎叶の力で結び付けることは出来んかの?」
 歴史の書き換えが出来るなら、不可能な事ではないはずだ。どちらの世界も、同じ歴史の流れの上にあるのだから。
「………出来ると思う。でも、それで何が起こるかは……分かんない」
 十六年を隔てた二つの世界を強引に結び付けるなど、土曜休みの歴史を書き換えるどころの比ではない。事実、どれだけの事が起きるのか、想像も付かなかった。
「そうか……」
 そんな話をしていると、母屋の方からよく通る声が聞こえてくる。
「はいり達もお風呂入らない? 晶達も入るって言ってるけど!」
 旧家だけあって、兎叶家の風呂にはかなりの大きさがある。女子なら四、五人が入ってもまだ余裕があるほどだ。
「わぁ、入る入る! 良宇くん……」
「おう。変な話して、すまんかったな」
 その言葉に困ったような笑みを返すと、歴史を書き換える力を持った少女は、戦鎚を納めたルーナやリリと一緒に母屋の方へと駆けていく。
「…………良宇くん」
「…………やるか、セイル」
 背後から掛けられた小さな声に、良宇も己のレリックを解き放ち……。


続劇

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