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2.逃亡、再会、大追跡

 六時間目終了の鐘は、長い長い戦いの終了を示す、解放の鐘。
 もちろんホームルームが終わるまでは本当の解放とは言えないのだが、魔法科一年A組に関してのそれは、ほんの少しだけ当てはまらない。
「リリ。あんた、ライスに行くでしょ?」
「うん。今日ってあれだよね? 新作の」
 今日はライスの新作ケーキの発売日。食欲の秋特集ということで、栗や柿などを使ったケーキらしい……という事だけは店主から教えられているのだが。
「そういうこと。委員長、ちゃんと取り置きしてくれてるんでしょうね!」
「菫さんに話してますから、大丈夫だと思いますよ」
 答える祐希も既に帰り支度を終え、バイト先に直行するつもりらしい。本気を出せば、飛行魔法を使える晶達の方が祐希よりも先に辿り着くだろうが……さすがに、そこまで急いで行くものでもなかった。
「そうだ。冬奈ちゃん達はどうするの?」
 リリに言われて携帯を開けば、向こうも授業が終わったのだろう。新着のメールが三件ほど届いている。
「向こうはみんな部活があるって。終わったら来るってあるけど……待てないから、先に食べちゃおう」
「待とうよ、そのくらい!」
「じゃあ、ハークくんだけ待ってれば?」
 そのひと言に、元気よく輝いていた鈴蘭のヘアピンがしゅんと力を失ったかのように明度を落とす。
「…………いや、食べるけどさ」
 仮にハークがそういう義理を貫いたとしても……冬奈達が合流したタイミングで、残していたケーキを晶に食べられるのは目に見えている。
「キースリンさんは……森永くんと一緒に来る?」
「はい」
 てらいなく頷くキースリンに「ごちそうさま」と苦笑すれば、教室に入ってくるのは一年A組の担任だ。
「連絡事項とか特にないから、帰って良いわよー」
 挨拶すらないそのひと言で、本当の放課後は始まるのだった。


 レムが辺りを見回せば、生徒駐輪場に続くそこに、そいつは静かに立っていた。
「何だ、レイジ。わざわざこんな所に呼び出して」
 レムとレイジは同じクラス。それも、委員長と副委員長という間柄だ。用事があるなら教室なり携帯なりメールなり、どこでも済ませることは出来るはず。
 少なくとも、人気のない裏庭に呼び出す理由など……。
「俺が言いたいこと……分かってんだろ?」
「イヤだ!」
「即答かよ! っていうか、ホントに分かってんのかよ!」
「どうせ双空を捨てろとか言うんだろ!」
 これでボケられたら本気で殴ろうかと思っていたレイジだが、彼の考えはしっかり伝わっていたらしい。
「分かってんじゃねえか。それ持ってたらどうなるか……分かってんだろ?」
 レイジは先日、大魔女達から直接その事を聞かされていた。あの時のレムは、意識を刀に奪われていたはずだが……。
「ああ。ルーナレイアさんから教えてもらったからな」
 大魔女であるブランオートの娘にして、セイルの母親でもある……レムの刀の監視役だ。
 今はレム達の部屋の隣に居を構え、彼の暴走を力ずくで抑える役目を引き受けていると聞いていた。
「だったら……何で!」
「気に入ってるからだよ。お前だって、似たようなもんだろ!」
「んだと!?」
 誰が、と言い返そうとして、レイジの思考がほんの一瞬、とんでもない結論を導き出す。
「百音さんとくっつくのって……結局は、メガ・ラニカの滅びに手を貸すことだろうが」
 パートナー制度の真の目的は、メガ・ラニカの崩壊を食い止める事。殊に男女の組み合わせであれば、より親密な仲を創り出す事が理想とされている。
 その男女の組み合わせに外から干渉するとなれば……ひいては、メガ・ラニカの崩壊の一端を担うも同じ事。
「そ、それとこれとは……」
 そう言いつつも、レイジの至った結論とレムの言葉は同じ所にある。反論しようにも、反論する言葉が思い浮かばない。
「一緒だろうが。パートナー制度の裏の話、聞いたんだろ?」
 レイジは答えない。
 答えられない。
「諦められるのか?」
「…………諦められるわけ、ねぇだろ」
 再びの問いにようやく返したのは、絞り出すような言葉。そして……。
「…………あの野郎!」
 目の前にいたはずの少年は、既に高い空の上。
「くそっ!」
 レイジも慌てて携帯を取り出し、自らの愛馬を召喚してみせる。


「…………」
 静かな公園に響き渡るのは、金属のぶつかり合う甲高い音。
 一度、二度、三度……と続けざまに炸裂し、わずかな間隙を置いて地面に転がる鈍い音が続いて響く。
「…………ダメか」
 周囲に浮かぶ弾丸は五発。夏休みに旅行したメガ・ラニカで八発の起動に成功してから、五発までは安定して使えるようになったはずなのだが……今まともに制御できているのは、うちの三発が限界だ。
 無論、理由は分かっている。分かっていてなおそれを乗り越える方法を見いだせずに、こうして公園でくすぶったままでいるのだ。
「集中が……………鈍ってる」
 そんな悟司に掛けられたのは、途切れ途切れの静かな声。
「月瀬………さん?」
 セイルと同じ喋り方。
 そして、同じような白衣。
 その姿は、悟司の記憶にあるそれよりも幾分か小さく見えた気がしたが……それは悟司がそれだけ成長したということだろう。
「…………久しぶり」
 悟司に銀の弾丸を与えた男は、悟司の記憶にあるままの表情で、穏やかにそう呟いてみせる。


 秋風の吹く空を見上げれば、流れていくのは白い雲。
 もし許されるなら、それを眺めながら、この屋上でゆっくり過ごしていたいのだが……今日はそんな事をしている暇はない。
 屋上からグラウンドを見下ろせば、そこでは既に女子陸上部の練習が始まっているのだから。
「聞いておるのか、百音!」
 だが、思考を現実に引き戻すのは、しわがれた老人の声。
「聞いてるよ。学校での………見張り役って事だよね?」
 百音の周囲にそんな声を上げそうな老人はいない。
 ただ小さなフクロウが一羽、屋上の手すりに留まっているだけだ。
「左様。あのキュウキに魅入られた少年……レムとか言ったか? あれが校内で暴走せぬよう見張れとの、フラン様からのお達しじゃ」
 老爺の声で喋るフクロウに、百音は小さくため息を吐く。
「そんな事、言われなくても……。でも、それならあの剣を封印した方がいいんじゃないの?」
 レムに憑いている魔物は、彼のレリックに封じられているものだ。レムの暴走を止めたいなら、レリックそのものを封じれば済むはずなのに。
「封印しては剣の力を取り込めぬそうじゃ」
 フクロウの言葉に、少女は小さく唇を噛み締める。そうさせたくないからこそ、封印の提案をしてみたというのに……。
 だが逆に、少年から剣を取り上げ、封印してしまえば……その進行を抑えられるのは間違いないらしい。
「とにかく、監視と暴走した際の足止めをすればよい。他にも監視の者はいくらかおるから、出来る範囲内で構わぬぞ」
 上からの指示というのは気に入らないが、レムの異変を何とかしたい気持ちは百音も同じ。
「…………わかっ……」
 そう答えようとして。
 校舎の向こうをまっすぐに駆け上っていく疾風に、思わず目を見開いていた。
「百音!」
「分かってる!」
 どうやら今日の部活は、サボらざるをえないらしい。
 ポケットから携帯を取り出して、百音はそこに付けられたレリックの力を解き放つ。


 ぱたぱたと校門に駆け寄ってくるのは、小さな影。
「ごめん。遅くなっちゃった」
「別にいいわよ。こっちもさっき来たところだし」
 胸を押えて息を整えているパートナーに、待っていた娘は苦笑するしかない。もともと大して急ぐ用事でもないのだから、全力で走ってくる必要などないのだが……。
「でも、冬奈ちゃん達を待たせてるんだし……」
 そう。
 待っていたのは、冬奈だけではない。
「アツアツですねー。なんか、デートみたいです」
 冬奈と同じ水泳部員の、真紀乃である。
 秋風の吹くこの時期、女子水泳部の活動は筋トレが中心となる。基礎訓練を終えれば後は自由参加になるため、二人は四月朔日の道場に戻ってメニューをこなすことにしていたのだ。
 もちろん帰るまでに、ライスに寄って……ではあったが。
「……何よ。いいじゃない、別に」
 拗ね気味の冬奈の言葉を遮るように響くのは、何やら勇ましいイントロだ。
「……っと、すいません」
 小さく断って、真紀乃はリストバンドに仕込んでいた携帯の着信ボタンを軽くタッチ。
「もしもし、真紀乃です」
 電話を耳に当てることなくハンズフリーモードで話すその様子は、昔の特撮に出てきた腕時計型通信機での会話を彷彿とさせるものだったが……そういったものをほとんど見ない二人からすれば、変わった喋り方をする程度にしか思わない。
「レイジだ! レムが何だか突っ走って、華が丘山のほうに飛んでった! 手ェ貸してくれ!」
「わかりました! あの、二人とも………」
「全部聞こえてたから」
 頭を下げようとする真紀乃だが、会話の内容はハンズフリーモードで丸聞こえだ。
「じゃ、行くわよ」
 既にファファは携帯を持ち、冬奈も己のレリックたる六尺の八角棒を脇へと構えている。
「……いいんですか?」
「良いも何も、あんた飛行魔法使えないでしょ」
 華が丘山までは坂を下ればあっという間だが、山中の探索となれば飛行魔法と徒歩では機動力の桁が違う。
「すいません、お願いします!」
「他人行儀なこと言わない!」
 真紀乃の言葉を断ち切るように八角棒を振りかざせば、冬奈とファファの周囲に連なるメロディが響き渡る。


 裏庭沿いの校舎に跳ね返るのは、甲高い馬のいななきだ。
「頼むぜ、トビー!」
 召喚円から現れた愛馬に飛び乗り、手綱を握りしめる。軽く腹を蹴れば、ホリン家に仕える天翔る馬は勇ましく大気を蹴りつけようとして……。
「そこのキミ!」
 現れた姿に、わずかに動きを止めようとするが。
 再びレイジの合図を受けて、止めかけた足を再始動。
「ちょっと、待ってってば!」
 だが、二度目の呼びかけの必死さ加減に、レイジもしぶしぶ手綱を引いた。
「何しに来やがった、ハルモニィ」
 レイジの言葉の内にあるのは、あからさまな敵対の意。それは、レイジが彼女……百音にも、ハルモニィにも……に対して一度も見せたことのないものだ。
「……まさか、レムをどうこうしようってんじゃねぇだろうな」
 レムが彼らの前で初めて暴走したとき、ハルモニィは大魔女達と共に現れた。ならば、彼女も大魔女達の……レムやリリを利用しようとする連中の一味である可能性が高い。
「彼を傷つける気はないわ。……信じて欲しい」
「……レムやリリを道具に使おうって奴らの言う事を、信じろってのか?」
 その上、出来ることはあるかと問うたレイジ達に、「何もないから大人しくしていろ」と言い放ったのだ。力不足な事は否定できない面もあるが……いくら何でも言い方という物があるだろう。
「…………あの人達とは……」
 棘の混じった言葉が、ちりちりと痛む。
 だが、大ドルチェは師匠だ。他人でも、関係なくもない。
 そして大ドルチェを師匠だと言い切ってしまえば、聡いレイジのこと。彼女を祖母とする百音自身とハルモニィの間に、必ずや接点を見いだすことだろう。
「だんまりかよ……」
 修行中の身で、嘘はつけない。
 沈黙を保つのが、精一杯。
 答えぬ事は、嘘をつくことと同義ではないからだ。
「そ………それより、さっきの子を追い掛けなくていいの?」
 長い沈黙の果てに出来たのは、質問に質問で返すことだけ。
「っと、そうだった! ハルモニィ。おめぇがあいつらと違うってんなら、まずは手ェ貸せ!」
「分かった! 何をすればいいの!」
 けれど、ハルモニィの問いにレイジは無言。
「…………考えてないの?」
「と、とりあえず追い掛ける! 乗れ!」
 手綱を長めに持ち直し、レイジは少女にその内へ入るよう、軽く顎をしゃくってみせる。
「………え?」
 そのいきなりの指示にハルモニィが返せたのは、間の抜けたそんな返事だけ。
「おめぇ、ピョンピョン跳ぶだけで空飛べねえだろ。乗れって言ってんだよ」
 レイジの言うことは間違ってはいない。通常の飛行魔法とハルモニィの跳躍では、移動速度に格段の差があるからだ。
 間違ってはいない。
 間違ってはいないのだが……。
「…………ええっと」
「置いてくぞ!」
 愛馬に指示を送り、ゆっくりと歩を進ませ始める。もう五歩、六歩も歩けば、天翔ける馬は文字通り地上から離れていってしまうだろう。
「あ、わ、わかったから!」
 慌てて叫び、レイジの前へと引き上げてもらう。
 そのまま数歩を加速して、天馬は空へと駆け上がった。
(うう、やりにくいなぁ……)
 空を見渡せば、遙か彼方に小さな紫の光が見える。おそらくはレムの放つ、紫電の残滓だろう。
 その雷の輝きは、彼方の山へと跡を曳いていく。
「行くぞ!」
 目指す先は華が丘山。
 天馬で駆ければ、文字通りほんの数歩の距離だ。


続劇

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