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 高く伸びた木々の間から差し込むのは、柔らかな光。
 穏やかに流れるのは、吹く風にゆっくりと揺れ、擦れ合う木々のざわめき。
 そんな森の静寂を切り裂くのは、かぁんという高い音。
 程良い太さの割り木が重量を持った刃の一撃で真っ二つに断ち割られる、両断音だ。
 鋭く高いその音は、森の奥へと長く長く響き渡り、彼方で返され木霊となって戻り来る。
「さて、と」
 断ち切られ、辺りに弾け飛んだ薪を集めつつ。大斧の主たる少年は誰とも無しにそんな言葉を放つ。
 音も止み、静寂を取り戻した森の中で耳を澄ませば、彼方からかすかに聞こえてくるのは幼い赤子の泣き声だ。
「飯……かな」
 オシメが濡れたときの泣き声ではない。ならば眠いか空腹だろうが、少年が家を出るまではぐっすり眠っていたから、眠気でもないはず。
「ラピスの奴、なんで分かるんだろうなぁ……」
 泣き声を一瞬で聞き分けるパートナーのことを思い出し、少年は苦笑。それが母親と父親の差というやつなのだろうが……少年は束にまとめた薪を抱え上げて。
「……………」
 その手が、止まり。
 足元に響くのは、手から滑り落ちた薪束が解け、散らばる音。
「……………」
 少年に、声はない。
 ただ呆然と、目の前に現れた姿を見つめているだけだ。
「まさか、こんな所に居たとは……」
 老女である。
 年の頃は、少年達の祖母というにはやや若く、母親と言うには少し年を重ね気味の、そんな微妙な頃合いだ。とは言え背筋はすいと伸び、顔に浮かぶ浅い皺を除けば老いの要素は全くと言っていいほど感じさせぬ。
「陸さん」
 そんな老女の唇から紡がれるのは、この魔法世界では一度たりとも名乗ったことのないはずの……。
 少年の、本当の名。


 森を出てきた老女に掛けられたのは、フードを目深に被った女の声だった。
「孫に会っていかなくて良いのかい? トゥシノ」
 一人ではない。その数、二人。
「今行くとルリを驚かせてしまいますよ。細かい事情は陸さんから聞きましたから、十分です」
 トゥシノと呼ばれた老女は自らに言い聞かせるようにそう呟き、森の出口にいた女達と同じように自身もフードを被り直す。
「やれやれ。早く元の時代に帰れと言い出すんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしたよ」
「そこまで鬼ではありませんよ、私も」
 まだ陸の娘は生まれてひと月ほど。首も据わっていないし、母親の体力も回復しているとは言い難い。元の世界へ戻る過酷な旅は、母親の体力が回復し、十分な準備が整ってからになるはずだ。
「…………なんで黙ってるんですか二人とも」
「……別に」
 明らかに何か言い含むところがあるらしき二人に小さくため息を吐いておいて、メガ・ラニカの大魔女は小さくため息を一つ。
「まあいいや。なら、今度は十六年後の孫達に会いに行こうじゃないか」
 そして三人の大魔女達は、世界を越える門へと向けて移動を開始する。
 崩れかけた世界の運命を見届けるために。


 これが、物語の序章。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの物語。

 二人の物語は、ここで一旦筆を置くことになる。

 本編の始まりはこの数日の後。
 2008年10月下旬。
 体育祭を終えたその日の夕刻、乱戦の中で飛び込んだ時の迷宮から始まる……。


華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#8 エピソード1992


1.南へ。


 目の前に広がるのは、一面の白。
 見上げても、見下ろしても、もちろん手を伸ばした彼方さえ、全てが白に覆われている。
 地上世界と魔法世界。二つの世界の狭間に位置する、時の流れからも取り残された空間。
 時の迷宮。
 地上と魔法世界メガ・ラニカを繋ぐとされる『通路』エリアのさらに奥。いつもなら案内人達の誘導灯で隔てられた先に、その空間は広がっている………はずだった。
 だが今は、本来いるべき案内人はおらず、従って『通路』と迷宮を隔てる誘導灯も存在しない。
「なあ……水月。一つ、聞いて良いか?」
 白い世界に立つのは、十六人の子供達。
 うちの一人が、ぽつりと傍らの少女に問いかける。
「何? ホリンくん」
「これから、どこに行きゃあいいんだ?」
 レイジ達の目の前に広がるのは、靄に覆われた白き世界。
 道はおろか、目印になる柱や木……天上に輝く星すらもない。
「1992年でしょ」
 さらりと返ってきた晶の言葉に、ため息を一つ。
「そりゃ分かってるけどよ……どうやって行くんだ? おめぇら、ちゃんと調べたって言ってたよな?」
 目の前は一面の白。
 電車に乗って隣町に行ったり、団地住まいの友人の家に行ったりするのとはわけが違う。目的地は同じようにはっきりしているが、そこに至る道のりが見つけられないのだ。
 物理的な意味で。
「冬奈!」
 故に、晶が呼んだのは友人の名。
 かつてこの迷宮に挑んだことのある男に2008年から1992年へ至る道のりを確かめた、少女の名だ。
「ええ。ここからまずは南西に二千歩……」
「南西ね、南西………」
 ポケットから道のりを書き記したメモを取り出した冬奈の言葉に、晶も腰に巻いていたポーチから手の平に乗るほどの小さなケースを取り出してみせる。
「…………」
 取り出してみせる。
 取り出してみせ。
 取り出して……。
「ハーク!」
 それきり動く様子のない親友に痺れを切らしたのか、冬奈が呼んだのは彼女のパートナーの名前だった。
「はいはい。………こっちが南だから、南西はこっちだね」
 晶が取り出したのは、魔力の流れや密度に反応して方位を示す、メガ・ラニカで使われる特殊なコンパスだ。それを横からひょいと取り上げたハークは、揺れる指針をしばらく確かめ……やがて、ある方向を指差してみせる。
「えへへぇ。よく分かるわね」
「えへへじゃないよ……しっかりしてよ?」
 白い手にコンパスを戻す少年に、晶は誤魔化すような笑みを浮かべるだけ。
 晶が手持ちの品をそう易々とハークに取り上げさせるはずがない。故に、先ほどのハークの手を防がなかったのはあえてだろう。本当に盤面の読み方を忘れていたのか、それとも単に面倒だったのかは、その笑みに隠されて分からなかったけれど。
「そうだ。あたしじゃ陸さんと歩幅が違うから……良宇、あんたがカウントしなさい」
 次に冬奈が名指ししたのは、少年達の中で最も大きな体躯を持つ少年だった。
「オレか!? じゃが……」
 確かに、長身の陸の二千歩と中背の冬奈の二千歩では進む距離に大きな差が出るだろう。それこそ、誤差では済ませられないほどの。
 だが……。
「二千歩も、数えきれるかのぅ」
 歩きながらの計測作業だ。二千数えるだけなら子供でも出来るが、周囲に気を配りながら観測するとなると……歩数を正確に覚えきれるかどうか、正直なところ自信がない。
「だったらカウントはあたしがやるから、ゆっくり歩いて」
「お、おう………」
 そこまで言われれば、良宇にも断る理由はない。冬奈の導きに従って、その場を起点にゆっくりと歩き出す。
 渡されたコンパスに記されている文字はよく分からなかったが、進むべき向きだけは分かる。
「でさぁ、冬奈」
「話しかけないで! 歩数を数えてるんだから!」
「はいはい」
 冬奈は口の中で何やら呟きながら、コンパスを見てひたすらに真っ直ぐ歩いている良宇の後を追い掛け始める。
「そういえば森永くん達は、何か面白いこと分かった?」
 冬奈から問い掛けを拒否された晶が次に問うたのは、彼女のクラスの委員長。
 探索の手がかりや事件解決の糸口、そして当時の世相を確かめるため、彼らは体育祭の直前まで情報収集に徹していたはずだ。
「……調べたけど、大したことは分かりませんでしたよ」
「天候竜が人を襲ったとかいう事件もあったらしいけど、結局細かいところは分からずじまいだったしな」
 92年の華が丘は、魔法世界メガ・ラニカとの接続が再開されたばかり。魔法世界をひと目見ようと観光客も増え、肝心の魔法世界は渡航不可と聞かされて帰っていく輩が多かった時代だ。
 それが災いして当時の小さな事件はほとんど取り扱われていなかったのだが……逆を言えば、それだけの混乱があった時代である。
 今の閑散とした華が丘であれば、知らない顔がいればすぐに話が伝わるだろうが、そんな時代なら少年達が歩いていてもただの旅行者と思われるはず。
「そうなんだ……。じゃあ、当時流行ってたアーケードのゲームは?」
 次の晶の問いにレイジは首を傾げるが、祐希はさして考える様子もなくさらりと言葉を紡いでみせる。
「………スト2かな」
「それは調べてたのかよ」
「無印?」
「ダッシュが三月に出てるから……そっちかも」
 祐希の言葉に、晶は小さく舌打ちを一つ。
「そ、そこは残念な所なの……?」
 ハークも晶の挙げたタイトルが格闘ゲームである事くらいは分かるが、無印やダッシュと言われても、違いなど分かるはずもない。
「だって、無印をアーケードでプレイできるなんて、今の時代じゃ考えられないのよ! 基盤も当時の筐体も完動状態で持ってる知り合いなんて流石にいないし!」
 完動状態ではない知り合いなら居るのかどうかは少々気になるが、それを上回るほどの嫌な予感が脳裏をかすめたので黙っておくことにする。
「それでさ、冬奈」
「誰かそいつを黙らせて!」
 良宇の歩数カウントに集中している冬奈の叫びに、あたりを警戒していた男子達が慌てて指示の相手を確かめて……。
「だ、だって……! そんな必死にやってるの見ると、邪魔したくなるじゃなむぐぐ!」
 最初に少女の口を押えたのは、ひょいと伸ばされた少年の小さな手だ。
「ほら、晶ちゃん! ちょっと黙ってようね!」
「ちょっとやだ、ハークくん! こんな所で!? あたし、もうちょっと雰囲気のある所のほうがいい!」
「そんな誤解させるような言い方やめてー!」
 晶の艶っぽい嫌がり方に男子の間に変な緊張が走ってしまったのは、誰も責めることは出来ないだろう。
「だぁぁうっさい! 分かんなくなったでしょ!」
 結局騒ぎ出す晶の声を上書きするかのように、ヒステリックな冬奈の叫びが白い世界に木霊した。


続劇

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