24.別れと始まり
その車が華が丘高校の玄関に現れたのは、閉会式を終えて、ホームルームが終わった後のことだった。
「………私が言うのもなんだけど、いいんだね」
黒塗りの大型車の脇に立つのは、三人のフードの女達。
メガ・ラニカで大魔女の称号を持つ、最高位魔術師たちである。
「……………」
「…………」
だが、問われた少女と少年は、女の言葉に答えない。
無理もないなと苦笑して、女の一人が先に後部座席に入り込み、続けて二人を車の中へと招き入れる。
「あんた達も話は聞いてるよ。……まあ、騎士団にケンカ売るなんて、なかなか出来る事じゃないよ。よく頑張ったと褒めておこうじゃないか」
二人が車に乗ったのを確かめて、女の一人がフードを取った。ニヤリと微笑みかけるのは、車の周囲に並んでいるクラスメイト達だ。
その中には彼女自身の孫もいるのだが……彼さえも、老女を静かに見つめているだけ。
やはり答えがないのに苦笑して後部座席に入り込めば、分厚い扉は音もなく閉じていく。
「リリちゃん達にまた会えるまで……どのくらいかかるの?」
残る女に初めて掛けられた声は、消え入りそうなか細い声だ。
「さあ……。ゲートに封じるから、十年先か、二十年先か……。この世界が落ち着くまで、かね」
助手席の扉を開け、三人目の女は静かにそう呟いてみせる。
これが世界を安定させるための時間稼ぎにしかならないのは、女達にも分かっていた。そして真の目的が成し遂げられるのは、十年先か、百年先か……はたまた、この世界は彼女たちの犠牲空しく滅びるまで安定しないままなのか……。
だがそれでも、出来ないことが全くないわけではないのだ。
「なら、世界が安定すれば……リリは封じられずに済むんですね」
「……そんな方法が、あと数時間で見つかればね」
少年達の答えを待つまでもなく、黒い扉はばたんと閉まり。
驚くほどに小さなエンジン音と共に、黒塗りの車は校舎前のロータリーを後にする。
「…………見つけてやろうじゃない」
車が消えていった長い長い下り坂の果てを見つめ、呟いたのは一人の少女。
「だな。……なら、行くぞ。おめぇら」
そして、その場にいた一同は行動を開始する。
自らに、出来ることを。
○
街に通じる、長い長い坂の途中。
「こら、ここは立ち入り禁止だぞ」
坂を下ってきた一同を止めたのは、ハルモニア騎士団の短衣をまとった若者だった。
「あの……。ここ、帰り道なんですけどー」
「済まないが、今日だけは回り道をしてくれないか?」
「どうしてもダメですかー?」
「ダメだよ。他の学生さん達にも、同じように言っているんだ」
一同の誰が何を言おうとも、男が首を縦に振る気配はない。
しかも、男だけではない。近くには数名の騎士や魔法庁の制服を着た男達が待機しており、先日のような力ずくでの突破も難しそうだった。
「やっぱり別働隊に期待するしかありませんかね……」
レイジや晶がいればもう少し上手く出来たのかも知れないが、機動力のある彼らは別働隊として動いている。
彼らに合わせてゲートに乗り込むのであれば、山の裏側から向かうか、正面の八幡宮から回り込むか……。
「やあ、君たち! 見学はこっちだろう!」
そんな声と共に現れたのは、門番の若者と同じ服をまとった青年だった。
「マーヴァさん……見学ですか?」
「団長からの話、聞いてないか? 今日の儀式は高校の生徒が見学に来るって」
青年の言葉に、門番の若者達は顔を見合わせるが……誰もが不思議そうな顔をしたままだ。魔法庁の男達も基本的にそういった情報は蚊帳の外なのだろう。肩をすくめて、自分達の雑談に戻ってしまう。
「まあ、団長指示ならいいですけど」
結局、青年の話を受け入れる形で、門番は提げていた棍を引いてみせる。
「あんた………」
良宇の言葉に、青年騎士はごく世間話でもするような様子で、苦笑いを浮かべるだけだ。
「あの時、実は一撃食らっていてね。一本とは言わないが……有効ぶんくらいの約束は果たせと、貴女のお父上にね」
「お父様……」
小さく呟き、キースリン達は目指す場所へと歩き出す。
繋がった電話から伝えられたのは、耳を疑うような報告だった。
「…………本隊が、ゲート前に行けたってよ」
別働隊はもちろん、本隊の誰もが普通に通れるとは思っていなかったのだ。どちらかといえば、ただの様子見に行った感が強かったのだが……。
「どうやったの? やっぱりキースリンさん?」
だが、晶直伝の『おねだり』も騎士の誇りには通じなかったとキースリンから聞いていた。その効果が今更になって出てきたとも思えない。
「いや。なんか良宇がやったらしい」
「………ちょっと、強行突破なの?」
開幕、それもいきなり正面からの強行突破など、作戦のどこにもなかったはずだ。
「違うらしい。よく分からんが、順調ってことで進めてくれ……だそうだ」
とりあえず順調に進んでいるなら、問題はない。例えそれが罠だったとしても……。
「罠じゃないでしょ。わざわざ罠に陥れる意味がないもの」
相手との戦力差は、圧倒的なのだ。
わざわざせせこましい罠など張らずとも、法的なものから単純な力技まで、こちらをねじ伏せる方法はいくらでもあるのだから。
とにかく向こうが隙を見せているのだから、その間にこちらも行けるところまで行くしかない。
「冬奈。どうだ?」
その問いに、冬奈は小さく首を振り。
「……まだ七つ。ぜんぜんよ」
空に浮かんだまま、そう答えてみせる。
華が丘高校から長い長い坂を下った中頃にあるのは、猫の額ほどの小さな広場だ。
普段なら固く閉じられているはずの建物の扉は、今日ばかりは大きく開け放たれており……加えて、その前には小さな祭壇らしきものが設えられていた。
周囲には黒いローブをまとった三人の女が立ち、そのさらに周辺を軽装の鎧をまとった騎士達が警護に就いている。
そして、祭壇の中央に座っているのは……。
「……リリさん」
白い法衣に着替えてそこにいる少女を目にし、小柄な少年は小さくその名を口にする。
「自重してくださいよ、ブランオートくん。まだ……まだですからね」
祐希の言葉に無言で頷くセイルだが、握りしめた小さな手は充血を通り越して白く、唇の隅もぎりと噛み締められていた。
「………レムレム」
「真紀乃さんも落ち着いてくださいね」
「分かってるけど……」
祭壇の上、リリの傍らに座るレムに、真紀乃も唇を噛み締めたまま。キースリンの言葉で何とか踏みとどまるが……。
もう、それも限界だ。
「百音。レイジ達は何て?」
そんな二人の様子に時間がそれほど無いことを感じながら、悟司が問うのは傍らの少女に向けて。
「……いま、カウント二十だって」
髪を下ろした百音の耳には、小さな無線式のイヤホンマイクが収まっている。珍しく三つ編みを解いているのはおしゃれというワケではなく、耳のそれを隠すためであった。
「まだまだか……。三十過ぎたら動いちゃダメかって聞いてみて」
傍らの少女と話しているフリをしながら、悟司はレイジからの返答を待つ。
「………ギリギリまで粘れって。ダメそうなら、悟司くんと森永くんの判断に任せるって」
小声でのその指示に、本体指揮を任された二人は静かに頷いてみせる。
「…………なんであの子らがいるんだい」
詠唱の合間にそんな呟きを漏らしたのは、メガ・ラニカ屈指のホリック使いだった。
視線の脇にあるのは、こちらに強い視線を叩き付ける小さな姿。それが何者かなど、確かめてみるまでもない。
「さあ? さっき、騎士団の誰かが連れてきたみたいだけれど」
ゆっくりと魔力の流れを調整しながら、治癒魔術の権威もホリック使いに答えてみせる。
おそらくは、まだ何か策があるのだろう。
けれど、この儀式が完成すれば……陣の中にいる二人は、メガ・ラニカにこの世界のマナを導くための新たな機構の一部となる。
「二人とも、集中しないか。完成まであと少しだからね」
「……分かってるよ」
「……はい」
三人目の大魔女の言葉に、他の二人も意識を再び集中させる。
周囲には、有力な魔女や魔術師、そして地上の優秀な魔法使い達も多く控えているのだ。仮に騎士団が少年達の側に付き、何か手段を講じたとしても……この結界の内にまで、その手が届くことはない。
「一名さま、ごあんなぁい」
冬奈の意識の内に美しいながらも間の抜けた声が響いたのは、その瞬間だった。
「四十三人目、もうそろそろ限界でしょ!」
真剣な場面なのだからもう少しシリアスな言い方であって欲しいとも思うが、そうなってしまったのだから仕方ない。
とにかく、待っていたカウントは十分な数だ。
「よし! 百音、やっちまえ!」
ようやく動き出した事態に、レイジも持っていた携帯にあらん限りの声を叩き込む。
届いた声に、百音の叫びは辺りへの警戒を払わぬもの。
「レイジくんから連絡来たよ!」
少年達へのそれは、待ちに待った作戦開始の合図。
周囲へのそれは、一瞬の隙となる。
しかし、そんな叫びに惑わされぬものもいる。
例えば、少女たちの上空から飛翔する銀色の影。
「百音っ!」
だが、少女の動きを止めようと上空から舞い降りたそいつは、百音の元へとは辿り着けない。
横殴りに叩き付けられた、刃の一撃を受けたからだ。
「………見抜いたか、マスク・ド・ローゼ」
今の一瞬であれば、相手の動きを止めた後に小さくエスプリの効いた名乗りを上げるのが、最も華麗でスマートな登場の仕方だろう。
そして、守りの立場から言えば……そんな相手を一撃で押えるのが、最もスマートな現れ方だった。
「ローゼ!」
「ここは任せておきたまえ!」
白大理の細剣を正面に構えたまま、背後の少年達に鋭く言い放つ。
「森永くん!」
「はいっ!」
続く百音の言葉に、祐希の肩を飛び上がった手足の生えた携帯電話が………。
力一杯、地面の一点を打ち据える。
そこに仕込まれていた小さな結界が、起動のスイッチ。それを合図に広場一面に張られた巨大なエピックが、淡い光をぼうと放ち。
次の瞬間、世界が揺れた。
「ちょっと、これってホントにレイジのネバネバ結界なの!?」
これだけ巨大なエピックをこっそりと準備するには、膨大な手間が掛かったのは間違いないだろうが……。
いくら巨大なエピックを描こうとも、それは効果範囲が広がるだけで、威力が上がるわけではないはずだ。
「……運が悪いと、あんなに効果が出るものなんですかね」
だが、『運悪く』エピックの構成式が何かかのアクシデントで書き換わってでもいれば、その限りではない……かもしれない。
そのうえ、引っかかった対象の『運悪く』が四十三も重なれば、術者の想像を絶する効果が起きるかもしれなかった。
「四月朔日は怒らせないようにしよう……」
これが、冬奈とレイジが行っていた仕込み。
広場の各所に張られた不幸を撒き散らす冬奈のエピックが、そんな偶然をより『運の悪い』方向にシフトさせているのだ。
「通れるよ! みんな、急いで!」
そんな中、ファファの示す先には結界の影響を受けない、まっすぐな道が生まれている。解除魔法で効果範囲の一部を削り、安全な通路を作り出したのだ。
「はいっ!」
結界で動きを封じられた騎士団や魔法庁の隊員達の混乱を背に置いたまま、真紀乃達は儀式の中心部に向けて走り出す。
ここまでは、奇跡的に上手く行った。
あの大魔女達さえレイジの結界で足止めされているのは、本当に奇跡と言っても良いだろう。
「で、どうやって中に入るんだよ!」
だが、目の前にある祭壇は、淡く光る防御結界に覆われていた。いきなり飛び込んでも弾き返されるだろう事は、素人の八朔でさえ理解できる。
「こうじゃ!」
叫んだ良宇の拳は、既に腕甲を包まれていて。
強く輝く大きな拳は、腰に触れたファファの魔法を受け、さらに強く輝きを増す。
「悟司! 手ぇ貸せっ!」
「百音!」
そう叫んで悟司が取り出したのは、銀の弾丸……全弾だ。
「うん!」
悟司の求める戦い方を理解したのだろう。百音もポケットから携帯を取りだし、既に着ボイスでの詠唱を終えた後。
「いっけぇぇぇぇっ!」
百音の作り出した魔法の的が浮かぶのは、祭壇を覆う結界の真っ正面だ。制御不能の十の弾丸は、その一点目指して一斉に殺到して。
「でりゃぁぁぁぁぁあっ!」
そこにさらに連なるのは、十の弾頭をさらに奥へと叩き込む、信念の拳の一撃だ。
ぶつかり合う衝撃にぐ、と鎧の内の筋肉が軋み。
全身を抜けるのは、ガラスを割り砕いたときのような貫通の感触。
「リリさん………!」
「セイルくん……!」
「イチャイチャはいいから、早くゲートの中に!」
上空から舞い降りてきたハークに抱きかかえられ、リリとセイルは一足先に開かれたままのゲートの中へ飛んでいく。
だが。
「悪いが、これ以上のやり放題は許すわけにはいかないね……」
ゲートの前に立つのは、結界に足を取られていたはずのローブの女。
いや、ローブを結界に取られ、失った今……大魔女と呼ぶべきだろうか。
「足の折れたそいつを運んでもらってから掻っ攫おうなんざ……上手いこと考えたもんじゃないか」
そしてレムを愛馬の上に乗せようとしていたレイジ達に向けられたのは……。
「構うな! 行けっ!」
古式に則って作られた、魔術符だ。
「その手の妨害を考えてないとでも思ったのかい?」
かつては壁紙エピックと同じように使われていたそれが、ぼぅと淡い輝きを放ち。
周囲の全てが、白い光に呑み込まれていった。
続劇
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